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ファントム

〈ヒューザ社 イングランド本社、リヴァプール〉

 世界的巨大企業ヒューザ社。古来、貿易会社であるヒューザ社は今や通信、物流、宝飾、航空といった分野まで事業を拡大し、膨大な数の子会社、孫会社、協力企業を持つようになっていた。その国際的影響力は世界最大の民間企業《アリュエット・マイティ・サービス》を筆頭とするアリュエット・グループには及ばないもののフィセム社と並び世界企業連盟でかなりのものである。

 巨大化したヒューザ社は同じく巨大化したフィセム社と長きにわたり戦い続け、そのれつな戦いは裏世界にも広がっていた。グローバル化社会において急速に力を付けた多国籍企業は国家の枠を超え、ある種覇権争いにも似た企業戦争へ変わりつつあった。

 世界企業連盟の上位企業(いわゆる理事企業)は傘下の民間軍事警備企業(Private Military and Security Company:PMSC)と自前の巨大物流インフラを有し、PMSCは紛争地域において正規軍の後方支援部隊として、あるいは正規軍が運用できない非合法任務へと派遣されてきた。そのため、世界企業連盟の理事企業は各国政府や《国連(International Union)》に対し非常に強い発言力を持っていた。それだけではない。()()()()()()()()の活性化という意味合いもあり、それは《戦争による市場の開拓》と《戦争による競合企業のとう》を狙ったものなのは疑いようが無かった……



「ずいぶんとフィセムは汚い手を使ってきたな。北米セキュリティ・エリアマネージャー四名とセキュリティ・ディレクターを暗殺するとは。それに製薬部門の主任レイジー・メホラまで」


 広い会議場にいるのは円卓で向かい合う七人のヒューザ社の幹部。

 会議場にはBGMとしてヨハン・ゼバスティアン・バッハ作曲の〈ミサ曲 ロ短調(BWV 232)〉よりKyrie eleison 1が静かに流されている。


「アメリカ軍との共同作戦にも支障が出るのは間違いない。特にパキスタン、アゼルバイジャン、ヨルダンに展開中の部隊には迷惑かけるだろう。アフリカでも連中は我らの邪魔をしている。指揮系統や物資輸送に関する見直しも必要だ」

 彼らはただの幹部ではなかった。ヒューザ・グループ全体で絶大な権力を持つ円卓の七人、通称〈シークレット・セブン〉と呼ばれる最上級幹部らである。彼らこそヒューザ・グループを影から動かす支配者達だった。

「メホラの死亡により()()()()も遅れが出る。だが計画を引き継ぐ者は慎重に選ばなければならん。何せトップシークレットだ」

「人材の選定は私の方で行おう。ただ時間はかかる。そこは承知してくれ。彼らの代わりを見つけるのは難しい」

 既に彼らはレイジー・メホラが殺害されたことを報告されていたが、実際に暗殺したのはスミルノフであるということを知らず、フィセム社の私設軍隊によるものだと考えていた。

「噂によるとフィセムは革新的な兵器の研究を進めているとか。このまま黙っているわけにはいかない。手荒かもしれないが〝ルシファー〟を動かそう」

「それはいい。どこに仕掛けます?私はアフリカのイズニティが最適かと」

「そうだな。まずはイズニティにしよう」

「異議なし」

「私も異議なし」

「ああ、異議なし」

 残りのメンバーからも異議は出なかった。



〈時刻2123時。イズニティ、ヴァンガー〉

 アフリカ大陸の南東部に位置するイズニティ共和国はアフリカの新興国として知られる共和政国家である。とはいえ比較的落ち着いた状態で国は発展しており、大規模な紛争は発生していない。だが、アフリカ全土で活動している過激派武装組織《新アフリカ民族解放戦線》の襲撃が散発的に発生し、これに対応すべく政府は様々な手をこうじていた。

 イズニティ政府は軍備が不足がちの正規軍に代わりPMSCへの積極的な任務委託を行っている。とりわけフィセム社傘下のPMSC〝ナグルファル・コンダクター社〟とフィセム・グループのサイバネティクス部門〝フィセム・サイバネティクス社〟はイズニティ軍部と強い繋がりがあり、新兵器開発や新薬の臨床試験データ収集を秘密裏に行っているとされる。


 イズニティの工業都市ヴァンガー。ここにはフィセム社の関連企業がひしめき、アフリカ市場で大きな拠点となっていた。ただ武装組織の新アフリカ民族解放戦線を始めとするテロ組織のまとになるのを防ぐため、イズニティ軍や警察の代わりにナグルファル・コンダクターの武装警備兵があちらこちらで警備を行っていた。


 ヴァンガーのフィセム支社。フィセム社の新技術研究所、生産工場、従業員用宿舎、らく施設等が立ち並び、24時間体制で会社は業務を行っている。

「定時連絡。西A警備棟、異常なし」

 ナグルファル・コンダクター社の兵士は目の保護と視力強化を目的として自動偏光機能が付いたシューテング・グラスを装着し、防弾装備は動きやすいようにプレートキャリアを採用していた。

 いつ何時、テロリストの奇襲を受けるのか分からない中、警備兵達は毎日欠かさず巡回を行っている。ただ、同じ順路を通っていれば奇襲する側にとって好都合になる。ゆえに順路や手順、人数はランダムに変えられていた。

「……気のせいか?」

 兵士はいつもと景色が違うような気がした。砂と雑草という代わり映えの無い風景なのだが、いつも見ているだけに何かが違う。直感で彼はそう感じたのだ。


(何が違うんだ?)


 彼は立ち止まりじっと地平の彼方(かなた)を眺め、違和感の正体をつかもうとした。


(地面の傾斜が少し急になっているような……それに雑草の生えている箇所が増えた?)


 いつもと変わらないはずなのに、昨日とは違う光景だと彼は感じている。

 これは危険な予兆だ。

 そう思った彼は銃を握り直し、銃を構えようとした。


 ヒュッ!


