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森の大きなクマさんは  作者: ふとん
8/22

金髪美女が苦手

 雨のあとはしばらく晴れが続いたが、まだ手紙の返事は来なかった。

 ウルとテオの生活はいたって平和に続けられていたが、


「ご、ごめんなさい!」


 ウルは最近おかしい。

 今だってテオに紅茶を注ごうとして失敗した。カップから外れた紅茶は幸いテーブルクロスを汚しはしなかったものの、ソーサーにたっぷり注がれた紅茶はどうしようもない。


「かまわない」


 テオは怒らないが不思議そうにウルを見返してくる。髭面の表情はよくわからないものの、何となく「どうした?」と問われているようで、ウルは居心地が悪くなって「すみません」と繰り返した。

 近頃こうした失敗が多いのだ。

 洗濯物を干し忘れたり、鍋を火にかけたままだったり、玉子を割り過ぎたり。

 小さなことだが重なるとまた話は別だ。

 その上何となくぼーっとする時間が増えて日々の仕事が片付かない。


「疲れているなら休んでいいぞ」


 およそ他人に無関心で無愛想なテオにまで心配されてウルはいたたまれない。

 その原因がテオだということを言えないからだ。

 何となくぼーっとしている時間に何を考えているのかといえば、いつもテオのことを考えている。

 何でも食べる彼だが香りの強い香草は苦手なようだとか、紅茶を飲むとどうしても水滴が垂れる時があるのでさりげなく口元を拭うだとか、どうでもいいようなよくないようなことを思い返しているとすぐ時間が経ってしまうのだ。

 

(いけないわ。しっかりしないと!)


 朝食の後片付けをしながらウルはそう気を引き締めた。


 だがその一時間後、森の屋敷に招かれざる客がやってきた。




「あなたたち、どういうことなの!」


 森の屋敷に到着するなり開口一番に金切り声を上げたのは、豪奢な金髪の美女だ。きりりと釣り上がった猫のような瞳は紫水晶を思わせるように煌めいて、散策用の比較的地味なドレスのはずだが都の流行のドレープをたっぷり使ったドレスやレースの手袋が手にする小物しか入らないような小さなバッグは田舎の森では浮いていた。


「……と、とりあえず奥へどうぞ。ユーディ姉さん」


 この女性こそ、ウルをこの屋敷へ導いた叔母のユーディトだ。

 ユーディトはウルを上から下まで眺めて溜息をつく。何かいけなかっただろうかとウルは思わず身構えたが、ユーディトは苦笑した。


「怒るのはあなたにじゃないから、安心して」


 最初の剣幕を押さえてユーディトはウルをいつものように撫でてくれる。ユーディトは派手好きで押しの強い女性だが、愛情深い女性なのだ。

 そうしているとウルの後ろからのっそりと髭面の男が顔を出す。ユーディトはウルに見せた慈愛の表情をさっと消して彼を睨みつけた。


「テオドール、あなたどういうつもりなの! 借金のカタにこの娘を働かせるなんて!」


 ユーディトの甲高い声にテオはうんざりと肩をすくめた。


「……話は奥で。あなたの声で森の外にまで洗いざらい知れ渡りそうだ」



 テオにも促されて応接間へと場所を移すと、ユーディトはウルに茶も入れさせず、テオと揃って自分の向かいに座らせた。


「――それで、これはどういうことなのか説明してもらおうかしら」


 ユーディトは応接間のテーブルに二通の手紙を並べた。

 それはテオが兄夫婦へあてた手紙と、ウルには見覚えのある文字の手紙だった。


「これ、もしかしてラグナから…?」


「そうよ。相変わらず賢い子ね」


 ユーディトに読んでいいと言われてウルはラグナからユーディトにあてられた手紙を手に取る。ラグナはウルのすぐ下の弟だ。十六歳ながら賢い子で、皮肉屋だがいつもウルを心配してくれる。


 ラグナからの手紙にはこうあった。

 姉から借金をしたという手紙がきたこと、ユーディトの紹介に食い違いがあること、それがどういうことなのか確認してほしいこと。そしてこのことはまだ両親には明かしていないこと。

