脅威
僕たちは飲み物が空っぽになってしまったので、またそれぞれ席を立ち、ドリンクバーに好きな飲み物を汲みにいった。そして各々好きな飲み物を入れて戻ってくると、再び向かい合わせに腰掛けた。ちなみ、僕はメロンソーダで、斉藤明美はジンジャエールだった。
「……ところで、斉藤さん」
と、僕はメロンソーダを一口飲むと、目の前にいる斉藤明美に向かって話しかけてみた。彼女は僕の顔を一瞥すると、
「……明美でいいよ」
と、面倒くさそうな口調で言った。
「今までずっと明美って呼び捨てにされてたのに、急に斉藤さんって改まって呼ばれると違和感があるっていうか……もちろん、あなたが、わたしの知っている武田くんじゃないことはわかってるんだけど……でもね……」
「……僕は斉藤さん……いや、明美がそれで構わなければそれで構わないけど?」
明美は僕の問いに頷くと、
「その代わり、わたしも、武田くんじゃなくて、勇気に戻すわね?……武田くんっていう呼び方、なんだか慣れなくて」
「もちろん、それは構わないけど」
と、僕は言った。明美に勇気と呼び捨てにされるのは悪い気はしなかった。一気に彼女との距離が縮まったようで嬉しくさえあった。というか、こちら側の僕はこんな綺麗な女の子とほんとうに付き合っていたのだろうかと改めて不思議な気がした。そう思って、僕が明美の顔を見つめていると、彼女は恥ずかしそうに目を伏せて、
「それで?」
と、少しぶっきらぼうな口調で続きを促した。
「ああ、ごめん」
と、僕は苦笑して言った。
「さっき、僕に電話をくれたとき、明美が言った科白のなかに気になったことがあったんだ……確か、明美は僕たちの会話が盗聴さてれとかなんとか、僕の身に危険があるかもしれないようなことを言っていたと思うんだけど……」
僕の発言に、明美は深刻な表情を浮かべて頷いた。そして明美は何かを警戒するように周囲を見回した。それから、彼女は僕の顔に視線を戻すと、
「……たぶん、まだそんなに危険はないと思うんだけど」
と、明美はいくらか不安そうな声で言った。
「……勇気、ここ最近のうちに、わたし以外の人間に、何か変なこと、訊かれたりしなかった?」
「変なこと?」
僕は明美の問いの意味がわからなくて、軽く眉根を寄せて繰り返した。明美は僕の発言に首肯すると、
「たとえば、わたしがあなたに訊いたようなこととか?あなたはほんとうの武田くんみたいな?つまり、あなたがこちらの世界の人間じゃないことを見抜いているようことを言ってきたひとっていなかった?」
「……いや」
と、僕は明美の言葉を否定しかけて、はっとした。……遠藤くんだ、と、僕は思い当たった。彼は僕がほんとうの僕なのかと突然訊ねて来た。でも、あのときは、彼の質問するところの意図が、つまり、彼が僕のことを異世界の人間だと思って訊ねているのか、計り兼ねるところがあった。だから、それほど気に留めていなかった。でも、明美の発言を耳にして急に不安に駆られた。
「……いや、ひとり、いた、かも、しれ、ない」
僕はひとつずつ音節を区切るようにしてぎこちない声で答えた。
明美がそのときの詳細について教えて欲しいと言ってきたので、僕は遠藤くんのことについて彼女に話してきかせた。以前僕がいた世界では僕と彼は特に知り合いというわけではなかったこと。でも、こちらの世界では僕と彼は面識があるようで、大学で顔を会わせれば必ず彼が話しかけてきたこと。そして今日、彼が、突然、僕がほんとうの僕なのかと意味不明の問いをしてきたこと。
「……それでそのとき、勇気は、なんて答えたの?その遠藤くんの問いに対して」
僕は明美の問いに、頭を振った。
「特になにも。否定も肯定もしなかった。だって、そのときは遠藤くんがどういう意図でそんなことを訊ねているのかわからなかったしね。でも、僕の本音を言えば、自分の置かれている状況について彼に洗いざらい話してしまいたかった。そうすれば、自分がこれからどうしていけば何かわかるかもしれないと思ったから」
「……でも、そのとき、勇気はほんとうのことは何も言わなかったのね?」
と、明美は僕の顔を真っすぐに見据えると、念を押すように言った。
僕は彼女の問いに、短く顎を縦にひいた。
「だって、いきなり、実は僕は異世界から来たかもしれないなんて言ったら、遠藤くんにどう思われるかわからなかったからね」
僕は冗談めかした口調で言った。でも、明美は笑わなかった。明美は真顔で頷くと、テーブルの上のジンジャエールをストローで少し飲んだ。僕も彼女につられるようにしてメロンソーダを飲んだ。
「……言わなくて正解よ」
と、明美は少し間をあけてから口を開くと言った。それから、明美は伏せていた目をあげて僕の顔を一瞥した。
「……わたしにも正確なところはわからないんだけど、でも、どうも、わたしたちみたいな人間を調べている一団がいるみたいなの……彼等が一体どんな目的で、なんのために、わたしたちのことを調べているのかはわからないんだけど……」
「わたしたちって?」
僕は気になったので訊ねてみた。明美はそんなこともわからないの?といような目で僕の顔を見た。
「それはわたしたちみたいな異世界から来た人間についてよ」