 一発の弾丸が彼の頭部を貫き、彼は崩れるようにその場に倒れた。


「標的を仕留めた。ルシファー2移動を開始する」


 ゆっくりと四つの地面が動いた。

 死んだ男から距離にして約20メートル。

 それはしゃがんだ人影のように見える。

 しかし全身には枯草や小枝、土がまとまり付いており、伏せて動かない状態ではその場に人がいるとは気が付かない。景色と同化する非常に高度な迷彩服、ギリースーツだった。


 ギリースーツを来た四人の兵士はPMSC〝マジェスティック・イージス社〟の兵士。

マジェスティック・イージス社はヒューザ社の100%子会社であり、同社の警備部門としても機能するPMSCである。

『こちらルシファー5、正面ゲートを開ける。警報装置、高圧電流はルシファー1が無力化済み』

「了解だルシファー5。我々はこのまま西の警備を排除する」

 そのマジェスティック・イージス社の中でもりすぐりの者達で構成された精鋭部隊〈ルシファー分遣隊〉はシークレット・セブンに極めて忠実な集団であった。

「行くぞ」

 ルシファー2の隊長は部下三人を引き連れて、監視カメラと監視ドローンを次々と破壊していった。外の目を破壊した彼らは敷地内へ入るため、フックショットを使い壁を素早く上る。

「ウェイン、2時の方向、23メートル。エルダ、10時の方向、85メートル」

 隊長の意図をくみ取り、二人の部下が脅威となる警備兵を射殺。

「敵を排除。通信設備を破壊」

 さらにいくつかの通信アンテナ、通信用ケーブル、スピーカーも射抜いた。

 その後、四人は敷地内へと下り立ち、周囲を確認する。

『ルシファー6だ。発電施設への爆薬設置がまもなく完了する。ルシファー2援護してくれ』

 敷地内で警報は鳴っていないが、当然襲撃者の姿を見た従業員はいるはずだ。

 そろそろ警備担当者にも連絡がいくことだろう。

「了解ルシファー6。援護に向かう」

 驚きと悲鳴が聞こえてくる。

「ターゲットを探せ」

 そしてルシファー2も従業員に姿を見られたが、何を言われても無視し、進み続ける。

 理由は簡単だ。

 任務第一、無駄弾を使わない。

 ただ従業員の中にも武器を持って抵抗する者がいる可能性もルシファー2は考慮していた。

『こちらルシファー1。主要ターゲットの暗殺に取り掛かる』

 先に潜入したルシファー1は工場長や部長、警備担当者、産業医、システムエンジニア達の暗殺に取り掛かる。無数の人混みの中、ルシファー1は的確に対象を始末していくだけでなく、いくつかのコンピュータへ不正アクセスを実行。ベルトのポーチからUSBフラッシュドライブを取り出し、コンピュータのUSBポートへ刺し込んだ。


「キース、お客だ」

 目の前から現れた警備兵の団体。

 彼らはルシファー2を攻撃する。

 だが、ルシファー2はひるむことなく反撃を行い、警備兵をなぎ倒していった。

 各所で爆発が起き、混乱のうずに飲まれるフィセム・ヴァンガー支社。

「部屋にしょうグレネードを投げておけ」

 いくつかの部屋には火が放たれ、勢いよくしゃくねつの炎が燃えていた。


 ルシファーによる奇襲は一瞬といっていいもので、ヴァンガーのフィセム・グループは壊滅的な損害を受けた。短時間で的確な襲撃だったのだ。襲撃の発覚を遅らせ、発覚の伝達と共有を遅らせ、人的資源を奪い、復旧に時間がかかるコンピュータのデータ類を吹き飛ばし、商品開発資料も焼きくした。その上、わざと生かしたコンピュータ内部にはコンピュータウィルスを忍ばせるという恐ろしさ。

 現地警察は武装組織の新アフリカ民族解放戦線による企業テロだと断定したが、この結果にフィセム社は満足しておらず、独自で調査を開始したのだった。しかし、その調査チームも何者かに襲撃され、フィセム社はわずか三日で調査を中止。その後、ナグルファル・コンダクター社のナミビア支部、ソマリア支部、アルジェリア支部が立続けに襲撃され、ナグルファル・コンダクター社の評判と株価は大きく下落した。




〈時刻0200時。イズニティ、イシャドン〉

 深夜の2時。あたりはすっかり闇に溶け込み、満天の星が夜を照らしている。

 そんな中、高度1万2千メートルという上空を一機のUb‐213が飛行していた。Ub‐213はスミルノフ用に改造された超音速ステルス戦略輸送機であり、優れた気圧調節機構と耐熱機構を有している。

 Ub‐213の後部ハッチが開き、六人のスミルノフ隊員が姿を現す。氷点下63度の外気が機内へと吹き込み、機内温度はまたたく間に下がっていった。

 スミルノフ隊員は酸素マスクと特殊任務用先進的戦闘スーツを着用。さらに降下用の装備一式と暗視装置一式、敵味方識別及び友軍位置共有戦術デバイスも身に付けていた。

「久しぶりのHALO降下だ。気を引き締めろ。降下地点にいなかった奴は置いていく!」

 エカチェリーナ隊長は走り出し、真っ先に機内から飛び立った。

 その後、残る隊員達も同一間隔で空へと身を投げ出し、目標地点へ向けて降下。

 一気に地表へ向けて落ちていく。

 てつく空気が彼女らを襲うが、最新のテクノロジーと彼女ら自身の忍耐力でそれは問題にならなかった。

 高度220メートルほどになると彼女らは身体を大の字に広げ、ムササビのようなまくを展開。これはウイングスーツと呼ばれる特殊な滑空用ジャンプスーツを参考にHALO(High Altitude Low Opening)降下用へと改良したものである。


 何事もなく、そしてれいに地上へ着地するスミルノフ隊員。

 すぐに飛膜と酸素マスクをバックパックへ収納し、地上戦闘の準備を整えた。

「急げ。大統領の命が危ない」

 彼女らは暗視ゴーグルにより暗闇をこくふくしていた。昼とは言わないまでも明るく緑色の空間が目の前に広がっている。物のりんかくが分かるというのは夜戦において非常に重要なことだった。

