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奇妙な問いかけ

 ……結論から言うと、恐らく、僕はほんとうに異世界へと来てしまったのだろうということになった。もし、僕の頭がおしくなってしまっているのでなければ。そうと考えなければ、説明のつかないことがあまりにも多すぎた。


これはあとで確認したことなのだけれど、テレビをつけると、そこには僕の知らない芸能人が大勢いた。笑ってどんどんという二人組のお笑い芸人や、藤沢礼奈というアイドルや、その他諸々…逆に言えば、僕の知っている有名人はほんの少ししかいなかった。たとえばバナナマン。でも、そのバナナマンは僕の知っているバナナマンとは少し芸風や雰囲気が違っているような気がした。首相の名前も違っていたし、今の日本の情勢も、ほんの少しではあったけれど、僕が知っているものとは違っているようだった。たとえば僕が知っている最近起った事件が、こちらの世界では起っていなかったし、逆に、僕の全く知らない事件が起っていたりした。家族の構成は変わらなかったけれど(僕の家族は父親と母親と妹の四人家族だ)、みんな少しずつ僕の知っている人間とは違っているような印象を受けた。


更に大学に行ってみると、僕の知らない人間が親しげに僕に声をかけてきたり、真逆に、僕がすごく親しくしていたはずの友人が、全く僕のことを知らないというようなことがあった。つまり、僕が今居る異世界(と思われる)は僕がそれまで暮らしていた世界と、ほんの僅かに誤差がある世界のようだった。日常生活を送っていくぶんには何の支障もなかったけれど、やはり気味が悪かったし、もとの世界へと戻りたいと思った。今僕が暮らしている世界に居る人々は僕の知っている人々ではなかったし、僕が常識だと思っていたり、そうだと記憶していることがしばしば違うことがあって、戸惑ったり、混乱したりすることも多かった。


 そういうわけで、僕は異世界へ来てから、なんとかもとの世界へと戻る方法はないかと調べ続けることになった。一番確実だと思われる方法は、僕がこちらの世界へくることになったあのサイトを見つけて、同じ方法を試してみることだったけれど、でも、あのサイトは既に削除されてしまったのか、どれだけ探してみても、再び見つけ出すことはできなかった。


 たぶん僕は異世界へ来てしまっただなんて、頭がおかしい人間だと思われてしまいそうで、家族にも友人にも相談することはできなかった。だから、これはもう自分で解決するしか方法がなかった。でも、どうすることもできずに、次第に僕は疲弊していくことになった。一体どうすればもとの世界へと戻ることができるのか、調べても調べても答えは見つからなかった。


 そのうちに僕が思いついたのが、ネットでこのことを相談してみるということだった。周囲の人間だと、変な妄想に取り付かれた頭のおかしい人ひとだと思われてしまいそうだったけれど、ネットであれば、なかには親身になって僕の相談に耳を傾けてくれる人間も少しはいるんじゃないかと思った。それにネットであれば、たとえ頭のおかしい、壊れた人間だと思われることになったとしても、別段困ることは何もなかった。


 それで僕は早速、僕が以前と居た世界で2chと呼ばれていたものと似たようなサイトで、自分が恐らく異世界から来た人間であることと、もとの世界への戻り方を探していることを書き込んでみた。誰かもとの世界への戻り方を知っているひとはいないだろうか、と。あるいは自分と同じ経験をしているひとはいないだろうか、と。


 帰って来た反応は、予想通り、そのほとんどがからい半分のコメントや、異世界なんてあるわけがないだろうという否定的なものであった。精神病院へ行けよ、と、多くのひとが僕のことを嘲笑った。でも、なかには僕の話に真剣に耳を傾けてくれる人間もいて、そのひとたちは過去に自分がどこかのサイトで見たという、異世界への行き方や、体験談を僕に教えてくれた。でも、結局のところ、それらが何かの役に立ったかというと、決してそんなことはなかった。僕が知りたいと思っているのは異世界への行き方や、体験談ではなく、もとの世界への戻り方だった。彼等の書き込みから、その手がかりや、ヒントを得ることは何もできなかった。


