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何だか、見ていてはいけない気がして、ソラは二人から視線を外し、くるりと背を向けた。
同じように思ったのか、ミホシもソラの隣に収まった。
でも、とても温かい気持ちに包まれていた。会いたい人に会えないのって、とっても寂しいことだ。ソラは両親が揃っていて、帰れば必ず母親が待っていてくれるから、これまであまり実感できていなかったけれど。
「よかった、お父さんたちが幸せそうで」
「……そうだな」
過失とはいえ、カリンを起こしてしまったのはソラだ。まだ複雑な思いはある。
しかし、ミホシが笑っているからもういいかな、と楽観視する自分がいるのも事実だ。子供であることを逆手にとって、朔たちの優しさに甘えて、心を落ち着けてもいいだろうか。
これで一件落着かな、と息をついた時だった。
目の前に倒れ伏していた園山が身じろぎし、顔を上げた。
「ミホシっ」
とっさにミホシを背に庇い、朔たちも守るように両手を広げる。
撫で付けていたはずの髪を振り乱した園山は、悲愴な表情でソラを睨みつけた。
「これだから……子供はっ!」
吐き捨てるような言葉。
いつもなら一歩、下がってしまっていたかもしれないが、今は引けなかった。朔とカリンを、そしてミホシを傷つけさせるわけには行かなかった。
「何故、この大義が理解できん。原始的な種族に肩入れし、目の前の資源を放棄するなど!」
ギラギラとした目がソラを射抜く。
「わかんねーよ!」
ソラは思わず叫んでいた。
「分かんねえよ、オレは子供だからな。でも、オッサンのやってることが姶良を傷つけてんのは分かるぜ。それが悪い事だってのは、子供のオレでも分かる!」
思わぬ反論に、園山はぎりりと眉をつり上げ、大人げなく言い返した。
「今後訪れるかもしれない危機に備えるのが、我々、研究者の義務だ。火山を監視し、再び活動する時期がいつなのか知ることも、もし噴火した場合にどうやって人類が存続するのかを考えるのも、我々研究者の仕事だ。それを、あの火山研究所の所長は全く理解しておらん。研究所を預かる者としての自覚が足りん!」
園山がこき下ろしたのはソラの父親だった。
「昏海の下に沈んだ街に眠る資源がどれほどの物か、お前のような子供には理解できまい。ここは、まさに、災害を乗り越えた土地なのだ。そこから得られる情報にどれだけ価値のある物か、貴様には絶対に分かるはずがない!」
いつか来るかもしれない災害のために。
ソラは似た言葉を晃の口から聞いたことがあった。
――現在と、それに繋がる過去を知ることは、未来を知ることと同義だ。研究者がもっとも大事にすべきは、人のために未来を知ることなんだよ
晃は確かにそう言った。
いつかくるかもしれない災害に備えて、最前を尽くすべきなのだ、と。
でも、園山が破壊しようとした姶良を、晃は必死で守ろうとした。どうして同じ目的を持つ研究者が、こんなにも違う結論を導き出してしまうのだろう。
ソラは懸命に考える。いったい、晃と園山の何が違うのか。
「大した文明も持たない原住民なぞ、我々に従って資源を差し出しておればいいのだ!」
園山が猛りくるって叫ぶ。
そのとき、ソラははっとした。
「オッサン、姶良をバカにしてるだろ」
晃と園山の違い。不意に、それが垣間見えた気がした。
「姶良の文明はすごいんだぜ。オレみたいな子供でも簡単に空を駆けられるし、夙夜さんは人間にしか見えない歯車機械を作ったし、キノコだけで服も靴も作っちまうし……でも、オッサンはそれを知らねーだろ!」
姶良をバカにされたことに腹が立った。
あの街がどれだけ美しいか、独自の素晴らしい文化をどれだけ発達させてきたか、子供のソラにも分かるのに。
