第30話 重大な忘れモノ
生徒会長との面会は、本日の放課後。屋上の予定だ。
姫川が場所と日時を勝手に決めてきやがった。俺の知らない所でどんどんと話は進む。あー、ホントに頭が痛い。
しかし、生徒会長の目的は何なのだろう?
俺にはまったく心当たりが……なくもないな。パンツを被っての大立ち回り……。うん。嫌な予感しかしないな。
姫川から生徒会長の噂をいくつか聞いた。
謎多き人物らしいが、生徒会長も生身の人間だ。俺をいきなり取って食ったりはしないだろう。
仮にもこの進学校の生徒会長なのだから、良識ある人間だと信じたい。
いざとなったら土下座でも何でもして、媚びへつらえば大概は何とかなるものだ。
自分のちんけなプライドなんてクソ喰らえ。泥水をすすってでも生き延びる。それが中学の時に身につけた生存術……。
キーンコーンカーンコーン‥
そんなことを考えていると、放課後を知らせる忌々しい鐘が鳴り響いた。
机に荷物をそのままに、姫川がこちらに歩いてくる。すれ違いざま囁くように俺に声をかけた。
「月削くん。行きましょうか?」
俺は目で合図し小さく頷いた。
開放感にふける生徒の雑踏をかき分け、別々に教室を後にした。
他の生徒に見られないよう注意を払いながら、少し重い足取りを前へと押し出し目的地へと向かう。
喧騒とは無縁の三階、いつもの視聴覚室の前を通り、屋上へと続く階段下で姫川と合流した。ここよりさらに登った先が屋上への入り口だ。
三階は総じて人気がない所ばかりだが、この階段下はさらに拍車がかかっている。うっすらと埃が積もり、しばらく人が通った形跡は見られない。ひんやりと肌を撫でる空気に若干のカビ臭さが鼻をつく。屋上階の入り口から、わずかに差し込む光だけが俺たちの足元をかろうじて照らしていた。
「準備は良いですか? 月削くん。」
「ああ。いいぜ。いつでも準備オーケーだ。」
俺は親指を立て、慣れない笑みを浮かべ姫川に合図した。
「お前はバカか? クソ虫。」
あれ? 突然のデビル姫川さん襲来ですか?
鋭い目付きが俺を見据える。
「お前、パンツはどうした? 私があげたパンツ、被ってこいやっ!」
「 !! 」
しまった。そうだ。生徒会長と会うのは俺ではなく“パンツマスク”だった!
やっちまった――! 姫川のパンツ、忘れてきた―――!!
口を鯉のようにパクパクしていると、後ろからトトトトと軽快な足音が。足音が止まると同時に、えも言われぬ柔らかい感触が俺の背中を強襲した。俺の周りの空間だけが深く甘ったるい香りに包まれる。
「王子ー! おひさー! きゃは♪」
この鼻にかかる甲高い声。ふー子だ。
馴れ馴れしくも俺の背中にもたれかかり背後から首にするりと細い腕を回してきた。
ふー子が背中にピッタリ密着して、たわわな果実をグリグリと押しつける。
うおぅ。夢の感触が再びっ!
天国の温もりにどっぷり浸るのを阻止するかのように、姫川が荒ぶる声を上げた。
「ふー子さん! 月削くんから、離れてください!」
「えー? 良いじゃん! あーしは、王子と会うの体育祭ぶりだしー。ねー、王子。」
名前を呼ばれ横を向くと、ふー子の顔が鼻先三寸だ。
近っ! これって接吻の距離ですよ。あまりの近さに反射的に顔を背けてしまった。
「関係ありません! いいから離れてください!」
「姫っち。何、熱くなってんの? これは、スキンシップだって。前にも言ったっしょ?」
勝ち誇ったように話すふー子。
ふー子が言葉を発する度に、甘ったるい息が俺の耳元を優しく撫でる。
あふぅ。思わず声が漏れそうになり、くすぐったさにブルっと身震いした。
「ほら! 月削くんも、嫌がってるじゃないですか? そうですよね、月削くん?」
「……あ、いや……別に……。」
思わず本音が口をついた。この状況、一秒でも長くと願うのが男心というものだろう。
ゆっくり姫川を窺うと、眉間に深くシワを刻む般若の姫川と目が合った。殺気が矢となり俺に突き刺さる。
姫川のあまりの佇まいに、全身から謎の汗が吹き出した。
……こここ、ここは大人しく姫川に従っておこう。
首に巻かれた腕をそっと外し、ふー子をパーソナルスペースの外へと優しく追いやった。
離れたことを確認し、ひとまず般若の面を外す姫川。
ふぅ、危ない危ない。多分、俺は九死に一生を得たのだ……。
命拾いした喜びを実感していると、姫川がふー子に問いかけた。
「ふー子さんは、どうしてここにいるんですか?」
「だって、今から王子は生徒会長って人と会うっしょ? だったら、あーしも立ち会うじゃん。」
「いえ、結構です。」
即座に一刀両断する姫川。
二人があだ名で呼び会うほど仲良くなってると思ったが、「姫っち」「ふー子」と呼び合う割に、距離感を感じるのは俺だけですか?