「こちらシュカーヴィク、まもなく目標地点」

 シュカーヴィクはスミルノフ隊長エカチェリーナのコールサインで、シベリア東部に位置するハイール湖の怪物から由来する。

「ンデラ・ホテルを視認した。各員、位置につけ」

 ホテルからは明かりが漏れている。十分な光量だ。

スミルノフの隊員らは暗視ゴーグルを外した。

「大統領を見つけろ。脅威は全て排除だ」



 このような展開にスミルノフが巻き込まれたのはさかのぼること八時間前。

 GRU総局長からとく回線で呼び出され、スミルノフの中でも特に実力を持った六人をエカチェリーナは緊急招集した。


《イズニティ大統領の救出任務》

 優先度:緊急

 重要度:最大

 任務種別:極秘

 主任務:ジュゲニ・ルギルラ大統領の救出

 副次任務:脅威の調査及び脅威の排除

 脅威:正体不明、人数不明

 参加隊員:エカチェリーナ少佐、マリナ少尉、アーニャ少尉、ベルジータじゅん、ヴァレンティーナ軍曹、オリガちょう


 事態はかなりややこしい。

 イズニティ共和国のジュゲニ・ルギルラ大統領は二週間ほど前から何者かにおどされていたという。そのことを親交のある駐イズニティ・ロシア大使へ相談していたのだが、具体的な対策が間に合わず、ロシア側の外交的無能さが浮き上がってしまった。今晩二人は夕食会もね、その件について話をする予定だった。

 このあるまじき失態をばんかいし、イズニティとの更なる協力関係を築くため、ロシアはスミルノフを派遣することにしたわけだが、わざわざ極秘部隊のスミルノフを派遣したのにも理由があった。アフリカに展開しているPMSCにこのことをイズニティとロシアの両国は特にさとられたくなかったのである。大統領が襲撃されたとなればPMSCが黙っているわけがない。警備目的でもっと自社部隊を増やし、PMSCの力をするだけでなく、イズニティ政府への圧力も強まるはずだ。

 つまり国家、あるいは国連といった無能で非効率的な組織よりも企業あるいは世界企業連盟の方が有能で合理的な組織であると世界へ広めることになるだろう。国民基盤が決してばんじゃくでないイズニティ国民をPMSCが世論操作で反政府、反国連運動へ誘導するのは容易に想像がついた。


「裏口はクリア。敵の姿はない」

 マリナはAC‐80カービンを構えつつ、静かにホテルの裏口から内部へ移動する。

『エントランスはクリア』

 エカチェリーナとヴァレンティーナの二人は倒れた大統領の護衛とロシア大使護衛官をかわしながら、階段へ向かう。

『こちら地下一階、クリア。争ったこんせきはない。ホテルの周囲警戒へ移行する』

 ベルジータ、オリガの両名はホテルの地下を調べていた。しかし、敵の姿はどこにもなく爆弾や危険物のようなものは一切見当たらなかった。

「隊長、敵は何者なんですか?」

 マリナはエカチェリーナに尋ねた。

『分からない。だが、大統領の話が本当ならば超やばい奴だろう』


 ルギルラ大統領が異変に気が付いたのは二週間ほど前。当初、それが脅しであるとは気が付かなかった。彼が愛用している〝大統領就任記念ボールペン〟が一本、大統領執務室から無くなったのである。大統領は非常にちょう面な性格でいつも使った後は元の場所に戻すのだが、どういうわけかボールペンは無くなっていた。「どこかに忘れてしまったのか」そう彼が納得して夕方帰宅すると、自宅の自室、自分の机の上にそのボールペンが置かれていた。彼はそのボールペンを今度こそ忘れまいと上着の内ポケットへしまった。

 次に異常を感じたのはその翌日。朝、ルギルラ大統領が目を覚まし、上着の内ポケットを探るとボールペンは無くなっていた。当然、彼は妻にボールペンの事を聞いてみたが、彼女は何も知らない。しょうがなくそのまま自宅を出て、執務室に座ると、護衛の一人が彼に「大統領、通路に落ちていましたよ」と〝大統領就任記念ボールペン〟を手渡した。

それは()()()()()()()()()()

 その日、彼はまるで仕事にならなかった。まるできつねにでも化かされたような、そんな変な感じを味わいつつ、仕事が終わり自宅へ帰った。と、今度はさらにありえないことが起こった。

 彼の自室の机に〝大統領就任記念ボールペン〟が置かれていたのだ。それも一枚の印刷された紙切れ「Watch out.(気を付けろ)」というメッセージとともに。後日、その紙切れは念入りに調べられたが指紋は検出されず、また犯人の手掛かりになるような情報も発見できなかった。

 まるで大統領と護衛をあざ笑っているかのような脅し。ただ要求も無ければ、直接危害を加えられてもいない。盗まれたものもなく、犯人の目的が分からなかった。分からないがゆえにメッセージ通り、大統領は周囲に気を付けることしかできず、仲の良いロシア大使に今回の件を打ち明けたのだった。


「物音が聞こえる」

「ええ。どうやら上のようね」

 二人は上の階で何かが強く打ちつける音を聞いた。

『こっちはクリアリングにまだ時間がかかる。二人とも行けるか?』

「はい。向かいます」

「了解ボス」

 マリナとアーニャははんにゅうぐちを通り、鍵の開いている階段を伝って二階へ。

 通路にはスーツを着た大統領の護衛が三人倒れている。

 血が流れているようには見えない。

 気絶しているようだ。

 と、右の客室から一人、何者かが出てきた。

「動くな!」

 AC‐80カービンを構え、マリナとアーニャは相手の出方をうかがう。

 明らかに不審者である。

 こんいろの上下。顔はフードで覆い隠していた。またタクティカルポーチを身に付けており、左右のだいたい側面にはホルスターに収められたハンドガンPs‐05が見える。ただし、手には何の武器も持っていない。不思議なことに素手だった。


 タンッ!


