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4 まあ遠慮はいらん、さあさ、かけるがよろし

 案内されたのは、襖が取り払われて三間続きとなった、広々とした座敷である。漆塗りの上質そうな膳が部屋の端から端まで几帳面に並び、その上には山の幸海の幸が本膳料理の形式で盛られている。


「おおおお、これはまた豪勢な」

「ひひひ、まあ遠慮はいらん。さあさ、かけるがよろし」

「では遠慮なく」


 促されて座り、改めて周囲の席を見回した。


 惜しげもなく煌々と灯された灯台の火。その朱色に照らされて、美味そうな料理がてかてかと輝く。いったい何人前あるのか数えるのも難儀するほどずらりと並ぶ膳の正面は、いずれもまだ空席だ。


妖狸ようり、今宵はたいそう多くの客人が招かれているようだ。いつごろ見えるのか。こうも広々とした場所に一人きりでは、どうも尻が落ち着かん」

「ほほう、婿鬼どのは賑やかな方がお好きか。ならば、ほいっ」


 妖狸がふかふかした手のひらをぽむっ、と叩くや否や、まるで時が飛んだかのように室内の様子が一変する。


 先ほどまで微かに響いていた沢のせせらぎ、虫の音、梟の声。これらは陽気な談笑と楽の音に呑み込まれて消えた。剛厚つよあつと妖狸しかいなかったはずの広間は客人で溢れ、給仕の娘が忙しく酒を注いで回っている。


 突然のことに、剛厚は呆気にとられて硬直する。妖狸はひひひと笑い、剛厚の隣に二本足立ちとなり声を張った。


「やいやい、皆の者、こちらが新しい妖山あやかしやま城主でおられるぞ」


 その途端、座敷中が静まり返る。皆が思い思いの恰好をしたまま動作を止め、目を丸くしてこちらを見ている。図体のわりに気の小さな剛厚は、場を白けさせてしまったかと冷や汗をかくが、妖狸は剛厚の気も知らず水を向けた。


「妖山殿、さあさ、ありがたいお言葉を」

「お言葉!?」


 目立ったことをするのは得意ではない。怪しげな妖狸に招かれたことを後悔しかけたが、眼前で輝く料理の誘惑には抗えない。いただくものをいただいて、早いところ城へ戻るとしよう。剛厚は一つ頷いて咳払いした。


「あ、ええと、お初にお目にかかる。それがしは亡き白澤しらさわ家当主の婿養子、白澤源三郎と申す。どうか……よしなに」


 妖山で宴を催す人々だ。おそらく領民なのだろう。当主の挨拶はこのようなものでよかったか。まさか己が城主になるなど、露とも想定していなかった剛厚は、いまさらながら混乱をきたす。けれども全ては杞憂だったらしい。


「……おお、噂の!」

観山みやま城主狭瀬(はざせ)源太郎様のご親族だとか」

「ああ、こりゃ平伏せねば」


 ずらずらと床に平べったくなり始めた人々に、剛厚は慌てて声をかける。


「いいや、宴の席でそんな」

「今宵は無礼講だと鬼……じゃなくてご当主が仰せじゃよ。ひひひ」


 妖狸の言葉を耳にして、床に這いつくばっていた者らの頭がぴょんぴょんと持ち上がる。まるで愉快な音楽を捉えた獣の耳が立ち上がったかのような動きで、妙に愛嬌がある。


「へへ、妖山殿が仰せなら」

「さあさ、宴の続きだべ」

「殿様、どうぞ一杯」


 剛厚は勢いに呑まれ、酒宴にあずかった。最初は、腹を満たしたら早々においとましようと思っていた。けれども、ほろ酔い領民らはたいそう陽気で人がいい。次々と酒杯を空にしているうちに、時間の感覚が失われてしまう。


 これはいかんと軽く頬を叩き、気を引き締める。腹はいっぱいに満たされた。この調子ならば、雪音を前にしたとて食欲に負けはしない。その証拠に、ここは人間だらけの酒宴の間。領民たちが発する血肉の匂いにも、この腹は全く動じていない。


 と、そこまで考えて剛厚は、はて、と内心で首を傾けた。屋敷に招かれた時は確かに空腹だった。にもかかわらず、彼らを食いたいとは一度も思わなかった。目の前に豪勢な食事があったからだろうか。それともまさか。


 酒精で鈍った頭の中、ぐるぐると思考を巡らせる。そうして思い至った一つの可能性に剛厚は、すっと頭が冷えて腰を上げた。


 屋敷まで案内してくれた調子のよい狸爺たぬきじいを問いただそうとしたのだが、いつの間にか姿がない。


「あれ、妖山殿、いかがされた」

「あ、いいや……すまぬがかわやに」

「ああ、ならば廊下に出て角を二回右に曲がり外に出て、左の杉の横を上った辺りにありますぞ」

「承知した」


 赤ら顔をした青年が親切に教えてくれた言葉は頭に入らなかったが、まずは思考を整理するためにこの場を離れたく、広間を出た。


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