裏切り契り指切った
私は、ただ、幸せになりたかっただけなのに。
ステラの人生は程々に不幸なものだ。
生家はそう悪くない中流家庭で資産もそれなりにあったようだが、十代の内に相次いで両親を亡くし、在籍していた寄宿学校も卒業を待たず退学。法律も何も分からない小娘のステラが受け継ぐはずだった財産はあれよあれよと悪い大人に吸い上げられた。
心ある母方の伯母が事態に気づいた時、ステラの手元に残っていたのは、幾ばくかの現金と父が愛用していた年代物のパイプ、母が娘時代から大事にしていたカメオのブローチ、両親の結婚指輪のみ。
「なんてかわいそうな子!伯母さんがお前の母さんに変わってきちんと学校に行かせてあげるからね」
伯母の支援を受け、公立学校に編入し卒業後は銀行の事務員として働いている。これ以上は家庭のある伯母に迷惑はかけられなかった。贅沢はできないがひとりぼっちで生きていくにはな何とかなるくらいのお給料。
痩せてしまった体重は戻る暇もなく、父親とお揃いの
紅茶色の目には疲労が滲み、柔らかな栗色の髪の毛先は痛んだまま。指先はささくれが治らず、いつも青白い顔色。なまじ可愛らしい顔立ちのため余計に哀れっぽくなってしまった。
そんな時に出会ったのがユージーンだ。
波打つ黒髪にグリーンアイ、少年っぽさが抜けきらない人懐っこい青年。
弁護士を目指し大学に通うも、孤児で資金援助してもらう相手もいないため休学しては学費を稼ぎ復学を繰り返していた。
ステラの勤める銀行に口座があるため足を運ぶ内に親しく話すようになり、二人とも両親がなく苦労している境遇から意気投合し、坂を転がるように溺れていった。
「君が好きだよ、ステラ。世界で一番愛してる。何よりも君が大事だよ」
「嬉しい、私もよ、ユージーン」
ステラにとって初めての恋だった。
お金がない若い二人はアパートのベッドで一日過ごすか、週末の朝市でサンドイッチとコーヒー片手に公園でピクニックと洒落混むか。
お互い金銭的な余裕がないためクリスマスも誕生日もお祝いのカードを送るくらいしかできない。でもその時のステラは世界で一番幸せだった。愛し愛される喜びを享受していた。
「ごめんよ。大学を出て弁護士になったら君が好きなもの何でも贈るよ。何がいい?真珠のイヤリング?サファイアのネックレス?ドレスに靴も必要だね」
「嬉しいわ、その時までに考えておくわね」
本当に嬉しかった。プレゼントがなくてもこんなにも満たされた気持ちになるのは初めてだ。
幸せな時は足早に過ぎる。
ステラの寄宿学校時代の友人、アンジェリカから手紙が来たのは、サマーホリデー明けで、朝晩は少し冷えるようになってきた頃だった。
学校でも断トツの美貌と資産を兼ね備え、同じく両親がいない境遇だが、後見人に爵位持ちの叔父がおり、お金の心配など一度もしたことがない。
久しぶりに会いたいと書かれた手紙に浮かれ、郊外にある彼女のお屋敷を訪ねたのはもう秋だった。
草臥れた古着ではないワンピースに袖を通し、節約して準備した街で評判のお菓子を持っていったステラは浮かれた気分に冷水を浴びせられた。
アンジェリカは美しかった。
手入れの行き届いた金髪は流行のカットが施され、青い瞳は白目の充血も見られずキラキラしている。ショーウィンドウからそのまま出てきたようなファッションをすんなりと健康的な肢体で着こなし、ミルク色の肌に薔薇色の頬でステラを出迎えた。
お屋敷は隅々まで磨かれており使用人までいる。庭では血統書付きの犬が走り、季節に合わせて庭師が手入れをしている。
紅茶もケーキも涙が出るくらい美味しかった。
ーずるい。
最初に沸き上がったのはそんな感情だった。
ー恥ずかしい。
自分が必死でかき集めたものが彼女の前ではこれっぽちも価値がないように思った。
