1
呆然と見つめるソラに、その女の子は眉をひそめた。
「きみは、誰?」
もう一度問われ、ソラははっとした。
「オっ、オレはソラっていうんだ。ここの研究所の所長はオレの父さんなんだ。今日は学校が休みだからも父さんのところに遊びに来てて、そんで……」
何でここに、と聞かれてしまうのが嫌で、ソラは言い訳がましくばたばたと両手を振った。
心臓がびっくりするほど強く鳴り響いている。まるで、耳元で音を鳴らしているようだ。
女の子は、そんなソラを見て少し唇の端をあげた。綺麗な笑顔だった。
それを見て、ソラは胸がくぅっと締め付けられるような感覚に襲われた。頬も熱くて、脳ミソまで茹だりそうだ。
「晃さんなら知ってる。あたしのお父さんの友達だよ」
女の子の口から父親の名前が出て、ソラはほっとした。
どうやら、警戒されてはいないみたいだ。
「なあ、オマエは?」
「え?」
この子が不思議そうに小首を傾げただけで、ソラの心臓は再び跳ね上がる。
どうしてこんなにも、ドキドキしているんだろう?
「名前だよ、名前!」
ひっくり返りそうになる声を何とか落ち着ける。
「あたしはミホシ。今年で12歳」
ミホシ。
ソラは口の中で反芻した。綺麗な女の子にとてもよく似合っている気がした。
ミホシは、座っていた椅子から飛び降りた。子供用でないソレは、彼女のためではなく大人向けに作られた書斎机だ。天板は木の板だけれど、足は鈍い黄金色をした金属。
それなのに、装飾が入ったその重そうな机は、不思議と華奢な彼女によく似合っていた。その引出しの中で何かが動いた気がしたが、暗くてよく見えなかった。
机には本が積んである。まるでソラの父親が読みそうな分厚い専門書だった。
「ミホシは、ミホシの父さんは、この研究所にいるのか?」
「うん、そうだよ」
こくりと頷いたミホシは、ソラの方へと近寄ってきた。
身長はソラと同じくらい。近くでミホシの大きな目を覗くと、白目が少なくて、濃い赤色をした瞳が目のほとんどを占めていた。
「あたし、同じ年くらいの子供に会ったの、初めて」
「えっ、そうなのか? ミホシは学校に行ってないのか?」
「うん。だってあたし――」
ミホシが何か言いかけたところで、背後から大きな声がした。
「ミホシ、そろそろご飯の時間だぞ。早く来ないと料理が冷めてしまうぞ」
大人の男の声。
ソラの体が硬直した。反射的に『怒られる』と思って身を固くしたのだ。研究所は遊び場じゃないのよ、とヒステリックに声を上げる女性研究員、園山の幻が見えた……気がした。
が、しかし、怒鳴り声は振ってこなかった。
「ソラではないか。こんなところで何をしておるのだ?」
代わりに素っ頓狂な声を上げたのは、研究員の一人である朔だった。明るい金髪に青い目をした朔は、ソラの父親である晃の友人でもある。
しかも、怒ったところなんて見たことない、優しい人だ。
よかった。ソラはほっとして全身の力を抜いた。
そして気づいた。
ミホシの淡い金色の髪と、研究員の朔の髪の色が同じことに。
「もしかして、ミホシの父さんって、朔さんなの?」
「うん、そうだよ」
ミホシは朔のもとへ駆け、その腰の辺りに抱きついた。
研究員の朔は少年のように笑って、ミホシの頭を撫でた。ミホシはその手の感触を楽しむように目を細める。
「お父さん、ソラは晃さんの子供だって言ってたよ」
「ああ、そうだ。ミホシよりは少し年上のはずだが。そうか。なるほど、ソラはミホシの友達になってくれるのだな?」
朔にそう問われ、ソラは息を止めた。
友達? ミホシと、友達? こんなにも綺麗な女の子と!
