16
洞窟で過ごし始めてから3日が経った。
その3日間、ソラは痛みと痒みを訴える手足と戦っていた。一度、冷凍されてしまった皮膚は一日目に赤く腫れ上がり、二日目にひどい痒みを伴ってぼろぼろになり、三日目にはぺりぺりとうまく剥け始めた。
「やっぱり、まだ若いから回復が早いね。師匠の時はずいぶんかかったもんなあ」
夙夜がソラの手足に包帯を巻き直しながら笑った。
でも、まだ新しい皮膚は柔らかいから掻いちゃだめだよ、と言いながら。
「若いって、夙夜さんだってまだ若いじゃん。30歳にはなってないよね?」
「うん、今、28歳かな。もうとっくに、人生の半分はすぎちゃってるよ」
「半分?」
ソラは首を傾げた。
28、かける、2、は56。まだまだ、寿命という年ではないのに。まるで50歳くらいに死んじゃうような言い方だ。
ソラの父親の晃が今年40歳。平均的な寿命は80歳くらいだったはずだから、本当なら、晃がちょうど、平均の半分を超えたくらいだ。
もしかして、月白種族は寿命も少し短いんだろうか。
そう思ったが、ソラは問うことができなかった。
「どうしたの?」
夙夜が笑いかけたが、ソラは首を横に振った。
怖かった。
初めて、ミホシと異なる種類の人間であることが、怖かった。
もしかするとずっと一緒に生きていくのが難しいかもしれない、生きる時間が違うのかもしれない、と――。
次の日、ようやくソラたちは姶良の街へと出発した。
まだ足には包帯を巻いていて、ブーツにつっこむと痒くて仕方なかったけれど、三日もじっとしていたから、外に出られるというだけで嬉しかった。
ミホシが緊張した面持ちで入り口を見ている。
ソラは、なるべく自然にミホシの手を握った。
「じゃあ、行こうか。樹海の深部みたいに大型の蟲は出ないからたぶん大丈夫だと思うけど、僕と凪から離れないでね」
夙夜はよいしょ、とかけ声をかけて洞窟の入り口を覆っていた大きな板を取り去った。
その向こうには、真っ白な景色が広がっていた。
立ち並ぶのは、白い柱に白い傘を乗せた、真っ白なキノコだ。ユグドラシルの付近に見られたような巨木と違い、見上げれば傘の裏が見える。
その傘がよく見えるのは、どうやら夜光蟲よりずっと明るい虫がたくさん飛んでいるせいだった。
「夙夜さん、あの蟲は?」
「『輝光蟲』だよ。月白種族は、あの蟲を捕まえて明かりにするんだ。この辺りの白い茸が群生してる土地は『白鬼の森』って呼んでるんだけど、輝光蟲はどうやらこの白い茸がお気に入りらしくて、いっぱい集まってくるんだ」
肩に止まった輝光蟲に向かって微笑みながら、夙夜は答えた。
その姿を見て、ソラはほぅとため息をついた。
ここへ来てから綺麗な景色を見てばかりだ。
「ああ、そうだ。籠灯りをひとつ、作っておこうか。凪、輝光蟲を一匹捕まえてくれる?」
夙夜の言葉で、静かに歩いていた凪はこくりと頷いた。
無表情のまま、無言のまま、少しだけ辺りを見渡すと、不意にぱっと手を大きく振り回した……ように、見えた。
何が起きたかよく分からなかった。
凪は握りしめた手を夙夜に差し出す。
「ああ、ちょっと待ってね。今、籠を編むから」
夙夜は歩きながら、腰につけていたポシェットから細い糸を引っ張りだした。
どうやら粘着質らしいその糸を、器用に編んでいく。
そして気がつけば、目の粗い提灯のような形をした籠ができあがっていた。
「凪、ここに輝光蟲をいれて」
夙夜に言われ、凪は握りしめていた手をゆっくりと開いた。その掌から眩い光が溢れ出す。
手の中にいたのは輝光蟲だった。
その虫が逃げてしまう前に、凪は編まれた籠に輝光蟲を突っ込んだ。
「ありがとう。これで大丈夫だ」
夙夜が笑ってその籠を目の前に吊り上げた。
ランプの代わりだ。
本当に樹海にはいろんな虫がいる。
もちろんそれは最初にあったような怖い虫も多いけれど、生活に密着した、有益な虫も多いんだろう。
きっと月白種族は、この灰の天井に覆われた狭い土地で、キノコと虫と共に生きているんだ。