生徒会長に会う前に、この場でひと悶着ありそうな雰囲気だ。女子同士のバトルを予感して、ゴクリと唾を飲み込んだ。
「もー。姫っち。冗談じゃん? あーしは、見送りに来ただけじゃん。」
頭に手を当て「きゃは」とふー子が歯を見せた。
「冗談はやめてください。ふー子さんの冗談は、冗談に聞こえませんから。」
姫川は呆れたように息をつく。
「ふー子さん。申し訳ありませんが、これから私たちは生徒会の方々と会う約束がありますので……。」
「ちょっと待って。姫っち。王子の顔、丸出しで大丈夫なん? あん時のヒーローに変身しなくていーの?」
ふー子め。無駄に鋭い女だな。まさに今、最大の問題はそこなのだ。
俺は、姫川から貰ったパンツを忘れてきた。
いや……本当は“忘れた”のではない。あの時の、俺の血と汗にまみれた布切れは、速攻ゴミ箱へポイっとな。
だって、あんなモノを所持していたら……どう考えても大変なことになるだろうが!
「王子。今日は、なんか被るモノ持ってないの? タオルとか、お面とかさー?」
「……持ってない。」
「そっかー。じゃー、別の方法を考えねーとね。
そう言えば、体育祭の時は何で“パンツ”なんか被ってたん?
ヒーローは素顔を明かさないのが鉄板だけど、いくらなんでも“パンツ”はねーんじゃねー?」
ふー子め。やはり無駄に鋭い女だな。ド正論を吐きやがる。
パンツを入手した経緯は口が割けても言うことはできない。誤魔化そうにも姫川の前で嘘はご法度。口だけが身動き取れず息だけ漏れる。
「……それは……、」
「それは、月削くんが“パンツ”に並々ならぬ情熱を注いでいるからです!」
ちょっと待て―――い! 姫川っ! なに言ってくれちゃってんの?!
姫川が控えめな胸を張りながら、意気揚々と言い放つ。
「え? 王子って“パンツ”フェチなん? “パンツ”大好き変態さんだったん?」
「え? いや俺は……、」
否定の言葉を選んでいると、またも姫川が言い放つ。
「そーなんです! しかも月削くんは“パンツ”に強いこだわりを持った“パンツ”ソムリエなんです! 」
え―――! “パンツ”ソムリエって何? 俺、そんな称号にいつなったの? てか、二人ともお年頃の思春期女子が“パンツ”“パンツ”連呼するもんじゃありませんっ!
「パパパ、“パンツ”ソムリエっ?!」
ふー子が、ゴクリと息を飲む。
「そーなんです! さらに月削くんは、ただの“パンツ”ソムリエではないんです!
使用済みパンツを被ることにより、戦闘力が通常の10倍にパワーアップ! フ○ーザ様も真っ青の伝説のスーパーど変態“パンツ”マスターに変身することができるのですっ!」
「スススス、スーパーど変態“パンツ”マスター?!」
拳を握り熱く語る姫川に、ふー子がさらにゴクリと息を飲む。
「待て―――い! “パンツ”ソムリエから、ど変態“パンツ”マスターに変身ってなに? 黒髪から金髪に変身する戦闘民族みたいな言い方すんなやー!
戦闘力10倍ってなに? 一般人がパンツ被ったら戦闘力どころかイタさ10倍、いや20べぇーだぁー!
