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福井先生の法律コラム  作者: 門庭福樹
1/3

1節 スマホを没収するのは違憲では?


 内線電話に二○一からコールがかかる。

 一番、目にしたくない番号からだった。居留守にしようかと思ったが、ほかの教員の手前もあるのでしぶしぶ出る。 


 「はい、普通科です」


 「あー、もしもし? 教頭です。福井先生はいらっしゃいますか」


 「あ、教頭先生。福井です」


 とたん、受話器の向こう側から脂っこい声がして、げんなりする。教頭の百キロはありそうな体型を思い浮かべてしまう。


 教頭からの電話はろくな用件でない。

 まだ、最初から仕事を丸投げしてくれるならいい。ところが彼は、自分で処理しようと抱え込む。そして、期限のギリギリになって下におろす。最悪だ。


 だから経験則上、反射で二○一からコールがかかると警戒してしまう。


 「あのね。福井先生に、お願いがあって」


 教頭の猫撫で声に背筋がぞくりとした。処刑を待つ死刑囚の気分だ。

つい急かしてしまう。


 「なんでしょう」


 「先生、新聞部の顧問でしたよねえ」


 うちの高校では原則として、教員は運動部と文科系の部活をひとつずつ担当することになっている。わたしの場合、バレー部の副顧問と新聞部って具合に。部活顧問を決めるのは教頭の仕事なので、あんたが把握してないのかよ、と突っ込みたい。


 教員の出世に仕事の優劣の関係ない。愛嬌だけで出世した典型が、うちの教頭だ。自分が決めたことを忘れていても、おかしくはない。


 「はい、そうですが」


 「そうですか、それはよかった」


 にぃと、いやらしい笑みを浮かべる姿が想像できた。


 「それがどうかしましたか」


 ――木製の手すりがささくれているから補修しておいてくれ。職員会議に載せた職員の名前が間違っていたから訂正のシールを貼ってくれ。あ、百二十部だけだから。体育館裏に家が隣接している林さんから騒音の苦情が。南高校の難波先生が遺産相続でもめているみたいだから相談にのってあげて。

 走馬燈のように、今までお鉢が回ってきた仕事の数々が浮かぶ。


 徐々にエスカレートするお願い。はたして今回はなんだ。身構えたところに、予想外の言葉がやってきた。


 「先生、法律コラムを書いていただけませんか」




 もとより、福井少年はあきっぽい性格だった。


 幼少期から、よく色んな習い事に手を出したが、長続きしたものはなかった。高校受験の直前に通った学習塾が最長ではないだろうか。


 「あんたは三日坊主なんだから。好きにしなさい」

 

 よく母はそう言って嘆息した。

 ところが、人生で衝撃の出会いをする。

 高校に入学したてのころだった。由良駅前の本屋で、とてもきれいな女性が雑誌を立ち読みしていた。一目惚れだったと思う。


 結局、声をかける勇気もなく、通り過ぎてしまったが、彼女が手にしていた『判例百選』と、それを書いた研究者の「松本薫」という名前だけは、やけに色濃く記憶に残った。

 第二の出会いは、それからちょうど一年後だった。


 センター対策という名目で、母が購買しはじめた新聞の朝刊をななめ読みしていたときだ。ふと、松本薫という名前が目に留まった。


 いまなら、

 「クードフードォフ!」

 と叫んでいただろう。


 雷に撃たれたように電流が走った。同時に、あのとき立ち読みしていた、彼女の容姿がフラッシュバックした。あろうことか、この松本薫なる人物を、あの女性だと思い違いした。


 わたしの進むべき道は、これだ!


 当時、理系クラスに所属していたが、担任に進路を文系に変更すると言った。

 

 担任は言った。


 「どうすんだよ、数学部は、数学オリンピックは!」

 「勉強に集中したいので、やめます」

 「本音は?」

 「恋です」

 「なら、許す!」


 担任で数学部の顧問でもあった岩崎先生は、変な先生で有名だった。よく授業で、


 「紳士として恥ずべきことを除いて、おもしろいことはすべて許される」


 と口にしていた。


 両親の大反対にあったが、岩崎先生だけは応援してくれた。


 こうして、わたしは志望大学に進学を果たして、四年間の汗臭い努力と埃まみれの図書館にこもった末、学士(法学)となった。

 

 「で、先生はけっきょくどうして先生になったんですか」


 東棟の四階には視聴覚室がある。長机をふたつ、ひっ付けたその向かいで、ショートの黒髪が揺れる。


 「法学部ですって話すと、『弁護士めざしてるんですか』って訊かれるのが嫌だったから」

 「じゃあ、なになりたかったんですか?」

 「……内緒」

 「ケチ」


 加藤希はぷうと頬を膨れさせる。華奢な体格に整った顔がのっている。瞳が大きくて、小動物のようでもある。


 加藤は新聞部の部長をしている。二年三組出席番号六番。唯一の、新聞部の部員でもある。


 「それはともかく、こんなに質問ってあるのか」


 長机の上には、A四用紙が五枚ホッチキス止めされている。そこにびっしりと、文字が並ぶ。

 

