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コンテナの扉が閉じられ、暗闇に放り出された。
「いてて……ミホシ、大丈夫か?」
「うん、平気。びっくりしたけど」
すぐ近くでミホシの気配がした。後ろに下がろうとすると、背中に何か当たった。どうやらコンテナの中は荷物でいっぱいのようだ。
近くから聞こえるミホシの声に、ソラは硬直することになる。
何も見えないせいで、余計に緊張する。
「あ、ソラ、おでこ……血が出てるよ」
額に柔らかいものが触れた。どうやら、ミホシの指先だったらしいが、ソラはこれ以上、後ろに下がれない。逃げられない。
ミホシは恥ずかしくないんだろうか。こんなにも真っ暗で何も見えない中、近くにいるのに!
と、ソラはふと気づいた。
「あれ、ミホシ、見えるの? オレは暗くて何も見えないんだけど」
「うん。このくらいなら平気。さっきまで、眩しすぎるくらいだったもん」
やっぱりミホシは、自分たちと少し違うのかもしれない。肌も白いし、耳も尖っているし、暗闇でも見える。もしかして本当にファンタジー小説に出てくるエルフなんだろうか?
もし、ミホシが本当にエルフだったとしたら、昏海の向こうにはミホシの故郷――エルフの里があるのだろうか。
「ちょっと待って、ソラ。今、明かりを出すから」
そう言うとミホシはごそごそと動いた。
そしてすぐに、暗闇の中にぽうっと青白い光が現れた。
「これで見える?」
ミホシはテントウムシに似た小さな虫を指先にとまらせていた。ふわふわした綿のような体をしたその虫が青白く発光している。まるで、本で見た夜光虫のように。
ぼうとした明かりに照らし出され、ミホシの大きな瞳に光が映る。青白い光で浮かび上がったミホシは幻想的な雰囲気を纏っていて、本当に人ではないように見えた。
「見えた。ありがとう」
身じろぎすれば触れてしまいそうな位置にいる彼女から、ソラは目をそらしながらぶっきらぼうに礼を言った。
小さな明かりで、ソラは周囲を確認する。
コンテナの中は荷物でいっぱいだ。ソラとミホシが並んで座っているのがやっとのくらいしかスペースがない。
でも、目が慣れてきたのと、小さくても灯りがあるおかげで、ソラは少し落ち着いた。
その時ちょうど、コンテナの外の音が聞こえてきた。
「どうしたんだ、園山。こんな場所に、休みの日に、用事なんざねえだろうに」
寛二の声だ。
「子供の声がした気がしたのだけれど、気のせいかしら? あの子でしょう。全く、所長も何を考えて子供を放置しているのか」
どうやら相手は、女性研究員の園山だ。ソラを見つける度にガミガミ怒る彼女はとても苦手だ。その声を聴いた瞬間に肩がピクリと動いてしまうくらい。
ぶつぶつと呟く園山は、どうやらソラを叱りに来たようだった。
危ないところだった。
コンテナの中で、ソラはこっそり胸をなで下ろす。
ミホシには叱られ方を教えてあげる、なんて言ったが、正直言ってソラだって怒られたくない。怒鳴り声を聞くとおなかの底がきゅっと締め付けられるように苦しいから、腹の底に力を入れて、全身を固くして耐えるしかないのだ。
「園山はソラに厳しすぎやせんか。あの子が誰かの邪魔をしたりしたところなんぞ、見た事がないぞ?」
「子供の声を聞くだけで苛々する人間がこの世に存在しないとでも思っているのですか?」
園山はぴしゃりと言い放った。
子供の声を聴くだけで、なんて、酷い言い草だとソラは思う。子供心にも園山が好きになれない理由が少しわかった気がした。
「その上、会話している声がしたから、二人以上いると思ったのだけれど。友達を連れてくるなんて、遊び場と勘違いしているとしか思えません」
二人、と言われてソラはどきりとした。
「気のせいじゃないのか?」
寛二が素っ気なく答えた。
そうかしら、と疑いつつも、園山はこれ以上詮索しなかったようだ。
二言三言、寛二と仕事の会話を交わすと、来たときと同じようにカツカツと靴音をたてながら去っていった。
それからしばらくたって、コンテナの扉が開いた。
覗き込んでいるのは、やたらと疲れた顔をした寛二だった。
「ソラ。ミホシちゃんを連れて戻るんだ。誰にも見つからないように」
「その前に、ミホシに船を見せたいんだ」
「駄目だ。もし見たいなら、朔と晃にお願いしてからだ。今日の事は内緒にしておいてやるから、早く戻れ」
寛二はこうなってしまうとソラがどれだけお願いしても折れてくれない。
「じゃあ、父さんに言って、いいよって言われたら、ミホシも船に乗せてくれる?」
「いいだろう。その時は、とっておきの船に乗せてやる」
とっておきの船。
技師の寛二が言うのだ。素晴らしい船に違いない。
「寛二さん、とっておきの船ってどんな船なの?」
「ふふふ、それは秘密だ。何しろ、とっておきだからな!」
「それ、オレも乗れる?」
「晃がいいって言ったらな」
寛二が笑う。
ソラの父親がなかなか許可してくれないのを知っているからだ。
前回、一度船に乗せてもらうのだって、学校の試験でいい成績をとって、何日も母の手伝いをしなくてはいけなかったのだ。もう一度、今度はミホシも一緒に乗りたいとなると、どれだけ長い間、いい子にしていなくてはいけないか!