 そのうち、僕ももとの世界へ戻るのは断念するしかないのかなと思い始めるようになった。確かに、今僕が居る世界は自分の知っている世界とは少し違っていたけれど、だからといって、極端に何か不都合な点があるわけではなかった。こちらの世界でなんとかやっていこうと思えば、やっていけないこともなかった。自分の親しくしていた友人の何人かが、全く僕のことを覚えていなかったり、あるいは共通の思い出がなくなっていたりするのは、少し寂しい感じのするものではあったけれど。


 でも、そんなある日、変化が起こった。といっても、それはあまり歓迎できる種類のものではなかったのだけれど。




 はじまりはある日の午後だった。そのとき、僕は大学の学食で少し遅めのランチを食べていた。僕が学食でひとりでカツ丼を食べていると、

「武田くん!」

 と、親しげに僕の名前を呼ぶ声がした。顔をあげてみると、少し離れた場所に遠藤達也という名前の友人(実を言うと、僕はこの友人とは以前いた世界では顔だけは知っているという間柄で、直接話したことは一度もなかった。でも、この世界では彼と僕は親しい仲だったようで、彼は顔を合わせればいつも親しげに僕に話しかけてきた。僕しとてもまさか彼のことを無視する訳にもいかず、適当に彼に調子を合わせて誤摩化していた)がいた。


「ああ、遠藤くん」

 と、僕は彼の姿を認めると、どちらかというぎこちない笑顔で応えた。僕はまだ彼が自分の友人であるという現実に上手く馴染むことができずにいた。遠藤くんは僕のところまで歩いてくると、

「これから昼飯?」

 と、問いかけながら、僕と向かい合わせの席に腰掛けた。彼の手元には今売店で買ってきたのか、紙パックのジュースが握られていた。遠藤くんはどちらかというと、整ったさわやかな顔立ちをしていて、女の子に人気がありそうだった。だから、僕としてもこんなふうにルックスの良い人間に親しげに声をかけられて悪い気はしなかった。遠藤くんは銀縁のスタイリッシュな感じのする眼鏡をかけていて、いかにも僕と違って頭が良さそうに映った。


「うん、まあね。ご飯を取るのがちょっと遅くなっちゃったんだよ」

 と、僕は遠藤くんの顔を一瞥すると、微苦笑して言った。こちらの世界で過ごしていた僕は遠藤くんと一体どんな話し方をしていたのだろうと思うと、いつも僕の遠藤くんに対する受け答えの仕方は、ちょっと遠慮しているような、自信のなさそうなものになってしまった。


「ても、まあ、これくらいの時間帯の方が空いてて、ゆっくり食べられるもんね」

 遠藤くんはお昼の十五時を過ぎて、いくらか閑散としている学食を軽く見回すと、納得したように微笑して言った。僕は曖昧な笑顔で頷いた。遠藤くんは紙パックのジュースにストローを刺して少し飲んだ。


「遠藤くんは?」

 僕はなんとなく訊ねてみた。

「僕?」

 遠藤くんは伏せていた眼差しをあげると、

「友達と待ち合わせだよ。前も話したと思うけど、僕、軽音サークルに入ってるんだ。で、そのサークルのやつと今度やる曲の話し合いをこの学食でやることになってたんだけど……でも、まだ誰も来てないし、どうしようかなって思ってたら、武田くんの姿を見つけたんだ」

 と、遠藤くんはそう言うと、僕の顔を見て、少し悪戯っぽく口元の両端を軽く持ち上げてみせた。


「なるほど」

 僕はコメントのしようがなかったので、とりあえずという感じで頷くと、またカツ丼を少し食べた。

 僕たちが座っている席の近くにリクルートスーツを来た女の子の三人組がやってきて腰かけた。


「武田くんはどう?」

 遠藤くんはストローでアップルジュースを飲むと、からかうような笑顔で訊ねてきた。

「就職活動は順調?」

 僕は遠藤くんの問いに、微苦笑して首を振った。こちらの世界でもやはり僕の就職したいという意志は希薄で、あまり就職活動らしいことはしていなかった。まだいくつかの会社にエントリーシートを出しただけだった。というより、僕の関心の大半は、どうにかしてこの世界からもとの世界へ戻ることにあった。