 「あたしも予想外、キャパオーバーですよ」


 教頭の提案――ことの発端は加藤にある。

 加藤希は考えた。四月の新入生の獲得競争に敗れ、来年は部員ゼロの蓋然性が高い。半年ごとに発行する「安芸音高新聞」も読まれていない気がする。


 このままでは新聞部がやばいのではないか。

 来年は廃部じゃないのか。

 それはイヤだ。


 そこで、彼女は新聞部の大改革を断行した。


 「SNSマジ怖い」

 「今週末、SNS講習だからしっかり聞いとけ」


 彼女は、自身のTwitterを駆使することにした。


 題して、『安芸高ぼっとン』

 〈安芸高で話題のあれこれを、報道するよ! ズバリ、みんなが学校にききたいこと安芸高新聞でアンサーします!〉


 そんな軽口を書き込んだのが運の尽き。これが大反響を呼び、質問が集中豪雨のように流れ込んだ。


 そのなかでも、悩みの種となった質問が「MONO3020さん」からの、

 〈先生質問です。現代社会で、基本的人権には財産権があると習いました。警察は犯罪者の持ち物を取るとき、令状が必要なんですよね? 前に、私は授業中に、先生にスマホを没収されました。これって、先生でも令状がいるんじゃないですか? 憲法違反ですよね?〉

 という質問だった。


 あろうことか、加藤はこの質問を教頭にぶつけた。物理を専門に、三十幾年教師を全うしてきた教頭――このとき、校長戦略予算をいかにして獲得するか、で頭がいっぱいだった――に、この質問はいささか難しすぎた。


 結果、お得意の、今日できることは明日もできる、ということになった。つまり後回しだ。


 しかし、お得意の戦法は今回ばかりは通用しなかった。


 「安芸高、面白い取り組みしているそうですね。なんでも、学校への疑問に答えているとか」


 教頭会の終わりに、由良市教育長から呼び止められたという。ネットの世界は恐ろしい。巡り巡って噂が、教育委員会の耳にはいった。教頭はこのとき、なんの話か分からなかったらしい。とりあえず、その場を取り繕って、


 「ええ、たいへんなんです」


 と口にしてしまったそうな。


 由良市は、政令指定都市のなかでも抱えている学校数が多い。それもあってか、教育長の知名度も高い。


 名前を、加藤栄という。

 もちろん、偶然ではない。加藤の母方の祖父と聞いている。


 「加藤。おまえなにかしただろ」


 「やだな。おじいちゃんとしばらく会ってないです」


 本人の弁を信じることにしたが、詰将棋を眺めている気がする。


 ともかく、慌てた教頭は、後回しになっていた課題に取り組む。ところが、ほどよく発酵して膨れ上がった質問は、手に負えるものではなかった。


 わたしは教頭の、素直さだけは尊敬している。手に負えないなら、ほかに回そう。こうして、窮鼠は猫を噛む。教頭のなかで、福井に任せようと決着がついたらしい。


 「それにしても、法律コラムか」


 色んな思惑が見え透いている。素直に、生徒からの質問に答えるコーナーとしてしまうと、思わぬ一言で、学校の意見だと、揚げ足をとられかねない。


 かといって、当たり障りのない質問だけを、輪番で回答者を担当するとなれば、生徒、教職員からバッシングをくらう。


 あくまで主導権はこちらに。法的な質問にかぎったら、福井がどうにかするだろう。いや、あくまで新聞部の企画だから。顧問だから仕方ないよね。ネガティブな勘ぐりばかりが浮かぶ。


 「で、先生どうなんですか?」

 「なにが」

 「スマホの件です」


 ほかに程よい質問がないか吟味するが、やはり、スマホ没収に関する質問が一番それらしい。それらしいとは、みんなが疑問を抱きそうで、法律っぽいって意味だ。


 「ん、わからん」

 「法学士なのに?」

 「いまは、わからん」


 加藤は不思議そうな顔をする。民法が専門だから、憲法のことは調べないと、そこまで詳しくない。言ったところで、加藤――高校生にしてみれば、すべてが「法律」なのだ。法律を勉強していた先生は、「法律」なら何でも知っていると思っているのだろう。


 「今日帰りに図書館に寄る」

 「市立図書館?」

 「いや、由良大の」

 「あたしも行く!」


 いや、電車代かかるし。勤務後に、生徒を連れて出歩くのは勘弁してほしい。リスクが高すぎる。まず、生徒との不適切な関係――交際を疑われる。それから、安全配慮義務が重くなる。つまり、部活動の一環で学外に連れ出すのだから、万一、彼女がトラブルに巻き込まれた際、引率教員の過失が問われる。


 拒絶の言葉を積み上げるが、加藤は不敵にほほ笑む。


 懐からICカード乗車券――もとい「PiTaPa」を出す。


 「家から、部活動の遠征費は助成されるのです」


 さいで。

 最初の一言しか、彼女の頭には留まらなかったらしい。あとは耳を通過したのか。おまえの頭は鈍行しか止まらない田舎の駅か。

 思っても口にはしない。


 「『犬のほうがおりこうさん』は暴言、不適切な指導になるからな」


 「なんの話ですか?」


 「東京都の話(★①)だよ」



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