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冒険少年とエルフの姫  作者: 早村友裕
01.火山研究所
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 地下への階段を一段ずつ下りながら、ソラの心臓はばくばくと大きな音を立てて脈打っていた。

 父の声。朔の声。

 とっておきの船、と言った寛二の笑顔が、頭の中でぐるぐると回転する。

「……ミホシ」

 ミホシは帰ってしまうのだろうか。灰の海の向こうの、エルフの里に。

 最後の一段を下りられず、ソラは足を止めた。

 自分は何がしたいのだろう。エルフの里が見てみたいのだろうか。それとも、ただの父親に対抗してミホシにいいところを見せたいんだろうか。

 『オレが姶良へ連れて行ってやるから』、なんて言ったのは、ただの虚栄心からじゃないだろうか。

 何しろソラは子供で、朔や晃のように知恵も知識も持たなくて、寛二のように船を設計したり組み上げたりすることだって出来ない。

 意味もなく、叫びだしたくなった。

 何度も繰り返し読んだファンタジー小説の主人公みたいに、なんでも自分でできたらいいのに。いろんな知識を持っていて、敵と戦えば強くて、カッコよくて、ヒロインの女の子を颯爽と助けてあげられるような。

 でも、現実のソラは何も出来なかった。

 学校の成績だってそれほどよくないし、ミホシのように旧時代の蔵書を紐解くような気合もない。運動はクラスで一番得意だけれど、大人に比べたらまだまだだ。

 偶然、父親がこの最果てにある研究所の所長だったというだけで、ソラ自身にはなんの力もない。なぜ自分だけ、こんなにも無力なのだろう。

 ソラは、自分の中にあった希望が少しずつしぼんでいってしまうのを感じた。

 抱えた本を落とすことはしなかったが、どうしてもミホシの部屋へ向かえなかった。


 しばらくして、ソラが帰ってこないことを心配したのか、地下を閉ざす扉がキィ、と開いた。

 細く開いた隙間からミホシが覗き込んでいる。

「よかった。遅いから心配してたの。あっ、いっぱい借りてきてくれたんだ! ありがとう、ソラ」

 嬉しそうに笑うミホシは、地下から一歩、踏み出してソラに近寄った。

 ソラは思わず一歩、下がろうとして階段を踏み外した。

「きゃっ!」

 ミホシの短い悲鳴。

 がたんがたん、と大きな音を立てて、二人は床に転がった。

 借りてきた本が散乱する。

「いててて……大丈夫か、ミホシ」

 起き上ろうとしたソラは、自分の上に何か乗っているのに気付いた。

 本ではない、柔らかいそれを振り払おうとして気づく。

 ソラの胸のあたりに乗っているのは、ミホシだ。当たり前なのだが、生きている人間の体温を感じて、ソラはまた固まってしまう。

 ミホシが小さくうめき声をあげ、顔を上げた。

 淡い金色の髪がソラの頬に触れるくらいに近くで揺れている。

「あっ、ごめん、ソラ! 大丈夫?!」

 ぱっと起き上ってソラから離れていったのが少し寂しかったような……気がした。

 散らばってしまった本を拾い集めていると、少しずつ心が落ち着いてきた。

「ごめんね、急に声を駆けたらびっくりするよね。ソラは怪我しなかった? あたし、重くなかった?」

「……全然、重くなんてねーよ」

 自分でも驚くくらいぶっきらぼうな口調になった。

 ミホシといると調子が狂う。ドキドキそわそわして、落ち着かない。

 13歳のソラは一応、その感情に名前を付ける術を持っていたけれど、簡単には認められなかった。

 まだ子供でいたい――でも、大人に負けたくない。

 自分には何もできない――もっといろんなことが出来るはず。

 複雑な相反する感情がソラの中にはいっぱい渦巻いている。その感情を解決する術をソラはまだ持たない。


 その時、階段の上からヒステリックな声が響き渡った。

「何をしているの!」

 背中から叩きつけられるようだった。

 見上げた先には、女性研究員の園山が立っていた。

 『子供がいるだけで苛々する』。あの言葉を聞いた後では、とても彼女に対して好意的な感情を覚えることが出来なかった。

「また貴方ね。そこは立ち入り禁止です。私たち研究員でさえ立ち入ることを制限された場所なのに、あなたのような子供が近づいてはいけない場所です」