「姶良の人たちをバカにしてるから、姶良の人たちのことを同じ『ヒト』だと思ってないんだ。だからそんなめちゃくちゃなことが言えんだ。オッサン、本当にバカだな」
馬鹿、という単語が自分に向けられたのを聞いて、園山は再びぴくりと眉を動かした。
「姶良の人たちが同じ人間だと思ってたら、一方的に奪ったりしない。人間のために未来を知るのが研究者だってんなら、姶良の人たちも一緒に守ってあげるために、って考えられるはずだ! それも出来ねーヤツが、オレの父さんをバカにすんな!!」
途中から止まらなくなった。
「そんなヤツがオレの父さんをバカにすんな。父さんは絶対、オレに理解できないことをしたりしない。お前みたいにメチャクチャな理屈で姶良を壊したりしない。父さんは絶対に間違ったことをしない。オレに説明できないようなことをしないっ」
だらしなくて、研究の話ばっかりしていて、髪はいつもぼさぼさで。
それでも、ソラの大好きな父親だ。自慢の父親だ。
「父さんは、父さんは……っ」
言葉が紡げないほどに怒りが頭を支配している。まるで荒れ狂う嵐のように胸を大きな感情が渦巻いている。
目の端にじわり、と涙が浮かびそうになって、必死に耐えた。
「オレの尊敬する、研究者なんだ!」
その瞬間、園山が弾かれたように立ち上がった。
傍に落ちていた棒きれを拾い上げ、そのままソラに向かって振り下ろす。
避ければミホシに当たってしまう。ソラは両手を広げたまま目を閉じた。
しかし、いつまで待っても衝撃は襲ってこなかった。
おそるおそる目を開くと、藍色の衣が目の前にあった。朔が二人の間に飛び込み、園山の手を掴んで大きく手を広げ、拘束していた。
「お前は本当にすごいな、ソラ。だから俺やミホシの事も簡単に受け入れてくれたんだな」
「……朔さん」
「ソラにも分かるような簡単な事が、お前にはわからないんだな」
続いてカリンの声がした。
カリンは袂をごそごそと探り、何匹かの蟲を取り出した。
そして、破裂蟲を二匹、それから蜜蟻のような形をした接着蟲を3匹、容赦なくたたきつけた。
園山は、音もなく膝から崩れ落ちかけた。
が、朔はそれすら許さず、両手を掴んで持ち上げた。
「お前との話し合いで何かが変わるとは思わんが……望姉さまが待っている。一人で姶良へきてもらおう」
脱出用に備え付けられていた小さな飛行船のような物に乗って、ソラたちは再び掘削船のあけた穴から地下へと戻っていった。6人乗りのソレに、朔が園山を拘束して乗り込み、ミホシとソラは一番後ろの座席で静かに座っていた。
凪が操縦桿を握り、飛行船は飛び立った。
穴を抜けると、そこからは姶良の街が見下ろせた。火炎放射器による炎は収まったようだ。はじめてみたときとおなじ、まるで星空のような美しい町並みが横たわっていた。
朔は、その景色に目を細めてから、拘束した園山に向かって言った。
「……美しいだろう。お前はこれを破壊しようとしたのだ」
園山は答えなかった。
ただ再び俯き、なにも話そうとはしなかった。
白鬼の森に戻ると、父の晃が駆け寄ってきてソラを抱きしめた。
きつい抱擁に息が止まりそうになったが、震えるように、よかった、と呟く晃の声を聞いていたら、とても振り払おうとは思えなかった。
白色の地面は黒こげになっていて、ドローンによる被害の大きさを物語っていた。
「園山副所長、少し、お話できますか」
晃はぼろぼろになり、俯いた園山を望の前へ引き出した。
銀色の髪を流した望の美しさに、園山ははっと顔を上げる。呆然と、その美貌に見入っているように思えた。
「初めまして。姶良宗主の望と申します。」
静かに頭を下げた望。
つられるように園山も頭を下げた。
が、望は容赦なかった。
「では、私たちの大切な街を焼き払った理由を、ゆっくりとお伺いしましょうか」
怒りなど微塵も滲ませぬ美しい笑顔が、かえって恐ろしかった。