僕は明美の言葉を耳にして、背筋が寒くなるのを感じた。今日の、遠藤くんが急にきみはほんとうの武田くんなの?と突然訊ねて来たときの表情が脳裏に蘇った。もし、あのとき、僕が違うと答えていたら、彼は一体どうするつもりだったのだろう、と、考えると、怖くなった。
「……まさかあなたのところに、そんな早く手が回るとは思っていなかったんだけど……」
と、明美は目を伏せて思案しているような声で言った。僕は明美の顔に視線を向けた。
「……実はわたしも最近何回か、妙な体験をしているの」
と、明美は言った。
「大学の、それまで特に親しくもしていなかった娘が急に話してかけてきて、あなたってもしかして、違う世界から来たんじゃない?て言って来たの。良かったらわたしたち力になれるわよって言って来たことがあって。……もちろん、気味が悪かったら、相手にしなかったんだけど……でも、似たような問いかけを、つまり、わたしが異世界から来た人間じゃないのかっていう意味合いを含んだ問いかけを、このところ、何回か、他の人から受けたことがあって……だから、気になっていたの」
そう告げた明美の表情は思いつめているような、深刻な表情になっていた。
「……彼らは一体どういった目的で、僕たちのことを調べようとしているの?」
僕は明美の顔を見つめると、恐る恐るといった口調で訊ねてみた。明美はテーブルの上に落としていた眼差しをあげて、僕の顔を見ると、弱く、頭を振った。
「……わからない」
と、明美は呟くような声で言った。それから、また顔を伏せて続けた。
「……ただ何か良くないことが起こっているような予感がするの。……一番気になってるのが」
と、明美はそこまで言葉を続けて、急に、その表情を強張らせて何かを見上げた。僕は明美の話に集中していたので全く気が付かなかったのだけれど、いつの間にか、僕たちが座っているテーブル席のすぐ側に誰かが立って僕たちのことを見下ろすようにしていた。店員が注文でも取りにきたのだろうかと思ってよく見てみると、それは、なんと、驚いたことに、遠藤くんだった。
「……遠藤くん」
と、僕はまさか遠藤の姿がそこにあるとは思わなかったので、小さな声で彼の名前を呼んだ。どうしてこんなところに遠藤くんがいるのだろうと不思議に思うよりも恐怖を感じた。まさかずっと僕のことを監視していたのだろうかと気になった。
遠藤くんは僕が気が付いたことがわかると、にっこりと口元を笑みの形に変えた。
「奇遇だね。武田くん」
と、遠藤くんは言った。
「彼女とデート中?何か真剣な表情で話し込んでいるから、声をかけようかどうしようか迷ったんだけど」
遠藤くんは苦笑するような笑みを口元に覗かせて言った。
「……そ、そうだったんだ」
と、僕はどちらかというと強張った笑顔で肯いた。
「いや、実は僕たちもこのファミレスで食事をしているところなんだ。例のバンドのメンバーと。それでトイレに行こうと思って席を立ったら、たまたま武田くんの姿を見かけたものだから」
遠藤くんはさわやかな笑顔で続けた。
「……なるほど」
と、僕はぎこちない笑みを口元に浮かべて肯いた。確かにこのファミレスは大学からすぐ近くにあるので、遠藤くんたちがこのファミレスを利用することがあっても全然おかしくはなかった。
でも、僕たちは今まさに遠藤くんについて話をしていたところだったので、かなり気になった。というよりも、遠藤くんの登場があまりにもタイミングが良すぎて、怖かった。遠藤くんは僕について何かを感づいていて、ずっと様子を伺っていたのかもしれない、と、ただの僕の妄想なのかもしれなかったけれど、あの、明美の話を聞いたあとなので、どうしても僕はそんなふうに遠藤くんのことを勘ぐってしまうことになった。
「じゃあ、僕はこの変で失礼するよ」
と、遠藤くんはそんな僕の疑念を感じ取ったのか、にっこりと微笑んで言った。
「彼女との大切な時間を邪魔するのは悪いからね。ただ僕は武田くんに挨拶したかっただけなんだ。綺麗なひとだね、武田くんの彼女さん」
と、言って、遠藤くんは僕の正面に座っている明美の顔に視線を向けると、はじめまして遠藤ですと明美に向かって挨拶した。武田くんとは大学で仲良くさせてもらっていますと遠藤くんは続けた。明美は遠藤くんに向かって、儀礼的に頭を下げた。
「じゃあね、武田くん。大学で会おう。また言ってた漫画持っていくよ」
と、遠藤くんは笑顔でそう言うと、僕たちに軽く手を振って、どこかへ歩いて行った。
明美は去っていく遠藤くんの後姿を何か不審なものでも見るように目を細めて見送っていた。僕は机の上のメロンソーダを一口啜ると、
「……明美のこと、彼女って言われたとき、否定しなくてごめん。咄嗟に言葉が出てこなかったんだ」
と、僕は多分、検討違いの謝罪をした。明美は軽く顔をしかめるようにして僕を見ると、そんなことはどうでも良いというふうに首を振った。そして明美は残り少なくなったジンジャエールをストローで少し飲むと、
「……出ましょうよ」
と、強張った声で言った。
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