父
あれは、妻が妊娠中のことだった。
初めての妊娠で僕は嬉しかった。
だが、他の女性に心を奪われてしまった。
きっかけは些細なことだった。
彼女が泣いていたから……。
その涙の意味は解らなかった。
ただ、急激に惹かれてしまった。
それからは、泥沼にはまっていくように家庭を、家族を捨ててしまった。
娘を可愛いと思う。
でも、彼女の傍に居たいと願った。
妻には離婚をして欲しいと頭を下げたが、離婚をしてもらえなかった。
彼女は子どもを産めない人だった。
彼女との子どもは望めないし、望める状態ではなかった。
娘が大学生の頃、リストカットしたと聞いた。
その日から、娘に対する罪悪感が大きくなっていった。
今までもなかった訳ではない。
日に日に罪悪感が膨れていった。
彼女に別れ話をしたのは、この頃だった。
長い不倫の終わりだった。
不倫は終わったが、家には帰りにくかった。
当然だ。
娘の結婚式は嬉しかった。
育てたのは妻で、何もしていなかった父なのに出席させて貰えたことが嬉しかった。
娘の結婚は、娘の不倫と家出で終わった。
妻が泣きながら叫んだ。
「お父さんの血を引いているから……。」
その通りだ。
反論する余地などない。
全て悪いのは、お父さんだよ。
妻が酒におぼれていることに気付かなかった長い年月を……
その年月が娘の人生を変えてしまったのだ。
妻の人生を変えてしまったのも……妻以外の女性を愛したからだ。
娘が家出して離婚したのに、またリストカットしたと妻から聞いた。
病院へ行こうとした時に妻が言った。
「貴方も私も権利が無い。
そうでしょう。
あの子を追い詰めたのは私。
娘に見向きもしなかったのが貴方。
二人とも権利が無いわよ。」
その翌日、妻から離婚届を差し出された。
「前に貴方が置いて行った離婚届。
提出できるわよ。
署名済みだもの。
もう、貴方を待たないって決めたの。
待つのは辛かった……。
もう、ここに戻って来なくてもいいのよ。貴方……。」
何も言えなかった。
妻は程なく入院した。
アルコール依存症の治療をするために……。
離婚届は提出していない。
「戻って来てくれるよな。
今度は僕が待っているから……。
待っているよ……。待ってる……。」
病棟に入って行く妻の後姿に、僕は大きな声で伝えていた。




