18
火山灰に覆われ、常闇に沈むエルフの里、『姶良』。暗闇の中、その街は夜空に輝く星のように煌めいていた。
一歩、街に入ると、左右から押し迫るように灰色をした石造りの壁がそそり立っている。その壁の合間に見えるのは、ゆっくりと巡る大きな歯車だった。水車のような大きさのあるそれが、壁のいたるところから顔を出し、ぎちぎちと音を立てながら回っている。
籠を編んで中に輝光蟲を閉じ込めた籠灯りが軒下につられ、ぼんやりと道を照らしだしている。
ここは姶良の大通りなのか、人通りも多い。
ミホシと同じ月白種族とソラと似た要旨をした普通の人間が、入り混じるようにして道を往く。
「うわあ……」
ソラは声を失った。
ここまでも、いろんな景色を見た。見渡す限りの灰の海、そこに立つユグドラシル、そのユグドラシルの幹に嵌まり込んだ氷と、その氷の中で眠る少女。それから、真っ白なキノコが並ぶ『白鬼の森』に、遠く浮かぶ『御苑』。
それでも、この街も素晴らしい景色だった。
何より、人が行きかう様子を見ていると、高揚した。ここは、ヒトの暮らす街なのだ。
昏海の奥、火山灰の下、樹海を越えた場所にある秘境。
「街にも籠灯りが増えてる」
夙夜がきょろきょろとあたりを見渡しながら驚いた声を上げた。
「うん。動力を節約する為に、真っ先に灯りが削られたんだ。街全体の灯りを維持するのは、月白種族の大事な仕事だよ」
リンがそう言いながら、一行を導く。
うまく分業してるんだね、と言いながら夙夜はきょろきょろとあたりを見渡す。
ソラとミホシも、並んで辺りを見渡しながら先導する神楽とリンを追いかけた。
やがて、何度か道を曲がると人通りが少なくなってくる。代わりに、周囲から大きな歯車の音が響くようになってきた。
重く大きな歯車の動く音が腹の底に響く。
「この辺りは、工房が集まってるんだ。食品工房、機械工房、家具工房。いろんなものがここで作られてる。この場所はどうしても動力を削ることが出来なくて……何とか、代替できる生産方法を作らないといけないんだけど」
なるほど、この辺りは工場が多いのか。
「工房街の一番奥に、学校があるんだ。昔は工房だった建物を改造して、前庭を広げて訓練できるようにしたんだ」
リンの言葉通り、工房街を抜けた先には少し開けた場所があった。黒い火山灰を固めてあるその場所は広く、サッカーは無理かもしれないが、野球くらいならできそうな気がする。
その運動場のような場所で、幼い子供たちが駆けまわっていた。
うん、確かにこれは学校だ。
子供たちを見守るように、校舎と思われる灰色の石積みの建物にもたれかかるように立っている人がいる。
その人は、神楽とリンの姿を見つけると軽く手を挙げた。
先生だろうか。とすると、あの人はリンのお父さん?
