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森の大きなクマさんは  作者: ふとん
7/22

心配性で大きな手

 来客があった日から数えて三日経ったが、テオの手紙にもウルの手紙にも未だ返事は来なかった。


「そう気を落としなさんな。手紙なんてのんびり待てばいいよ」


 森の入口まで行商にやってきたおじさんにそう励まされてウルは無理矢理笑みを作った。

 このおじさんはウルを森まで馬車に乗せてくれた人で、時々行商がてらに様子を見に来てくれるのだ。


「また話しているのか」


 のっそりと家から出てきたテオは行商のおじさんとウルが喋っていると不機嫌だ。


「そう妬くなよ、旦那。嫉妬深い男は嫌われるよ」


「違う」


 おじさんの軽口を一言で断ち切って、テオはおじさんが持ってきた玉子の代金を払ってさっさと追い払ってしまう。


「お前も余計な話をするな」


 ウルに向き直ったテオの言葉は突き放すようで、ウルはつい口を尖らせる。


「余計なことなんて何も…」


「手紙のことから何を話した?」


 手紙はウルとテオの借金の約束を繋ぐ大事な要だ。油断すればふと余計なことまで話してしまうかもしれない。

 テオの心配はよく分かる。分かるが、言い方というものがあるはずだ。

 わがままだと分かっていても納得しきれないで、ウルが不機嫌なまま朝食のオムレツを食べ終えるとテオはこんなことを言いだした。


「リンゴや野イチゴの花が見られるぞ」


 森の奥に温かい場所があって、早くに花が見られるのだという。

 どうして今そんな話をするのかとウルは思ったが、テオはそれきり片付けに戻ってしまった。


(見に行ってもいいということかしら)


 だとしたら出て行けと言われないだけマシだ。

 ウルは気持ちを切り替えるべく台所からパンや具材を拝借してサンドイッチを作り、台所の戸棚から見つけたバスケットに詰めた。

 屋敷の裏口からそろりと出ると、今日もテオが薪割りをしている。   


(やっぱり愛想が無いのよね)


 今日も気持ちいいぐらいの快音を響かせて薪を割るテオの背中を見遣ってウルは少し口を尖らせる。長くもないが短くもない時間を一緒に過ごしているというのに、テオと雑談に興じるということはほとんどない。会話の無い夫婦だってもっとマシな会話をするのではないかと思うほどだ。

 ましてやウルとテオはただの同居人だ。意思疎通もあったものではない。


「出掛けるのか」


 薪割りをしていたはずのテオが不意にこちらを振り返るのでウルは少し驚いて「はい」と頷く。テオは愛想は無いくせにやたら気配に敏いのだ。


「あまり遠くへ行くなよ」


 それに子供扱いもやめない。

 ウルは「分かってます!」と返事をして森の奥へと歩き出した。


 少しわだちの出来ただけの道を行けば、木々の合間を縫うように咲く花々や晴れの日差しを葉が受け止めてきらきらと輝く木々がウルを迎えていたが、ウルの心を占めたのは無愛想な同居人のことだった。


 テオはウルを子供扱いして憚らないが、それを除けば彼は非常に紳士的だ。そんな彼をウルは嫌いになれないが、テオの方はどうだろう。

 メイドとして働くと言った以上、家事の手伝いぐらいはしているつもりだが、はたしてそれがテオの役に立っているのかというと首を傾げるところなのだ。テオは自分で何でもやってしまうし、料理の腕は悔しいけれどウルより上手だ。胃袋をすっかりつかまれてしまったのはウルの方で、テオがウルと同居して恩恵を受けているというようにも見えなかった。


(最初から迷惑だって言われていたもの)


 テオから言わせれば何を今更かと言われてしまいそうなことだが、ウルはようやく彼の言葉を理解したような気分だった。

 迷惑だ、面倒だという言葉を自分で自覚することは思った以上に心に重く響いてくる。  頭では分かっていることだが小さなわだかまりはウルの中でしみのように広がっていくようだ。


