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火炎放射器。小さいとはいえ、そんな物騒なものを積んだ無人航空機が2000体、姶良の上空を飛び回っているのだ。とんでもない事態だ。
それが菌糸に頼った文化を持つ姶良にとってどれだけの驚異か、ソラにも分かる。
街を見下ろすと、あちらこちらから火の手が上がったのが見えた。
街に進入した無人航空機が一斉に火を噴いたのだ――この部屋のものは、夙夜と寛二が分解し、無効化していたから大丈夫だったが。
朔は今にも飛び出そうと窓枠に足をかける。
その時、先ほど分解した中に入っていた無線機が、突然、大きな声を届けた。
「『地下に住む人間たちよ、聞こえているだろうか』」
全員の視線がはっとその無線機に向けられる。
おそらくこれは、全ドローンへ一斉に配信されているはずだ。
「『火山研究所の所長が、こちらの意に反して寝返ったことはすでに承知している。そして、地下に住むお前たちがこちらの意図に反し、この採集機を破壊しようとしていることも』」
朗々と響く声には覚えがある。
晃を助けた時に一緒にいた、中央研究所の副所長であり、女性研究員園山の父親でもある、あの男性だろう。
ソラはごくりと唾を飲んだ。
「『先ほどの炎は警告だ。これ以上、我々の採集の邪魔をするようであれば、さらなる悲劇がお前たちを襲うだろう』」
部屋がしぃん、と静まり返る。
「『今すぐ捕獲した無人航空機を解放し、我々の邪魔をしないことだ。さもなくば、この地下都市は炎に包まれるだろう』」
「ハッタリだ」
聞いていた寛二がきっぱりと言い切った。
「中央研究所の狙いは、この姶良の動植物、資源、それらすべてのはずだ。自らこうやって焼き払うようなマネすりゃ本末転倒だからな。大丈夫、晃だってこんな挑発にのりはしない」
咥えていた煙草を、分解され、床に散らばった無人航空機の作業アームにわざと押しつけながら。
寛二の言葉には説得力があった。
確かにそうだ。園山たちが求めているのが珍しい姶良の生態系を作り出すものなら、無闇に焼き払ったりはしないだろう。
ただの、脅しだ。
「バカ野郎が。誰がそんな挑発にのるっつんだ」
寛二が悪態をつき、無線機を踏みつぶそうと足をあげた。
「『ああ、そうそう。忘れるところだった。最後に、火山研究所の所長に伝えよう』」
寛二は振り上げた足を止めた。
「『いま、私の手には『蟲の姫』の体がある。それが、どういう意味かは分かるだろう?』」
蟲の姫?
ソラは首を傾げたが、朔だけが一人、顔色を変えた。
「『君の賢明な判断を期待する』」
無線機は、それっきり沈黙した。
その沈黙と共に、部屋は静寂に包まれる。みなが等しく動けないでいた。
「お父さん……?」
その中で、怯えたようなミホシの声が響き、はっとした。
見ると、朔はいつもの笑顔から考えられないような無表情で外を見ていた。
怒っている。
朔さんが本気で怒っている。
まるで、獣が毛を逆立てるときのように、朔の淡い金色の髪がふわりと浮いた。
そこからは、全く見えなかった。
気づけば朔は御苑の窓から外へ飛び出していて、その場には呆然としたミホシだけが取り残されていたのだった。
「『蟲の姫』って……まさか、でも、そんな」
狼狽した夙夜が寛二に問う。
「寛二さん、『蟲の姫』って、何の事か分かる?」
「全く分からん。晃なら分かるんじゃねえかと思うが」
「朔さんがあんな風になるなんて普通じゃない。それにしたって、朔さんの体はもう――」
いいかけて、夙夜は言葉を止める。
「朔さんを止めなくちゃ……凪!」
夙夜が指示を出そうとしたとき、窓の外、街から大きく火の手が上がった。天まで届くかのようなその炎は、おそらく無人航空機が上げたものだ。
その光景に、寛二が目をむく。
「冗談だろ、ハッタリじゃねえってのか?!」
「……もう、時間がない」
夙夜は跪いて、呆然と座り込んだミホシの顔をのぞき込んだ。