「「っ!」」

 二人のAC‐80が同時にはじき飛んだ。信じられない。相手の両手にはハンドガンPs‐05とは異なる小型ハンドガンZt‐22が収まっていた。どうやら、りょうそでの中に隠してあったようで、腕を伸ばすと銃が飛び出すスライド式ホルスターに収納されていたようだ。

 すぐ二人はサイ・ホルスターからハンドガンCrF-2800をそれぞれ引き抜き、相手を撃つが放った弾は命中せず、相手は元いた部屋へ飛び込んだ。

「待て!」

 マリナが先行し、部屋へ突入。

 銃を構えてクリアリングを行っていく。

「くそっ。どこだ?」

 客室の中には大統領の護衛一名が倒れているだけで人影がない。

 風呂場、トイレ、寝室、ウォークインクローゼット、隠れられそうなところを確認するが、先ほどの人物はどこにも見当たらない。

「こちらマリナ。武器を所持した不審者一人を二階で見失った」

 アーニャも部屋を確認していたが、ここであることに気が付いた。

「マリナ、ここを見て」

 ウォークインクローゼット。その壁は一目見ただけでは分かりにくいが、はっきりと切り抜かれている。どうやら事前に開けてあったようだ。

「隣だ。マリナ回り込んで」

「了解。移動する」

 一応、隣の客室を二人で挟み込むようにクリアリングしたが、不審者はいない。

『エントランスで不審者一名と交戦中!』

 ここでエカチェリーナの無線が入る。どうやら先ほどの人物は一階へ下りたらしい。



 エントランスホール。

 エカチェリーナ、ヴァレンティーナの両名は二階の階段から現れた不審者へ銃撃した。

 しかし、相手は驚異的な身のこなしで銃弾をかわしつつ、二丁拳銃で二人をけん制する。時たま相手はこちらの弾をハンドガンの弾でぶつけ、らすことも平然とやってのける。


(バカな。速度も口径もこちらの方が上だぞ。なぜハンドガンで弾道をそらせる?いいや、そもそもなぜこちらの攻撃を見切れているんだ)


 明らかに相手は人間を超えた反応速度と動体視力を有している。


(くそっ、忍者か何かか?)


 不思議なのは圧倒的な身体能力があるにも関わらず、()()()()()相手の銃弾が当たっていない。


(わざと外している?)


 これは相手が()()()()()()()()()と考える方が自然だ。


 相手は上手くこちらとの距離を取りつつ、ホテルから出ていった。

「マガジンを換える……敵は出ていった。まだ安心はできないが。マリナ、アーニャ、大統領は見つけたか?」


 マリナ、アーニャの二人は任務を優先し、ルギルラ大統領を探していた。

「クリア」

 通路のかどを確認し、マリナはえんかいじょうの扉に左手をかける。

 アーニャと息を合わし、扉を開けた。

「ビンゴ」

 中には手足をロープでしばられ、口をテープでふさがれたルギルラ大統領。

 そのとなりには駐イズニティ・ロシア大使のアフェンシェスキーが。

 また、ここにいる護衛は全員(ひたい)を例外なく、頭か胸を撃ち抜かれていた。

『マガジンを換える。まだ油断はできない。マリナ、アーニャ、大統領は見つけたか?』

「二階の宴会場で発見。大統領と大使はご無事です」

 すぐにマリナは大統領の元へより声をかける。

「大統領、助けにきました。今、拘束を解きます。我々はロシア軍です」

 一方、アーニャは大使の方を助けていた。

「アフェンシェスキー大使、我々はGRUです。もう大丈夫ですよ」

「ああ助かった。良かった。ありがとう。君達には感謝し切れないよ」

 大使は状況の飲み込みが早かったが、大統領はまだ少しこんわくしているようだ。

「はあっ、はあっ、はあっ……ロシア……ロシア軍?」

「ゆっくり深呼吸してください。ここに敵はいません。大統領、落ち着いてください」

「はあー、はあー、はあー。そうか、自分は……助かったんだな」

 段々と呼吸が落ち着き、大統領は今の状況が分かり始めていた。

「そうです。我々はロシア軍の特殊部隊です。どこかをされているところはありますか?」

「いいや、大丈夫だ。拘束されただけで、何もされてはいないよ」

「犯人の数やにんそうは分かりますか?」

「一人だ。一人で間違いない。あれは怪物だ。人を食らう怪物に違いない……顔はフードでよく見えなかったが、女のようだった……恐ろしい……あれはまさにせまり来る死そのものだった。人の姿をした怪物だ」

 大統領の顔は青ざめており、精神に大きな傷を負っているのは明白だった。

 心療内科医による専門的な診察とメンタルケアが必要だろう。

 しかし、大統領にとっての不運はこれで終わりではなかった。


『東南から接近する車両複数あり。各員、警戒せよ』


 ベルジータからの報告だ。

 すぐにマリナとアーニャは大統領と大使を連れて移動する。

「大統領、新手が来ます。すぐにここから退避を」

「私は死ぬのか……」

「何を言っているんです。我々に任せていれば何も問題はありません。さあ行きますよ」

 マリナは大統領をはげましつつ、廊下へ出た。


『ベルジータ、オリガ、いざとなったら食い止めろ。手段は問わない。他は大統領と大使の護衛だ』


「了解」


 エントランス手前のだん後ろに隠れ、いつでも発砲できるよう、ベルジータとオリガはトリガー側面に人差し指を置いていた。

 緑色の世界。その中で接近する車両は褐色で表示されている。これは熱赤外線を画像処理しているためで、熱を放つ物体は赤色から黄色に近い色彩で表される。つまりサーモグラフィー画像である。