(……私、いったい何をしたかったのかしら)


 今だってメイドとしても働かずに森の奥までやってきている。

            

(私って、ものすごく子供なんだわ)


 仕事を完璧にこなすことも出来ないし、従事することも出来ない。

 不真面目な方でもないと思うが、やっぱりどこか甘えん坊だ。

 何事も手を抜かないテオに比べるとウルはやはり子供なのだと思えてしまう。


 実家に居た頃はやることだけはたくさんあった。

 弟妹の面倒に家事、母の手伝いに父の手伝い。村に畑の手伝いに行くこともあって、ウルの日常は目まぐるしく、それでいて穏やかに過ぎていた。 

 それが母の病や父の借金で容易く崩れてしまうとは思いもよらなかった。


 わだちの道を進むと木々が急に開けて明るくなった。

 

「わぁ…!」


 なだらかな丘の下で白い花がふわりと揺れている。森は丘の上にあって、ちょうど足元に花が見えるのだ。

 青い空と白い花が広がり、りんごの木までには小さな野花が咲いてまるで花の道となっていた。


(みんなに見せてあげたいわ)

 

 ウルがまず思ったのは実家で今も忙しくしているはずの家族のことだった。

 家族はウルが働きに出ることに同情してくれたというのに、ウルはこうやってのんびりと過ごしている。


(どうしたらいいのかしら)


 もっと上手いやり方があるはずなのに、闇雲に探しても何も見つかりそうにない。

 風になびくスカートを押さえつけてウルは花畑に座りこむ。

 毎日洗濯された服を着て美味しいごはんを満足に食べられているウルは贅沢者だ。

 弟妹は今日も節約料理でお腹を満たしているというのに。


(もっと早く大人になりたい)


 そうすればもっとウルだって出来ることが増えると思うのに。

 目の前には素晴らしい景色が広がっているというのに、ウルはうずくまって顔をスカートに押し付ける。

 

 やることがたくさんあるのはいい。余計なことを考えなくて済むから。

 どうしようもないことがあることに気付くと、心が重くなる。


 ウルは顔を上げて白い花の地平を眺めた。

 とても綺麗だと思うのに心は軽くはならなかった。


「……頑張らなくちゃ」

 

 口癖のような言葉を自分に向けてみるが、虚しく青空に消えていく。

 それが悔しくて、ウルはまだ昼でもないのにバスケットを開けて自分で作ったサンドイッチを頬張るが――美味しくない。


 ウルはやりきれなくなって、サンドイッチを無理矢理お腹に押し込めてそのまま花畑に寝転んだ。





――それからどれほど眠っただろうか。


 ウルは顔にぽつりと冷たい滴を感じて飛び起きた。

 見上げればあれほど晴れていたはずの空は真っ暗だ。

 どんよりとした雲からはぽつぽつと雨粒がしたたってきている。

 ウルが慌ててバスケットを手に立ち上がる頃には、ざぁっと一息に雨は降り出した。


 森へと走って逃げ帰るが、もうウルは頭からびしょ濡れだった。

 皮のブーツは水を吸い、洗濯したばかりのワンピースはどんよりとくすんでいる。


(道が…)


 木漏れ日に溢れていた森は穴蔵のように薄暗くなってわだちの道がほとんど見えなくなっていた。影のようになった木や草はまるで今にもウルに襲いかかる魔物のようにも見えた。


(早く帰らないと)


 わだちの道を歩いていては、すぐには帰れない。

 ウルは屋敷の方向にあたりをつけて森へと分け入った。


――どうしてそんなことをしてしまったのか。

 普段であれば、森の道を外れれば迷ってしまうことは分かり切ったことだというのに、今のウルは気付かなかった。

 早く帰りたいと気ばかりが焦っていたのだ。

 だから見知らぬ景色ばかりが続いて、自分が歩いている方向さえ見失った頃、ようやくウルは自分の失敗に気付いた。


 右を見ても左を見ても、見覚えのある木も枝ぶりもない。


(どうしよう)