「ミホシ、しっかりして。きっと、今の朔さんには誰の言葉も届かない。でも、もし、唯一届くとしたら……君の声だけだ。君だけが、朔さんを止められる」
ミホシははっと顔を上げた。
夙夜は、ミホシの瞳を覗き込むようにして、にっこりと笑った。そして、ソラに向かってはっきりと告げた。
「ソラ、お願いだ。ミホシを朔さんの元につれていってあげて。それができるのは、君だけだ」
夙夜はそう言いきった。
「でも、夙夜さん。街が――」
「街の方は僕と寛二さんが何とかする。寛二さん、僕が捕獲するから、どんどん分解して。火炎放射の部分だけを隔離しよう。凪は二人を助けてあげて」
夙夜はすっくと立ち上がる。
「ああ、任しとけ」
新しいタバコをくわえた寛二がにやりと笑う。
「行け、ソラ。後のことはオッサンらに任せとけ。お前はお前にしかできないことをやるんだ」
ソラの目にも分かるほど、街には火の手が続けざまにあがっていた。樹海の方向も、心なしか赤く染まっている気がする。
ソラは迷う。
が、それは一瞬だった。
座り込んだミホシの手を取り、凪を呼び、部屋を飛び出した。
晃を抱えて跳んだときのように、ミホシと一緒に飛べるだろうか。一人でも、樹海まで真っ直ぐに飛べるだろうか。
先ほどリンとともに下ったばかりの吹き抜けを前にして、ソラはミホシに背を向けてしゃがみこんだ。
「ミホシ、一緒に行くから捕まって」
「えっ、でも……」
躊躇するミホシ。
しかしそれを遮ったのは凪だった。
問答無用でミホシを肩に担ぎ上げ、左手から菌糸をのばして、ひらりと飛び降りた。
呆気にとられたソラだったが、すぐにその後を追う。
凪は細腕だが、ああ見えても歯車機械なのだ。ミホシくらいは簡単に持ち上げてしまうのだろう。
本当は、自分がミホシを連れて行きたかったのに。
なんとなく複雑な感情を抱きながら、ソラは凪の後を追った。
すでに朔の姿はどこにもない。朔が御苑の外壁を下るほどの腕の持ち主だということを思い出していた。そして、全く追いつけなかった樹海での行軍も。
朔が足を止めない限り、絶対に追い付けないだろう。
姶良の街は混乱を極めていた。
樹海へ向かった護衛部隊がほとんどを打ち落とすか捕獲するかしてしまっただろうが、街にも何体かの無人航空機たどり着いていたようだ。
あちらこちらであがる火柱に、ソラは心を割きそうになる。
が、凪は一目散に街の外へと向かっていた。向かっているのは白鬼の森だ。
晃や望がそこで待機しているはず。そして、その真上には無人航空機を吐き出す穴が掘削船によってあけられているはずだった。
大丈夫。夙夜と寛二が任せろ、といったんだ。きっと、大丈夫。
後ろ髪ひかれる思いを引きちぎって、街を抜け、樹海へと入り、さらに空中を駆けた。
朔ほどではないが、凪も相当に熟練した使い手だった。しかし、かなり通りやすい場所を選んでいるようだ。
白鬼の森に到着する頃、ソラはそれほど疲れていなかった。もっとも、それはソラ自信の腕が上がっただけかもしれないが。
白鬼の森でもあちらこちらから火の手が上がっていた。
その中で、ソラは晃の姿を見つけた。
「父さん!」
「ソラ!」
凪の肩から降ろされたミホシの手を取って、すぐに晃の元に駆けつける。
「父さん、朔さんがさっきの放送を聞いて、どこかに行っちゃったんだ! どうしたの。何があったの? 蟲の姫って、何のこと?」
ソラがまくし立てると、晃はぐっと口を噤んだ。
「父さん!」
悲鳴のような声をあげるソラを、晃はなだめる。
そして、静かに告げた。
「『蟲の姫』と呼んでいるのは、ミホシちゃんの母親……カリンさんの事だよ」
「えっ? でもオレ、ミホシの母さんは死んだって朔さんに聞いたよ?」
そういうと、晃はふるふると首を横に振った。
「違うんだ。本当は、死んではいない。ひどい病にかかって、治す目途が立たなかった。だから、生きたまま冷凍したんだ。いつかその病を治す術ができたら、生き返ることができるように」