 ヘッドライトがまぶしすぎるため、暗視ゴーグルは自動的に光量を抑え、着用者の視野を適切に確保していた。

「車両の数は二台」

 オリガはAC‐80のスコープ倍率を少し上げ、敵の姿を確認する。

 統一された格好ではなく、装備も個々人によってまちまちだった。

「どうやら武装組織の模様。新アフリカ民族解放戦線と推測される」

 そこまで告げた後、オリガは引き金を引き、車から降りようとしていた運転手と助手席のゲリラ兵を射抜いた。それに続き、ベルジータもゲリラ兵への攻撃を開始。

 一方、銃撃を受けたゲリラ側は慌てつつも、すぐに身を隠し、こちらへ撃ってきた。

 ただ、狙って撃っているというよりかは闇雲に撃っている。

 まだどこから撃たれたのか分かっていない。

 銃の扱い方はそこそこのようだが、味方との連携の仕方が素人(しろうと)だ。

「さっきの不審者の仲間とは思えないけど……」

「確かに。夜戦慣れしていない民兵だ」

 ベルジータ、オリガは目に映る赤色の人型、すなわち標的を次々と射抜いていく。

 熱を放つ人間ははっきりと暗闇でも浮き上がっていた。

「最後の一人だ」

 そういってベルジータが最後のゲリラ兵を倒した。

「終わったぞ。さっさと引き上げだ」

 ベルジータはマガジンを換えて立ち去ろうとしたが、オリガは何故か動こうとしない。

「どうしたんだ?」

「何かいる」

「何が?」

「分からない」

 じっと誰もいない闇をのぞくオリガ。

「動いた」

 オリガは暗視ゴーグルを通してたが、はっきりと何かが動いたのを見た。

 透明なように思えたが。まるでレンズで覆ったように少し空間がゆがんだのだ。

 それにわずかだが熱を持っていた。

「やはり見えない何かがいる。鏡みたいに背景と同化しているよう」

「まさか光学迷彩か……」

 互いに銃を構えて見えぬ敵に警戒しつつ、後ろへ素早く後退する。

 これはホテル内エントランスへ下がることで光源を確保し、見えぬ敵の輪郭と影を掴むためだった。

「どこから来る……」

 相手が一人ではないのは分かる。圧倒的に不利な状況。

 それは彼女達が一番良く理解していた。


 タンッ!タンッ!タンッ!タンッ!


 どこからともなく放たれた複数の銃弾はようしゃなくオリガの胸と左脚を貫通した。

 まともに銃弾を浴び、噴出する鮮血。

 ベルジータはその場に崩れて反応がない。

 彼女の身体からは大量の血が流れ出し、エントランスを真っ赤に染めていた。

「うっ……くっそ、撃たれた……」

 彼女を襲う強烈な痛み。

 左脚を撃たれて倒れたオリガはかろうじて意識がある。だが、もう長くないことをその痛みから分かっており、何とか銃を握ろうにも手に力が全く入らない。どうしても、どうやっても身体が動かないのだ。

 目も満足に開かない。何も、何もできない。

 そんなオリガの前に何者かが立っていた。

 空間が人型に歪んでいる。

 オリガは見えなかったが、そこにはフェイスペイントでそうした顔があった。

 そして、目の前にあるのは熱をびた銃口。


 タンッ!


 オリガへ最後の銃弾が放たれた。



「急げ。回収地点までもうすぐだ。こちらシュカーヴィク、〈アサー3〉へ。定刻通り回収地点に到着する予定。現在、正体不明の敵と交戦中。オーバー」

『シュカーヴィク、こちら〈アサー3〉、180秒後に到着予定。武運を祈る。アウト』

 回収地点まで約300メートル。スミルノフはルギルラ大統領とアフェンシェスキー大使を守りながら夜の町を移動する。

「追手に気を付けろ。光学迷彩を使用しているようだ。民兵とは考えにくい。サーマルに頼れ」

 オリガとベルジータが死亡したことは戦術デバイスで全員が知っている。

 だが、ここで二人の死に悲しむ者はいない。

「熱を見逃すな」

 光学迷彩で姿を隠している敵は完全に姿を消している訳ではない。

 光学迷彩による擬装部位は熱源感知もできないが、むき出しの顔、発砲した銃は熱を放っており、それはこの暗闇において唯一の手掛かりであった。

 問題は敵もそのことを熟知しているはずである。おそらく近接戦闘へは持ち込まず、中長距離戦でこちらの戦力をけずると思われた。

 マリナとアーニャは大統領と大使を守りつつ、暗視ゴーグルで周囲を見渡す。


 ヒュンッ!

 タンッ!


 銃声だ。

 こちらを狙ったもの。

 距離は音から判断して二方向から。約800メートルと約500メートル。方角は西南と北。

「まずいな、はさまれている」

 エカチェリーナはヴァレンティーナとともにしゃがみ姿勢で数発撃ち返し、すぐに位置を変える。


 ヒュン!ヒュン!

 タンッ!タンッ!


「大統領、大使、伏せてください!」

 マリナ達も遠くへ見える敵に向かい、引き金を引くが、手応えはなかった。

「援護する!」

 ヴァレンティーナが伏せ射撃で見えない相手を一人倒したが、敵からの攻撃は一向に弱まらない。

「マグチェンジ!カバーを!」

「了解」

 ヴァレンティーナのマガジン交換をアーニャが援護し、敵の射撃をけん制する。

『シュカーヴィク聞こえるか?こちら〈アサー3〉、90秒後に到着予定。もうすぐだ』

「〈アサー3〉、こちらシュカーヴィク。敵による集中砲火を受けている。急いでくれ」

 残弾も無くなってきた。

「11時に接近する敵!マリナやれ!」

「了解!」

 そんな状況を見計らったかのように敵は別働隊を送り込み、確実にこちらを追い詰めてくる。

 マリナは暗視ゴーグルで約200メートル先に四人の熱源を確認。物陰から顔を出した一人と移動していた一人をそれぞれ倒した。

「標的を二人倒した」


 タンッ!タンッ!タンッ!

 ヒュンッ!


「まだ来る。スナイパーに注意!」

 マガジン交換を終えたヴァレンティーナが再び銃を撃ち始める。

「東から回り込んで来る。気を付けろ」

「多いな。さっきよりも増えている。敵の増援だ」

 アーニャは敵からの銃声が増えていることに気が付いた。

「くそっ。スナイパーはどこに?」

 遠方から狙撃を繰り返すスナイパーは戦場における脅威だ。

 おおかたの方角は分かっているが、マリナは正確なスナイパーの位置を見つけ出せずにいた。

「……敵のスナイパーを見つけた」

 まず一人目。赤く光っている小さな点。

 明らかに周囲よりも熱を帯びている。

 狙撃手を確認したマリナは引き金を引き、三発の弾で標的を無力化した。

「敵スナイパーを一人やった」

 相手は暗闇の中、光学迷彩も使っているため、肉眼では見つけることは不可能に近い。

「いいぞ。その調子だ」

 狙撃手は一人ではない。

 まだいる。

 しかし、探すにはあまりにも余裕がない。

 飛び交う弾丸。

 迫る別動隊。

「ダメだ。見つからない……」

 回収ヘリが到着するまで約60秒。

 一秒一秒、状況は悪くなっていく。


 シュッ!

 シュッ!


「どこからだ!今のは!」

 そんな中、新たな狙撃音。

 アーニャは振り返り、二発の銃声の発生源を探す。

 今までの狙撃位置とは明らかに異なっていた。

「新手か?」

 エカチェリーナが接近していた敵を一人倒し、マガジンを交換する。

「マリナ!どうにかならないか!」

「くっ……」

 敵狙撃手を発見したのはいいが、相手はAC‐80の有効射程を大幅に超える1800メートル先。

「……遠過ぎる」


 シュッ!


