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朔は、陽動のため、一人で反対方向へ飛び去った。わざと見つかりやすいよう窓の前を通り過ぎたり、甲板を大きな音を立てて踏みつけたり。
船の中の音は聞こえないが、にわかに騒がしくなった気がした。
その間に、リンとソラは目当ての船へと向かう。
掘削船と思われる2隻の船を守るように浮く、昏海用の船。他よりも一回り大きいその船は、守るべき大将のように一番後ろに鎮座している。
リンはなるべく死角を狙って跳び、うまく甲板に着地した。足下がざらざらと火山灰を踏む。気を抜いたら滑り落ちそうだ。
ソラは、以前乗せてもらった船の構造を思い出しながら、リンを先導する。
そして、目当ての位置に中へと入るハッチを発見した。
近くのバルブを回し、扉を緩めると、細い隙間から二人は中へと進入を果たした。
入り込んだのは、やたらと薄暗い場所。リンの腰に下がったままの輝光蟲がありがたかった。
両手を広げればいっぱいになってしまうような細い通路。天井も低く、ソラとリンの身長でさえ頭を打ちそうになる。壁についた掌は、金属質の冷たい感触を伝えていた。
なにより、耳をつくのは大きな機械が動く音。甲板の船尾から入ったから、おそらくここはエンジンルームに近いはずだ。
朔の話によると、晃と寛二がいるのは船の前方だから、ずいぶん離れている。
リンには指で方向を示し、ソラは先導して歩きだした。
突き当たりの扉を静かにあけると、そこには明るい廊下がのびていた。等間隔で丸い窓が取り付けられて、灰色の風が吹き荒ぶ様子がよく見える。
あまりに見通しがいいので、いつ、誰かに出くわすんじゃないかとドキドキしていたが、ほとんど人はいなかった。もしかすると、稼働中の掘削船の方に人員をとられているのかもしれない。
もしくは、朔がうまく動いて船の前方に引きつけてくれているのか。
と、思ったとき、足音が近づいてきた。
リンがとっさにソラの手を取って、横道にあった階段に身を潜める。腰の輝光蟲を袖で隠すようにして、ソラを背に庇うように、後ろ手を広げた。
その二人の目の前を数名の船員たちが駆け抜けていく。
通り過ぎて、ほっと一息。
見通しのよい廊下は見つかる可能性が高そうなので、そのまま階段を下りることにした。
慎重に階段を下るソラ。下向きの階段や下り坂に、最近いい思い出がないのだ。何度も足を滑らせてきたから――
なんて不吉なことを考えたせいだろうか。
火山灰が挟まって滑りやすくなっていたブーツが、階段を踏み外してずるりと滑った。
「うわっ!」
「ソラ!」
お尻で階段を滑るように。
先に下っていたリンの足下をすりぬけ、ソラはあっという間に階下へと落ちていった。
もう何度目だろうか。痛むお尻をさすりながら、体を起こす。
リンも滑るように追ってきた。
同じように下っているのに、リンとのこの差は何だろう。ソラは恨めしげにリンを見上げる。
「ソラ、大丈夫?」
「何とか」
大きな怪我をせずにすんだのは、ソラ自身の運動神経がいいからだろうか。
代わりにお尻がとても痛くて、立ち上がろうとして、よろけた。
倒れ行く体と、寄りかかった壁。
しかし、寄りかかったはずの壁は、壁ではなかった。体を支えてはくれず、向こう側へ倒れ込む。まるで回転するように動いた壁は、くるりとソラの体を向こう側へ押し出した。
このどうしようもない既視感を、どうしたらいいのか。自分はどれだけついていないのか。床に這いつくばったソラは、うめき声を上げた。
そして、痛みを押さえながら顔を上げた。
「何だ……ここ」
そこはとても不思議な部屋だった。
部屋を照らし出す光は青白く、空気が肌寒い。ずらりと部屋の端から並んだ棚には、何かを集めて保管するように、ガラスの瓶がところ狭しと並んでいた。
奥の方からぶぅん、音がするのは、いったいなんだろう。
人の気配はない。
ソラは起きあがってそちらに向かった。
棚の間を縫うように奥へ、奥へ。
そこにあったのは、大きな金属の扉だった。天井いっぱいの高さに、横幅はソラの身長よりずっと大きい。
