10・恋人だと勘違いされるのは、彼女も困るだろう
俺とクロエはかつての相棒を救い出すため、グレフォード公爵がいる街に訪れていた。
街の名前はシルバーリーフ。
人が溢れ、市場は活気で満ちている。
「良い街ね」
「そうだな」
クロエと会話を交わす。
グレフォード公爵の館は、街の中心地に位置しているが……どうやって忍び込もうか。
「まあ、まずは情報収集だな」
俺はそう呟き、目の前の出店の店員にこう声をかけた。
「おじさん、こっからここまでにあるクッキーを全部くれ」
「ぜ、全部!? 承知した!」
いきなり大人買いする客の登場に、店員のテンションが上がった。
「ハワード……? ベルフェゴールへのお土産かしら? わたしたちには時間がないわ。こうしている間にも、ナイトシェードがどんな目に遭ってるか分からないしね。今することじゃ……」
「まあ見てなって。それにお前もさっきから、ここのクッキーをちらちら見てたじゃないか。気になるんだろ?」
俺が問いを投げかけると、クロエが気まずそうに視線を逸らした。こりゃ図星だな。
店員はクッキーを袋に包み、それを紙袋の中に入れて俺に手渡した。
「はいよ。うち自慢のクッキーだから、とくと味わってくれ!」
「ほお、それは楽しみだ。宿に帰るまで待ちきれないよ。クロエ、一つ味見してもらってもいいか?」
「……! はい」
クロエは「極秘任務を成功させなければならない」と「甘いものを食べたい」という気持ちがせめぎ合ったようだが、どうやらギリギリで後者が勝ったようだ。
魔族はかなり人間に近い体の構造。
こうして食事を取る必要が出てくる。
もっとも、普通の魔族は人間や魔物の肉を食らい、こうした嗜好品を嗜む者はほとんどいないのだが。
クロエは宝石のようなクッキーを、口の中に入れる。
「〜〜〜〜〜! 美味しい!」
彼女はほっぺを押さえ、クッキーを味わっていた。
「クロエはほんと甘いものが好きだな」
「そうね。昔、あんまり甘いものなんて食べられなかったから。その反動で大好きになっちゃったかもしれないわ」
「あー……」
クロエは元々、奴隷として働かされていた。
俺が彼女に忠誠魔法をかけることによって、今では《ディアボリック・コア》の中でも、かなりの強さを誇るようになったが……昔は弱い魔族だったしな。
しかし魔族の潜在能力には目を見張るものがある。
俺はそれに注目し、第五皇子ギデオンのパーティーで旅をする傍ら、隙を見つけて彼女に会いにいったんだよな。
出会った頃の彼女はろくに食べ物を与えられていなかったのかガリガリで、今よりみすぼらしい姿をしていた。
そんな彼女が徐々に心を開いてくれて、俺の専属メイドになりたいと言ってくれた時は感涙したものだ。
こんなに可愛い彼女を奴隷として使っていた人間のことを思うと、俺の中で憎悪の感情が膨らんでいった。
「お兄さんたち、旅人のもんかい?」
「まあそんなところだ」
クロエがクッキーに舌鼓を打っている中、俺は店員と言葉を交わしていた。
「ここは良い街だな」
「はっは、ありがとな。この街は旅人も多いし、こうして市場が元気に活動しているよ」
「なるほど。キレイな女の人も多いな」
「ああ、女性はこの街の自慢でもあるさ。ただ……」
「ただ?」
店員の表情が一瞬曇ったのを見逃さず、俺は疑問を投げかける。
「この街の領主様が……な。グレフォード公爵っていうだが、生粋の女好きなんだ。街にいる美人は館に連れていかれ、メイドとして働かされている。無論、それだけじゃ済まないだろう。一体、中でなにをしてるんだか──っと、こんなこと領主様に聞かれたらどんな目に遭わされるか分からねえ。今のことは内緒な」
と店員は口元に人差し指を付ける。
うむ……ベルフェゴールの調査である程度分かっていたが、グレフォード公爵は住民からの評価がすこぶる悪いみたいだな。
特権を振りかざす、典型的なダメ貴族だ。
帝国は豊かで伝統のある国だ。ゆえに世襲で家を継ぎ、自分を神かなにかだと勘違いする無能な貴族も多い。
「お兄さんたちも気をつけなよ。お隣のカノジョさん……随分キレイだからな。グレフォード公爵様に見つかったら、館に連れていかれるかもしれない」
「カ、カノジョ!?」
クッキーを食べる手を止め、クロエは店員の言った言葉に反応する。