ミホシも興味深げにその様子を見ていた。
それに気づいた夙夜が、にっこりと笑いかける。
「やってみる?」
ミホシとソラは、競うように頷いた。
夙夜から網の材料を受け取り――これも蟲が紡ぎだす菌糸の一種らしい――歩きながら編んでいく。
しかしながら、ソラは冷えた手先の皮がまだ戻っていないというハンデを背負っていたため、出来上がった籠はミホシの方が上手だった。
「次はオレの方がうまく作ってみせる!」
勢いづいて次に取りかかろうとしたが、夙夜が笑って進行方向を指したので、手を止めた。
「その前に、そろそろ樹海を出るよ」
歩きながら籠灯りを作るのに夢中になっていて気づかなかった。しまった、もっと周囲の景色を楽しんでおくべきだった。きっと、綺麗な景色がいっぱいあったはずなのに。
夙夜の指さす方向は、薄ぼんやりと、明るんでいた。
樹海を出ると、柔らかいカビに覆われた地面から、踏むときゅっきゅ、となる砂のような火山灰に変わった。
そして、行く手には幅の狭い川が流れている。この川が、樹海と街を隔てているのだろう。
「ええと、確か少し上流の方から渡れたはずだよ」
夙夜が左手に進路を変えようとした時だった。
「待ちなさい!」
鋭い声が飛んできた。
何だろう、と見渡した4人の目の前に、上から降ってきた人影。
藍色の衣装に身を包んだ、まだ年若い少年だ。ソラより少し年上だろうか。月白種族ではないようで、耳は尖っていなかった。が、常闇の街に住む種族らしく、肌の色は白かった。
そして、声は少年でも長い睫に縁取られた目や顔全体の造形が、まるで女の子のようだった。大人しそうな印象を受けるが、先ほどの声はこの子だろうか?
少女と見紛う容姿のその少年は、警戒も露わにソラたちをじろじろと見た。
「君たち見かけない顔ですけど、樹海に入る申請は出していますか? 許可証は?」
「申請?」
夙夜は首を傾げた。
「樹海にはいるには宗主一族の許可が必要です。姶良の民として、知らないとは言わせません」
少年が偉そうに言う。
「最近はそうなっちゃったの? 何しろ、姶良に戻るのが10年ぶりなんだ。あ、さっき数えたら13年ぶりだったんだけどさ。昔はそんなのいらなかったから、許可は取ってないなあ」
のんびりと夙夜が答える。
「10年?」
いぶかしげに眉を寄せた少年は、夙夜をじろじろと見た。
「許可はないけどさ、もし弓弦さんに会えたら、たぶん納得してもらえると思うよ。望さんでもいいけど」
夙夜が言うと、その少年はぴくりと眉を跳ね上げた。
「……望というのは、ボクの母の名前です。なぜ許可証も持たないキミが、母の名を知っているのですか?」
「だって僕はもともと姶良に住んでたもん……ってあれ? 君は望さんの子供なの? わあ、それなら、次期宗主じゃないか!」
「次期宗主はボクじゃありません。妹の輝夜で……ってそんなことはいいんですよ」
その少年は、帯に挟んでいた武器の釵を抜き放ち、一閃、二閃。
次の瞬間、ソラたちは地面から突然現れた網に足を取られた。
逃れる暇なんてない。
あっという間に大きな網に捕まった4人は空中に吊り上げられた。
「捕えて、連行します」
すぐそこの大きなキノコの傘に伸びたその網の先は口がすぼみ、逃げられそうにない。重なり合うようにして捕えられてしまった。
「……みんな、大丈夫?」
夙夜が頭を押さえながら言う。
その腹の上にソラは足を乗せてしまっていた。その上にミホシが乗って、凪が一番上。
ソラの目の前に凪の手が落ちてきている。朔の左手と同じように、キリキリ、キシキシと歯車の擦れる音がした。
「凪、何とかしてー」
夙夜ののんびりした声で、ソラの目の前にあった凪の掌から、鋭いナイフが飛び出した。
「ひぃっ」
思わず声を上げるソラ。
凪は全く気にせず、そのナイフを振りかざした。
そして次の瞬間、4人はちぎれた網の底から、重なり合うようにして地面に落っこちた。




