17
夙夜とソラとミホシが折り重なって潰れている間に、凪は一人、地を蹴った。
自分たちを捕らえた目の前の少年に向かって、手にしたナイフを振りかざす。
「何をっ……!」
少年は、電光石火のような凪の初撃を、手にした釵で防ぎきった。ぎぃん、と金属同士がぶつかり合う音がして、二人は飛ぶように離れる。
少し距離を置いて、にらみ合う二人。
先に動いたのは凪だった。
正面から一気に距離を詰めると、瞬く間にナイフを上下左右、振り抜く。一連の攻撃を防がれると、凪はくるりと体をひねった。
少年が追撃をかけようと一歩、踏み出す。
が、その瞬間、凪は反対の掌からもナイフを飛び出させた。
「……っ!」
息を飲んで飛び退る少年。
その目の前、紙一本の距離を刃が掠めていった。
凪は無表情のまま両手のナイフを眼前にクロスさせる。
少年は間合いをとって、荒い息を整えた。油断なくその武器を構えたまま。
「護衛部隊をまとめるボクが、不法進入者に負けるわけにはいきません」
「やめなよ、君じゃ凪には勝てないよ。火力も丈夫さも、全然違うもん」
ようやく起きあがった夙夜がそう言ったが、少年は首を横に振った。
仕方ない、とため息をついた夙夜は、凪に向かって要請する。
「凪、できれば怪我をさせないで。砲の使用は禁止、ナイフはしまって。素手で捕まえてあげなさい」
凪は返答しなかったが、ちらりと視線を夙夜に剥けた後、両手のナイフをしまいこんだ。
そして、まるで格闘家のように、足と手を前後に開いた構えをとる。
しかし、夙夜の言葉は少年の闘志に火をつけてしまったようだった。
どちらかと言えば穏やかそうな印象を受ける目をつり上げ、自らも釵を捨てた。
と、そこへ明るい少女の声が響いた。
「やれやれ、こうなっちゃうと神楽ちゃんは人の言うこと聞かないからなあ」
はっと見ると、先ほどまではいなかった少女が川の側に立っていた。
かなり短く切った黒髪に、ゴーグル。服は姶良のもので、緑がかった色をしていた。健康そうな足が着物の裾からのびている。年は、ちょうどソラやミホシと同じくらいだろうか。
快活そうな少女は、ソラの視線に気づくとにっこりと笑った。
「ごめんね、神楽ちゃんが喧嘩売っちゃって。悪い奴じゃないんだ。ちょっと規則に厳しいだけなんだよ?」
「うん、大丈夫。それより凪が怪我させないか心配だよ」
夙夜はぱたぱたとお尻についた砂を払いながら立ち上がった。
ソラもミホシの手を引いて立たせた。
「私は燐って言うんだ。あっちは、神楽ちゃん。一応、宗主一族の護衛部隊の隊員だよ」
「僕は夙夜。あっちは凪。それから、ソラとミホシ」
夙夜が簡単に紹介すると、リンと名乗った少女は大きく目を見開いた。
「夙夜? もしかして、昔、『偽斯堂』で働いてた人?」
「うん、そうだけど。何で知ってるの?」
「うわあ、どうしよう。父ちゃんに知らせないと!」
両手を頬に当て、感極まった様子のリン。大きな緑色の瞳は、月白種族のように大きい。緑色の宝石のように、キラキラときらめいた。
夙夜は、うーん、と腕を組んだ。
「もしかして、リンのお父さんは日輪兄ちゃんだったりする?」
「そうだよ!」
「うわあ、そうだったのか!」
いったい、どうしたというのだろう?
