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 眠っていた月白種族の少女は、眩しそうに目を細め、ミホシを見上げる。

「朔……?」

 その口から漏れたのは、よく知った名前だった。

 ミホシはふるふる、と首を横に振った。

 眠っていた少女は、何度か瞬くと、ああ、と得心したように唇の橋をあげた。

「ミホシか……大きくなったな」

「あたしのことがわかるの? ……お母さん」

「もちろんだ。自分の娘なんだから、分からないはずないだろう?」

 ミホシの母は、ゆっくりと手を動かし、ミホシの頬を撫でた。

 ミホシはみるみる表情を崩し、その両目からは大粒の涙が流れ出した。

「お母さん……お母さんっ」

 まるで迷子になっていた子供のように、ミホシは泣いた。大きな声を上げ、しゃくりをあげ、頬に触れた母の手を握りしめて。

 ソラの胸は、またくぅっと締め付けられる。

 無性に、父の晃と、置いてきてしまった自分の母親に会いたくなった。

「お母さん、あのね、きいて、お父さんが、ね……」

 ミホシはしゃくりをあげながら、懸命に話そうとした。が、うまく声が出ないようだ。

 ソラはそっとミホシに近づいて、その背中に手を添えた。けれど、ミホシは泣きやむどころかますます大きな声で泣き出した。

「キミは?」

「ソラっていいます。ミホシの友達で、研究員の晃の息子です。はじめまして」

 そう言って、ソラはぺこりと頭を下げた。

「キミは礼儀正しいな」

 少女は横たえられていた棺から体を起こした。

「ミホシの母のカリンだ。よろしく、ソラ」

 が、永い眠りから覚めたばかりでまだ万全ではないのだろう。ゆらり、と体が傾いだが、凪が支えていた。

 凪を見て、はっとした表情になるカリン。

「歯車機械の凪だよ。夙夜さんが作ったんだ」

「……夙夜が」

 呆然と呟くカリン。

 が、すぐにはっとした。

「ここは、どこだ? 姶良なのか? ずいぶん長い間眠っていた気がするが、いったいあれからどれだけ経っている?」

 カリンがソラに問いかけたそのとき、どこかからどぉん、と何かが爆発する音が聞こえた。


 ソラは手短に説明する。

 いま、中央研究所が、姶良を襲っているという事。その中央研究所が有する船の中にいて、その船はいま、姶良の真上の灰の海に浮いていること。姶良が今、中央研究所の強襲に抵抗し、護衛部隊が必死で街を守っていること。

 そして、その中で、カリンの存在が姶良の民に通知されたこと。

「朔さんがこの船にいるんだ。カリンさんを捕られて、すごく怒ってる。さっきの音も、朔さんだと思う。廊下にも人がいっぱい倒れてて、扉も破壊されてた」

 ソラの言葉で、カリンは眉をひそめた。

「たぶん、カリンさんに会えば落ち着くと思うんだけど」

 上階から爆発音。どうやら朔は相当暴れているようだ。

 早く、止めなくては。

「まったく、朔ときたら……あいつは、幾つになっても変わらないな」

 大きくため息をついたカリン。

 が、体を起こそうとしてゆらりと倒れた。

「すまない、あたしはすぐに動けそうにない。ミホシと先に行って、まずは正気に戻してやってくれ」

「正気に……って、どうやって?」

「簡単だ。破裂蟲を顔面に叩きつけてやれ」

「えっ?!」

 ソラは思わず大きな声をあげた。

「ちょ、ちょっと乱暴じゃないかな、カリンさん」

「何故だ? あたしはいつもそうしてるぞ」

 平然と告げるカリンに、ソラは困惑した。

「ミホシ、破裂蟲はいるか?」

「うん。一匹だけ残ってる」

「よし、思いっきり朔の顔面に投げつけろ。日頃の恨みも込めてな」

 なんて事を言うんだ、この人は!

「早く行け。時間がないんだろ? あたしは、少し回復したら追いかけるから」

「……分かった。行こう、ミホシ」

 ようやく泣きやんだミホシの手を取り、カリンの事を凪に任せ、朔を止めるために部屋を飛び出した。


「ミホシの母さんって、なんだかずいぶんイメージと違ったよ」

「そう?」

 二人で、操舵室に向かう階段を上る。

「うん。もっと、大人しくて知的な人かと思ってた」

 ミホシみたいに。

 そんな言葉は飲み込んだ。

「お母さんはとっても強いよ。お父さんが、お母さんにだけは絶対に勝てないって言ってたもん」

 ミホシは笑う。その頬にはまだ涙の痕が残っていたけれど、元気そうだった。

 それだけでほっとする。

 階段の先、重そうな鈍色の扉が見えてきた。しかし、その扉さえも大きな力で破壊されている。

 その先の部屋からは、灰色の風が流れ込んできていた。

「行こう」

「うん」

 ミホシと手を取り合って、部屋に飛び込んだ。



 最初に見たのは、折り重なるように倒れる中央研究所の人たちだった。すべて朔がやったのだろうか。

 その向こう、割れた窓を背景に朔は立っていた。灰色の風が割れたガラスから吹き込んでいる。

 薄暗い中、朔はまるで魔王のように佇んでいた。

 左手で人の首を掴んでいる。あれは園山だろうか。整えていた髪をふり乱した男は、先ほど見たときとまったく印象が異なっていた。喉首を捕まれた園山は苦しげに両手を暴れされ、もがいていた。

