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森の大きなクマさんは  作者: ふとん
5/22

クジャクと腐れ縁

 熊男との生活を始めて数日、ウルが洗濯物を干していると声をかけられた。

 森の中でテオ以外の声を聞くといえば行商のおじさんぐらいだったので、ウルはついびっくりして干したばかりのシーツの裏へと逃げ込んでしまった。


「やぁ、お嬢さん。ごきげんよう」


 若い男だった。


 洗いたてのシーツの向こうからウルが恐る恐るうかがうと、男は興味津津といった様子でウルを覗きこんでくる。


「テオドールはいるかな。訊きたいことがもう一つ増えた」


 優しそうな笑みが何だか恐く見えたので、ウルは素直に頷いた。

 

 森の奥にやってくるには小奇麗な男だ。

 淡い色合いのジャケットとズボンは山歩きというより散策向きの格好で、靴だけブーツだが乗馬用だ。

 男はウルが彼を観察しているように、あちらもウルを観察するように面白がるようにピーコックグリーンの双眸を細めた。

 その様子は暗い森の中では目敏い鳥に突かれそうな淡い銀髪なので、印象は派手なクジャクが獲物を見定めているようでもある。


 いつだったか見世物小屋で見た毒蛇を狙うクジャクを思い出したウルは慎重に距離を置きながら緊張で息を飲みこんだ。


「――何の用だ。こんな山奥に」


 鋭くクジャクを誰何したのは屋敷の裏で薪を割っていたテオだ。

 のっそりと熊男が斧を担いで現れると、クジャク男は歓声を上げた。


「久しぶりだな、テオ! わが友よ!」


 一方、友と呼ばれたテオは髭面からも分かるほど嫌そうに顔をしかめた。




 テオは友人だというクジャク男を連れて屋敷へと戻る途中、ウルにしばらく応接間には近寄るなと言い置いた。

 何か聞かれたくないことでもあるのだろうと別に腹を立てる理由もないので頷いて、ウルは畑の草むしりに勤しむことにする。屋敷の外でもやることは幾らでもあるのだ。


(お客さんなんて来るんだわ)


 こんな森の奥にやってくるのはせいぜい森の動物ぐらいだと思っていたウルは少し意外に思った。

 郵便配達はわざわざやってくるらしいが、手紙を出すには村へと出向くというし、テオとウルの出した手紙の返事が返ってくる気配はない。

 行商も森の手前までは来てくれるけれど森奥にまで入ってこないので、本当に珍しい人間の客だ。


(それに、友達がいるのね)


 あの無愛想なテオの友人があんなに若い男だとは思わなかったのだ。


(本当に何者なのかしら)


 テオが大金を惜しげもなくポンと出してしまえるほどのお金持ちの貴族だということは分かっているが、それ以外は何も分からない。

 ウルが埒もあかない勘繰りをしながら雑草を取り終え、井戸から水汲みをしているとテオがウルを呼んだ。


「茶を入れるからお前はダイニングに居ろ」


 テオの嫌そうな様子は変わらないので、どうやらクジャクは招かれざる客らしい。

 

 ウルはとりあえずそう解釈してテオについてダイニングに入ると、くだんのクジャク男が居た。どうやら彼は応接間から気配を察してやってきたらしい。ウルに向かってにっこりと微笑むと大仰に彼女を迎えてくる。


「可愛らしい姫君もお茶会に参加かい? まるでピクニックだね」


 必要なこと以外ほとんど喋らないテオに対し、このクジャクはよく口が回るようだ。友人というならこれほど正反対な友人もいないだろう。

 

「僕はフロレンツ。姫君のお名前を聞いてもいいかな」


「え、ええと…」


 ウルはどう答えたものか口ごもってしまった。借金のことなど大っぴらに言えるはずもない。素直にメイドとしてここに居ると言えばいいのか。

 わざわざ席を立ってウルに近付いてくるクジャクに思わず後ずさったウルの足を止めたのは、


「この娘は親戚筋の者だ。事情があって一時的に預かっている」


 呆れ調子に用意していたらしい銀色のティーセットを手に取ったテオだった。

 テオの言葉にフロレンツは目を丸くする。


「君が?女の子を預かる? 明日は槍が降るんじゃないだろうな!?」


 酷い言われようだが、確かに熊男が年端もいかない小娘を預かるというのはおかしい話だろう。他の誰でも無い、ぶっきらぼうで無愛想なテオのことだ。

 フロレンツの驚きように頷くところもあるのか、テオは何も言い返さないでティーセットをテーブルの上に並べた。


「あ、私が…」


「いい。座れ」


 何事もウルの手を煩わせないテオは客人の前でも相変わらずのようだ。

 しかし白い手袋を身につけているところを見ると、このティーセットはウルには扱えない代物のようだった。

 テオが手にしたのは美しい鈍色の銀器だ。シンプルに丸みを帯びたティーポットやシュガーポットは持ち手がつる草の装飾になっている。

 温かな紅茶を注ぐには白磁のカップ。それに添えるのはやはりつる草の柄のティースプーン。

 