 とんでもなく馬鹿な失敗だ。

 ウルはとうとうその場に立ち尽くしてしまった。

 ざぁざぁと降る雨の音がどこか遠く、それでも容赦なく雨粒はウルを打つ。

 濡れ切ったウルの吐息はいつのまにか白くなっていた。まだ寒いのだ。


(何を勘違いしていたの)


 春は近いといってもまだ春ではないし、りんごの花はウルの実家ではまだ咲かない。

 ウルは知らず知らずのうちに唇を噛んだ。

 自分が情けなかった。

 こんなことで失敗する自分に腹が立ったし、簡単なことで道を誤ってしまう自分がひどく情けなかった。

 そして、全部自分が悪いのに子供のように泣きそうになることにも、怒りを通り越して呆れてしまいそうだった。

 ウルは子供ではない。けれど、大人でもない。

 何でも出来るふりをして、少し不安があると立ち竦んで動けない中途半端な子供。

 それがウルだった。


(今、こんなこと気付かなくてもいいのに)


 ウルは長女で、近所でもしっかり者と評判だった。

 皆に頼られていい気になっていた。


(どうしよう)


 早く帰らないといけないのに、ここが何処かも分からない。

 泣きそうになるのをこらえながらウルが歩き出そうとすると、木の後ろからざっざっという足音がする。

 こんな森の奥に誰かいるのか。

 しかしここは人里離れた森の奥だ。


(もしかして、熊…!?)


 雨だというのに勤勉な熊が雨宿りもせずまだ歩きまわっているのだろうか。

 近付いてくる足音にウルは竦み上がった。


(熊に会ったら、どうしたらいいのかしら!?)


 死んだふりか、木に登るのか。ウルは地面と木に視線を彷徨わせて、じりじりと足音から後ずさった。

 だが、


「……居た」


 ウルが絶叫を上げる前に低い木々をかき分けて現れたのは、熊のような人間の男だった。

 間抜けなウルの顔を見とめると、彼は深く溜息をつく。


「帰るぞ、ウル」


 雨合羽を着た熊は、テオであった。


 彼の毛むくじゃらの顔を見てほっとする日が来るとは。ウルは腰が抜けるほど息をついたが、ここで座り込むわけにもいかない。地面は水溜まりだ。


 テオはウルの様子を一瞥して「来い」と愛想なく言うと再び森を歩きだす。

 それに続いて森を歩きだすと、ウルの足は先程の不安が嘘のように軽く動き出した。

 現金なものだと呆れながらテオの後をついていくと、辿りついたのは木々の中に埋もれるように建てられた小屋だった。


 さっさと入っていってしまうテオに続いて入った小屋は、今はほとんど使われていないのかうっすらと埃が積もり、引っ越しをするような木箱が積み上げられていた。その一つを開けてテオが取り出したのは毛布だ。

 それをウルに押し付けると、テオは小屋の一角にある小さな暖炉に手近な木屑や紙を放り込んでいく。そして適当に火をつけると自らも雨合羽を脱いだ。雨滴の垂れる重いマントのような合羽はいかにも丈夫そうで、ウルが着ては動けなくなりそうだ。


「そんなところで突っ立ってないで、こっちに来い」


 雨合羽をマントかけにかけるとテオがそう言うのでウルは恐る恐る暖炉に近寄った。毛むくじゃらの顔は今もどんな顔をしているのか分からないが、何となくテオが怒っているようにも思えたからだ。