「二人とも戻るんだ。また園山が帰ってきたら、今度はオッサンも助けてやれん。誰かに見つかる前に、さあ」
寛二に背を押され、ソラとミホシは船のドッグを後にした。
ミホシの部屋に戻り、二人で同時に息をついた。
思った以上に緊張していたらしい。
「ドキドキしたね。ふふ、でも、楽しかった」
その笑顔を見ているのが気恥ずかしくなって、ソラは話題を変える。
「そう言えばさ、何でミホシは見つかっちゃいけないんだ?」
「たぶん、あたしが普通の人間じゃないからなの。見つかったら、中央の研究所につれて行かれて、検査されて、実験に使われて、二度と戻ってこられないだろうってお父さんが言ってたわ」
「それは、ミホシがエルフだから?」
「エルフ?」
ミホシは首を傾げた。
「エルフってのは、ミホシみたいに色が白くて、耳が尖ってる人のこと。お伽噺の中にしかいないと思ってたから、最初にミホシを見たときはびっくりしたんだ」
うーん、と彼女は首をひねった。
「あたしは『月白種族』って言うらしいんだ。父さんが言ってた。もしかすると、そのエルフっていうのと同じものかもしれないけど」
月白種族、という名に聞き覚えはなかった。ソラがこれまで読んできたたくさんの物語の、どこにも存在しない。
「お父さんは見た目だけならふつうの人と変わらないもの。でも、あたしは違う。一目見ただけで普通の人間じゃないって分かっちゃう。だから、こうやって隠れてるの」
「そうかあ」
寛二は……寛二だけでなく晃も朔も、ミホシのために何かを企てているようだった。が、今の話からすると、ミホシの存在を明るみに出すような方向ではない気がした。
だとすると、ソラには方法が一つしか思い浮かばなかった。
「もしかして、ミホシは昏海の向こうに帰るのかな?」
ソラの世界で生きられないなら、仲間の元へ帰るしかない。単純だけど、当たり前のことだ。
ミホシはそれを聞いて少し、目を伏せた。
「うん、そうだね。あたしは、出来ることならその故郷に帰りたいな」
ほんの少し、寂しそうに。
「あたしがいるせいで、お父さんはこの研究所から出られないの。お父さんは広い世界が見たくて故郷の『姶良』を出てきたはずなのに、あたしのせいで閉じこめられて……あたしは、お父さんを解放したいの」
足枷になりたくはない。
そう言ったミホシはとても大人びて見えた。
「……じゃあ、オレがその『姶良』へ連れてってやるよ!」
考えるより先に、ソラは叫んでいた。
ミホシはびっくりして大きく目を見開いた。
「今日、この部屋から出たみたいにさ。大丈夫、うまくいくよ。オレ、寛二さんに教えてもらったから、船を運転することだって出来るんだぜ」
「ソラも一緒に『姶良』に言ってくれるの?」
「もちろん! オレ、冒険って大好きなんだ! 知らない場所に行ったり、知らないものを見たりするのってすげーわくわくする。本当に、ファンタジーの物語みたいでさ」
この昏海の向こうに、ミホシの故郷が本当にあるかもしれない。
そう思ったら、わくわくしてきた。
まるで、初めてこの地下に転げ落ちてミホシに出会ったときのように。
ミホシがにっこりと笑って小指を差し出した。
「指切りしよう。一緒に『姶良』に行けるように」
心臓が飛び跳ねるかと思った。
ソラはおずおずと指を差し出した。
ミホシが指切りの唄を歌っている間、緊張しすぎて何も聞こえなかった。