 そう。まさにマリナがらくたんしていた瞬間、()()()()()()()()()()

「なにっ!」


 シュッ!

 シュッ!


 狙撃音がさらに二回続き、狙撃音は止んだ。

 この音を最後に謎の狙撃は無くなり、スミルノフの状況は好転した。


 ブルルルル……


 ヘリだ。

 回収ヘリであるMnY‐31〈アサー3〉が空に現れ、パイロットは地上の三人を視認した。

『待たせたな』

 アサー3パイロットとドアガンナーは熱赤外線暗視モードで地上を確認。

 スミルノフには両肩に味方を示すストロボライトが見える。

 そして光学迷彩で姿を透明にしている敵もよく見える。

 彼らは繰り返し発砲したため、銃が高温になり赤色で目立っていた。

『ガンナー出番だ。やっちまえ!』

 パイロットの言葉を合図にアサー3のドアガンナーは5銃身ガトリング式機関銃LGX‐453の引き金を引き、地上支援を開始する。


 ズルルルルッ!


 毎分4千発という驚異的な速度で放たれる12.7x108mm弾の雨。

 次々と敵をなぎ払い、地上の安全を確保していく。

『クリアだ。みんな乗れ!』

 アサー3が着陸し、後部ハッチが下りた。

「こっちだ!」

 ガンナーが地上の三人を招く。

「よし、行け行け!」

 マリナとアーニャは大統領と大使を連れ、すみやかにヘリへ乗り込んだ。

 その後、ヴァレンティーナ、隊長であるエカチェリーナの順でヘリに乗った。

「パイロット、出せ!」

 エカチェリーナの言葉を聞き、パイロットは機体をすぐに上昇を開始させ、アサー3は空へ飛び立った。


 機内では過酷な地上戦を終え、スミルノフの四人は一息ついていた。大統領と大使は疲労からか周囲を眺め、ぼーっとしている。無理もない。

 そんな中、マリナは地上戦における謎の狙撃手について、エカチェリーナへ報告する。

「隊長、敵の狙撃手を倒したのは私ではありません。確かに最初の一人はやりましたが」

「やはり、あの場に第三者がいたのは間違いない……何者かは知らないが、ちょくちょく私達を援護していたな。恐ろしく正確な狙撃だった。暗闇の中、無駄のない狙撃をした何者かが、あの場にいた。大統領の襲撃犯といい、嫌だねぇ……この状況は」

 そう。今回の件はあまりにも謎が多すぎた。

「我々で敵の正体を調べるしかあるまい。これ以上、厄介な話になる前に。とりあえず、今は大統領の護送が最優先だ」

「了解」



 暗闇の中、飛び立って行ったヘリを見上げるスペード9‐2の兵士達。彼らは名目上、ナグルファル・コンダクター社の社員だが、実際はやや異なる。会社の中でも彼らの行動や任務について知っているのはごく一部の幹部だけであり、めいような非合法活動に従事していた。

「ブルズアイ、こちらスペード9‐2指揮官。ターゲットに逃げられた。介入してきたのはロシア軍と思われる」

 ブルズアイへ報告しているのはスペード9‐2の指揮官。彼は回収ヘリの機種から彼らの任務を邪魔してきたのはロシアだと推測した。

『了解した。回収チームは300秒後に到着予定』

「スペード9‐2、了解」

 通信を終えようとしたその時だった。


 ピュウー、パンッ!


 空高く打ち上げられた一発のえいこう弾が炸裂し、地上を光で照らした。

「くそっ何だ!」

 地面にはスペード9‐2達の影がはっきりと伸びている。

 加えて曳光弾のまぶしさにより光学迷彩の輪郭も浮き上がっていた。

「敵襲!2時の方向!うっ……」

「敵だ!」

 続いて銃声が鳴り響き、一瞬で三人の兵士が倒れ、彼らは自分達が狙われていることを悟った。


「こちらルシファー2、情報通り標的を確認。排除する」

 マジェスティック・イージス社のルシファー分遣隊は外部協力者からの情報提供により、敵対関係にあるフィセムの私兵を狩りに来ていた。獲物は光学迷彩を身に付けた極上ものだ。

「各員、連中を滅ぼす絶好の機会だ」

 深夜に飛び交う銃弾と響き渡る銃声。

「ルシファー5、そちらに二人向かったぞ」

『了解だ。始末する』

 地面に伏せて擬装していたルシファー5‐1、5‐4の二人が光学迷彩で姿を消している二人をそれぞれ背後から一瞬で掴みかかり、ナイフでけいどう脈を切断した。

『グッナイ』



「こちらスペード9‐2!敵の攻撃を受けている!敵の規模は不明!応援を頼む!」

『クラブ10‐3がヘリでそちらに向かっている。到着まで240秒』

「ダメだ!もたない!敵は……」

 スペード9‐2指揮官の胴体に多数の銃弾が命中した。

 弾は着込んでいた防弾プレートを貫通し、肺、そして心臓へ。

「くそっ!隊長がやられた!」

 その言葉を合図にしたかのように二発の曳光弾がさらに空へ打ち上げられた。

「ダメだ。まぶしくて暗視ゴーグルが使えない。セーフティだ」

 奇襲を受けたスペード9‐2は指揮官を失いつつもけんめいに抵抗し、ルシファー隊員を三人倒すことに成功していた。だが、ルシファーはこちらの動きを完全に見切っている。

「うわっ!……」

 一人、また一人とスペード9‐2は減っていき、やがて銃声は一つも聞こえなくなった。


「移動するぞ。敵の増援が来る」


 ルシファーは暗闇にまぎれ、戦域から離脱した。

 それから180秒後、スペード9‐2を回収する予定だったクラブ10‐3がヘリコプターで到着。武装した兵士達が周囲を警戒しつつ、現場を確認する。

「隊長、生存者は一人もいません」

「遅かったか。何ということだ……」

 スペード9‐2の全滅は彼らにとって予想外だった。

「こちらクラブ10‐3指揮官。ブルズアイへ。スペード9‐2の全滅を確認した」

 そしてクラブ10‐3指揮官はある死体へ目を移す。

 それはギリースーツを着用したルシファー隊員の死体。

「これより敵の死体の調査に取り掛かる」

 指揮官は死体のそばにしゃがみ込み、装備を念入りに確認していった。




〈ナグルファル・コンダクター社 イズニティ支部、キッティガ基地〉

 世間的にあまり認知されていないが、ナグルファル・コンダクター社はれっきとしたフィセム社傘下のPMSCで、フィセム・グループの財産と土地、そして秘密を守るために働き、イズニティでは政府から正規軍の戦闘任務を委託されてもいた。人工知能も含めた機械による徹底管理によって兵士らは()()()()()()()となっていた。

