悪い人じゃない
ウルが手紙を書けたのは、熊男テオから遅れること一日後のことだった。
寝不足になりながらテオから借り受けた便箋を何枚も書き損じてウルはようやく手紙を書いたというのに、テオの方は話し合いをしたその日の夜にはもう書き終わっていたようだ。
近くの村まで手紙を出しに行くというテオに「もう少し待ってください」と頼みこんで書けたことといえば、結局ウルの近況と家族の安否を確認することと借金についての相談だけだったが。
テオという人は無愛想でぶっきらぼうということを除けば、このように万事要領のよい人だ。
まず、料理がウルより上手い。
彼の朝は早く、疲れていたとはいえ田舎育ちのウルが急いで身支度を整える頃にはもう台所にいる。
彼の作る朝食のレパートリーは豊富で、オムレツやスクランブルエッグ、フレンチトースト、サンドイッチ、エッグベネディクトまで並ぶことがある。畑でとれたばかりの野菜と焙ったパンを並べれば朝から豪勢な食事だ。
中でもウルが尊敬と感動をもってお気に入りなのは、彼の作るパンケーキだ。
材料をたっぷりと使ってふんわりと焼かれるパンケーキはもはや芸術ではないかと思っている。
そんなわけでウルは彼が台所に立っているのを確認すると、自分は畑に水やりに行くことにした。彼の隣で料理をしても、自分の手際の悪さを目にするだけだからだ。
ウルも実家で何もしていないわけではないのに、テオは熟練の料理人のようだ。
(いったい何をしていた人なのかしら)
今日も朝の仕事を終えてついた食卓にはオムレツとたっぷりの野菜が乗ったプレートが用意されている。「食え」と言われるまま口にすると今日も大変美味しい。
ふわふわで、それでいてとろけるようなオムレツにはトマトピューレがかけられて爽やかだ。
卵は決まった農家から定期的に分けてもらっているようで、屋敷の手前まで荷馬車が来てくれるのだという。ちょうどウルが乗せてもらった荷馬車だろう。
(こんなにこだわって食事を作るなんて、尋常じゃないわ)
美味しいテオの料理の下ごしらえは尋常ではないほど手間がかかっている。野菜の皮むきに始まり、火にかけた鍋を何時間も見ながらアクをとっていることもあるから、美味しいのは当然だ。ウルも彼の料理の下ごしらえに参加して、野菜の皮をむいたり、すり潰したり、へたをとったりと忙しい。
そのあいだもテオは薪を割ったり、水汲みをやったりと忙しく立ち回っているから、料理だけをしたい暇人でもない。
(……もしかして、宮廷料理人だったとか?)
料理へのあくなきこだわりは普通ではない。
けれど、
(でも料理人がそんなにたくさん退職金をもらうものかしら)
彼はウルに一領主の給料三年分のお金をぽんと出せる上、別段生活に困る様子もなく、むしろウルの実家よりも滋養のある良い物を食べている。
給料三年分以上の蓄えがあるということだ。
「……なんだ。人の顔をじっと見て」
すでに朝食を終えて紅茶に口をつけているテオが不審顔で見てくるので、ウルは観察をやめて「何でもありません」と美味しいオムレツを平らげることにした。
オムレツは美味しいが熊男は謎が多いのがいけない。
テオの身形はいつもシャツにズボンという簡素な格好だが、みすぼらしいわけでも薄汚れている様子もない。
今はウルが洗濯を請け負っているが、それ以前も彼が髭と髪以外の身繕いを怠った様子はない。
そういえば、とウルは自分の洗濯物を干していてふと気付く。
ウルは年頃なので下着などは別に干しているが、テオもズボンとシャツ、リネンの類は預けてくれるが洗濯物の中に彼の下着はない。
「テオさん」
ちょうど薪割りをしていたテオを呼んでみると、彼はのっそりと振り返ってくれた。
