17 夜が明ける瞬間、寄り添って
「他の山伏たちは、地下水を汲み上げてどこかの水源を枯渇させるという目論見を知っていたにもかかわらず、その動機ですとか、そもそも誰の命令だったのかという肝心なことは何も知らなかったようですの。中には、妖山殿が命じたのではないのですか、だなんて声もあったそうですわ」
夜が明けようとしている。境内のさらに奥、岩の連なる高所から東雲の空を眺めつつ、剛厚は雪音の隣に並んで彼女の言葉を聞いた。
「寺の蔵は空っぽでしたわ。もしかしたら本当に雲景は、狐狸にでも騙されていたのかもしれません」
雲景の真の目的は不明だが、おそらく大義のためではないだろう。信念があるならば、失敗から抹殺されることを恐れて逃げ出すことなどせず、真相に近づいた剛厚らの口を封じようとするはずだ。あの様子では、彼が求めたのは富か権力のいずれかと思われる。
それゆえ、どこかに手がかりとなる金品がないものかと敷地を探らせたのだが、あいにく蔵は空である。その床にはところどころ埃が積もり、小さな足跡が点々と刻まれていたらしい。妖狸が金銀財宝に化けていたのかもしれない。
「うむ。しかし化かされたとなれば、あやかし三箇条が」
あやかし三箇条第三項、化かす性質のあやかしは、悪戯をしたのと同じだけの富を相手にもたらすべし。
ならば、雲景を騙したあやかしは、何らかの対価をもたらさねばならないのだが。
「雲景が消えてしまったからには、律儀に化かしの対価を与えることもないはずですわ」
「そもそも、一連の事件は全て、単なるあやかしの悪戯なのだろうか?」
「わかりません。いずれにしても白澤家としては、これからも不審な事件に目を光らせねばなりませんわね。とにかく今は、一時休みましょう。ほら、ごらんくださいませ。東の空が色づき始めていますわ」
雪音は目元を和ませて眼下を指差した。東の空から、茜色の光が湧き上がってくる。木々繁る稜線の谷間から覗く空が、昇り始めた朝日を受けて朱金色に染まっている。もういくらもしないうちに、辺りは盛夏の熱気に包まれるだろう。
「おい、泉は全部ぶっ壊したぞ!」
しっとりとした空気をぶち破り、石段の方から明るい声がした。北藍が、悪だくみが大成功した少年のような無邪気な調子で手を振っている。憎き人間たちを脅かし、すくみ上がらせたことで溜飲が下がったらしい。
北藍は、身体の弱った南蒼と歩調を合わせ、ゆったりとした足取りでこちらへ向かって来る。その腕には、生まれたばかりの龍。この騒ぎにもかかわらず大人しくしていたが、とうとうぐずり始めた。
「おお、泣くな泣くな。よしよし、兄ちゃんだぞ」
奇異な柄の小袖を纏った婆娑羅者のような風貌の北藍は、剛厚とは違う系統の近寄り難さを醸し出している。そんな男が赤子をあやす姿は、妙に微笑ましい。
「年の離れた末の弟はきっと、たいそう可愛らしいものなのでしょうね。兄弟の愛は偉大ですわ。きっと前世からの宿縁で結ばれているのでしょう」
雪音が口元を袖で覆い、目を細めている。
その様子を見て、剛厚はふと思う。自身もまさに、三兄弟。そして、末弟の剛厚と長兄の厚隆の年齢は十離れている。
龍の三兄弟にとって、末の弟はむしろ子といってもいいほどの様子だが、彼らの仲睦まじい姿に感じるところのある剛厚である。
脳裏に、異母兄の二人の頼もしい姿が浮かぶ。雲景の発言が思わせぶりだと感じられたのは、考え過ぎかもしれない。何だかんだといえども狭瀬の三異母兄弟は、これまで上手くやってきたではないか。
「ふふ、何だかあの赤子、最初に見た時よりも大きくなっているようですわ」
「う、うむ。龍の成長速度はあやかしの中でも早い方だからな」
不確かな懸念を露わにし、妻に心配をかけてしまっては不甲斐ない。剛厚は心の中に浮かんだ数々の思いに蓋をして、雪音に向き直った。
「そろそろ帰ろう。昨晩の夕餉にも現れなかった我らを探し、近習らが血相を変えているかもしれぬ」
「ええ、そうですわね。……その、今回は勝手をいたしまして」
「もうよい。だが次に何かあった時には、某に相談をしてから動いてほしい。心配で心配で、胃が捩れるかと思ったぞ。そなたは、そ、その、大切な妻なのだ」
「まあ」
雪音は目を丸くして、剛厚のごつごつとした強面を見つめる。しばらく視線を絡め合った後、雪音はやがて、小さな花が一斉に綻ぶような、可憐な笑みを浮かべた。
「承知いたしました。これからは何事もご相談いたしますわ」
ちか、と曙光が黄金色に瞬き、赤々とした丸い太陽が姿を現した。剛厚と雪音は寄り添って、夜明けの情景を目に焼きつけた。