 するとテオがぬっと腕を差し出して手にしたタオルでウルの頭をぐしゃぐしゃと拭き始めるではないか。


「い、いたい…っ」


「こんなに濡れるまで何をしていたんだ」


 呆れるように言われて、ウルはぐしゃぐしゃのタオルに抵抗できず押し黙る。

 何をしていたと問われても、迷っていたとしか答えようが無かった。

 何も答えないウルの頭をしばらく拭いていたテオは、あらかた拭き終わったのか手を止めて彼女の頬を指先で触れた。腫れものを触るような指はすぐに離れ、


「やっぱり冷えてるな。少し休んでから帰るぞ」


 淡々と言ってテオはウルにタオルを押しつける。


「本当は服を脱いだ方がいいが…」 


「服を…」


 二人してウルの濡れた服を見下ろす。

 確かにこのままでは風邪をひきそうだ。だが、テオの居る部屋で服を脱ぐのはものすごく抵抗がある。


「脱がないながら毛布にくるまってこっちに来い」


 テオの方はウルの葛藤などどうでもいいのか、暖炉の前に毛布を敷く。そこへ来いというのか。

 暖炉を見ていると今まで感じていなかった寒気が急に襲ってくるような気がして、ウルは毛布にくるまると暖炉の前に渋々座る。

 すると、その後ろからテオが毛布ごとウルを抱えて座ってしまうではないか。


「何をするんですか!」


「少しでも温かい方がいいだろう」


 確かに人肌は毛布越しにも伝わって温かいが、別に小さくもないはずのウルの体がテオにすっぽりと包まれてしまう感覚はびしょ濡れのままより落ち着かない。

 膝のあいだに挟まれて、腕のあいだから顔を出す格好になったウルの頭にテオの顎髭がわずかに触れている。


「……何もしない。こうしているだけだ」


 テオの大きな手がウルの頭を撫で、タオルをかぶせてくるのでウルはわずかに力を抜いた。するとテオの腕の感触や胸板の硬い感触がウルを包み、そこからじんわりと人の温もりが伝わってくる。見た目の毛むくじゃらとは反対に普段から清潔なテオからは、雨の匂いがした。

 母でもない、弟でもない、かといって父でもない男性に抱かれているのは居心地の悪いものだったが、それでも逃げ出そうと思わないのは、それがテオだからだろうか。

 そんなウルの様子が可笑しいのか、テオが彼女の頭の上で溜息のように笑う。


「……何かおかしいですか」


 ウルが口を尖らせるとテオはますます笑う。

 そしてウルの頭をゆっくりとタオル越しに撫でた。まるで犬か猫にもでやるようなその手付きはひどく優しかった。


「――今日は、どうしてりんごの花のことを教えてくれたんですか?」


 甘えたようなウルの質問にテオは「ああ」と息をつく。


「りんごの花が見頃だと思いだしたからだ」


 ウルが毛むくじゃらの顔を見上げるとテオは静かに暖炉の火を見つめていた。まるで思い出の誰かに語りかけるように。


「……ここ最近、すっかり忘れていたからな」


 思い出したから教えたのだというにはテオの様子は感慨深げで、彼の深い何かに繋がっているようにも思えた。


「――また見に行ってもいいですか?」


 ウルがそっと問うと、テオは「ああ」とだけ答えた。

 だからウルはあの素晴らしい景色をきっとまた見に行こうと思った。今度は出来ればテオも一緒に。

 


 しばらく二人で暖炉にあたり、じっとまどろんでいると雨音が遠いていた。

 暖炉の火の始末をして小屋を出ると、ぽつぽつと雨は降っているものの雲のあいだから日差しも差し込んでいる。

 虹がかかりそうな光のカーテンは暗く沈んでいた木々を淡く照らして、森は色を取り戻していた。


 空を見上げているウルに毛布を着せて、テオは自分が着こんでいた雨合羽を小脇に抱える。

 思えばこの無愛想な人がわざわざウルを探しに来てくれたのだ。

 雨が降るのか槍が降るのかと思うところだが、雨はすっかり止んだ。ずっとわだかまっていたウルの悩みも嘘のように晴れている。


 悩みは何も解決していない。テオが特別励ましてくれたわけでもない。

 それでも、


(今、この人が居てくれて良かった)


 ウルは今独りではないことが嬉しかった。


「帰るぞ、ウル」


 低い声に呼ばれてウルはのっそりと歩き出す背中を追った。





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