従兄弟のマンションで
僕たちが明美の従兄弟が住んでいるというマンションに到着したのは、深夜一時を少し回った頃だった。途中で休憩のために立ち寄ったパーキングエリアで、明美が携帯電話を使ってあらかじめ従兄弟には連絡を取ってくれていたので、部屋のインターホンを押すと、すぐに明美の従兄弟がドアを開けて僕たちを迎え入れてくれた(乗ってきた車は近くにあった安いパーキングに駐車してきた)。
明美の従兄弟である、和司さんは、痩身で背が高く、明美同様色白で、比較的整った顔立ちをしていた。髪の毛は短く整えられていて、そのくっきりとした二重の瞳のなかには、全てのものを冷静に見極めることができるような光が宿っているように思えた。まるで彼に一目見られただけで、こちらの考えていることが全て見透かされてしまうような。黙っていると、冷たくて取っ付きにくいような印象を与える顔たちでもあるのだけれど、和司さんはそんな第一印象とは対照的に穏やかな表情で僕たちを向かえてくれた。
「よく来たね」
と、和司さんは僕たちを見ると、にこやかな笑顔で言った。
「夜遅くにごめんね。和司兄ちゃん」
明美は和司さんの顔を見ると、申しわけなさそうに言った。
「いや、べつに構わないさ。俺はもともと不眠症でいつも上手く眠れないから、こうして来客があった方がむしろ退屈しなくてちょうどいいくらいなんだよ」
と、和司さんは冗談めかした口調で言った。
「……はじめてまして。武田勇気といいます」
僕は明美の隣で遠慮がちに自己紹介をした。
「はじめましてって、まるではじめて会ったみたいな言い方をするな……」
と、和司さんは笑って(恐らくこちらの世界の僕は和司さんと顔見知りだったのだろう)僕の言葉に答えかけて、その表情をはっと(和司さんは明美と同様、僕のオーラ?の違いのようなものに気がついたのかもしれない)緊張させた。それから、問うように明美の顔を見つめた。
「……もしかして?」
と、呟くように言った和司さんの言葉に、明美は和司さんの顔を見つめると、無言で頷いた。
「こっちの武田勇気は和司兄ちゃんが知ってる武田勇気じゃないの。……わたしたちと同じで、異世界、パラレワールドから来た武田勇気なの。……そして今日はそのことで、相談したいことがあってやってきたんだけど」
明美の科白に、和司さんはなるほどというように軽く頷くと、改めて僕の顔に眼差しを向けた。それから、
「……先程は失礼した。そういうことだとは知らなかったものだから。俺は明美の従兄弟の、福田和司だ。よろしく、武田くん」
と、改まった口調で和司さんは挨拶すると、握手を求めてきた。僕はよろしくお願いしますと答えから、少しぎこちなく和司さんの手を握り返した。
その後、僕たちは和司さんにリビングに通されて、そのリビングにある黒のソファーに向かい合わせに腰かけた。和司さんはお金持ちなのか、和司さんが一人暮らしをしているというマンションはゆったりとした設計になっていて、リビングだけで二十畳近くはありそうだった。今、僕たちが居る部屋とはべつに寝室もあるようだった。
「広い部屋ですね」
と、僕は和司さんの部屋を見回すと、感心して言った。和司さんの部屋はただ広いだけでなく、高級感のある、黒を基調とした家具で統一されていた。一見すると、まるでデザイナールームのようにも見える。
「もしかして、和司さんってお金持ちなんですか?」
と、僕は訊ねてみた。すると、和司さんは、
「そうだったら良いんだが」
と、苦笑するように笑って言った。
「大学の研究室に所属してから、安く借りることができているだけなんだ。このマンションは大学の持ちものでね、通常であればこれだけの広い部屋となると、それなりの家賃がかかるものなんだが、研究員ということで格安で貸してもらっている。ちなみに、この部屋にある家具類も、基本的には最初からついていたもので、俺の持ち物じゃないよ」
和司さんは僕の顔を見ると、困ったような笑顔で続けた。
「なるほど。そうなんですね」
僕は曖昧な笑顔で頷いた。
「でも、和司兄ちゃん、そう言いながら、実はお金持ちなのよ」
と、僕の隣に腰掛けている明美が悪戯っぽい口調で言った。僕がどういうことだろうと明美の顔を見ると、
「和司兄ちゃんのお婆ちゃんが、お金持ちだったの。だいぶ前にそのお婆ちゃんは亡くなってしまったんだけど、和司兄ちゃんはそのお婆ちゃんから莫大な遺産を引き継いで、その遺産で、大学とはべつに自分の研究所みたいなものも持っているくらいなの」
「おい。明美、武田くんに誤解を与えるようなことを言うんじゃないよ」
と、和司さんは明美の顔を見ると、微笑して抗議した。
「だって、ほんとうのことでしょ?」
と、明美は和司さんの顔を見返すと、からかような口調で言った。
「ほんとうは和司兄ちゃん、もう一生働かなくても生きていけるくらいのお金を持ってるのよ」
僕はびっくりとして和司さんの顔を見つめた。
「いや、いくらなんでもそれは大袈裟さ」
と、言って、和司さんは微苦笑して首を振ったけれど、でも、その和司さんの反応を見ている限り、さっき明美の言ったことは全くの的外れというわけでもなさそうだった。世の中には信じられないようなお持ちのひとって実際にいるんだなぁ、と、僕は憧れるように和司さんの顔を見つめた。