「相変わらず良い趣味のティーセットだね。君の趣味とは思えないよ」


 フロレンツは何も言わないテオに苦笑する。

 ティーセットもそうだが、この屋敷と熊男はどうしても繋がらない。

 この屋敷の応接間もウルが使わせてもらっている寝室同様に上品な調度品に囲まれた優しい雰囲気の部屋だ。

 柔らかなクッションのついた緑のカウチとアームチェアのセットに猫足のテーブル、繊細な木組みで作られたケースには小花の散りばめられたティーセットが並び、集めた人の趣味が伺える。

 物臭な熊男が微に入り細に入りを穿つような真似が出来るとも思えない。


 テオは白磁のカップをダイニングテーブルにつかせたウルに差し出し、台所からカゴを取り出してくる。その中には、ふっくらと焼き上がったブドウパンがほっこりと顔を出していた。

 

「好きなだけ食べていいぞ」


 そうテオに言われてウルはハッとする。美味しそうなブドウパンだからとそんなに物欲しそうにしていたなど淑女の名折れだ。

 取り繕って椅子に上で背筋を伸ばしてみるがすでに遅かった。テオの向こうでフロレンツが腹を抱えて肩を震わせている。


「気にするな」


 そう言うテオもちょっと声が震えている。

 笑いたければフロレンツのように笑えばいいのに。

 ウルが思わずテオを睨むと、彼は肩を竦めてティーセットをワゴンに乗せ、フロレンツを連れてダイニングを去っていった。

 一人にしてくれたのはありがたいが、ウルの淑女は傷心だ。

 ウルは悔しい思いでブドウパンに手をつけた。

 大体このブドウパンが美味しそうなのがいけない。


 皮を堅めに焼かれたブドウパンを手で押し割るとぱりぱりと皮が弾けて、たっぷりの干しブドウとパンの良い香りが溢れ出てくる。

 そのままかぶりつきたいのを堪えて一口大にちぎって口に放り込むと、パリパリとした皮とは裏腹にふわふわのパンの身とブドウが優しく口の中で溶けた。

 相変わらずテオの作るものはとても美味しい。


 ウルは何だか悔しい気持ちと満足感を一緒に噛んで飲みこんだ。





 結局客人は夕方まで居座って、ウルが夕食の準備を始める頃に帰り支度を始めたようだった。

 かまどの薪を取りに行く途中、ウルはフロレンツに声を掛けられた。


「今日はテオを独り占めして悪かったね」


 別に熊男をいくら独占してくれようがウルに何の問題もないのだが、フロレンツは懐からウルの掌に乗るほどの小箱を取り出してウルに手渡してきた。

「開けてごらん」と促されて開けてみると、美しい花の砂糖漬けが上品に詰まっていた。綺麗な花だけを摘んで薔薇水で作るこの砂糖漬けは高級品だ。


「こんな高級品、いただけません」


「まぁまぁ。僕からの応援だよ」


 何を応援されるというのか。

 訝るウルを笑って、フロレンツは踵を返す。


「じゃあね。小鹿ちゃん」


 そう言ってクジャクは夕暮れの森から帰っていった。

 


「何をもらったんだ?」


 フロレンツの見送りもそこそこにテオに訊ねられ、ウルが花の砂糖漬けを見せると彼は肩を竦めた。


「相変わらずやることがキザな奴だ」


 フロレンツという人は無口なテオが文句をつけるぐらいには親しいらしい。


「フロレンツさんと親しいのですね」


「腐れ縁だ」


 ウルに憎まれ口を返すテオは照れ隠しをする時の一番目の弟そっくりだった。

 それがおかしくて笑うと「何がおかしい」と熊に睨まれる。


「いえ、ずいぶん年の離れたお友達なんですね」


 思わず勘繰るようなことを言ってしまったウルをテオはしばし無言で見遣り、軽く溜息をついて「まぁいいか」と小さく呟いた。


「何が、まぁいいんですか?」


「何でもない」


 テオがウルに背中を向けてしまうともう答えてはくれない。

 それぐらいは分かるようになったので、ウルも軽く息を吐く。


(まぁいいわ)


 きっと「まぁいいか」で終わってしまうことなのだろう。

 今日のブドウパンのように、一口食べれば全部許してしまえるような。 


            


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