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 ソラはぐらぐらと揺れる船内で何とか操縦席に駆け寄り、先ほど教わったとおりに推進機関を起動し始めた。

 もちろん、すぐには動かせない。スタンバイ状態になるまでしばらくかかる。

 少しずつ上がっていくゲージをやきもきと待ちながら、側面の窓を覗き込んだ。

 ワイヤーに引っ張られ、飛行船『カンジ2号』はどんどんと高度を下げている。ワイヤーの先が鉤状になっていて、尾翼に刺さっている。ワイヤーは飛行船を追ってくる船へとぴぃんと伸びていた。

 あれを外さないと、墜落は時間の問題だろう。

 と、尾翼の下あたりから人影が現れた。底部につけられたハッチから顔を出し、きょろきょろとあたりを見渡した。

 朔だ。

 凄まじい勢いで吹き荒ぶ灰の風の中、藍色の衣を翻した朔は飛行船の表面にわずかに見られる継ぎ目に手をかけながら、器用に尾翼へと向かっていった。

 淡い金色の髪が大きく風に嬲られた。

 ぱっと計器を見ると、推進機関はすでに起動を完了していたけれど、今これを動かせば外にいる朔が落ちてしまう可能性があった。

 ソラは一瞬、ためらった。

 その時、後ろからミホシの声が響いた。

「ソラ! どうしたの、何があったの?」

 斜めになってしまった床に手を突きながら、ミホシが操縦席までやってくる。ソラはミホシに手を伸ばし、引き寄せるようにして操縦席に座らせた。

「追手が来てるんだ。船からワイヤーを引っかけて、この飛行船を落とそうとしてるんだ」

「お父さんは?」

 ソラは窓の外を指さした。

 ミホシは外の光景を見て息を飲む。そこには今にも飛ばされそうになりながら、飛行船の外に張り付く朔の姿があった。

 朔はワイヤーの(かぎ)を掴み、渾身の力を込めてそれを外した。

 再びがくん、と衝撃があって、飛行船の床が水平に戻る。

 が、ほっとしたのもつかの間、灰の海を走る数隻の船から一斉にワイヤーが放たれた。数本の鉤が飛行船に突き刺さり、あっと言う間に傾いた。

 ソラはミホシを支えながら、必死で窓にしがみつく。

 見ると、朔もバランスを崩し、かろうじてハッチの端に手をかけているだけの状態になっていた。

 ミホシが悲鳴を上げる。

 しかし朔は慌てていなかった。上下左右を確認すると、なんと、自らハッチから手を離したのだ。

「朔さん!」

「お父さん!」

 同時に叫んだ。

 落下していく朔の体。

 しかし、灰の風に飲まれそうになったその瞬間、朔は左腕を大きく上に突き上げた。

 不思議なことに朔の体の落下が止まった。

 それどころか、まるで弾力のあるゴムに引っ張られるかのように、朔の体が上へ向かって弾んだのだ。

 じっと観察すると、朔の左手からは何か細い糸のようなものが伸びているのが見えた。

 その糸を巧みに操り、朔は飛行船に刺さった数本のワイヤーをあっと言う間に取り払った。

 再び飛行船が安定する。

 朔は、左手を上に伸ばし、右手に何か、長い棒のようなものを持ったままぶら下がっていた。

 その青い瞳は、灰の大地を走る数隻の船に向けられていた。

「――」

 朔が口を開く。ソラと、ミホシに向かって。

 音は聞こえないが、はっきりと読みとれた。

――足止めをする。二人で先に行け。

 間違いなく朔はそう言った。

 ミホシもわかったのだろう。その瞬間、はっきりと顔を強張らせた。

 そして、最後の視線はソラに向けられる。

 瞳の奥に隠された意図を直接受け取った気がして、どきりとした。朔の声が耳の奥でリフレインする……男同士の、約束だ、と。

 朔は大きく反動をつけると、左手の糸を切り離し、眼下の船に向かって降下していった。


 その瞬間、ミホシは叫んだ。