ステラは今にも帰りたくてたまらなかったが、後味の悪い退学になってしまった旧友と話し足りないアンジェリカとずるずると時間を消費してしまった。
その日はユージーンが近くで日雇い仕事があるからアンジェリカと会った後合流して一緒に帰ろうと約束していた。
いつまでも現れないステラに焦れたユージーンが迎えに来てくれた流れでアンジェリカを紹介した。
他人が恋に落ちる瞬間を初めて見た。
ーああ、何も持ってない私から、何もかも持っている貴女が、私が後生大事に抱えているものまで奪っていくのね。
幸いにもユージーンはアンジェリカにあまり興味が無いようで、夕食の誘いも断りその日は二人で街に帰った。
それを境にアンジェリカからの手紙がひっきりなしに届くようになり、数日で隠し通せなくなったステラはユージーンに手紙を渡した。
「お嬢さん育ちで、僕みたいなのが新鮮なのかな。すぐに飽きるよ」
ユージーンは困ったように笑って手紙の束に一通り目を通すと何の躊躇いもなくそれを燃やした。
しかしアンジェリカからの手紙は引きも切らず続き、内容もエスカレートしていった。ステラは二人の恋を邪魔する悪者のように書かれ、手紙の中とはいえ精神的に堪えるものがあった。
「いっそアンジェリカと結婚したら?」
捨て鉢気味に呟いたのを耳敏く拾ったユージーンは顔を真っ赤にし、肩をぶるぶると震わせた。
「何を言ってるの?僕を捨てるの?」
「そういう訳じゃないわ。でも、アンジェリカは貴方が好きで、結婚してくれたら大学の費用も弁護士になった後の事務所も出してくれるっていうじゃない。働かなくてもいいとまで言ってるわ。私といるより、ずっといいんじゃない?」
「君と別れて、他の、条件の良い女と結婚しろって!?愛しているのは君だけなのに!!」
「だって…」
「ステラに苦労させてるのは分かってる。君のアパートに転がりこんで生活もカツカツだ。でも…!」
二、三日に一度は同じような喧嘩をし、その度に仲直り。そうこう言っている内にまたアンジェリカから手紙がきて揉める。ユージーンは何度か迷惑だから止めてくれと送ったが効果はみられない。
ユージーンが仕事で出払っている時、ステラはたまたま貸本屋にあった一冊の本を読んでしまった。
金持ちの未亡人を誑かし結婚、その後殺害して遺産を受け取ると恋人と結ばれるというストーリーだった。
ーこれだ。
ステラは疲れていた。偏執染みた旧友の手紙にも、日々言い争うことにも、お金がないことによる苦労にも。
帰ってきたユージーンに小説の内容を説明し、同じことができないか、と持ちかけた。ユージーンは笑って馬鹿なことを言うなって返してくれるとも思っていた。どう説得したらいいかと考えていたのに。
「そうだね、あれがいなければ、万事うまくいくね。そうしたら、僕たちはずっと、死が二人を分かつまで、一緒だよね」
そこからはステラの想像より簡単に進んだ。
何度か迷惑だという手紙を送っている手前、怪しまれないようにしなくてはならない。迷惑だとする手紙はステラが勝手に送ったことにして、一度会って話をしたいというとすぐに日にちは決まった。
対面して手紙と同じ話を熱心に語られ絆された体で一ヶ月後にはユージーンとアンジェリカは婚約し、ステラにはアンジェリカ経由で結構な額の手切れ金が小切手で届いた。結婚式は半年後となり、無神経にもステラにも結婚式の招待状が届いた。
こっそりユージーンとやり取りした結果、式に参列することにしたステラは手切れ金でドレスと靴とアクセサリーを揃えてアンジェリカの晴れ姿を見に行った。
ウェディングドレスを纏ったアンジェリカは天使みたいに美しく、幸せそうに寄り添う二人は一対の人形のようにぴったりとはまっていた。
幸せの絶頂にある、お似合いのカップルだ。
ーアンジェリカを殺すなんてできない。
ステラは土壇場で怖じ気づいてしまった。