「でも、まあ、それともかく」
と、和司さんは仕切り直すように改まった口調で言うと、僕たちの顔を見て、
「ふたりとも何か飲み物はいらいか?俺はコーヒーか何か飲もうかと思ってるけど」
と、確認してきた。
じゃあ、わたしはコーラでと、明美は遠慮なく言った。僕もじゃあ同じものでお願いしますと言って僕は頭を下げた。和司さんはわかったと言って笑顔で頷くと、それまで座っていたソファーから立ち上がって、キッチンの方へと歩いていった。そしてしばらくしてからお盆に三人分の飲み物と、チョコレート菓子を持って部屋に戻ってきた。それから、和司さんはまたもとのソファーに座りに座り直した。和司さんはコーヒーを飲むと言っていたのに、結局面倒になったのか、僕たちと同じコーラをグラスのなかにいれていた。僕たちはそれぞれ黙ってコーラを手に取ると少し飲んだ。
「ところで、今日は何かあったのか?」
と、和司さんは明美の顔を見ると、心配そうな表情で言った。
「……こんな時間にわざわざ訊ねてくるっていうことは、それなりにわけがあるんだろう?」
明美は和司さんの指摘に、無言で頷くと、顔をあげて和司さんの顔を見据えた。それから、
「もともと、近いうちに和司兄ちゃんのところには行こうと思っていたんだけど」
と、明美は少し小さな声で話はじめた。
「さっきも言ったように、勇気を、和司兄ちゃんにも会わせたかったから……でも」
と、明美はそこで言葉を区切った。そしてそれから、遠藤くんのことについてや、最近明美の周辺で何か不穏な動きが感じられることを、明美は語って聞かせた。
和司さんは明美の話を聞き終えると、テーブルの上のコーラを再び手に取って一口啜り、それから、
「……確かにそれは急激に状況が緊迫してきているみたいだな……」
と、呟くような声で言った。
それから、和司さんは何か気になったのか、それまで腰掛けていたソファーから立ち上がると、ベランダの前まで歩いていき、カーテンを開けて外の様子を確認した。そしてしばらくしてからまた僕たちのところまで歩いて戻ってくると、ソファーに座り直した。和司さんの表情は険しいものになっていた。
「……今のところ、不審な人間がうろついてるような気配はなかったが……」
と、和司さんは顎先の皮を右手で摘むと、軽く眼差しを伏せて独り言を言うように言った。
僕は和司さんが口にした言葉を耳にしながら、ここへ来る道中、明美が気にしていた、僕たちのあとをつけていたかもしれない車のことを思い出した。ひょっとすると、彼等はマンションのすぐ外で待機していて、今にもこの部屋に突入してこようとしているんじゃないかと僕は落ち着かない気持ちになった。僕は気になってマンションの入り口の方を振り向いてみたけれど、今のところそこから誰かが入ってくるような気配はなかった。
「和司兄ちゃんは、今、何が起こっているんだと思う?」
と、明美は和司さんの顔を見ると、不安そうな表情で言った。
「……実を言うと、和司兄ちゃんには何回か話したと思うけど、わたしがネットで知り合った、わたしと同じ体験をしているひとたちと最近連絡が取れなくなってるの」
明美は怯えているような声で続けた。
そう述べた明美の顔を、和司さんは驚いたように見やった。僕は明美が今口にしたことははじめて聞くことだったので、問うように明美の顔を見つめた。すると、
「勇気にはまだ話してなかったんだけど、わたし、ネットを使って、自分と同じ体験をしているひとたちと連絡を取り合っていたの。つまり、異世界へ突然移動してしまった体験を持っているひとたちと。そういうことに単純に興味があったっていうのもあるんだけど、具体的に何が起こって自分がこの世界へ来ることになってしまったのか、詳しく知りたいって言うのもあって……もっと言うと、自分たちに共通していることがわかれば、もとの世界への戻り方もわかるじゃないかって思ったの」
と、明美は説明してくれた。
「……ほんとうにそのひとたちと連絡が取れなくなっているのか?」
と、和司さんは明美の顔を見つめると、緊張しているような面持ちで訊ねた。
「……うん。でも、もしかしたら、みんな単純にいま忙しいだけなのかもしれないし、あるいはパラレルワールドのことなんて、もうどうでも良くなってしまっただけなのかもしれないけど……」
と、明美はいくらか自信なさそうな声で答えた。
和司さんは明美の発言に眉間に皺を寄せて、何か考え込んでいる様子で黙っていた。明美も和司さんが何か意見を言うのを待っているのか、黙っていた。僕も特別何も言うことがなくて黙っていた。何だか居心地の悪い沈黙がしばらくのあいだ続き、その沈黙のなかに、いつの間にか降り出したのか、雨が世界を濡らしていく音がマンションの外に静かに聞こえた。それは何だか少し物悲しいような感じのするような雨音だった。
「……もしかすると、いよいよ何かが本格的に活動をはじめたのかもしれないな」
と、いくらか長い沈黙のあとで、和司さんは僕を不安にさせるような言葉を口にした。