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13

 寒さは容赦なく体力を奪っていった。耳も目も鼻も喉も、焼けるように痛かった。痛いのを通り越して麻痺していき、完全に固まってしまった。

 それでも、二人は歩き続けるしかなかった。

 しかし、歩き出してしばらく、ミホシが大きな耳をぴくりと動かした。

 ソラは息を整えながら立ち止まり、問う。

「どうした、ミホシ」

「わかんない。何か……こっちに向かってきてるような気がして」

 まるで動物がそうするように、ミホシは耳の方向を変える。音の方向を探るように辺りを見渡すと、やがて一つの方向を見て、止まった。

 その目が大きく見開かれている。

 暗闇で、ソラよりもずっと多くのものを見ることの出来る瞳が、何の動きも逃すまいと一点に集中する。

 その時、ソラの耳にも音が届いた。

 キリキリ、キシキシと歯車がすれる音。そして、何者かがずるずると地面を這う音。

 ソラはミホシを庇うように立った。

 もちろん、今にも足が震え出しそうに怖いし、心臓はびっくりするほど早く鳴り響いている。

 何しろここは、未知の世界。ソラの住む地上とは、全く異なる土地なのだ。例えば、熊のような大きな動物がおそってきたら? 毒蛇のような生き物がいたら? 他にも、蜂や蟻のように、小さくても攻撃してくる生き物がいたら?

 二人とも、武器なんて持っていない。もしかすると飛行船に積んであったのかもしれないが、少なくともソラに理解できる武器はなかった。

 ずるずると這う音が、少しずつ近づいてくる。

 ミホシにがその全容が見えたのだろう。背後で息を飲み、ソラの背に寄り添うようにして震えた。

「ミホシ、少し眩しくなるよ」

 蓄電が少なくなってきているから、最後になってしまうかもしれないが。

 ソラはミホシが頷くのを確認し、ランプの明かりを最大まで引き上げた。

 目の前で閃光が炸裂したかのような光があふれる。

 すぐそばで、(つんざ)くような生き物の悲鳴が聞こえた気がした。ずるずるという音が、地面を打つどたんどたんという音に変わった。

 眩しさに一度目を閉じたソラは、おそるおそる目を開いた。

 そして、目の前に迫る敵を見た。

「……っ」

 背中から冷水を差し込まれたように一瞬で思考が冷えた。

 明るすぎる光に悶え、のたうち回っていたのは、見たこともないほど大きなムカデだった。


 夜光蟲や破裂蟲と一緒だ。

 ムカデの手足は――手と足の区別があるか知らないが――鈍い金色の金属で出来ていた。関節を形作る歯車がきりきりと歪み、何十本もある手足が波打つように動く。金属同士のこすれ合う不快な音がした。

 黒々とした頭部がソラの頭と同じくらいある。体の長さは言うまでもない。もし捕まったら――想像しようとして、やめた。

 光の強さに、じたばたとのたうっていたムカデはやがて、光に慣れたのか落ち着き始めた。

 光を映さない真っ黒な目がソラたちに向けられる。

 怒っている。

 目の前に横たわる機械仕掛けの大きな蟲から、ソラは明確な敵意を感じた。

 ソラは咄嗟にランプを投げつけた。

 ムカデの視線が放物線を描いたランプを追う。

 その隙に、ソラはミホシの手を引いて駆けだした。

 背後でムカデがランプを噛み潰す音がした。


 自分の呼吸の音がおかしいのは何となくわかっていた。もう走るほどの体力は残っていないのだ。

 そのうえ、口から入ってくる空気が冷たい。肺の中から凍ってしまいそうだ。手は冷たすぎて、ミホシの手を握ったつもりでまったく握れていなかったし、走るのもソラの方が遅かった。