ソラは考えるより先に頷いていた。
朔に促され、隣の部屋へ移動した。ここもまた、明かりが少ない。最小限の電燈しかついていないようだ。
ソラは『暗いな』と思ったが、朔もミホシも気にしていないようだったので言いそびれてしまった。
4人掛けのテーブルに並んだのは、温かい料理だった。キノコのスープとキノコの炒め物と、キノコのサラダ。
「……キノコばっかりだね」
何で?
キノコは嫌いじゃないけど、これだけ揃えることはあまりしない。
「俺もミホシも、これしか食べられんのだ。他の食べ物を消化するようには出来ておらんからな。ソラはどうする?」
そう問われて、ソラはようやく父親と食堂で待ち合わせをしていたことを思い出した。
「そう言えば、父さんが食堂で待ってるかも」
「待っておれ。晃なら今、呼んでくる」
先に食べていてくれ、と言い残して朔さんは部屋を出ていった。
図らずもミホシと二人だけ部屋に残されて、ソラはまたドキドキしてしまう。
「……ミホシはさ、ずっとここにいるのか? さっき、学校にも行ってないって言ってたし」
「そうだよ。さっき父さんが言ったでしょう? あたしも父さんも、たぶんソラとは少し違うの。同じような人間の形をしてるけど、きっと別の生き物なの」
「どういう事?」
ソラは首を傾げた。
確かに耳は少しとがっているけれど、ミホシは人間だった。それも、とびきりかわいい女の子だ。見ていると、どきどきするくらい。
「だって、あたしね、あの灰の海から来たの。火山灰の風の向こうから」
「えっ?」
ソラは思わず素っ頓狂な声を出した。
灰の向こう、と言ったのは、きっとこの火山灰の海のことだろう。千年以上も前の火山活動のせいで、未だに人が暮らすことの出来ない極寒の地。『昏海』と呼ばれる、火山灰の海だ。
ミホシは昏海の向こうからきた?
「灰色の風の向こうに、街があるの。暗闇の中にキラキラ、星空みたいに光ってるんだって。あたしは見た事がないけど、父さんはよく話してくれるの。灰の向こうのその街がお前の故郷なんだよって」
ソラは困ってしまった。
ミホシの言うことがあまりに荒唐無稽だったからだ。
だって、昏海の向こうに人が住んでいるなんて、想像もできなかったから。
「……あたしも、見てみたいんだけどね」
ぽつりとそう呟いて、ミホシはふい、と部屋の入り口に目を向けた。
向こうから騒がしく言い合いをしながらやってくる大人の声がする。
「朔、だからお前はいつも考えなしだって言ってんだ!」
「何故だ、晃? ソラはお前の息子だろう。ならば俺にとっても身内だ」
「だからそれが甘いって言ってるんだ。そんな事をしていてミホシちゃんが見つかって、困るのはお前なんだからな!」
「晃は10年以上もここへ匿ってくれたではないか」
「いまはそんな話をしてるわけじゃないんだよ。相変わらず人の話を聞かないな、お前は」
朔と、ソラの父である晃の声だ。
こんな風に言い合えるのはお互いに信頼しているからだろうけれど、普段は穏やかな父親が声を荒げているのはとても不思議だ。
そうやって言い合いをしたまま、二人がなだれ込むように入ってきた。
「ソラ! 何でここに入ったんだ!」
悲鳴のような父親の声を久しぶりに聞いた気がする。
最後に聞いたのは、ソラが父のルーフバイクに勝手に乗って転んで大怪我をした時だっただろうか。
その声音は、本当に心配しているからだと知っていたので、ソラは素直に謝った。
「ごめん、父さん。ちょっと足を踏み外して階段を転げ落ちて、地下の部屋に入っちゃったんだ」
「食料を取りに上に行ったからな、俺がカギをかけ忘れたんだろう。ソラは悪くない。そう怒るなよ、晃」
朔はカラカラと笑いながら言う。
その姿を見て、父の晃は大きくため息をついた。