『デルタ、エコーは5分で出発する。フォックストロットは第三ヘリポートへ』

 ここ数週間で規模を問わずイズニティ国内では凶悪テロ事件が多数発生しており、ナグルファル・コンダクター社はその対応に追われていた。社内では新アフリカ民族解放戦線による犯行と考えられているが、フィセム・グループの上級幹部らは他社による何らかの妨害工作ではないかという意見も出ていた。

『こちらブラボー4、ハリオーク街で交戦中。航空支援を要請』

『ブラボー4へ、こちらHQ。ウィンター3による近接航空支援を行う。標的をマークせよ』

 基地では複数の部隊が出撃準備を整えている。移動用と思われる多用途装輪装甲車や武装した軽ヘリコプターが並び、整備員達は仕事を既に終わらせていた。

『通知。ナンヌカ川で民兵だ。チャーリー中隊、対処せよ』

 民間企業とは思えないほどの武器と兵器の数々。しかし、これでもPMSC最大手のアリュエット・セキュリティ・サービス社には到底及ばないのが現状である。


 ‐こちらシュカーヴィク。カサートカ、聞こえるか?


「こちらカサートカ、感度良好」


 ‐そこから北西に140メートル進め。二階建ての建物だ。標的はその建物にいる。


「カサートカ、了解。移動を開始する」


 スミルノフのマリナはキッティガ基地に忍び込み、敵の動きを注意深く観察する。

 ここは敵地ど真ん中。

 見つかればもちろん命はないだろう。


《ナグルファル・コンダクター社 キッティガ基地への潜入》

 優先度:優先

 重要度:大

 任務種別:極秘

 主任務:エガンゼス司令官から国内情勢とイズニティ軍に関する情報を聞き出す

 副次任務:フィセム・サイバネティクス並びにフィセム・グループに関する情報を入手

 脅威:500人以上(ナグルファル・コンダクター社)

 参加隊員:エカチェリーナ少佐(指揮官)、マリナ少尉(潜入要員)




 3時間前 イズニティ某所

 スミルノフ隊長、エカチェリーナによるこうれいの作戦前ブリーフィング。

 部屋の照明は落とされ、目の前には大きなスライド画面が表示されていた。

 隊員達を前にエカチェリーナは口を開く。


「さて、諸君。ルギルラ大統領とアフェンシェスキー大使から興味深い情報を得た。ここ最近、フィセム・サイバネティクスとナグルファル・コンダクターがイズニティ軍部と組んで新兵器の性能試験を極秘で行っているらしい。それも()()()()()()()()を無視してな。大統領の話ではフィセム・グループはばくだいわいと組織力を背景に政府や軍高官を自由に操っているそうだ。あまりにもその影響は大きく、亡くなった者も少なくない。現状、大統領や彼の側近だけでは政府を動かせない。PMSC、特にナグルファル・コンダクターに対する認識を改めた大統領は同社の規制を強めようとし、逆に命を同社から狙われたと考えていいだろう」


 スライドにはイズニティ各地に展開するナグルファル・コンダクター兵と小型無人陸上支援車両やヘビのように細く地面をはう危険物処理ロボット、鳥のように空を飛行する無人偵察機の写真が映し出された。


「ここら辺は別に驚くようなものでもない。『ああ、無人兵器の実用化が進んだんだな』程度の話だ。問題は次だ」


 次に映し出されたのは武装した人型ロボットだった。


「まさにSF映画みたいな展開だ。試作段階とは言え、高度な敵味方識別能力、危険把握能力を備えており、射撃も問題なく行える。アシモフが見たらさぞかしびっくりするだろう。殺人ロボットだ」

「はっ、SFサイエンスフィクションがノンフィクションの時代に。最高だよな」

 ヴァレンティーナが皮肉をつぶやいた。

「現実はいつでも奇想天外。そういうことだ。上はフィセム・グループが安全保障上の大きな脅威になると判断し、我々にフィセム・グループに対する工作活動を命じた。主な対象はフィセム傘下のPMSCナグルファル・コンダクター社、先端機械工学の大手フィセム・サイバネティクス社、グループの中心フィセム社。本件は我々GRUだけでなくFSBやSVRとも共同で対応にあたる」

「FSBにSVR。余計なお世話だ」

 生粋のGRU隊員であるマリナは両組織とも信用しておらず、むしろ邪魔な存在だと考えていた。

「そういうな。案外、情報源になるかもしれないぞ?」

「それに期待しておきます」

「ここまで民間企業が出しゃばるのも気になるところだ。世界企業連盟についてもさぐりを入れた方がいいかもしれない」




 キッティガ基地ではあわただしくナグルファル・コンダクターの兵士達が走っている。

 彼らは建物の壁に張り付き、壁を伝っていくマリナの姿に気付いていなかった。

 彼女は二階窓ガラスが開いているのに乗じ、素早く部屋の中へ入る。

 部屋は書庫のようだ。


(周囲はクリア)