つーか、オラは“パンツ”マスターでも何でもねぇーからな! オメェ、ぶっ飛ばすゾっ!」
後半は某ベテラン声優のモノマネをしながら、いつもの20べぇの気持ちを込めて全身全霊でオラは否定した。だが、ふー子には全然響かねぇぞぉ。
ふー子は「あわわ」と口に手を当て肩を震わせ驚愕している。
「……だ、だから、王子はあの時“パンツ”を被ってたんね……。
顔を隠すモノが無くて仕方なく……じゃなく……あえて……いや……むしろ好んで……。
それどころか、スーハースーハーして喜んでいたと……?」
「うんうん」と姫川が深く頷いている。姫川、てめぇ――……。
俺はふー子の顔をまともに直視することが出来なかった。
だって絶対に、ふー子はドン引きしているだろうから。
「鬼ヤバー」とか言いながら、俺に軽蔑の眼差しを向けてくるに違いないはず……。
汚物を見るかのようなジト目で見られるのは、デビル姫川だけでお腹いっぱいですよ。俺のお豆腐メンタルは崩壊寸前です。
俺はビクビクしながら、次にふー子が発する言葉を待った。
「なーんだ。じゃあ、しょーがねーじゃん。」
「受け入れんのかよっ!」
いやいや、“パンツ”マスターとやらを安易に受け入れられても困るのだが……。
あっさり納得したふー子に拍子抜けした。
「だって、王子は王子じゃん。どんな趣味を持ってようと、あーしは、全然関係ないじゃん。」
さっぱりとした笑顔で言うふー子。
……確かに関係ないな。
ふー子にしてみれば、同じ中学出身ってだけで、俺には何の興味も無いのだろう。いじる側からすれば、オモチャのことなんかどうだっていい。ただ自分さえ面白ければ。
今だって、俺の状況を面白がって来ているだけに過ぎないのだろうから。
胸がチクリとかすかに痛む……。
「どーしたん? 王子? 急にしょんぼりしたよーな、みたいな?」
ふー子め……。ホント無駄に鋭い女だな……。
「いや、全然普通っすよ。ふー子さん。」
無意識に隔ててしまった言葉の距離感を、作り笑顔で誤魔化した。自分でも笑っちまうほどに不自然だったに違いない。
不思議そうにふー子が俺の顔を除き込む。
むむ。気まずい。
俺は話題を変えようと姫川へと話を振った。
「それより、どーする? 姫川。このまま生徒会長に会うってのは、さすがに不味いよな?」
「当たり前です。緑岡さんも生徒会の皆さんも、パンツマスクが月削くんだって知らないんですから。
正体がバレたら、きっと面倒なことになりますよ。それでも良いんですか?」
「だよなー。もう時間も無いしな。うーん、困ったぞ……。」
俺と姫川が頭を悩ませていると、ふー子が大きく腕を振り胸を叩いた。叩いた弾みに果実も揺れる。
「王子! あーしに任せるっしょ!」
お? 何か名案があるのか? ふー子の言葉に耳を傾ける。
「これで、元気100倍って言ってたっしょ! ねー、姫っち?」
少し頬を染め「よしっ」と何かを決心するふー子。
おもむろに自分のスカートの中に手を入れた。前屈みになりながらゴソゴソと腰をくねらせ何かをしている。腰つきに合わせツインテールもフリフリ揺れる。
「ふー子さん。ま、まさか……?!」
ふー子の異変に姫川が気づき、なぜだか俺に猛スピードで駆け寄ってきた。
「月削くん! 見ちゃ駄目で――す!」
俺の視界を遮ると思いきや、鈍い痛みと共に顔が横に弾け飛ぶ。
ぶふぅぅ――。斬新な目隠しぃ―――!!
ふー子から目をそらすため、姫川は俺を顔面パンチでふっ飛ばしていた。
「グーはないでしょ! 姫川――!」
涙目の俺の向こう側で、右手に何かを握りしめ、ふー子が大きく大きく声を張った。
「王子ー! お股せ……じゃなかったお待たせ! これで万事解決じゃん!」
ふー子が俺に近づき、収穫したモノを恥ずかしそうに差し出した。
「王子。これ、……使って。」
俺の手を取り、布切れとおぼしきモノを俺の手に握らせた。
サラサラと手触りの良いサテン生地に黒のレースが施された高校生のモノとしてはちょっと大人びたデザインのそれは、生温かくほんのり湿り気を帯びていて、ふー子を濃縮還元したようなクソ甘ったるい薫りを醸し出していた。
「これって、もしかして……?」
「うん。あーしの、……パンツ……。だって、使用済みパンツが良いって言ってたから……。」
そう言うと、ふー子は耳先まで真っ赤にしスカートを押さえ、しゃがみこんでしまった。
俺は小さな布切れを握りしめブルブルと震えていた。だって、こんなお宝、女の子に手渡されたの初めてだったから。ポッ。
……一応、本人に確認する。
「あのー、ふー子さん。これは……、俺に被れってことですかね?」
目線を合わせまいと下を向きながら無言で頷くふー子。
うっひょ――! 鮮度抜群の取れたてピチピチ生パンツだぜ――! やっほ――い!
脳内でガッツポーズ。
じゃねーぞ! おい―――――っっ!
これって、今の今までふー子が履いていたモノですよね? ふー子のふー子がこれに今さっきまで密着してたってことですよね?
これを被るってことは、……その……、ふー子のアレに間接キッスってことでオケー?