リンに聞こうかと思った時、それより先に、一番後ろからついてきていたはずの夙夜が駆けだしていた。
「日輪兄ちゃん!」
その先生に向かって、大きく手を振りながら。
「夙夜?!」
日輪、と呼ばれた先生は、驚いた顔をしてこちらを見ている。
それより先に、夙夜は思い切り突っ込んでいった。
勢い余って二人とも地面に転がったが、夙夜は気にしていない。日輪の上に乗ったまま、にこにこと屈託なく笑った。
「久しぶり、日輪兄ちゃん!」
「夙夜、キミは10年以上も樹海から出てこなかったっていうのに……今更、どうしたって言うんだよ? 天路さんはどうしたの。樹海で何をしてたの。何で街に戻って来なかったの?」
矢継ぎ早に質問する日輪に、「ええとねえ」とのんびり説明しようとする夙夜。
が、話し始める前に、日輪は掌をぱっと開いて夙夜の目の前にかざした。
目を丸くして話を止めた夙夜。
「お前は説明が下手だから、時系列じゃなく要点から話しなさい」
そういわれて、夙夜はいったん口をつぐんだ。
何を言うべきか、考えているようだった。
じっと考えて、最後にようやく、ぽん、と手を打った。
「ソラ! ミホシ!」
そして、二人を呼び寄せる。
二人は手を繋いで、そろってそちらへ向かった。
先生は、ちょうど朔と同じくらいの年ごろの月白種族の男性だった。なるほど、リンと同じ緑の宝石のような瞳をしている。黒髪に緑色のメッシュが入った髪を真ん中で分けていた。
夙夜は、ソラとミホシをその先生の前に立たせた。
「こっちがソラ。こっちはミホシ。二人は、姶良の外……天蓋の上から来たんだ」
その言葉で、先生は目を見開いた。
はっと夙夜を見た後、ソラとミホシの顔をまじまじと見つめる。
「……まさか」
「うん、そのまさか」
夙夜はへらりと笑いながら、告げる。
「ミホシは、朔さんとカリンの娘だよ。確かに二人は、天蓋の上にたどり着いたんだ」
しばらく沈黙が流れた。
ソラとミホシは、硬直していた。日輪という先生が、ずっと二人を見据えていたから。
が、その真剣なまなざしは一瞬で崩れた。
笑っているのに、今にも泣きだしそうな表情に。
「あぁ……」
初めてミホシに会った時の夙夜と同じように、日輪先生はため息を漏らした。
「ミホシ……そうか、満星か。確かに、そうだ」
日輪先生は、両手を広げて、ミホシとソラを一緒に抱きしめた。
「ようこそ、姶良へ。ここまで来てくれて本当に嬉しいよ。何より、ミホシ、キミに会えたことは本当に奇跡だ。どうしよう。嬉しくて仕方ないんだ」
日輪先生は、震える声で、そう告げた。
「貴方は、私のお母さんの……カリンの、お兄さんなの?」
「うん、そうだよ。初めまして、ミホシ」
日輪は一度二人を解放すると、視線を合わせるように跪いて、にっこりと笑った。
学校の先生らしい、とても優しそうな人だった。温和そうな目が薄いレンズの向こうで細められている。
「ソラはミホシの……友達なのかな」
「うん、そうだよ。あたしをここまで連れてきてくれたの」
ミホシの紹介がくすぐったい。
彼女は繋いだ手をぎゅっと握りしめていた。
「ああ、本当に嬉しいよ。キミに会えたことが嬉しくて、言葉に出来ないくらい」
日輪先生の言葉に、ミホシはびっくりした顔をした。
「あたしに会えて、嬉しい……?」
「うん、そうだよ。ミホシ、キミの存在は、ボクの大切な親友と、ボクの大事な妹が、幸せだった証だ。それが嬉しくて仕方がない」
「あたしは、変な人間なのに? 外に出ちゃ、いけないのに? 見つかったら捕まえられるのに?」
ミホシは震える声で続けた。
「……バケモノ、なのに?」
「ミホシはバケモノなんかじゃないよ!」
ソラは思わず叫んでいた。
日輪先生は、それを聞いて何かを察したようだった。
外の人間らしいソラの容姿と、月白種族らしいミホシの容姿を合わせれば、外の世界でミホシがどんな扱いを受けるか、簡単に分かる。
例えば、20年前まで月白種族が忌避され、街の外の暗い高架下で住んでいたという事実を合わせれば。
「大丈夫。キミはボクと同じ、月白種族だ。ああ、でも朔が父親なんだったら、宗主一族と月白種族の血が半分ずつ流れていることになるね。それも、リンと同じだよ?」
ミホシがはっと見ると、リンは微笑んだ。
「どこが変だっていうんだ。キミはボクの大事な家族だよ」




