9・わたしの大事な主様
《クロエ視点》
わたしはクロエ。
ハワードに忠誠を誓う魔族の一人。
彼との出会いを思い出すと、わたしは未だに胸の鼓動が早くなる。
わたしは魔族でありながら人間に囚われ、奴隷として働かされていた。
毎日地獄のような日々だった。
どうやら、帝国は魔族を使ってなにかを企んでいたらしい。わたしは毎日、人間どもに虐げられていた。
時には戦争に駆り出され、わたしは無理やり人と戦わされていた。
死にたい。
毎日、そう思っていたが……彼は突然現れた。
『ようやく見つけた』
最初は敵だと思った。
わたしにとって、人間は恐怖の対象でしかなかったからだ。
しかも彼は返り血を全身に浴びていた。
その血を拭おうともしない彼を、わたしは愚かにも「魔族以上に魔族みたいな人間」と思ってしまった。
どうやら彼は、わたしが囚われている場所にいた人間を全員殺して、わたしを救い出しにきたらしい。
どうして、そんなことをするのか。
問いかけると、彼は答えた。
『君を救う……というのは烏滸がましい。俺は仲間が欲しかったんだ。俺と共に帝国を打ち倒そう。そのためには君の力が必要なんだ』
と彼は手をわたしに差し出した。
拒否権などあるはずがない。
ここにいた者を皆殺しに出来る人間に、わたしが敵うはずがなかったからだ。
懐疑心を抱きつつ、わたしは彼の手を取った。
だが、わたしの誤解はすぐに解消されることになった。
彼はハワードと名乗った。
最初は怖かったが……ハワードが優しい人間だということはすぐに分かった。
『クロエはキレイだな。君みたいに美しい魔族は、人間の中でも見たことがない。そんな君を虐げるとは……帝国の人間はやはり愚かだ』
ハワードは帝国に対する憎しみを、常々口にしていた。
彼は人間にしては、おかしなところがある。
それは人間を『上』だと絶対視していなかったことだ。
魔族を理解のある隣人だと思っている節さえある。
わたしが今まで出会ってきた人間は違った。
魔族に対して恐怖の感情を抱き。
隙があれば、魔族を利用しようとすらしていた。
一人一人の戦力なら、魔族の方が断然上。しかし人間の最大の武器は『数』だ。実際にこの世界で覇権を取っているのは人間。わたしもそれは理解していた。
わたしたちがどれだけ、人間に対する敵意がないことを説いても無駄。
彼らにとって、魔族とは理解し難い存在。
対等な関係を築こうとする者はいなかった。そしてわたしはそれを当然だと思っていた。
しかしハワードは違う。
彼は魔族であるわたしのことを対等な『仲間』だと認めてくれた。こんなことは初めてだった。
そしてハワードは女性に慣れていないのか、わたしの手が彼の手に触れると、すぐに顔を赤くして気まずそうに引っ込める。そんな彼のことを愛おしく思えた。
わたしが少しでも困っていれば、ハワードはすぐに手を差し伸べてくれる。
ハワードだって忙しいのに……と彼の器の大きさに日々感嘆するばかりである。
さらに彼のすごいところは、それだけではない。
ハワードは誰よりも強かった。
人の身であれだけ強くなるには、どれだけの努力を重ねる必要があるのかしら?
話としては聞いているが、わたしには彼の苦労を想像することしか出来ないわ。
ハワードと過ごしていたら、わたしが彼を忠誠を誓うようになったのはすぐだった。
そしてある日。
わたしはハワードに「あなたの専属メイドにさせてくれ」と頼んだ。
『はあ? 専属メイド?』
ハワードはそれを聞いても、あまりピンときていない様子だった。
『そうよ。いけないかしら?』
『別に悪くはないが……どうして、いきなりそんなことを言い出した?』
『前々から考えていたのよ。あなたの役に立ちたい。そのためにはどうすればいいか……って』
悔しいけど、単純な戦闘力だけで言うなら、わたしは組織の中で上の下くらい。
上には上がいる。
知恵の征服者、ベルフェゴールもそのうちの一人ね。何回やっても、彼女に勝てる気がしないわ。
だけどわたしはハワードの一番になりたい。
そこでわたしは彼の身の回りの世話をして、組織に貢献することにしたってわけ。
そのことを告げると、ハワードは驚いた表情をして……でもすぐに嬉しそうに頷いてくれたのだ。
わたしのハワードに対する忠誠心は本物。
誰にも負ける気はしない。
だけど……ハワードに一つ、嘘を吐いていることがある。
それはわたしが彼の専属メイドになった理由。
彼の役に立ちたい……というのは本当のことであるが、そうすれば彼の一番傍にいられると思ったからだ。
彼の隣は誰にも渡さない。
わたしはいつしか、彼に惚れていた。
そして今回のことだってそうだ。
なんでも、グレフォード公爵の館にハワードの相棒、ナイトシェードが囚われている可能性が高いらしい。
ナイトシェードのことは、ハワードから何度も聞いていた。
そしてナイトシェードのことを語る際、いつも彼が寂しそうな表情をしていたことも知っている。
必ず救い出さなければならない。
もしも、ハワードに命の危険が訪れたら、わたしが盾になろう。
その力があるかどうかは分からないが……彼の代わりに命を落とすことくらいは出来るはずだ。
そう今回の任務に気合いを入れていたが。
わたしは今、メイドとして単独でグレフォード公爵の館に潜入している。
どうしてこうなったのか。
時は少し遡る──。