 消音器を付けたVA4カービンを構え、マリナは廊下へ進む。


 コンッコンッコンッコンッ


 足音だ。

 近づく足音。

 一人の兵士がマリナのいる部屋へ近づいていた。


 バサッ


 扉が開いたと同時にマリナは相手をめにし、そのまま相手を一気に締め上げた。

「敵を一人無力化」

 死体を部屋の中へ引き込み、廊下を確認する。

 隣の部屋には無線機と複数のモニターを見ている通信係がいた。

 マリナは銃を構えて引き金を一回引く。


 うっ……


 そのまま通信係は机へ沈み込み、息を引き取った。

「これは……イズニティ国内ではないな」

 モニター画面に映っているのは無人機からの映像だが、風景からしてこの無人機はイズニティ国外で活動しているようだ。深い緑の森林が見える。

 マリナは机に近寄り、通信係が記録していたメモと書類を手に取った。

「クラブ輸送チームを捜索。輸送機の墜落原因は主翼部品のけっかん……この書類は興味深い。協力して何かを輸送していたのか。積荷が気になるな。それにクラブって何だ?」

 動かない通信係を見つつ、メモと書類を携帯端末で撮影した。



《第三特別輸送チーム 輸送計画書》

 計画責任者 クラブ〈リサ・シュベーフェル〉

 警備責任者 クラブ〈デューゼン・サグ〉


 荷主企業〈フィセム〉

 輸送企業〈クローバー・グローバル・トランスポート〉

 警備企業〈アリュエット・セキュリティ・サービス〉


 積荷〈MIST(ミスト) Type(タイプ)‐B〉〈MIST(ミスト) Type(タイプ)‐K〉〈MIST(ミスト) Type(タイプ)‐T〉

 注意事項〈火気厳禁〉〈衝撃注意〉〈生物災害(バイオハザード)



「さてと……」

 再びマリナは行動を開始。

 階段を下り一階の司令センターへ。

「なっ!」

 マリナの姿に気が付いた通信室の兵士もいたが、マリナは素早く、そして的確に次々と敵を射抜いていく。

「誰だ!」

 腰のホルスターから護身用のハンドガンを引き抜いたエガンゼス司令官。彼は突然の侵入者にたじろいでいた。しかし、彼の銃はマリナの放った銃弾であっさりと手元からおさらば。武器を失ったエガンゼス司令官は震えながら後ろへ後ずさり、両手を挙げて抵抗する意志がないことを示すことしかできなかった。

「はっ。司令官がここまで腰抜けとはね。貴様、今お前達ナグルファルは何を企んでいる?政府やフィセム・サイバネティクスと一緒に何か隠しているだろう?」

 銃を目の前で構えマリナはエガンゼス司令官に尋ねた。

「上の方針なんだ。何も私が企んでいるわけじゃない。信じてくれ」

「いいからさっさと話せ」

「我々は対テロ作戦として今まで以上に国内での活動を進めている。外交的、平和的解決よりも武力による解決法を政府が選んだんだ。政府軍と共同でテロ組織の掃討戦さ」

「なるほど、大統領の暗殺も貴様達がたくらんだことか」

「それをどこから聞いた?あれは極秘作戦だったはずだ……」

「貴様は聞く立場にない」

 ひたいに銃を突きつけ、マリナはエガンゼス司令官を強くおどす。

「そうだ……新アフリカ民族解放戦線をきつけ情報を流した。ここ最近になって武装勢力の勢いが増したのも我々が仕組んだことだ……まもなくこの国の秩序は崩壊する……私にはどうにもできない。私は命令に従うだけだ」

 彼の言葉から感じるに、彼は非道な人間というわけではなく、真っ当な感性を持った人間であろう。立場上、かなり無茶な命令を与えられ、それを忠実に遂行していたようだ。

「フィセム・サイバネティクスがここで何をしている?」

「それは私の権限を大きく超えている。知っていることは何もない。いや、ただ……一つだけ……」

 ここでエガンゼス司令官は少しだけ間を置き、再び口を開く。

「負傷した兵士は〝ジツァーラス〟へ移送するように言われている」

 その言葉を最後にエガンゼス司令官は突然、身体が小刻みに震え出し、ふらつきが大きくなる。足や手に力が入らなくなっているようだ。そして、そのままゆっくりと床へ沈んでいった。

「これは……」

 マリナはすかさずエガンゼス司令官の首筋へ指を当てる。

「脈は無い。死んでいる。これは病死か?ちっ、とりあえず引き上げだ」

 エガンゼス司令官の突然死はマリナにとって予想外だったが、とりあえずやるべきことはやった。今最優先で調べなければならないのはジツァーラスだ。

「こちらカサートカ、シュカーヴィク聞こえるか?」


 ‐こちらシュカーヴィク。カサートカ、報告しろ。


「入手した資料をアップロードする。確認してくれ」


 ‐了解。データを受け取ったぞ。


「エガンゼス司令官は死亡した。病死と思われるが、詳しい死因は不明。なお、司令官によれば負傷した兵士はジツァーラスのフィセム施設に移送されているとのこと」


 ‐軍病院じゃなくて民間企業の施設へ負傷兵を運ぶとは。かなり臭うぞ。現場にはジラントを向かわせよう。カサートカ、お前は撤退しろ。


「了解。これより撤退を開始する」


 忘れてはならないが、ここは敵陣のど真ん中。ナグルファル・コンダクター社の基地内である。マリナはVA4カービンを手に建物から外をうかがう。


『全戦闘員へ通達。国内でマジェスティック・イージス社の動きが確認された。各員、気を引き締めろ』


「全く、こいつらは一体何と戦っているんだ?」

 本来PMSCの仕事はきゃくに忠実なはずなのだ。しかし、ナグルファル・コンダクター社は顧客であるはずのイズニティ政府や大統領の意向を無視し過ぎている。

「嫌な予感がする」

 エガンゼス司令官はこの国の秩序が崩壊すると言っていた。そのようなことをしてナグルファル・コンダクター社、その親会社であるフィセム社に経済的利益があるとは到底思えなかった……




〈時刻1532時。イズニティ、ジツァーラス〉

「こちらジラント。目的地に到着した。これより調査を開始する」


 ‐こちらシュカーヴィク。ジラント、気を付けろ。どうもフィセムの動きは油断ならない。


「ラジャー」


 イズニティ北西部の都市ジツァーラス。ここに置かれているのは秘密のベールに包まれたフィセム・サイバネティクスの新技術研究施設。社内ではセクター1の呼称で知られているこの施設は表向き手術用高性能マニピュレータや知覚型義手、生体機能補完デバイスの研究をしている。これらの技術はここ数年で驚くほど飛躍しており、その技術レベルは競合企業であるヒューザ社も危機感を露わにしていた。

「さてお前達、一体何を隠している?」

 アーニャは銃をたずえ、セクター1への偵察を開始した。

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