気分転換
ピンポーン
紗奈が迎えに来た時
ちょうど聡美は準備を終えて
リップクリームを塗っていた。
乾燥の季節はもう始まっていて
こまめに塗らないと直ぐにカサカサになった。
聡美「おはよう」
玄関の扉をガチャリと開けて言った。
紗奈「おはよう。今日は急にごめんね」
聡美「大丈夫、今日は何も予定無かったから」
紗奈の軽自動車に乗り込み
早速、目的のパスタの店に向かった。
車の中は芳香剤か香水か
何かわからないが、いい香りが漂っていた。
紗奈「聡美の顔を見たら、何か透と喧嘩したのなんかどうでも良くなっちゃった」
聡美「え?何で?」
思わず紗奈の方を向いて言った。
紗奈はいつの間にか眼鏡を掛けていた。
休日に会う時はだいたい眼鏡姿だった。
度数の入っていない伊達眼鏡だ。
眼鏡を掛けた紗奈は
黙っていれば知的な印象が少しプラスされた。
聡美は伊達眼鏡に疑問を持って、本人に昔、
伊達眼鏡を掛ける理由を聞いた事があった。
紗奈曰く、眼鏡を掛けた顔と眼鏡を外した顔の
ギャップに男性が食らい付くという事だったが
それは冗談で、結局、ただのお洒落の為というのが
本当の回答のようだった。
今日の装いにも確かに眼鏡は合っていた。
紗奈「だってさ、聡美の顔ってば暗いよ。聡美も俊也と喧嘩でもした?」
聡美「喧嘩ではない…かなぁ…とは思うんだけど」
紗奈「何か歯切れが悪いわね」
聡美「私の話は大丈夫、大丈夫。紗奈はどうしたのよ?」
紗奈「それがさ、透のヤツ、前にもう止めてって言ったのに、会社の女の子と2人でランチに行ってたのよ」
聡美「えー、それは嫌だねー」
紗奈「でしょー?問い質したら、女の子に誘われて断ったら失礼だからとか何とか言っちゃって、もう腹立って腹立って。私と付き合ったのも、断ったら失礼だから仕方無くなの?って思って、何なのよーって色々ぶちまけちゃった」
聡美「断ったら失礼って、何それだよね」
彼女である紗奈に失礼かと思ったが
透をフォローする義理もないし
思った事を言った。
俊也は絶対そんな事はしないという
根拠なき自信が聡美の中にはあった。
そんな事をしてほしくないという
束縛に近い願望かもしれなかった。
紗奈「私も男子と2人でディナーでも行ってやろう」
聡美「行くなら高級ディナーね」
紗奈「そうそう、透が絶対に連れて行ってくれなさそうな超高級レストランにお金持ちのいい男と行ってやる」
そんな都合よく
いい男なんて見つからないだろうし
仮に見つかっても紗奈は
浮気と疑われるような事はしないと
聡美は知っていた。
何だかんだで紗奈は透の事が大好きなのだ。
だからこそ、透の軽率な行動は
第3者の聡美でも腹立たしかった。
その後も惚気話寄りの愚痴を紗奈は口にしたが
その横顔からは幸せだよというメッセージが
見て取れた気がした。
11時を少し回った頃に
目的のパスタのお店に到着した。
オープンしたばかりとあってか
駐車場にはもう車が十数台ほど止まっていた。
紗奈は空きスペースを探して
見つけると手際よく駐車した。
紗奈「11時から開いてるはずだから、もう早く行こう」
聡美「あ、うん」
駆け足で店内に入った。
店内は混み合ってはいたが
テーブル数が多いのだろう
さほど待つことなく案内された。
おだんごヘアの若い店員に案内されたのは
4人掛けのテーブルで
紗奈と向かい合うように座った。
紗奈「色調が落ち着いてて、いい雰囲気のお店だよね」
紗奈は、店内のあちらこちらを
チェックするように見回した。
聡美「もしかして今日って、次に透さんと来る為の下見だった」
紗奈「んなわけないでしょ…と言いたい所だけど、ごめんね、それもありました」
紗奈はぺこりと軽く頭を下げた。
紗奈「勿論、聡美とお喋りしながらランチしたいって気持ちが1番だよ」
顔を上げて訴えるように聡美に言った。
聡美「謝る必要ないよ。私も次は俊也と来ようかな」
紗奈「ありがとー。じゃあさ、早速、注文するの決めよう。ほら、生パスタってあるよ。美味しそー。あ、ランチメニューはやっぱりお得だよね」
テーブルに1つのメニューを広げて
2人であれはこれはと言いながら悩んだ。
ようやく決めて、テーブルのボタンを押した。
先ほどテーブルへ案内してくれた
おだんごヘアの店員が来て注文を取った。
紗奈は選べるランチAセット…海老のトマトクリームのパスタ+ミニサラダ+コーンスープ
聡美も選べるランチAセット…カルボナーラ+ミニサラダ+オニオンスープ
をそれぞれ注文した。
紗奈「ディナーメニューもあるよ。ワインで乾杯なんてお洒落でいいかもね」
聡美「確かにお洒落だね。紗奈と透さんにはピッタリだよ」
紗奈「聡美も俊也も普段お酒を飲まないもんね」
聡美「まぁ、うん」
紗奈「じゃあ、居酒屋とかバーとか行かないの?」
聡美「行かないかな」
紗奈「そっか、居酒屋でも美味しいメニューあるとこ知ってるから、私と行こうよ。飲まなくてもいいからさ」
聡美「うん、行ってみたい」
雑談をしているうちにメニューが運ばれてきた。
アツアツのパスタを口に運ぶと
美味しくてなぜだか涙が出そうになった。
俊也と一緒に食べに来られるのだろうかと
不安になってしまったせいだった。
紗奈に気付かれないように
美味しい美味しいと言いながら笑った。
紗奈の面白い話のお陰もあって
食べ終わる頃にはもう
涙が出てくる気配はなくなっていた。
今日、紗奈が一緒に居てくれて良かった
紗奈の笑顔を見ながら聡美はそう思うのだった。