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4 美味いものには毒がある

「何だいっ! お雪ったら、人間びいきになっちゃってさ」


 妖山あやかしやま城を飛び出した妖狸ようりつゆは、狸姿で雪道を進む。憤然とした足取りで向かうのは妖山中にある自分の住処である。


「人間なんてさ、あたいらよりずーっと弱っちいじゃないか。何でそんなちんけな奴らに媚びを売るんだい」


 露の葉と雪音ゆきねは幼少期からの友だった。雪音は先代白澤(しらさわ)当主の娘であったが、母親と共に妖山の麓で暮らしていたため、人間よりもむしろ、あやかしに寄り添って育ったのだ。


 五年程前、ある男を取り合い仲違いをしてからしばらく疎遠になっていたものの、露の葉はことあるごとに旧友を思い出し、和解する機会を探していた。


 雪音の祝言にかこつけて妖狸屋敷に招き、再び交流が始まったのが今年の初夏。時が経っても気の置けない仲であることを実感し、変わらぬ友情に安堵した。


 けれども次第に、一つ不満を覚え始めた。雪音が人間の暮らしに染まり、遠い存在になっていくように思えたのだ。


 もちろん、彼女は白澤一族の姫として城に上がっている。だから人間らしくあったとて、別段不思議はない。頭ではわかっているのだが、どうしても露の葉は気に入らなかった。


 初夏に再会したばかりの時は、ここまで人間じみていなかった気がする。雪音はいつから変わってしまったのだろう……。


「あれ」


 どすどすと雪に足跡を刻みつつ進んでいた露の葉。その鼻が、美味そうな甘塩っぱい香りを捉えた。ぴたりと足を止め、鼻をひくひくさせて匂いの出どころを探る。


 見つけた。やや開けた岩場の上に人間の若者が座り、砂糖醤油にまぶしたと見える団子を食べようとしているところである。


 砂糖は高級品だ。ざらざらとした甘い粒に包まれた大きな団子。頬張ることを想像するだけで涎が湧く。


 なぜこのような山中で高そうな団子を、という疑問は、あいにく抱かなかった。露の葉の頭を占めていたのは、人間への憤りばかりだったのだ。


「人間なんて、あたいらから見ればただの獲物なんだよ。本当はあやかし三箇条だって糞くらえだ。こんなもん、一回くらい破ったって誰にも気づかれないよね。……よし」


 露の葉はにんまりと笑んだ。続いて、どろんと白煙しらけむりが立ち込めて、靄が晴れた時には、妖艶な娘の姿があった。


「もし、そちらの旦那」


 美しい娘姿の露の葉が木陰から姿を現すと、若者は団子を口に入れようとした体勢のまま制止した。露の葉は内心で浮かべた邪悪な笑みなどおくびにも出さず、可憐な声で言う。


「突然申し訳ございません。どうやら私、道に迷ってしまったようで」


 雪音を参考に、小柄ながら肉づきのいい肢体と愛らしい顔立ちの娘に化けてみたところ、若者はまんまと騙され鼻の下を伸ばした。


「ほう、あなたのようなうら若い娘さんが、こんな森の中にお一人では危険だ。さあこちらに」

「ありがとうございます」


 露の葉はしずしずとした足取りで若者の隣に腰かける。都合がいいことに、腹の虫がぐう、と鳴った。露の葉は両手で頬を押さえ、顔を赤くしたふりをして俯いた。


「ご、ごめんなさい。山に入ってから何も食べていなくて」

「それは可哀想に。ほら、あちらの岩の上に背負子しょいこがあるでしょう。あの中に団子が入っているから取ってくれませんか。あいにく僕はこの通り足を挫いてしまったもので。少しの移動も億劫なんだ」


 見れば確かに、若者の足首には水に浸したと思われる布が巻かれている。患部を冷却しているのだろう。


 露の葉はさしたる疑問も抱かず、口内を唾液で満たしながら岩の方へとふらふら進む。よいしょと気合を入れて、背負子を持ち上げた、その時だ。


「ぎゃっ!?」


 淑やかな演技も忘れ、思わず地声が出た。無理もない。背負子を動かした途端、仕掛けが発動し、竹で作られた檻が樹上から降ってきたのだ。竹格子は地面に深々と突き刺さり、露の葉を閉じ込めた。


 立っていた位置が少しでも違っていたら。露の葉は今頃串刺しになり、地面に縫いつけられていただろう。あわや大惨事の危機だった。遅れてやってきた恐怖に、全身の毛が逆立った。


 そう、文字通り総毛立っている。露の葉の変化は半分解けて、人間の体格をした狸娘が土に蹲っている。露の葉はぎゃんぎゃん吼えた。


「な、ななななにすんのさ! 危ないじゃないか」

「茶色い妖狐ようこか? 珍しいな」


 若者は、先ほどまでの親切な表情から一変、冷淡な声音で言いながら、捕らえた獲物に大股で近づいた。


「え、歩けるの!」

「人を化かそうとするわりに、頭の足りないあやかしだな。罠だとわからなかったのか」

「きいっ、騙された!」


 歯噛みするも、もう遅い。若者は檻の側にしゃがみ込み、目線の高さを合わせると、憎悪を帯びた眼差しを露の葉に向けた。


「おまえさっき、あやかし三箇条に不満があると言っていたな」

「ぎゃっ! 聞こえてたの? あ、あたい、そんな命知らずなこと言ってないよ。あやかし三箇条糞くらえだなんて……あっ!」

「咎めてはいない。むしろ逆だ。仲間になろう。そうすれば我らの主君が、あやかしが山から下りても堂々と振舞える国を作ってくれる」


 予想だにしなかった提案に、露の葉はぴたりと口を閉ざして若者の顔を凝視する。憎々し気に見つめてくるわりに、仲間になろうなどとは、いったいどういうことなのか。露の葉は用心深く口を開く。


「主君って誰。何者なの?」

「まずはおまえの意思を確認しよう。主のことを聞けば後戻りはできないがいいか」

「仲間になんてならないから、ここから出してっていうのはありなの?」


 若者は口の端を持ち上げるだけで答えない。その表情が答えなのだろう。露の葉は犬歯を剥き出して唸った。


「卑怯者!」

「人間を化かし団子を奪おうとしたあやかしに言われたくないな」

「うぐっ」

「まあどちらにしても、おまえにとって、悪い話ではない。いいか、よく聞け。主はな」


 語られたのは衝撃の事実。露の葉は瞠目し、己の軽率を深く後悔したが、時すでに遅し。もう後には引けない。


(ああ、お雪。ほだされず、真相を見つけてくれよ。そして妖山を、どうか)


 ひょう、と冷たい風が吹き、下草に積もった雪を撫でた。空からは、粉雪が舞い始めていた。


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