ちが―――――うっ!! そういうことじゃなくて……、いやいや、そういうことも問題だが……、ひとまず落ち着け俺。落ち着け俺。
これを被るって……? ムリムリムリムリムリムリ……!
そんなことしたら、変態エリート街道まっしぐらやんけ――!! 明日からお天道さんの下を歩けないですよ!
好きな子のリコーダーをこっそり吹いちゃうのがレベル5だとすれば、これってレベル999限界突破して殿堂入りしちゃいますよ―――!
「俺たちの冒険はこれからだ。」って、打ち切り待った無し! ある意味、俺の人生終了――!
グルグルごちゃごちゃ、頭の中で混沌なパーティーを繰り広げていると、肩にツンツンと指で合図が。指の主のほうを向く。
「仕方ありませんね。こんなこともあろうかと、用意してきて正解でした。はい。これ。」
あたふたと取り乱している俺に、営業スマイルの姫川が何かをニッコリ、差し出した。
「! ……ウソだろ?」
そのモノに俺は自分の目を疑った。浮かれた熱が一気に冷める。
「!……なぜ、これがここにあるんだ?」
姫川が不適な笑みを浮かべ俺に言う。
「フフフフ……、あまい、あまいですよ。月削くん。」
「これは、俺が捨てたモノじゃぁ……。」
「そう簡単に捨てられては困りますね。これは洗えば、まだまだ使えるもの。物は大切にしなくちゃ駄目ですよ。」
「いや、そうじゃなくて……何で姫川が持ってんの?」
そこには、確かに捨てたはずの……あのパンツがそこにはあった。
綺麗に洗濯済みだが、所々、俺の血が滲んでいた形跡がある。
思わず手に取り、頬でスリスリ。肌触りを確かめる。
こ、これは……間違いない。確かにあの時の姫川のパンツだっ!
はっ! 俺はついこの間のことを思い出していた。姫川が俺の家に来た日のことを……。
姫川が帰った後、俺の部屋からボールペンやら消ゴムやらが姿を消した。他にも色々と物色された形跡が……。
俺の勘違いとも思ったが、勘違いではなかったのか。
多分、俺がトイレに行ってる隙に……。
「フフフ……。月削くんて、ホントろくなもの持ってないですよね。」
姫川がニヤリと悪魔のようにほくそ笑んでいる。やはり犯人はお前か。デビル姫川め。
「姫川、やりやがったな?」
「心外ですね。私はちょっとお借りしたまでです。世の中には、こんな名言があります。
――お前のモノは私のモノ。私のモノも私のモノ――
フフフ……。」
「姫川、それを世間ではジャイアニズムと呼ぶんだぞ。」
「ジャイアなんとかとは何ですか。私はちょっと借りてるだけです。人聞き悪いこと言わないでください!」
プイと口を尖らせそっぽを向く姫川。ありゃりゃ。不貞腐れた態度が可視できるほどに滲み出ている。
こうなってしまっては、言葉をまったく聞き入れない。ヘソを曲げた姫川はテコでもユンボでも動かない。
俺は頭を掻きながら、これみよがしにため息をついた。
「まぁ、いいよ。姫川の気が済むまで貸しといてやるよ。」
体育祭の時に無断でバッグを漁った手前、姫川に強くは言えないよなぁ。
仕方がないな。姫川に持っていかれた私物は諦めよう。大したものでも無かったし。
釈然としない気持ちをなだめ終わると、姫川の曲がったヘソも直ったようだ。先程のやり取りが無かったかのように、あっけらかんと俺に言う。
「これで、生徒会長に会えますね!」
「ああそうだな。」
「はい。1000円です。毎度あり。」
「お金とるの? 元々俺のゴミ箱にあったモノだよな?」
「何言ってるんですか? 回収に洗濯、乾燥、ここまでの運搬と、色々と手間がかかってるんです。対価が発生するのは当たり前です。」
マジか。デビル姫川め……。人の足元見やがって。
俺との取引が成立しホクホク顔の姫川に、横目で暗い視線をぶつけて…うるうる。
「では、ふー子さん。私たちは、これから生徒会長と会う約束がありますので。」
先程からの丸くうずくまる体勢で、コクコクと無言で頷くふー子。
姫川が襟を正して俺に言う。
「さあ、行きますよ。月削くん……いや、パンツマスクさん!」
「よし、行こう!」
俺たちは、約束の地へと足を向けた。薄暗い階段を一歩ずつ踏みしめ、重い扉に手をかける。
鬼が出るか蛇が出るか……。一抹の不安を胸に扉を開く。
と、屋上へと踏み出す前に……何か忘れているような気がするが……、ま、いいか。




