異次元風
「勇気。起きて」
誰かが僕の肩の揺さぶっている感覚があった。最初、母親が眠っている僕のことを起こしにきたのかと思ったけれど、でも、それは違って、明美だった。閉じていた目を開くと、そこには明美の顔があった。
「……なんだ。明美か」
僕は思わず呟いていた。
「なんだってどういう意味よ」
明美は僕の科白に不満そうに唇を尖らせて言った。
「いや、べつに、そういう意味じゃなくて」
僕は微苦笑すると、慌てて弁解した。
「母親が自分のことを起こしにきたのかと思ったんだよ」
「って、勇気、まさか、あなたその年になってお母さんに起こしてもらってるの?」
明美は僕の顔を見ると、信じられないというように言った。
「もちろん、違うよ」
僕は自分の名誉のためにもすぐに否定したのだけれど、明美はどうだかといった顔で僕の顔を一瞥しただけで、僕の言葉を信じたようには見えなかった。
「どうでも良いけど、早く起きて」
明美は言った。
「もう、ミカさんとダンさんも外で待ってるのよ。急いで顔を洗ってらっしゃいよ」
明美は急かすように言った。
「わかったよ」
と、僕は明美の言葉に応えると、まるで母親に言われているみたいだなと思いながら、それまで横になっていたベッドから起き上がると、浴室まで歩いて行って、顔を洗い、口のなかを水で注いだ。それでいくらか気分もさっぱりした。
浴室から戻ってきて、明美と一緒に部屋の外に出ると、既にそこには和司さんとミカさんとダンの姿があった。
「気持ちよく眠っていたらしいな」
ダンは僕の顔を見ると、口元にからかうように微笑を浮かべて言った。
「ちょっと色々疲れてて」
僕は曖昧な笑顔でいいわけした。
「もっと早く、みなさんを会議場にお連れするはずだったんですけど、各世界の代表団のひとつが、異次元風の影響で到着が思ったよりも少し遅れてしまったんです」
ミカさんが僕の顔を見ると言った。
「異次元風?」
僕はミカさんが口にした聞き慣れない単語を反芻した。和司さんと明美も興味を惹かれたようにミカさんの顔を見つめた。
「異次元風というのは、わたしたちが異世界から異世界へと移動する際に通る、異次元内において、まれに起こる、乱れ、嵐のようなもののことです。その嵐に巻き込まれてしまうと、最悪の場合、全く予期していない、異世界へ思いがけず漂着してしまうこともあるんです。……最も、今回の場合は、そのようなことにはならなかったので良かったんですけど……」
「……もし、万が一、全く予期していない世界に辿り着いてしまった場合はどうなるんだろう?」
和司さんがふと気になったように、ミカさんの顔を見つめながら訊ねた。
「運が悪ければ、二度とその世界からもとの世界へ戻ることはできないということになってしまう」
ダンが、ミカさんの代わりに答えて言った。
「運が悪くというのは?」
和司さんはダンの方へ顔を向けると、いくらか眉根を寄せるようにして確認した。
「運が悪くというのは……俺たちが異世界へ跳躍するためには、その目的地となる、正確な振動数の調整が必要となるんだ。そしてさっきミカが話していたような異次元風に飛ばされてしまうと、その調整が全く難しい世界へと飛ばされてしまうこともあり得る。つまり、偶然たどり着いたその世界で一生を終えることになってしまうわけだ。そして最悪の場合、そこには、異形の生物が蠢く、地獄のような世界だったする」
「……どれほど高度にテクノロジーを進歩させても、完全には事故をなくすことはできないのね」
明美がはダンの科白に、眉間に皺を寄せるようにして静かな口調で言った。
「まあ、大昔で言うところの、海を航海していて、嵐にあって、どこか知らない無人島に流れ着いてしまうようなものだな」
ダンは軽く笑って言った。
僕はダンの言葉に曖昧な笑顔で頷きながら、自分たちの乗ってきた船がそのような嵐に遭うことが無くて良かったとホッと胸を撫で下ろした。
「さあ、みなさん、あまり長話もしていられません。各世界の代表団が会議場に集まり始めています。わたしたちも急ぎましょう」
ミカさんが僕たちの顔を見ると、改まった口調で言った。僕と明美と和司さんの三人は無言で頷くと、ミカさんのあとについて歩き出した。