導かれるように、ソラはその扉を開くため、リング状の取っ手に手をかけた。
が、回そうとして、ひどく固いのに気づいた。
「リン! 手を貸してくれ!」
後から部屋に入ってきたリンを呼んで、二人で回した。
二人が体重をかけると、取っ手は回転を始めた。キリキリ、と音がする。何度か体を入れ替えながら、全力で回し続けること少し。
扉が静かに手前に動いた気がした。
「開いた……のか?」
回していた取っ手を、今度は手前に引っ張る。二人が渾身の力を込めると、その扉は、ゆっくりと開かれた。
最初に漏れだしたのは冷気だ。凍えるような空気が扉から吹き付けた。
「寒い……」
冷気から離れるようにリンは少し退いた。
少し開いた扉の隙間から中をのぞきこむと、その中は真っ暗だった。
リンの灯りを借り、手を中に入れて照らし出した。
すると、そこには。
「……月白種族だ」
ユグドラシルに取り込まれて静かに眠っていた凪のように、ガラスのようなケースに横たわり、目を閉じる少女がそこには眠っていた。
「何でここに、月白種族が……」
姶良の民族衣装に身を包んだ少女の瞼は固く閉じられている。
リンが顔を確かめようと、一歩、扉の中に足を踏み入れた時だった。
周囲で警報が鳴り響いた。
「なっ!」
「しまった、見つかる!」
ソラとリンは弾かれるように駆けだした。
奥の扉は開け放したまま、部屋の入り口に向かう。誰かが来る前に逃げないと。
回転する扉を蹴りとばすように抜けると、目の前に船員たちが数名、立ち塞がっていた。
リンの判断は速かった。船員たちが手を伸ばすより早く、左手を振り上げた。
「ソラ! 飛ぶよ!」
はっとしたソラは、リンに続いて菌糸を天井に向かってのばす。
驚く船員たちを後目に、リンとソラはその頭上を飛び越え、廊下に着地した。
「見つかっちゃった!」
「今のは仕方ないよ」
振り返らず、廊下を駆ける。
「リン、あっちだ。朔さんの話が本当なら、この階段の上に父さんと寛二さんがいる!」
背後に追ってくる足音を聞きながら、リンとソラは、操舵室へと続く階段を駆けあがった。
階段の突き当たり、重そうな扉に体当たりするようにして開いた。そして、二人は勢いよく操舵室へ転がり込んだ。
ソラは間髪入れず部屋の中を見渡す。
カンジ2号とよく似た鈍色の、しかし倍以上の大きさはあるだろう操縦席。操縦士が座る椅子と副操縦士が座る椅子。しかし、その後ろにはソファがなく、ただ広い空間が広がっていた。床は鈍色に埋められていて、冷たい感触だった。
そしてそこには、父親の晃と技師長の寛二の姿があった。
「父さん!」
「ソラ?!」
しかし二人だけではない。
操縦席に人はいなかったが、晃と寛二に向かい合うようにして一人の男性が佇んでいた。
きっと、あの男が姶良を狙っているという『園山』という人だ。ソラの祖父ほどの年頃のその男性に会った事はなかったけれど、すぐにわかった。
何しろ、その人がソラを見る目は嫌悪に満ちていて、まるでガミガミの園山とそっくりだったから。
その男は吐き捨てるように言った。
「騒々しいな」
苦々しげな口調。不快感を隠そうともしていない。子供が嫌いなのはこの人も同じなのだろう。
ソラの姿を見た晃は、驚いて目を見開いていた。
「ソラ、何故ここに……?!」
「父さんと寛二さんを助けにきたんだ! 逃げよう、父さん。姶良に逃げるんだ」
その時、再び乱暴に部屋の扉が開けられて、数名の船員たちがなだれ込んできた。
時間がない。早く、二人を連れ出さないと。
そう思ったとき、ソラの視界を藍色の衣が翻った。
はっとすると、操縦席の前面の窓に、朔の姿があった。
ソラの姿を見てにっと笑うと、長い棒を手に、思い切り助走をつけた一撃をたたき込んだ。
粉々に割れるガラス。吹き込む灰の風。
その中に、朔が着地した。
「晃、寛二、遅くなった。お前たちも逃げるぞ!」
朔が大柄な寛二を背負い、リンは晃の肩を支えるように潜り込んでいる。
ソラはリンと反対側、晃の腕を取って肩に掛けた。
「行くぞ、二人とも!」
朔の声とともに、3人は割れた窓から飛び出した。




