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朔とカリンが倒れたのは、園山を引き渡した直後だった。
ミホシが悲鳴をあげ、護衛部隊は混乱し、あたりは一時騒然となった。
が、その中で、指揮を執っていた弓弦はひどく冷静だった。
「……あの体で飛び回れば、こうなる事は分かっていたはずだ」
苦々しげに呟き、すぐに二人を御苑へ運ぶよう手配した。
そして、蒼白なミホシの頭にぽん、と手をおく。
「大丈夫だ。お前の父も母も、この程度でくたばるようなタマではない」
二人を運んでいく護衛部隊を見送り、弓弦は腰に手をあてる。
「呆けている暇はない! すぐに、天蓋の穴を塞ぐ作業に入る!」
はっと見上げると、まるで雨のようにぱらぱらと灰の欠片が降ってきていた。
灰を被れば、樹海は死んでしまうかもしれない。
晃がそう言っていたのを思い出す。
「でも、どうするのですか?」
弓弦の傍に控えた神楽が問う。
さしもの彼女も、眉間に皺を寄せて黙り込んだ。
天蓋は遙か上空だ。ドローンがなければ、昇降機を使ってもたどり着けないほどに。さらに穴は直径が10メートル以上もあり、覆うだけでも大変な作業なのだ。
途方に暮れた。少なくともソラに、解決策は思い浮かばなかった。
弓弦は、眉間に皺を寄せながら、指折り数える。
「まずは塞ぐ道具だ。大きな網か、それに準ずる蓋のようなものが要る。それから、その網を抱えてあの高さまで飛べる何かが必要だな」
その間にも灰は落ち続けていた。少しずつその速度が速まっている気がする。あまり時間はなさそうだ。
ミホシも、じっと上空を見上げていた。
倒れた両親の事が気になっているだろうに、それを見せたりはしなかった。
「網だけじゃ、無理だと思う。いつか上から被さる灰の重さで破れてしまう。接着蟲か何かで固めるか、下から支えるかしないと」
その横顔は真剣で、ソラは思わず見とれてしまった。
視線に気づき、ミホシがこちらを向いた。
「どうしたの、ソラ」
「いや、ミホシもみんなと一緒に方法を考えてるのがすごいなと思ってさ」
ソラの言葉に、ミホシは軽く笑った。
「お父さんとお母さんなら、こんな時、きっと最後まで諦めたりしないと思うの。だから、あたしが代わりにがんばるの」
決意を秘めた声だった。
地下にこもって、本ばかり読んでる女の子じゃない、とミホシは言った。彼女は、まさに今、一歩踏みだそうとしているのだ。
考えをまとめるように、ぶつぶつと口の中で何かを呟くミホシ。
「……だめ、どうしても重さの問題が消えない。高さより、昏海の灰の重さを支える方法がない」
焦った口調。
ソラは、じっと見ていることしかできない。
周囲の護衛部隊は動き出している。その中には、神楽とリンの姿もあった。二人とも、自分に出来ることを始めたのだ。
ミホシはきゅっと眉間に皺を寄せた。
「……でも、ユグドラシルはあの灰の圧力に耐えられるんだよね。何で……?」
地面、空、空洞、菌糸。
そこでミホシははっと顔をあげた。
「下で支えようとするからだめなんだ。筒状に壁を固めてしまって、その上に蓋をすればいい」
ミホシはすぐに弓弦の元へ駆けた。
「弓弦さん、聞いてください。この穴を何とかする方法があるかもしれません。でも、あたしはあんまり姶良のキノコや虫に詳しくなくて……可能かどうか、判断してくれませんか?」
ミホシの言葉に、弓弦は片方の眉を上げた。
「いいだろう。蟲の姫の娘。いつぞや姶良を救ったように、今回もまた助けになるかもしれん。ぜひ聞かせてくれ」
ミホシは弓弦に身振り手振りを交えて説明した。