 隠されない悪意が頭上から降ってくる。

 さっきミホシに触れた時とは違う心臓の速さが、焦燥を掻き立てる。

「友達まで連れてきて、ここはあなたの遊び場じゃ……」

 まっさらな白衣を翻し、カツカツとヒールの音を立てて降りてきた園山は、途中で足を止めた。

 その視線は、ミホシの方を向いている。

 ソラは思わずミホシを背に庇った。

 しかし、遅かったようだ。

 足を止めた園山は、わなわなとふるえる手で口元を抑えた。

「何……? 何なの、その子……?」

 恐怖に駆られた目。

 大人のそんな視線を見るのは初めてだった。

 園山から金切声のような悲鳴が上がった。

 見つかってはいけないの、と言ったミホシの声がリフレインした。


「それ、何? 人間じゃないの? いったい何なの? ソレはいったい何なの?!」

 ミホシが人間じゃない?

 ソラはかっとなった。

「何言ってんだ、ミホシは人間だ!」

 ソラはミホシを連れて地下の部屋に逃げ込んだ。

 扉の向こうで、取り乱した園山が上に駆けあがっていく音が聞こえた。

 走ったわけでもないのに、息が切れていた。

 ミホシは、床に膝をついてうつむいていた。金色の髪が頬に落ちていて、その表情は見えなかった。

 人間ではない、という園山の声が頭の中でぐるぐる回る。

 ミホシは、勉強家で、父の朔が大好きで、見た目と裏腹に勇気があって、いつも少しだけ寂しそうな、女の子。

 どこにでもいる、普通の13歳だったソラの日常に、ドキドキするような毎日を与えてくれて、『夢』を見させてくれた。色が白くて、びっくりするくらい可愛くて、確かに人とは少し違うかもしれないけれど、そんなの関係なかった。

 ソラにとって特別な女の子なのだ。

 そんなミホシの事を人間じゃないと言われ、悲鳴を上げられたことが悲しかった。

 そしてその言葉をかけられたとき……ミホシの目にすうっと冷たい光が降りたのが、何より悲しかった。


 扉の外が騒がしい。

 園山の悲鳴で集まってきたのか、それとも彼女が人を集めてきたのか。

 外から扉を開けられないよう、ソラは体重をかけて座り込んだ。

「……やっぱりあたし、地下から出ちゃいけなかったんだね」

 ミホシが諦めたようにつぶやいた。

 地下の部屋にこもっていて、ソラの父の晃と、朔と、旧時代の本だけが彼女の世界のすべてなのに、ミホシはいつだって楽しそうだった。

 それなのに、今のミホシはとても苦しそうだ。

 何で、こんなことに。

「違う。ミホシは悪くない。悪いのは、あの人だ。人を見て悲鳴あげるなんて、失礼にもほどがあるだろ!」

 腹立たしかった。

 そんな言葉しか彼女に向けられない自分が、とても悲しかった。

 晃なら、朔なら、ミホシにどんな言葉をかけるんだろう。

 その瞬間、背中の扉に大きな力がかかった。

 誰かが開けようとしている。

 ミホシが怯えた目で後ずさった。

 ソラは扉を抑える力を強めた。向こうから、大人たちの声がする。

 ちくしょう。

 どうしてソラは子供なのだろう。ミホシに優しい言葉をかけてあげることも、助けてあげることも、姶良に連れて行ってあげることも、旧時代の本を与えてあげることだって出来ない。

 ソラでは駄目なのだ。幼いソラでは、目の前で怯えている女の子に、手を差し伸べてやることさえ出来ないのだ。

「助けて、朔さん」

 分からないことを聞くと、何でも優しく教えてくれて、研究バカの父とよく言い合いをして、子供みたいに笑う人。

 きっとミホシに欲しい言葉をかけてあげられるのは、手を差し伸べてあげられるのは彼女の父親だけだから。

「……父さん」

 研究以外は本当にだらしなくて、母に怒られてばっかりで、何度起こしても起きないし、ソラと同じクセのある黒髪はいつもボサボサだ。

 それでも、ソラにとっては大好きな父親。

 もちろん悔しい。ソラ一人で解決してあげられないことがとても悔しい。

 でもそれ以上に、ミホシが笑っていないのが、もっと悲しかったから。

「助けて、父さん……!」

 もう限界だった。

 叫んだ声は、届いただろうか。


 強く押された扉がソラを押し退け、大きく開かれた。


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