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作者: 千百

 二学期が始まっても、冬子は学校に来なかった。千夏は昼休みになると、仕方なく学校の屋上に行って、一人で昼食を食べた。一学期が終わるまでは、冬子と購買部で餡バターのパンと牛乳を買って、教室で食べていた。だが、冬子はいない。そしてひそかに、冬子は夏休みの間にアルバイト先で出会った男と駆け落ちをしたのだという噂が語られていた。


 見上げた空はいやに高く、澄んでいた。白い雲がすっきりと輝き、秋の始まりそのものといったふうだった。千夏の父は昔から、東北の夏は盆を過ぎれば終わるんだと言って憚らなかった。母は大袈裟だと笑ったが、今日初めて千夏は、父の言う通りかもしれないと思えた。

 冬子は、一番の友達のはずだった。冬子の失踪について、千夏は同級生たちからいろいろと訊かれたものの、何一つ答えられないことがショックだった。同級生たちもまた、何も知らされていない千夏に困惑していた。

 千夏は夏休みの間に幾度か冬子と遊びに出掛けたが、アルバイトをしていたことさえ知らされていなかった。当然、失踪をにおわすものなど感じるはずもなかった。ただ、夏休みが明けて学校に来てみると冬子はいなくなっていて、代わりに不可思議な噂が囁かれていた。千夏は、自分ばかりが置いてけぼりをくったような心細さを感じた。それはやがて来る秋の気配と相まって、いっそう感傷的な気分にさせるのだった。

「私、明日、誕生日なのにな」

 千夏は、声に出してつぶやいてみた。我ながら実につまらなさそうな声が、青い空に吸い込まれていった。中等部の頃から毎年、千夏の誕生日はいつも冬子と一緒だった。駅前からバスに乗って郊外のモールまで出かけてお昼を食べ、そのあとはぶらぶらと店を見て回り、おやつにアイスクリームを食べる。とくに、普段と変わったことをしているわけではない。それでも、その日が誕生日というだけで特別だった。今年も、誕生日は冬子と一緒にいられるものだと信じていた。

 冷たい風が吹き抜けていった。秋の匂いがした。日差しが強くて眩しかった。千夏は立ち上がると制服のスカートを手で払い、教室に戻っていった。


 日曜の朝、起きてみると家には誰もいなかった。時計を見ると十時を過ぎている。母は朝から仕事で夜にならないと戻らない。弟は部活か、遊びに出かけているのだろう。千夏は歯を磨きながらベランダに出て、遠くに見える高速道路を豆粒ほどの車が走っているのを、しばらく眺めていた。毎朝の習慣だった。そして親せきから送られてきたチョコレートの箱を抱えてソファに座ると、テレビをつけた。千夏は今日、十七歳になった。


 だらだらとバラエティを見ていると、テーブルの上の携帯電話が鳴った。電話の着信だった。千夏はのろのろと立ち上がり画面を確認すると、冬子の名前が出ている。千夏は、慌てて電話に出た。千夏が口を開くより先に、冬子の聞きなれた声が耳に飛び込んできた。

「もしもし。久しぶり、千夏。誕生日おめでとう」

 拍子抜けしそうなほど、冬子はいつもの冬子だった。千夏はびっくりした。

「冬子、今までどうしてたの?何回電話かけてもつながらないし、おうち見に行っても誰もいないし。心配してたのよ」

 冬子は電話の向こうで、くすくすと笑った。

「ごめんね。家族で、おじいちゃんの家に行ってたの。そしたらおばあちゃんが怪我しちゃったり、いろいろあってね。始業式に間に合わなかったのよ」

「…そうなの?」

 千夏は、学年じゅうにはびこっている噂を思い浮かべ、妙な気になった。冬子は、本当のことを言っているのだろうか。冬子は相変わらず興奮気味にしゃべり続けている。

「そう。それはもう、大変だったんだから。まあ、全部あとで話すわ。それより、誕生日なのに遅くなってごめんね。どこで待ち合わせる?」

 千夏は目を丸くした。ほんとうに冬子は、これから誕生日を祝ってくれるつもりなのだろうか。

「いいの?大丈夫なの?」

冬子が呆れたように言った。

「何言ってるのよ。前から約束してたじゃない」

 雫はほっとした。以前までの日常が、一気に戻ってきたような気がした。すぐに冬子に会いたかった。

「じゃあ、駅前広場でいい?」

「うん。すぐ出るから」

 電話は切れた。あれだけ待ち焦がれていたのに、いざ電話がかかってきて冬子の声を確かめてみると、なんだか、じつに呆気なかった。それでいて千夏は、まだ夢の中にいるような深い安堵に包まれていた。千夏は、もう一度ベランダに出た。あたりは、いかにも日曜日の午前といったのどかな空気だった。どこからか子供の遊ぶ声が聞こえるが、あたりを見ても誰もいなかった。千夏は幸せを感じた。それは、冬子の駆け落ちの噂が胸に落していた翳りを吹き払うのには、充分すぎるほどだった。


 千夏ははじかれたように部屋にとってかえし、身支度にかかった。まだ一日は始まったばかりだし、なんといっても今日は誕生日なのだ。そして何より、一番の親友が帰ってきたのだ。他の誰でもない、私のもとに。千夏には、それこそが何を差し置いても祝うべきことに思えるのだった。

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