お嬢さんを追い出した
設定もお話もふわふわほのぼのです。
トランクはとても重かった。
屋敷の手前だという森の入口まで親切に送ってくれた荷馬車のおじさんによれば、木々の隙間を縫うように続く小路を進めばすぐだという話だったが、ウルの細腕では最低限の荷物しか入っていないトランクさえ荷が勝ち過ぎたようだ。
トランクをずるずると引きずるようにして進む小路は整備されているのかいないか、二頭立て馬車が通るには少し狭く、ウルのような少女が通るには広く長かった。
(だめだめ、弱音を吐くにはまだ早いわ)
ウルはまだそんな季節でもないのに頬から滴り落ちる汗を拭いながら、小路の先を見据えた。
ウルがこの道を進まなければ、彼女の肩にかかった諸々が成り立たなくなってしまうのだ。それは何としても避けたい。
どうしてウルがこんな風に苦心してトランクを引きずっているのかというと、全ては家族のためだった。
ずっと家や領地を守ってきた母が倒れてしまったのだ。
ウルの母は優秀な人で、五人の子供と気の優しい父、そして無駄に広いが実入りの少ない領地の面倒を一手に引き受けていた。
けれど長年の無理がたたり、体調を崩してしまったからさぁ大変。
父は母の看病にかかりきりで領地の経営も一人でやらなくてはならない。
危急を聞きつけた弟が寄宿学校から帰ってきて更に下の弟妹の面倒を見るようになり、バウアー家は大黒柱の母を支えようと必死になった。
その矢先、領地で大きな崖崩れが起きた。村人の怪我人も出たこの惨事で領地と外を繋ぐ道の一つが潰れてしまい、その復旧に貧乏なバウアー家は多額の負債を抱えて更に困窮することになってしまった。
父は経営には疎く、元々少ない収入で家族で切り盛りしていたバウアー家の財政はあっという間に危機的状況に陥ってしまった。
そんな危機を聞いて助け船を出してくれたのが、母の妹にあたるユーディトだ。
彼女は三度目の結婚で裕福な貴族に嫁いでおり、嫁ぎ先からの援助を取りつけてくれると申し出てくれた。
干天に雨と一も二もなく援助に飛びついたバウアー家の面々にユーディトは条件を一つ出した。
(私が頑張らないと!)
ユーディトが出した条件とは、ウルを家政婦として働きに出すことだった。
彼女の夫の甥が祖母の残した家に一人で住んでいるというのだが、実家の使用人すら置かず本当にたった一人で屋敷に暮らしているというから相当な偏屈で頑固者らしい。
長く子供のいなかったユーディトの夫は甥を可愛がっていて心配している。だから少しでも女手があれば安心するという話だった。
ウルの家族は揃って反対した。
だがウルは行くことを決めた。
母が倒れる前から家事を手伝っていたウルは今のバウアー家にどれほどお金が無いか知っている。
ユーディトの援助は必要不可欠だ。
母の治療費だって十分に出したいし、弟は寄宿学校に復学させてやりたいし、もっと下の幼い弟妹たちにはこれからお金がかかる。
「姉さんは分かってないんだよ! 独り暮らしの男の家に家政婦に行くなんて」
すぐ下の弟はそう強く反対した。
貧乏とはいえ貴族の娘が働きに出ることははしたないとされている。
それでなくとも年頃の娘が社交界デビューもしないで家事に従事することが有り得ない。ウルの友人のほとんどが結婚したか婚約者がいる。
「大丈夫よ。ユーディト姉さんの旦那さんの甥っこでしょ? 私なんて興味ないわよ」
ユーディトの再婚相手は彼女の十八歳年上で今年五十になる。そんな彼の甥なのだから年は知れようというものだ。
「とんでもないロリコンエロ親父だったらどうするんだよ!」
「そんな人が森の奥に一人で住むはずないでしょ」
ロリコンなら森の奥の屋敷に一人で住むというのも首を傾げたくなる話だ。それに、たびたびバウアー家に訪れてはウルを可愛がってくれていたユーディトがそんな危険な主人を用意するとも思えなかった。
弟との丁丁発止はウルが発つその日まで続いたが、結局ウルは家を飛び出してきた。
ウルの旅立ちは家族を助けるという目的のためではあったが、領地を出てみたかったということもある。生まれてこのかた領地を出たことなどなかったのだ。
そうしてウルは初めての一人旅という小さな冒険を経て問題の森へとやってきたのだが。
「――帰れ」
森奥の、大きくもないが小さくもない屋敷の戸を叩いたウルを出迎えたのは、熊のような髭面の大男だった。