ユージーンにアンジェリカの殺害を止めて幸せになって欲しいという旨の手紙を送った後、すぐに勤めていた銀行を辞めアパートも解約して伯母を頼って首都に出た。アンジェリカを殺害する以外のことを話すとすぐに同情して助けてくれた。
「ああ、可愛いステラ、貴女がそんな可哀想な目にあっていたなんて!すぐにこっちにいらっしゃい!」
伯母の紹介で下宿がある病院の経理事務の職を得て、また一人で生活し始めた。下宿先は二人で住んでいたアパートよりずっと狭いが、家賃は安く、手切れ金という蓄えもあるため以前よりお金に余裕も出てきた。
風の噂で二人は豪華クルーズ船で三ヶ月もの新婚旅行に出発したと聞いた。
引っ越したためユージーンからの便りは無く、胸を掻きむしるような痛みに襲われる後悔の夜を過ごしていたが、一ヶ月、二ヶ月と過ぎると自然と落ち着いてきた。殺人を犯さずに済んだことに安堵した。
ーユージーンだってアンジェリカを殺さずにすんでほっとしているかも。二人で並んでいるところなんかロマンス小説みたいにお似合いだったし、私がとやかく想像するより案外うまくやっているわ。
せっかく首都に住んでいるんだからと、流行りのカフェや花屋などを冷やかすことを覚えた。銀行に勤めていた時は生活するのに必死でろくに友人もいなかったが、今の勤め先では同年代の女の子たちと仕事帰りにケーキを食べたり、休みの日に一緒に舞台や映画を観に行ったりもしている。
ー天涯孤独の私にはユージーンしかいないと思ってたけど、伯母さんも気にかけてくれるし職場の人も親切で新しい友人もできた。存外何とかなるものね。
きちんと食事と睡眠を取れるようになると顔色は随分ましになり、痩せっぽちの体も少しは肉が付き始めた。そうすると年相応の可愛らしさも出てきて、出入り業者の男にも声をかけられたり花を貰ったりもする。
若い娘が多い職場ということもあり、上司からも見合いをそれとなく勧められることもある。
ー今はあまりその気なれないけど、後一年くらいしたら結婚も考えてみてもいいかもしれない。私も平凡な幸せってやつを叶えてみたい。
心機一転、順風満帆な日々を送るステラに冷水を浴びせられたのは、上司が読んでいた新聞の訃報欄にアンジェリカの名前を見つけてしまった時だ。
ーどうして。だってそんなことは止めようって…。
アンジェリカは新婚旅行先で頓死したようだ。詳しい事情はそこには掲載されていない。
今更ユージーンに会いに行ったり手紙を送ったりして変に勘繰られることを怖れたステラは、アンジェリカの訃報を載せた新聞社に問い合わせしてみることにした。自分の考えが間違っていることを祈って。
「すみません、先日こちらの新聞の訃報欄に友人の名前があったので確認したいのですが…」
こういったことには慣れているのか親切に対応してもらえた。
曰く、アンジェリカは旅行先で現地の食べ物から食中毒になり死亡したとのことだった。葬式などは終わっており、遺産は財産管理をしていたアンジェリカの叔父が受け継ぎ、新婚の夫に手当てを支給するという形になっているそうだ。
「ありがとうございます、お葬式が終わっているなら今度お墓参りできるか手紙を出してみます」
ステラは心底安堵した。
ユージーンが殺した訳では無いことが分かって。自分が彼女を殺した訳では無いと知って。
安心して涙が溢れたが誰にも不審に思われなかった。
二度目の冷水は一度目よりもっと冷たかった。
アンジェリカの訃報を知ってきっかり一年。
上司から薬の卸業者のウィリーを結婚相手として紹介された。
ウィリーはステラより年上で神経質なところもあるが、身寄りが無いステラとの結婚を厭うことなく大切にしたいと言い、それは彼の家族も同じだった。
ー私にはこれ以上の人はいないかもしれない。
プロポーズこそ未だだったが、上司からの紹介ということもありトントン拍子に話は進んでいった。