 まるで獣のような声だった。お父さん、と言ったのかもしれないし、ただの悲鳴だったのかもしれない。ソラには判別できなかった。

 ソラは反対に、弾かれるようにして操縦席にかじりついた。

 そして、教えられたとおり、推進機関を一気にすべて加速させる。

 大気全体が前から強く押されるような感覚とともに、飛行船は飛び出した。

 加速の圧力で、ソラは後ろに転げそうになったが、何とかこらえた。

 操縦桿を思い切り引き上げると、推進力を得た飛行船はぐんぐんと高度を上げていった。

「ミホシ! 大丈夫か?!」

 彼女を支えてあげられなかったのが心残りだった。

 急激な加速に耐えられず、ミホシは後ろ側の壁に叩きつけられてしまっていた。

 ぐったりと動かないミホシ。

 しかし、今はここを離れるわけには行かない。

 ソラは急加速と急上昇で全身を押さえつけるような加速に耐えながら、操縦桿を握り続けた。



 追手の船が遠ざかったところで、ソラは肩の力を抜いた。

 計器を見ると、研究所を出てからずっと追い風だった風向きが横殴りのものに変わっていた。

 まっすぐ飛べるよう、いくつかの推進機関の強弱を調節し、方向を修正する。方向指示器に浮かんだ球は、くるくると回転しながらも進行方向に収まっていた。

 振り返ると、ミホシはいつの間にか一つ後ろの席に膝を抱えてうずくまっていた。

「ミホシ」

 声をかけたが、返事はなかった。

 ソラは努めて明るい声で言った。

「大丈夫だよ、朔さんは先に行ってて、って言ったじゃないか。すぐに追いついてくるよ」

 ミホシは顔を上げない。

 すん、と鼻をすする音がした。

「……ミホシ」

 これからいくらでも成長できると朔は言ったけれど、今のソラは子供だから何も出来なくて。それとも、ソラだから出来ないのかもしれないけれど。

 今、この瞬間、ミホシの涙を止めることも出来ないのだ。

 ソラは誤魔化すように操縦に集中した。追い風は横殴りの風になり、さらに少しずつ向かい風へと変わってきている。推進機関の調節をしながら、変わらない昏海の景色を眺めていた。

 気を紛らわしていないと、晃と寛二を置いてきたことも、朔が行ってしまったことも、この飛行船を動かせるのがソラだけだという事も、不安となってのしかかってくる。

 何かに集中していないと、崩れ落ちてしまいそうだった。


 と、不意に背中に暖かいものが触れた。

 何だろう、と思うより先にミホシの声がした。

「ソラ……どうしよう。お父さんがいなくなっちゃった」

 声が背中にかかって、温かい息が首筋に触れて、ソラは頭の中が真っ白になった。

 振り向けずにいると、背中から嗚咽が漏れた。

 それだけでソラの胸は絞られたように痛む。自分の無力への絶望と、ミホシが泣いている事への悲しみと、朔がいなくなってしまった事への不安と。

 様々な感情がソラの中を渦巻いた。

 つられるように、じわり、と目の端に熱いものが滲んで、思わずソラは唇を噛みしめた。

 ミホシと一緒に泣いてしまいそうになる。

 が、それだけは堪えた。

 まだ子供でるソラにできる、精一杯の抵抗だった。

 とうとう声を上げて泣き出したミホシの体温を背中に感じながら、それでも精一杯虚勢を張って前を見続けた。

 灰色の空が何度も滲んだけれど、その度に唇を噛みしめ、少し上を向いて堪えた。

「大丈夫」

 それでも、かろうじて絞り出した声は、わずかに震えていた。

「オレがミホシを姶良に連れていってやる。絶対だ。姶良で朔さんを待とう。きっと、大丈夫だから。だから――」

 ソラは操縦桿に額を預け、零すように囁いた。

――泣かないで、と。


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