第36話 姫川の誤算
夕陽が西の空を紅蓮に焼いて、その燃える陽射しが対峙するパンツマスクと六波羅の横顔を赤々と照らしていた。
思わぬ抵抗を見せた変態紳士に驚嘆の眼差しを向ける数名の生徒の輪。その中でうっすらと額に汗を蓄えた小柄な美少女がいた。
周りに気取られないように、軽く唇を噛んだ姫川赤金。
すぐに平静を装った彼女の微かな変化を見逃さなかった人物がいた。
「あれあれ? 赤金ちゃん、顔色が良くないみたいだけど気分でも悪いのかい?」
声をかけたのは、大人気アニメの衣装を着こなし高校生とは思えない色香を振り撒く女性――生徒会長の神楽坂紫園だった。
「このガチンコの一対一。優等生のキミには、ちょっと刺激が強すぎたかな?」
「いえ、……大丈夫です。」
姫川は何でもないような顔を繕い神楽坂に声を返した。
「そうかい。なら、しっかりと見ておくといいよ。
……生徒会の”力”ってやつをね。」
唇を浅く曲げ、そう言葉を置いた神楽坂の目の奧は力強い光を放っていた。
負けじと芯のこもった目付きを向けた姫川だったが、
―――内心は焦っていた。
副会長の六波羅政宗――彼のことを侮っていた訳ではないが、先日、パンツマスクと緑岡との戦いを目の当たりにした彼女には確たる自信があった。
体育祭での戦い。あれは姫川には鮮烈なるモノだった。
初めて目にした生身の人間同士の“どつき合い”。その両者の姿は、幼き日に見たマンガやTVのヒーローを見ているかのようだった。彼女の目には少なくとも達人同士のそれに見えていたのだ。
だからこそ、彼女はパンツマスクに勝算を見出だした。
王嗣――もといパンツマスクにそう伝えたのは、紛れもない本心からだった。
しかし、今のこの構図はどうだ?
一応、パンツマスクは立ち上がり、六波羅と対峙を続ける形をとってはいるが……、頭の良い姫川は気づいていた。
自らの予想を上回る六波羅の戦闘力を。
自分の導き出した勝算が甘かったことを。
小さな頭の中が焦燥でいっぱいになっていた。
(この副会長の強さは一体?)
その疑問をぶつけるように姫川は神楽坂に思い切って尋ねた。
「神楽坂先輩。お聞きしたいことがあるのですが……。」
「なんだい?」
「六波羅先輩は、随分こういった状況に慣れているように見受けられますが……」
「あぁ。政宗はね、昔は相当ヤンチャしてたこともあってね……」
その事は姫川も十分に想定していたはずだった。
自分の予想を遥かに上回っている副会長のその強さ。その疑念への焦りとそれを見抜けなかった自分への苛立ちが自ずと声に乗ってしまう。
「それだけではないはずですっ。六波羅先輩は、何者ですか?」
神楽坂はニヤリと三日月状に口を歪めた。
「あれれ? もしかして赤金ちゃんは、政宗みたいなゴリマッチョがタイプなのかな?」
「違いますっ!」
からかい口調の神楽坂に、姫川は感情的に言葉を返す。
「にはは。冗談だよ。そんなムキになっちゃって。赤金ちゃんは、かわいぃなぁ~。
ちなみにボクの好みのタイプは、『不滅の力』の主人公『消炭 豚二郎』……じゃなくて、最大の宿敵、悪鬼王子『鬼舞 辻太郎』さっ!」
生徒会長は、ぱぁっと顔に花を咲かせ流暢にしゃべりを続けた。
「『鬼舞 辻太郎』はね。体格は細マッチョでボク好み。でも、その見た目よりも、人を喰らう鬼のクセして人間より人間臭いところが堪らなく可愛いんだよっ。
悪鬼族の王子だから悪鬼魔王から受け継いだ強力な鬼魔力を秘めているのに、もの凄く臆病者で。そのクセ、虚勢を張っちゃったりして。もちろん悪者らしく色々と悪だくみをして、卑怯なことにも躊躇なく手を染める悪党だけど……でも、宿敵である消炭兄妹の生い立ちに同情しちゃう優しい一面もあったり……。かと思ったら仲間内にはサディスティックだったりね。そんなこんなで、ちょっぴり天邪鬼なんだけど、そこがまたトキメクよねっっ♪」
幼女のように瞳を輝かせ軽快に舌を回す神楽坂は、みるみるうちに姫川との距離を詰め自身の端麗な顔を近づける。
姫川は背中を反って何とか避けるも、まだ迫ろうとする神楽坂に、唇と唇が触れ合う寸前で堪らず声を荒げた。
「神楽坂先輩のタイプなんか聞いてませんっ。話をはぐらかさないでくださいっ。」
「もう。赤金ちゃんは連れないなぁ。」
残念そうに神楽坂は「ちぇっ」と口を尖らせた。
「私が聞きたいのは……」
「……『スポーツ特待生でもない政宗がどうしてあんなに強いか?』ってことかな?」
はたと真顔を作った神楽坂に、コクンと姫川は頷いた。
目線を切り六波羅の姿を瞳に写す神楽坂は、どこか遠くを眺めるような眼差しで姫川に語り出す。
「政宗はね、小学校から相撲の経験があってね。その筋でかなり名の知れた人物だったのさ。
相撲の強豪校や、現役横綱も在籍する某相撲部屋からも声がかかってたみたいだけど、当時入っていた名門相撲倶楽部でちょこっと訳あってね。
スポーツに関しては実績の浅いこの高校に入って、今はただの生徒会副会長ってわけさ。
まぁ。政宗自身は、相撲に何の未練もないみたいだから、そんなことは、今となってはどうでも良いことなんだけどね。」
着物の裾をフワッと浮かせ向き直った神楽坂は、姫川の顔を直視した。
「もしもの話をしても仕方がないけど……仮に数年早くスポーツ特待クラスが設立されていたなら、政宗は相当優秀な逸材と見なされていたんじゃないかな?
少なくとも今年のスカウト組と同等以上にね。」
「……と、言うことは、緑岡さんよりも………」
「うん。間違いなく、上だね。」
息を飲む姫川にきっぱりと断言した神楽坂はニマっと白い八重歯を見せた。
その笑みを見て姫川は改めて華奢な喉を小さく鳴らした。
「どうした? まさか今さら怖じ気づいたとは言うまいな。
さぁ、かかって来るがいい。パンツマスクとやらよ!」
気迫を乗せた六波羅の声が屋上に響き渡った。
その声に呼応するように二人は中央に目を戻した。