ウィリーが車に轢かれたとステラが勤める病院に運びこまれたのは、日曜日に指輪を買いに行こうといわれた次の日だった。
『君の好みも指のサイズも分からないから金は出すから好きなものを選んでくれ』
ぶっきらぼうにそう言われ、ロマンチックなところはは一つもないけれど、誠実で優しい人だと思った。
それなのに。
ウィリーの頭は凹み、骨はあらぬ方向を向いている。一度も意識は戻らず、四日後この世を去った。
彼を轢いた車はそのまま逃げ、警察が行方を追っているが見つかっていない。
婚約者にもなっていなかったステラは、ウィリーの葬式では後ろの方に座りただ呆然と項垂れていた。彼の家族も式の最中気遣ってくれたが、いたたまれない場面も多々あり、埋葬が終わると早々に自宅に帰ることにした。
ー罰があたったのかもしれない。でも、私じゃなくて、何故ウィリーが死ななくちゃいけなかったの…?
ふらふらと覚束ないままどうやって帰ったかも覚えてないが、気付いたら下宿先のベッドで着替えもせずに寝てしまっていた。
ふと目が覚めると玄関からドンドンと叩く音がし、これで起こされたのかと思い扉に近付いた。
「…はい」
ノックというには乱暴な音が止み、懐かしい声がした。
「ステラ?僕のこと分かる?」
ユージーン。
背中にぞっとしたものが流れた。
「どうして…、ここのこと、どうやって…」
「中に入れてくれる?ステラと直接話したいんだ。お願いだ、君を抱き締めたい、もうずっと我慢してたんだ」
「ちょっと待って、私お葬式から帰ったばかりだから、できたら日を改めて…」
「もうニ年近く君と離ればなれなんだよ、お願いだ、ここを開けて」
話が通じない。
ドアノブはガチャガチャと回され、声もだんだん大きくなってきた。
ここは勤め先の下宿のため、横には同じ病院の人がいる。ここで込み入った話をしてウィリーが死んですぐに別の男を部屋に連れ込んでいると噂されでもしたらと思うと気が気でならない。
ー今更何の用があって…。
「分かったわ、でもここだとちょっと話しづらいから外に行きましょう。着替えて準備したらすぐに出るから待っててくれる?」
「本当に?」
「ええ、もちろん。だから、通りの先にある公園のベンチとかで…」
「じゃあ、君が出てくるまでここで待ってるね」
「…わかったわ、すぐに着替えるから」
ー退路を断たれた。
ステラは大急ぎで喪服を脱ぐと、普段から着ている生成のブラウスと深緑色のスカートに着替えてから少し化粧直しと髪を結い直した後、コート、帽子、ハンドバッグを抱えて一呼吸置いてから玄関扉を開けた。
「ああ、ステラ!愛しい人、会いたかったよ」
ブルーブラックのスリーピーススーツを嫌味なく着こなし、茶色の革靴もぴかぴかに磨かれている。コートも一緒に暮らしていた時には見たことのない上等で暖かそうなベージュのウールだ。癖のある黒髪は丁寧に撫で付けられ、顔色もいい。
比べてステラはあの頃より多少マシになったとはいえ、着ている物も顔色もそう変化はない。
「ここ、職場の人も結構住んでいるの。壁も薄いし、どこか場所を移して話したいのだけれど…」
「目抜通りのホテルを取ってるんだ。もし良かったら、そこで。食事もルームサービスがあるよ」
ー誰かに見られたらどう言い訳しよう。
ステラは一瞬そう思ったが、恐らくアンジェリカの件を話すにあたって、不特定多数がいる場所では不都合もあるため渋々同意した。
頷いたステラに喜色満面のユージーンは、以前と同じ様に腕を差し出しエスコートしてくれた。幸いにも誰とも会わずに通りでタクシーも拾え、そのままユージーンが滞在しているホテルに向かった。
ステラも名前は知っている三ツ星ホテルだ。同僚の女の子たちと前を通ってこのホテルのスイートに泊まってみたいときゃあきゃあはしゃいだこともある。
