移動
店を出ると、僕たちは明美が運転してきた車に乗って移動することになった。明美が何か危険な予感がするから家には帰らない方が良いと言ったのだ。それに僕に会わせたいひとがいるのだとも彼女は言った。
「……あのひと、オーラーがなかった」
と、明美は信号待ちで車を停車させたときに、小さな声で言った。
「……あのひとって、遠藤くんこと?」
と、僕は明美の横顔に視線を向けると、確認してみた。明美は僕の問いに、無言で顎を縦に動かした。信号が青に変わったので、明美は車を走らせた。街灯のオレンジ色かがった光が明美の顔を淡く照らし出していた。
「……普通、どんなひとにも、オーラっていうものは必ずあるものなのに、何故か、あのひとはそれがなかったの」
車を運転しながらそう告げた明美の声はどこか怯えているようにも響いた。
「たまたま、遠藤くんは見えなかっただけとか?」
僕は言ってみた。明美は僕の発言を軽く首を振って否定した。
「それはない」
明美は断言した。
「だって、わたし、これまでオーラを見ようと思って、見えなかったことなんて一度もないもの」
僕は明美の科白にどう言ったらいいのかわからなかったので黙っていた。明美も何か考えているようにどこか思い詰めたような表情で黙っていた。
「……実を言うと、今日みたいにオーラを見えなかったことが、最近何回かあるの」
と、明美はしばらくの沈黙のあとで口を開くと、少し小さな声で言った。僕は正面に向けていた視線を明美の横顔に戻した。
「それはさっき話した、わたしが変な質問をされたとき。あなたは異世界から来たんじゃないのかって質問をされたとき。その質問をしてきた全員が、何故か、オーラがなかったの。……見ることができなかったの」
僕は明美の発言に目を見張った。
「……それはつまり、遠藤くんも含めて、そのひとたちは共通点があるということだよね?」
僕の問いに、明美は無言で首肯した。
「……彼等は何者なんだろう」
僕は顔を正面に戻すと、独り言を言った。
「……これはただのわたしの憶測なんだけど」
と、少し間を置いてから、明美は言った。僕は振り向いて明美の顔を見つめた。
「彼等もまた、異世界から来たひとたちなんじゃないかしら?」
と、明美は真剣な表情で言った。
「きっとオーラを見ることができなかったのもそのせいで……といっても、勇気の場合は異世界の人間なのにオーラが見えるのに、どうして彼等は例外なのかと訊かれると、上手い説明が思い浮かばないんだけど……でも、とにかく、そんな気がするの」
僕は明美の仮説を聞いて、自分の肌が粟立つのを感じた。遠藤くんが異世界のひと?
「……もし、仮そうだったとして、彼等の、遠藤くんたちの目的はなんなんだろう?どうして僕たちに近づいてこようとしているんだろう?」
僕の問いに、明美はわからないというように首を振った。
「……あるいは、彼等はわたしたちを利用しようとしているのかもしれない」
明美は軽く眉根を寄せると、険しい表情で言った。
「利用って?何に?」
「……それはわからないけど」
明美は言ってから、軽く唇を噛んだ。それから、また少しの沈黙があった。僕は窓の外を流れていく寝静まった町並みを見つめながら、遠藤くんが僕に近づいてきた理由を自分なりに考えてみた。
もし、仮に、遠藤くんが明美の言っている通り、異世界の人間だったとして、彼は僕が異世界の人間であることを突き止めて、一体どうするつもりだったのだろう、と、僕は考えた。まさか、僕を殺すつもりだったのだろうか?僕は首を振ってその考えを否定した。もし、そのつもりだったなら、その機会はこれまでにもいくらでもあったはずだし、でも、そうしていないということは、そのような目的ではないということなのだろう、と、僕は結論づけた。
では一体どんな目的なのか?そもそも遠藤くんが異世界の人間だったとして、彼は僕と同じように意図せずにこちらの世界にやってきてしまったのだろうか?と僕は想像した。……そして少し考えて、いや、違うな、と、僕は否定した。もし遠藤くんが意図せずにこちらの世界にやってきてしまったのだとしたら、もっと混乱したり、怖がっていたりするはずだと思った。でも、遠藤くにはそんな様子は全くなかった。
ということは……といっても、これは明美の言う通り、遠藤くんたちが異世界の人間だったと仮定しての話だけれど……彼等は意図的にこちらの世界を訪れているんじゃないのか?と僕は思った。彼等の世界は僕たちの世界よりも格段に技術が進歩していて、恣意的に、自由に、パラレルワールドに来ることが可能なんじゃないのかと思った。そして、もし仮にそうだとして、彼は一体どんな目的でこの世界を訪れているのだろうと僕は気になった。
調査、研究のため?あるいは何かの実験のため?……その実験を行うにあたって、僕たちが必要だったとか?……と、ここまで僕は空想を膨らませてから、我に返った。いくらなんでもこれはSFチックに話が飛躍し過ぎだな、と、僕は苦笑した。
「……もしかしたら、気のせいかもしれないんだけど」
と、僕が自分の思考のなかに沈んでいると、明美が遠慮がちな口調で言った。
「どうかしたの?」
僕は明美の顔を見つめた。明美は僕の問いかけに、バックミラーを気にするような素振りを見せた。それから、自分の考えを振り払おうとするように頭を振った。
「……ごめん。やっぱり気のせいだったみたい」
と、明美は弱い声で言った。僕は明美の仕草が気になって、後ろを振り返ってみた。
「さっきからずっと同じ車がわたしたちのあとをついて来ているような気がしたんだけど、でも、やっぱり気のせいだったみたい……きっと、わたし神経質に成り過ぎてるのね」
と、明美はそう言うと、強がるように口元に強張った笑みを浮かべた。
僕は明美の発言に怖くなって、しばらくのあいだ後方をずっと眺めていたけれど、少なくも今のところは、僕たちのあとをついていきているような不審な車を確認することはできなかった。ただそうは言っても、完全に安心することはできなくて、今は僕たちに感づかれそうになったから、少し距離をあけているだけなんじゃないのか、とか、色々と悪い方向に想像が膨らんでしまうのはどうしようもなかった。僕はいまひとつすっきりとしない気持ちで前に向き直った。
「……もし、つけられているとしたら、遠藤くんかな……」
僕は明美の横顔にそれとなく視線を向けると、小さな声で言ってみた。今見えている情景に重なるようにして、あのあと、僕たちがファミレスからで出いくのを確認した遠藤くんたちが、僕たちのあとを追って、そそくさと席をたつ姿が見えたように思った。
「……きっとわたしの思い違いよ。何か変に怖がらせちゃったみたいでごめん」
と、明美はいくらかぎこちなく口元を綻ばせて言った。
「……遠藤くんっていうひと、そこまで危険そうには見えなかったし……それに、尾行するくらいなら、あのとき、もっと大胆な行動を取ることだってできていたはずだし……たとえばわたしたちがファミレスから出た瞬間に捕まえるとか。……でも、そうしなかったっていうことは、やっぱりわたしたちの考え過ぎなのよ。きっと」
「……そうだね」
と、僕は明美の科白に同意したものの、疑念が黒い球状の塊になって、心の表面に沈みこんでいくことをどうすることもできなかった。僕は念のためにもう一度後ろを振り返ってみたけれど、今のところあとをついてきているような車の姿はなかった。
「ところで、ずっと訊くのを忘れていたんだけど、今、僕たちはどこに向かっているんだろう?」
僕は前に向き直ると、気分を変えるように言った。