「灰は重いです。もし、あの穴を下から塞ぐことが出来たとしても、きっと長くは持ちません。それなら、穴が開いている今のうちに、昏海の上からこの城鬼の森までを突き抜けるような筒状のものを設置した方がいいと思います」
「……理屈は分かる。が、そんな大きな筒など存在せんぞ?」
「はい。だから、これから作るんです」
ミホシはきっぱりと言った。
「芯にするのは、昇降機に使っているような網でかまいません。おそらく何百メートルか必要だと思いますけど……それさえあれば、あとは接着虫の体液のように、凝固するもので網を固めれば固定されると思います」
「それでは、筒の自重で下に向かってつぶれやしないか?」
弓弦は上から筒をつぶすようなジェスチャーをした。
が、ミホシは首を横に振った。
「しっかりと固める事が出来れば、昏海の灰の重みで筒の周囲から圧力がかかり、支えられます。落ちてくることは、きっとない」
なるほど、と弓弦が呟く。
「あたしに分からないのは、網を固めるような手段があるかどうかって事です。蟲でも、薬品でも何でもいいんですが……できますか?」
ミホシに問われ、弓弦は腕を組んだ。
「最も蟲に詳しいのはお前の母親なのだが……家具の加工に使うものがあるかもしれん。工房の者たちに聞いてみよう」
弓弦は近くの護衛部隊の退院を呼ぶと、何かを言いつけた。
「さて、次は網だったな」
「はい」
「まあ、そちらは大丈夫だ。人海戦術でどうとでもなる話だからな」
弓弦はそこでぱん、と手を打ち合わせ、微笑んだ。
笑うと少し、リンと似ている。リンも大人になったら弓弦のように凛々しい女性になるのだろうか。
「お前の案を採用しよう、蟲の姫……ではないな、ミホシ。挑戦してみる価値はある」
決まってからは早かった。
弓弦はてきぱきと指示を出し、護衛部隊もその指示に従って散っていく。
ソラはまた呆然と立ち尽くしていた。
と、そこへ。
「おーい、ソラ!」
聞き慣れた声とともに、白鬼の森の向こうから赤いツナギがやってきた。
「寛二さん! こっち!」
街に落ちたドローンに対処していた夙夜と寛二が、すべてのドローンを無効化し、こちらに合流したのだ。
ソラは、二人にこれまでの事を簡単に説明した。
「そう、カリンが帰ってきたんだね。そうかあ、嬉しいなあ。後で会いに行こう」
夙夜は目を細めて喜んだ。
対する寛二は眉根を寄せた。
「しかし、デカい網を作るたって、弓弦さんはいったいどうするつもりなんだろうな」
「どうとでもなる、って言ってたけど……」
寛二に分からないのだ。ソラに分かるはずもない。
「それよりもしかして、僕たちも働いた方がいいかな?」
「どう言うことだ、夙夜?」
夙夜はにっこりと笑った。
「その網を固めるまで、網を固定してホバリングする機械がいるよね。たとえば――ドローンみたいな」
そこで寛二ははっとし、にやりと笑った。
どうやら二人はすっかり仲良くなっているようだ。
「そうだな。部品はそのあたりに死ぬほど転がってる。この上ない好条件だ」
「オっ、オレも! オレも手伝う!」
ソラは反射的に手を挙げた。
このままでは、自分だけが何も出来ないままだ。
「ありがとう、ソラ。助かるよ! 僕は弓弦さんに言ってくる。寛二さんとソラは部品集めてて!」
夙夜はそう言って駆けていく。
その背中を見送って、寛二はソラに問う。
「ミホシちゃんは? いいのか?」
彼女は弓弦の傍に収まり、具体的な案を積める作業をしている。
ソラはこくりと頷いた。
「オレはどっちかというと頭が悪いから、ミホシの手伝いは出来ないんだ。だから、自分に出来ることをするよ。ミホシだって、同じだ」
自分に出来ることを精一杯する。
この数日で、ソラが得た一つの答えだった。
寛二はそれを聞いて、嬉しそうにソラの頭をかき回した。