ホテルのドアマンがちらりとステラを値踏みしたのを感じた。
ーこんな格好の女なんてこのホテルにはいないものね。
「お帰りなさいませ、お部屋の鍵でございます」
「ありがとう」
ユージーンのカウンターでの慣れた素振りに、ステラは益々小さくなった。エレベーターで案内された部屋は最上階のロイヤルスイートだ。
ホテルマンに恭しくドアを開けられ、ユージーンからも目線で中に入るよう促されたステラはごくりと喉を鳴らしてしまった。
いつまでも突っ立っているわけにもいかず、毛足の長い絨毯に足を取られぬようにゆっくり部屋に入った。
「あの、ここ…」
「ああ、本物のステラだ…」
ドアが閉じられ二人になったと思った時にはユージーンの腕の中にいた。痛いくらいに抱き締められている。
「ねぇ、どうして今更来たの?」
「ごめん、遅くなって。本当はあいつを片付けてすぐに迎えに行くつもりだったんだ。でも、遺産相続と配当金の手続きと大学のこともあって…。いや、言い訳だね、もっと早く来たらよかった。でも僕はずっとずっと会いたかった」
熱に浮かされたようなうっとりとした様子でキスをしようと身を屈めるユージーンにぞっとした。
ーアンジェリカを殺したの…?
喉元まで出かかった言葉を飲み込み、身をよじってキスを避けた。
「ステラ?」
「ええと、あの、せっかくだし、お部屋で、話しましょう?こんなホテル、初めてだし…」
「ああ、玄関だったね、ごめん。リビングに飲み物も軽く摘まめる物も用意してるよ」
そう言うと予備動作無しでひょいとステラを横抱きに抱えて部屋の奥に進んだ。
ゴブラン織のカーテンに、同じ意匠のソファセット、鏡面仕上げのマホガニーのテーブルの上にはアフタヌーンティーセットが準備されていた。ケーキもスコーンも美味しそうだったし、昨日からろくに食べていないのにまったく食欲は湧かない。
抱き上げた格好そのまま、膝の上にステラを載せた状態でユージーンはソファに深く腰かけた。吐息がかかる程顔が近くいたたまれない。
「紅茶でも飲むかい?フロントに頼めばシャンパンかワインもあるよ」
「…いいえ、今はいいわ。ユージーンは今までどうしてたの…?」
「大学もロースクールも修了して弁護士の試験も受かったよ。勤務先も見つけたし、ステラと結婚するから配当金もそろそろ返上かな」
「…結婚?」
「ごめん、プロポーズはもっとちゃんとするよ!そうじゃなくて、遺産の配当金は結婚したら貰えなくなるから」
「アンジェリカのことは、不幸な事故なのよね…?だって食中毒だって…」
「ああ、手紙送れなかったから知らないよね。あのね、」
ーあいつの後見人が叔父の男爵だったって知ってるよね?
どうやらそいつがあの女の遺産を横領してたらしくて。女が結婚するか二十二歳になったら後見人を外して自己管理するよう遺言されてたからバレないようにするにはあの女を始末すればいいってことで利害が一致したんだ。
旅行は男爵と事情を知ってる顧問弁護士も一緒だったから、交代で生の果物や飲み物を適当に腐らせて食べさせたらそのまま死んでくれたから簡単だったよ。
配当金はとりあえず弁護士になるまで貰えれば後は自分で稼げるし、口止め料ってことだね。
次の春から勤める弁護士事務所もあの女の顧問弁護士が紹介してくれたし、給料も中々いいからもうステラに苦労させないよ。
二人で住む家はどうしようか?暫くは首都のアパートを借りて、子供ができたら環境のいい郊外に家を建ててもいいね。
あ、その前に結婚式だね!もちろんプロポーズもちゃんとする。指輪は実はもう準備してるんだ。気に入ってくれると嬉しい。
僕たち二人とも呼べる人はいないけど、ステラのウェディングドレスはすっごく綺麗だろうね。今から楽しみだよ。僕が働き始める前に準備しようね。
ね、ステラ!