「なんかあんまりやる気が出なくて」

 僕は強張った笑顔で、いいわけするように言った。


「そういう感覚はわからなくはないかな」

 と、遠藤くんは微笑して言った。

「僕は一応もう就職先は決ってるけど、でも、だからといって、正直、そこでどうしても働きたいかっていったら、そうでもないからね」

 遠藤くんは自嘲気味な笑顔で続けた。


 僕は遠藤くんの科白に曖昧な笑顔で頷いた。

「ところで」

 と、遠藤くんは急に真顔に戻って、僕の顔をじっと見つめると言った。

「……妙なことを訊くようだけどさ」

 と、遠藤くんは前置きして言った。

 僕は遠藤くんの顔を注視した。

「……いまの武田くんはほんとうの武田くんなの?」

 と、遠藤くんは周囲の反応を警戒するように、僕の顔に自分の顔を少し近づけると、ひそひそ話をするように小声で言った。


「……」

 僕は遠藤くんの問いの意味が、わからずに黙っていた。というより、遠藤くんの言わんとしていることの意味が、僕の思っていることなのかどうか、見極めることができずにいた。


 僕が黙っていると、遠藤くんはもとの位置に顔を戻して更に続けて言った。

「いや、このところ武田くんと接していると、どうも、武田くんが僕の知っている武田くんじゃないように感じるときがあるんだ……確かに外見は武田くんなんだけど……中身は全然、全くの別人のようなね……」


 僕は目を見張った。もしかすると、遠藤くんは真実に気がついているんじゃないか、と、思った。つまり、僕が異世界からやってきた人間であるということに。僕は遠藤くんに真実を洗いざらい話してしまおうかどうしようか迷った。でも、僕を躊躇わせていたのは、遠藤くんが真実に気がついていると思ったのは単なる僕の思い込みで、真実を話してしまったとたん、遠藤くんが一気に引いてしまうことになるんじゃないかという恐れだった。僕が変な妄想に取り付かれている、危ない男だ、と、遠藤くんに誤解されてしまうことになるんじゃないかという危惧が、僕のなかにはあった。


 僕が何もリアクションできないでいると、遠藤くんは、

「いや、急に変なこと言い出して申し訳ない」

 と、苦笑して頭をかきながら言った。


「実は最近、漫画でそういう話を読んだんだよ。知らない間にごく身近な人間が知らないひとと入れ替わっているような話をね。で、武田くんの雰囲気が最近急に変わったから、その話を思い出して、冗談半分に訊ねてみただけなんだ。いや、実際、僕は昔からくだらないことを思いついて、試してみたくなるような変な癖があってね。自分でも困ってるんだけど」


 僕は遠藤くんの話にどんな感想を述べたらいいのかわからなかったので、曖昧な笑みを口元に浮かべた。あるいは今こそ、ネットじゃなくて、ごく身近なひとに、自分の身に起こったことを相談できるチャンスなんじゃないかとも思ったけれど、僕のなかの何かが、それは危険なことだと告げていて、躊躇させた。だから、僕は何も言わなかった。


「へー。その漫画面白いそうだね。今度良かったら貸してよ」

 と、僕は思っていることとは全然べつのことを口に出した。僕の返答を聞いた遠藤くんは一瞬、その顔に、もしかしたら、気のせいなのかもしれなかったけれど、微かに残念そうな表情を浮かべた気がした。でも、遠藤くんはすぐに明るい快活な笑みを浮かべると、

「もちろん、構わないよ」

 と、さわやかな声で言った。今度の授業のときにでも持ってくるよと遠藤くんは屈託のない笑顔で言った。そしてそのあとすぐ、遠藤くんは電話がかかってきたと言って席を立つと、どこかへ歩いていってしまった。そしてそのまま遠藤くんが戻ってくることはなかった。上手く、他のサークルのメンバーと合流できたのかもしれなかった。


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