 どうやらウルからの手紙はラグナがまず受け取り、彼が真っ先に読んで手紙のことを黙っているらしい。


「私もちょっと忙しかったからここへ来るのが遅れてしまったの。ごめんなさいね、ウル」


 ユーディトはウルを気遣うように言い、テオには「それで?」と冷たい視線を放つ。


「年頃の娘を娶りもせずこんな森の奥に閉じ込めておいた弁解はあるのかしら?」


「……そもそもの発端はあなたが勝手に婚約者を寄越すと手紙を押し付けてきたからだろう」


 テオの溜息混じりの解答に「だって!」とユーディトは返す。


「あなたったらラウレンツ様の心配も他所にいつまでもふらふらと! あげくにその年で隠居ですって? いい年をして働かないなんて恥を知りなさい」


 ユーディトの詰問は耳に痛いものだったのか、テオは嫌そうに顔をしかめたが黙りこみはしなかった。


「仕事は元々折を見てやめるつもりだった。その時ちょうどこの家の相続権が手に入ったから住まいを移しただけだ。あなたに咎められるようなことは何もない」


 テオの解答は何の変哲もない屁理屈のようだったが、ユーディトは軽く息をついて表情を緩めた。


「取り壊しが決まっていたこの家を買い取ったと聞いたわ。維持が必要なら自分でやるとあの兄上たちに豪語したらしいじゃない」


「……こだわって作られた家だ。壊す必要は無い」


 子供がよく照れ隠しするようにテオは少し目を伏せる。その様子にユーディトは今度こそ呆れたように溜息をついた。


「あのうるさい兄上たちに楯ついてまで決めたことですものね。でもウルのことは違うわよ」


 急に水を向けられてウルはびくりと身を竦ませる。「あなたはいじめないわよ」とユーディトは笑うがユーディトが怒ると恐いのだ。

 しかしテオは平気な顔で「手紙の通りだ」と返す。


「それで済む話じゃないでしょう! よそ様のお嬢さんを何の理由もなく働かせるなんて」


「り、理由ならあります」


 ウルは思わず割って入った。するとテオとユーディトがウルを見遣る。大人二人に視線を向けられると腰が引けてしまいそうになるが、ウルは腹に力を入れて踏ん張った。


「私が無理に頼んだんです。借金をするなら返していかないといけないでしょう? だから手紙の返事が来るまでのあいだここで働いて少しでも返そうと思ったの」


 ウルは必死だった。ユーディトの理屈も分かるのだ。いくら借金があるからといっても若い娘を働かせているのは外聞が悪い。テオだけでなくウルの実家やユーディトにも迷惑がかかるかもしれない。だからウルが働かせてもらっているのはまったくのテオの厚意によるものであって、彼が悪いことは一つもないのだ。


「ウル、あなた…」


 ユーディトはウルの顔を眺め、少し目を瞠ったが何も言わないで口元を緩めた。それを見計らってウルは「それに」と続ける。


「私も、話がややこしくなったきっかけはユーディ姉さんの手紙だと思うの」


 ウルの指摘にユーディトは「うっ」と小さく呻いた。ユーディトが嘘をついたりしなければ、テオとウルが暮らすことになどならなかったはずだ。


「それは…私の落ち度だわ。ごめんなさい」


 ユーディトが素直に謝ると、隣で様子を見ていたテオが驚いた顔をする。


「あなたでも謝ることがあるんだな」


「……そういうところが私に口うるさく言われる原因だと考えないの?」


 テオの呟きにユーディトが彼を睨む。ユーディトとテオの相性は良くないらしい。だが二人が大人だからだろうか。テオの背格好に肉感的なユーディトは艶やかでお似合いだ。

 同じ年頃と比べても痩せているウルとは大違いだ。


「とにかく、お金のことに関してはラウレンツ様から手紙を預かっているわ。手続きまでに時間がかかるからまだここにウルを置いておく必要があるみたいなんだけど」


 ユーディトはそう言ってテオに手紙を渡すと、彼はすぐ手紙を開いて読み始める。


「ユーディ姉さん、こういうことなら手紙をくれた方が早かったんじゃないかしら」


 手紙の方がこの田舎の森まで足を運ぶ必要はないのだ。けれどユーディトはウルににっこりと微笑んだ。


「あなたの顔を見たかったの。可愛いウル」


 奔放だがこうやって人懐こいユーディトは人から好かれるのだろう。

  

「――なんだ、これは」


 テオが読んだ手紙をテーブルに投げ捨てる。いったい何が書いてあったのかテオが珍しく不機嫌だ。

「私も内容を知らないんだけど…」とユーディトが脇から手紙を取り上げて目を通す。


「まぁ、あなた。これ宮廷の園遊会の招待状じゃない」


 ユーディトがウルにも手紙を見せてくれるのでウルも紙面に視線を落とすと、ユーディトの夫でテオの叔父であるラウレンツからの手紙はこう記されていた。


「……借金の証文が欲しければ、園遊会に参加しろ?」


 手紙には借金の話は分かったがその証文を作って欲しければ同封の招待状で園遊会に参加しろというものだった。これではまるで今度はテオが質をとられてしまったようだ。


「…何を考えているんだ、叔父上は…」


 テオの呻きはよく分かる。金を貸すためにテオがさらに質をとられてしまうというのは本末転倒だ。


「でもよく考えてみなさい。あなたの職場復帰に良い機会よ。ラウレンツ様がわざわざ用意してくださったんだわ」


「復職は考えていない」

 

 テオはいつになくはっきりと言葉にした。

 ユーディトはそんなテオを怒るでもなく眺めたが「まぁいいわ」と席を立つ。


「とりあえず私の方から今日のことは報告しておくわ。しばらくウルのことよろしくね」


 早々と帰ろうとするユーディトだが、ウルはまだ茶も出していない。


「待って、お茶ぐらいは飲んでいって。ユーディ姉さん」


 引き留めるウルに、ユーディトはテオをちらりと見遣って「少しだけもらおうかしら」と腰を下ろす。

 ウルはユーディトの気が変わらないうちにとお茶の用意に台所へ向かった。



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