 しかも、ランプを投げてしまったせいでソラは周囲が全く見えない。

 ミホシはそれでも、ソラについてきていた。暗闇に耐性があるように、寒さにも強いのだろう。

「ソラ! 追いかけてきたみたい!」

 背後を振り返ったミホシが叫んだが、それすらもソラには見えない。

 何も見えない暗闇の中を駆ける恐怖。追ってくる大きな敵。先の見えない道。

 今にも凍り付きそうな手足を必死に動かしている。もう、とっくに感覚はなくなっていた。

 顔の横を何かがかすめていった気がした。それがムカデの尻尾だと認識できなかったのは僥倖だ。分かっていたら、パニックになっていたかもしれない。

 寒さで痛みが分からなくなっていたのもよかった。分かっていたら、頬の傷に気づいて足を止めてしまっていたかもしれない。

 ミホシがくるりと振り返って、破裂蟲を投げつけた。

 ぱぁん、と軽い音がしてムカデの声が響く。

 一瞬の足止めになったようだ。ミホシは、ソラの手を取ってさらに駆けだした。


 しかし、やはり体力の限界は訪れた。

 ソラはとうとう足をもつれさせた。

 あっと思う間もなく、地面を転がる。

「ソラ!」

 気づいたミホシがソラの隣にしゃがみ込んだ。

「ソラ、ソラ、しっかりして!」

 ミホシの泣きそうな声がする。

 ああ、いつも転んでばっかりだ。体育の時間でも、研究所の階段でも、ユグドラシルでも。

 肩を揺すられたが、一度止まってしまった手足はとても動きそうになかった。

 ダメだ。起きないと、ミホシと一緒に逃げないと。

 ムカデの気配はすぐ側まで迫っていた。



 と、その時、唐突に爆発音が響き渡った。

 ミホシがはっと顔を上げる。

 同時に、生暖かい風が地面に横たわるソラの頬を撫でた。

「何……? なにが起きたの……?」

 混乱するミホシの声。

 さらに二度、三度と爆発が続く。

 そして、最後に一度、大きな爆発が起きた後。

 きぃんと金属を思い切り叩きつけるような断末魔が響きわたり、ムカデはそれっきり沈黙した。どぉ、と大きな音がして地面から衝撃が伝わってきた。ムカデが地面に倒れたのだ。

 いったい何が起きたのか分からない。

 が、力を失った体は絶望的に重く、視界はずいぶんとかすんでいた。立とうと思っても、思うだけで、体はピクリとも動かなかった。

 倒れこんだソラと、座り込むミホシ。

 そこへ、明るい声が響いた。

「よかった、間に合ったね。閃光虫を放ってくれてよかった。あれで場所が分かったんだよ」

 知らない声がした。中性的な響きだが、おそらく男性のものだろう。弾むような調子でミホシとソラに話しかけているようだった。

「君たちもしかして、学校の実習? こんな奥まで来ちゃだめだよ、二人とも」

「あの……あたしたち、学校の実習じゃありません。外からきたんです。あの、ユグドラシルを通って」

「外?」

 素っ頓狂な声がした。

 そして、しばらく沈黙が流れた。

 ミホシも困惑しているようだ。

「……あぁ」

 沈黙を破ったのは、その人の感嘆の声だった。

「そう……そうか。そうなんだね。うん、分かった。分かってる。ああ、でも、本当にまさか!」

 興奮したように叫んだその人は、さくり、さくりと足下のふかふかの地面を踏みしめて近づいてきた。

 ミホシが少しだけ警戒したのが分かった。

 守らなくちゃ。

 ソラは最後の力を振り絞って瞼を押し上げた。

 ミホシと視線を合わせるようにして(ひざまず)いたのは、朔と同じか、少し年下の男性だった。肩に届きそうな淡い茶色の髪。この人もミホシと似た衣装に身を包んでいる。黄色いその服は、暗闇の中でとてもよく目立っていた。

 その人は、優しそうな微笑みを称えて、ミホシに手を伸ばした。

「うん、朔さんによく似てる」

 ミホシははっと息を飲んだ。

「もしかして、お父さんの事を知っているの……?」

「知ってるよ。懐かしいな、10年くらいは経っちゃったのかな?」

 その人は、ミホシの顔を覗き込むようにしてもう一度微笑んだ。嬉しそうに笑ってはいるものの、敵意は感じなかった。大人なのに、子供みたいに笑う人だなと思う。

 そう、まるで朔のように。

 きっと本当に朔さんの知り合いなんだ。これでミホシは大丈夫。

「君は間違いなく、僕の大事な友人たちの大事な大事な娘さんだ」

 そういって泣きそうな顔で笑ったその人の耳は、大きく尖っていた。

 間違いなく、月白種族だ。

 何より、その顔にはどことなく、ユグドラシルの幹にはめ込まれた結晶に浮いていた少女の面影がある気がした。


 その人の手がソラの首元に当てられるのを感じながら、ソラは意識を手放した。


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