テオという呼び方も少しひと悶着あった。ウルが雇われるのだからご主人さまや旦那様と呼ぼうとすると嫌がられたのだ。
薪割りの手を止めてウルを見とめ、何だというように見返してくるのでウルの方も返事を待たずに話しかけることにする。彼は妙なところで面倒くさがりで挨拶や前置きをざっくりと省いて無言になるのだ。
「今、洗濯をしていたんですけれど、テオさんの下着はどうしているんですか? よければまとめて洗いますけれど」
洗濯は意外と重労働だ。だからまとめてやってしまった方がいい。
大家族での家事の経験則から何でもないことを口にしたはずが、対するテオは髭面からも分かるほど嫌そうな顔をした。
「男の下着に興味でもあるのか」
「……ありませんけど」
ウルは父や年の近い弟の下着をいつもまとめて洗っているので男の下着のことなど正直どうでもいい。
怪訝顔のウルにテオは短く溜息をついて、
「お前は、俺がお前の下着に興味を持ったとしたら嬉しいか?」
「えっ…」
テオの顔色も変えない質問にウルの方がさっと顔を曇らせる。まさかテオがそんな変態だったらこの家にはもういられない。
ウルの顔色を見て答えを悟ったのか、テオは「そういうことだ」と言って薪割りを始めた。
ぱかーんと気持ち良いほど割れる薪を見ながら、ウルは別に気付かなくてもいいことに気付いた。
(それって、私と同じように他人に下着を洗われるのが恥ずかしいってこと!?)
熊男の意外過ぎる恥じらいに、ウルは何とも言えない気分になった。
テオは髭面と伸び放題の髪以外、特別年寄りというわけでも若いというわけでもないようだった。
彼の長身はすらりとしていて、後ろ姿だけなら立っているだけで様になる。
「ウル」
手に首の無い鶏を持っていても。
どうやら定期的に卵を譲ってくれる農家から鶏肉ももらったようだ。
「これを料理できるか?」
夕食の献立などテオから相談されたこともなかったので、珍しく呼ばれたことにも驚いて鶏肉を受け取った。
「田舎料理で良ければ出来ますけれど…」
正直言ってテオの洗練された料理とは比べようもないほど素朴な料理だ。だがテオは一羽丸ごとやってきた鶏肉をどう調理すべきか考えあぐねているようで、それならとウルは鶏肉を引き受けることにした。
すでに血抜きも終えた鶏肉はすぐに調理できる状態だ。
これならとウルは鶏肉に香草や野菜、きのこを詰めて、そのままオーブンにかけた。
母直伝の鶏の丸焼きだ。
調理は簡単だが焼き加減が難しい。
ウルはオーブンに張り付いた。
「――出来そうか?」
オーブンに入り込むんじゃないかというほどオーブンを眺めていたウルを覗きにきたようだ。テオの手には洗濯物かごがある。どうやら洗濯物をとりこんでくれたらしい。
「あ、すみません。洗濯物…」
「いい」
テオはかごを持ってきびすを返す。きっと洗濯室まで行くのだろう。
ぶっきらぼうでもテオは意外とそつがない。
戸棚の高いところにある物を何も言わずに取ってくれたり、重い物をやっぱり何も言わずに持ってくれる。
(不思議な人)
素性以外はよく分からない人だ。
その日の夜、食卓にはウルにとって懐かしい料理が並んだ。
鶏の丸焼きは母の得意料理で、ウルにとっても得意料理の一つだ。
肉汁たっぷりの鶏を切り分けてテオの前に並べると、彼はすぐにはカトラリーに手をつけなかった。
ウルが自分の分を切り分けて席につくのを待ってようやく「いただこう」とぼそりと言ってナイフとフォークを持った。
そして髭面に鶏肉を口に入れると、
「うまい」
その一言で、ウルは自然と笑顔になった。
ぶっきらぼうで無愛想でよく分からない人だが、彼は悪い人じゃない。
(ちゃんと、優しいわ)
美味しい物の前では誰だって笑顔になるのだから。