 もちろん、朔はびくともしなかったが。

「お前は、どれだけ俺たちを食い物にすれば気が済むのだ?」

 ぞっとするほど冷たい声が響いた――一瞬、これが朗らかな朔の声と同じだと判別できないほどに。

 ミホシも見たことのない父親の姿におびえて足を止めた。

「これ以上、俺の大切な物を踏みにじる行為を続けるなら、容赦はせん。お前も……」

 朔の瞳が光を失った。

 本気だ。

 その瞬間、ソラは気づいた。

 左手の義手。これには武器が仕込まれているから、といった朔。空砲を最新のものに交換しておくね、といった夙夜。

 まずい。

「ミホシ、急げ!」

 朔が目の前で人を殺めてしまう前に。

 喉元に空砲を放つ前に。

 ソラは先に飛び込んで、朔の腰のあたりにつっこんだ。多少バランスを崩しただけで、ほとんど効果はない。

「ミホシ!」

 後ろからミホシがかける。

 その手に、小さな虫を握りしめて。

「お父さん、目を覚まして!」

 思い切り、朔の目の前に叩きつけた。

 ぱぁん、と乾いた音。

 同時に、朔の体は破裂の衝撃でのけぞった。左手で掴んでいた男は床に落ち、その直後、発射された空砲は天井に大穴をあけた。

 あの威力。

 人の喉元に当たっていれば、確実に命を奪っていただろう。

 間一髪で防ぐことが出来た。

 勢い倒れ込んだ朔の胸の上に、ミホシが乗り上げた。

「お父さん!」

 そして、耳元で叫ぶ。

 一瞬、意識が飛んでいたらしい朔だったが、ミホシの声ですぐに意識を取り戻した。

「……ミホシ? 何故ここに」

「お父さんを止めにきたの! お母さんは無事だから、安心して。いま、凪が連れてくるから!」

 その言葉で、朔ははっとしたようだ。

「カリン! カリンは起きたのか?」

 焦燥を伴う朔の声に、ソラはドキリとした。

 ミホシの母を起こしてしまったのは、ソラだ。冷凍庫を開けっ放しにしたせいで、きっと、目覚めにつながった。

 カリンは病のために眠った、と言っていた。でもきっと、まだ早い。病を治す手段が出来ていない。

 叱られる、と思う以上に、悲しかった。自分のしでかしてしまったことが。未だ救う術のないミホシの母を目覚めさせてしまったことが。

「……オレが起こしたんだ。ごめん」

 吐きそうな感情とともに、ソラは絞り出した。

 朔はそれを聞いてはっとした顔をした。

 先ほど見た朔の無表情が脳裏に焼き付いている。朔の大切な物を傷つけた者の末路はよく分かっている。あの空砲を向けられるのは、ソラかもしれないのだ。

 が、朔の顔はすぐに笑み崩れた。

「よいのだ。俺もちょうど、カリンに会いたいと思っていた頃だ。ミホシもそうだろう?」

 ミホシもこくりと頷いた。

「でも、でも……」

 ソラがさらに言い募ろうとした時、背後から声がかけられた。

「気にするな、ソラ。あたしだって、このまま眠っていて朔やミホシに会えないまま、目覚められないところだったんだからな」

 はっと振り返ると、そこには凪に支えられたカリンが立っていた。

「……カリン」

 呆然と、朔の声が響く。

 まるで信じられない、といった声音だった。

「朔。ここまで、廊下は酷い有様だったぞ。本当にキミは全然変わってないな。本当に父親をきちんとやれているのか?」

 カリンの物言いに、朔は左手で顔を覆った。

「待ってくれ。まだ、気持ちの準備が出来ておらん。落ち着くまで、少し待ってくれ、カリン!」

 悲鳴のような朔の声。

 ミホシを後ろから抱きかかえるようにして床に座り込み、カリンに背を向けた。

 が、カリンはそれを許さなかった。

 凪の手を借りて真っ直ぐに朔のもとへ向かい、その後頭部に小さな破裂蟲をさく裂させた。

 ミホシが短く悲鳴を上げる。

「キミは本当に、よくわからないところで照れるよな。それも、変わってない」

 腰に手を当て、唇の端を上げて。カリンは朔の顔を覗き込んだ。

「……カリンは相変わらず容赦ない。ミホシに破裂蟲を使うように言ったのもカリンなのだろう?」

「目が覚めたろう」

「ああ、十分だった」

 軽く言葉を交わした後、朔は両手を伸ばした。

 当たり前のように、カリンはその中に納まった。

「カリン、おかえり」

「ただいま、朔」


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