先ほどから、ソラとミホシは置いてきぼりだ。
夙夜は燐と手を取り合ってひとしきり喜んだ後、くるりとミホシを振り向いた。
「もう会えちゃった。ミホシ、リンのお父さんは、君のお母さんのお兄さんだよ。リンは君の従兄弟ってこと!」
テンションのあがってしまった夙夜と対照的に、ミホシとリンはきょとん、と顔を見合わせた。
一通りの自己紹介を終える頃、神楽という少年は無手の凪に地面に伏せられていた。
凪に拘束を解くように言い、夙夜は戻ってきた凪を褒めるようにして頭をなでた。無表情の凪が、この時ばかりはうれしそうに見えた。
「じゃあ、ミホシはその、父ちゃんの妹のカリンさんの娘さんなんだね。そうだったんだあ。朔って人と、カリンって人の話はよく聞くよ。父ちゃんは妹が大好きだったみたいだから」
父親と母親が兄妹なのだから、リンとミホシは生粋の従兄弟同士だ。
耳の形は違うし、快活なリンと大人しいミホシは印象もぜんぜん違うけれど、そう言われたらどことなく似ている気がしてくるから不思議だ。
リンはミホシに向かって屈託なく笑った。
「ミホシと会えて嬉しいよ! ソラもミホシも、外の世界から来たんだって? いっぱい、話が聞きたい!」
ミホシもつられたように、ぎこちなく笑った。
きっと、急にいろんな事が起こりすぎて、感情や、理性や、そのほかの諸々がついてこないんだろう。そうでなくとも、研究所を出てからずっと緊張の連続で疲れているはずだ。
「神楽ちゃんと違って、私は一人っ子だからさ、兄弟ってあこがれてたんだ!」
一番前を歩く神楽は、凪に打ち負かされたのが相当堪えたらしく、何度も凪をちらちらと振り返っている。
夙夜はそんな子供たちの様子を一番後ろから眺めていた。
「父ちゃんは、今なら学校にいると思うよ。一緒に会いに行こう。夙夜さんと、従妹のミホシが来たって言ったら、きっと喜ぶよ!」
樹海と街とを隔てる川を、飛び石のあるところから渡った。
こちらも火山灰の地面は同じだったが、踏み固められているため、道はソラの住む町と少し似た雰囲気だった。
ただ、周囲が本当に暗い。
その中で、煌々と明るむ建物があった。
「あれが『御苑』?」
ミホシが指差した先、まだ距離があるのに、見上げる位置にある望楼。褐色の屋根に、白い壁。闇夜の真ん中に、その建物がぼんやりと浮いているように見えた。
「そうだよ! 神楽ちゃんの家だもんね」
「神楽は宗主一族なんだな。朔さんも宗主一族って言ってたから、神楽とミホシも親戚同士なんだな」
ソラが言うと、神楽はちらりとこちらを見ただけで返答しなかった。
やがて、進行方向にぼんやりと灯りが見えてきた。
「高架下貧民街は今もあるの?」
「あるけど、ほとんど人は住んでないよ。みんな、灯りを求めて街に引っ越してるから。夙夜さんが10年以上、姶良に帰っていないんだったら、もしかすると様変わりしてるかもね。20年くらい前は、まだ月白種族と他の人間とが和解してない頃だって学校で習ったもん」
リンがそう言うと、夙夜は目を丸くした。
「月白種族が街で暮らしてるの?」
「そうだよ。少しでも動力を節約したいでしょう? そうすると、みんなが狭い場所に集まって暮らした方がいいよ。神楽ちゃんのお母さんが、一生懸命その政策を進めたって聞いたよ」
母の話に、ようやく神楽が振り向いた。
「母様は素晴らしい宗主です。20年前は全く忌避されていた高架下の月白種族を街に迎え入れて、その文化を取り入れて、今も少しずつ動力を節約しているんです」
「へえ……もしかして、『永久機関』の秘密はみんな、知っちゃったのかな?」
「秘密? なんのことですか?」
神楽が首を傾げたことで、夙夜は笑ってごまかした。
その頃には、街の入り口が目の前に近づいていた。
「さあ、これが姶良の街だよ。私たちみんなの、自慢の街だ」
リンは両手を広げて姶良の街を示した。
「ようこそ、姶良へ!」
その向こうには確かに、星空のような街が広がっていた。