驚いたのか、口が半開きになっている。
「わ、わたしごときがハワードのカノジョだなんて、恐れ多いわよ! そりゃ、そういう関係になるのもやぶさかじゃないけど……」
「そうだ。彼女は恋人なんかじゃない。そう勘違いされたら、彼女だって困るだろう」
あくまで俺とクロエは同じ目的を持った共謀者。
そこに恋愛関係やら体の関係やらを持ち出すと、ややこしくなる。
彼女も迷惑だろう……のはずだったが。
「クロエ、どうして怒ってるんだ?」
「……なんでもないわ」
ハムスターみたいに頬を膨らませているクロエに対して問いかけると、彼女はそっけなく答えた。
一体、なにを考えているんだか……。
腑に落ちないながらも、俺とクロエは出店から離れ、人通りの少ない場所で小声で話し合った。
「有意義な情報が手に入ったわね。さすがハワード。ああして店員から情報を聞き出そうとしたってわけ」
「太客が現れたら、店員だって無意識のうちに口が緩くなるさ。そんなことよりも……果たして、これからどうするか」
今すぐにでもグレフォード公爵の館に潜り込みたい。
無論、館には護衛の人間が配置されているだろう。
俺なら実力行使で、それを無理やり突破することも出来る。
しかしそれは出来ない。中にはナイトシェードが囚われている可能性もあるからだ。
俺が不用意に行動してしまえば、ナイトシェードに危険が及ぶかもしれない。
「転移魔法で館に潜入する……ってのは出来ないんだったかしら」
「そうだな。転移魔法っていっても万能じゃない。まず座標を確定させなければならない。そして座標を知るためには、一度そこに行く必要があるんだ。誰かが館内に潜入して、場所の座標さえ教えてくれれば無理やり転移することが可能なんだが……」
だが、強行突破以外で簡単に館の中に潜り込めるものとも思えない。
どうしたものかと頭を悩ませていると、
「そこの女。小生に顔を向けよ」
と後ろから声。
振り返ると、そこには背が低く頭も禿げ上がっている男がいた。
男は何人かの護衛らしき人物を連れ添っている。
さらに男が身につけているものは高級なものばかりだった。
「おお! やはりとびっきりの美人だ! こんな美しいかわい子ちゃんが、まだこの街にいたなんて!」
男は気色悪い笑みを浮かべる。
それに対して、クロエは不快感を顔に滲ませた。まあ付き合いが長い俺だから分かる程度ではあるが……。
いきなり話しかけてきた男の正体は分かっている。
レオパルト・グレフォード。
グレフォード公爵家の現当主。
俺たちのお目当ての人物だ。
もっとも、グレフォード公爵がお目当てというより、こいつの館で囚われている(であろう)ナイトシェードが目的なのだが……。
「……よし、決めた! お主、小生の館のメイドとなれ!」
「はい?」
突拍子もない提案に、クロエが眉根を寄せる。
それにしても……グレフォード公爵、さっきから俺が見えていないかのように話を進めているな。
彼にとったら、男の俺なんて存在していないようなものなのだろうか。
「あなたに仕えるわけないでしょ一体なにを考えているのよわたしが仕えるべきなのはハワードたった一人あなたみたいなチビでデブでキモいおっさんにはいくら払われても嫌……」
「おいおい、クロエ。心の声が漏れてるぞ」
俺にしか聞こえないくらいの声量で呟いていたクロエは、「失礼」と口を閉じた。
俺たちのやり取りを、グレフォード公爵は不思議にすら思っていないようだった。
グレフォード公爵はクロエが最も嫌う人種だ。
まさに水と油。
しかし千載一遇のチャンスに、俺は内心ほくそ笑む。
どうやって館内に潜入すればいいか悩みどころだったが……まさか鴨がネギを背負って来てくれるとは。
俺はクロエの耳元でこう囁く。
「……こいつの言う通り、メイドとして雇われてやってくれ。そしてナイトシェードがいるであろう場所を探れ」
「……はあ。やっぱりそういう話になってくるのね」
「嫌だと思うが、今回だけ我慢してくれ。しかし一人で全部解決しようとはするなよ? 通信用の魔石も持たせるから、ある程度算段が付いたら座標を教えてくれ。すぐに転移で駆けつける」
転移魔法を使うのは多量の魔力を消費する必要があるが……そうするだけの価値が十分にある。
俺がクロエに懇願すると「分かったわ」と、彼女は渋々了承してくれた。