「ちょ、ちょっと、待って。私、手紙送ったわよね?アンジェリカを殺すのは止めようって。そのまま幸せになってって…!それに、私がこっちに引っ越したことだってどうやって知ったの?!」
「君から手紙貰ってすぐに人を雇って君の引っ越し先とか仕事とか調べてもらったんだ。そう間を置かずに動けたからそんなに難しくなかったよ。僕は君以外は正直生きてようが死んでようがどうでもいいんだ。あの女は死んだ方が都合が良かったってだけだよ」
「そんな…!!」
「それより、酷いよ、ステラ。寂しかったのは分かるけど、僕以外の男と結婚しようとしたよね?」
「…え?」
「あの男の方が厄介だったね。ヤクザ者を雇って脅しても怯まないし。最終的に適当な破落戸に轢き逃げしてもらったよ」
ーウィリー!!
「脅したって、轢き逃げって!?」
「そのままだよ。君と別れるようにヤクザ者を雇って脅しをかけたけど全然効果なくって。どうしようもないから、男爵に事情を買い摘まんで説明して後腐れないのに金を渡して車で轢き殺してもらった後に車も処分したってだけだよ」
「そんな、そんなことって…」
あまりのことに理解が追い付かないステラは頭を抱えぶるぶると震えていた。体温は下がって只でさえ血の気が薄い顔色に拍車をかけている。
「ねぇ、どうして僕が君にこんなことまで説明してるか分かる?」
ユージーンは変わらない。
ステラに対して時に情熱的に、時に穏やかに愛を捧げ、ステラを抱き締める。
ステラは思わずユージーンを押し返すと奥の部屋に逃げ込んだ。
扉を開けるとメインベッドルームのようで、キングサイズの天涯ベッドが中央に配されている。
「全部知ってしまった君は、もう僕から逃げることができないでしょう?君のために人を殺した僕を見捨てることも、誰かを頼ることも。だってまた殺されるかもしれないものね」
悠々とした足取りですぐに追い付いたユージーンの腕の中には、いつの間に用意していたのか一抱えもある薔薇の花束がある。
そのまま跪くと懐から黒い天鵞絨のリングケース取り出し、ぱかりと口を開けた。大粒のダイヤモンドが寝室のシャンデリアの光を受けキラキラと輝いている。
「愛してる。出会った時からずっと。死が二人を分かつまで、ずっと一緒にいたい。結婚してください」
ーこれを断ったらどうなるのか。私も殺されるのか。…それもいいかもしれない。
「ステラ、結婚前にお腹が大きくなると着れるドレスも限られてくるだろう?あまり強引に進めたくはないんだ」
ーあの時、私があんなことを言わなかったら、アンジェリカもウィリーも死なずにすんだ。ユージーンもこんな風にならなかった。
いつの間にかステラの頬には涙が零れていた。子どものようにしゃくり上げながらステラは『ごめんなさい』と繰り返していた。
「可愛いステラ、どうか泣かないで。二人で幸せになろう?」
ユージーンはベッド脇のテーブルに薔薇を置くと、ステラの左手を取りゆっくりと薬指に指輪嵌めた。サイズはぴったりだ。
そのまま優しく抱き締めてれベッドに押し倒された。ベットの天井には美しい笑みを浮かべた天使の絵が描かれている。
ーアンジェリカ!!
「もう二度と君と離れたりなんかしないよ」
ステラが何か言う前にキスで口を塞がれた。