異世界へ
「しかも、武田くんは僕が考えていた以上の逸材みたいだ。しかも、都合の良いことに、窓となりうる人間が武田くんの他にもふたりもいるんだから驚きだよ」
「……遠藤くん、僕にはきみが何を言ってるのかさっぱりわからないよ。それに、どうしてここがわかったの?遠藤くん、きみは何者なの?」
僕は口元に強張った笑みを浮かべて言った。
遠藤くんは僕の顔を直視すると、口元に不適な笑みを浮かべて、小首を傾げるような仕草をした。
「もう、武田くんも、僕が何者なのか、おおよその検討くらいはついているんじゃないかな?」
と、遠藤くんは楽しそうな口調で言った。
「さっきからしばらく様子見させてもらっていたんだけど……さっきのパソコンのなかの女が言っていた……個人的には僕はこの呼称があまり気に入っていないんだが……僕は黒鬼族さ。万物の支配者」
「……黒鬼族?」
僕は眉をひそめて遠藤くんの顔を見つめた。遠藤くんが黒鬼族というのはどういうことだろうと怪訝に思った。遠藤くんはどこからどう見ても人間の姿をしているし、遠藤くんに従っているように見えるふたりの男女も人間の姿をしている。僕がそんなことを思っていると、遠藤くんは僕の疑問を察したように、両手を上に向かって広げるような仕草をした。
「この遠藤という男の身体は借り物だよ。僕がこの世界で活動するためのね」
と、遠藤くん微笑して言った。
「振動数の調整が比較的容易だったために、僕が実世界から拝借している。……誤算だったのは、この身体の持ち主が昨夜、無駄な抵抗を試みたことだ。一時的に接続が切断され、この身体を制御することができなくってしまった。おかげて、武田くんたちの回収がこうして遅れることになってしまったわけだけど……でも、まあ良いよ。このように、なんとか再び再接続に成功できたし、異世界連合の連中が我々の行動を把握していることも掴めた」
「……つまり、黒鬼族は今のところこの世界へ直接訪れることはできないために、意識だけを、こちらの側の人間の脳内に飛ばして、その身体を借りてこちらの世界で活動しているというわけか……」
和司さんが納得したように言った。遠藤くんはそう言った和司さんの顔を軽く目を細めるようにして見つめると、
「ご明察通り。なかなかきみは頭が良い」
遠藤くんは楽しそうな口調で言った。それから、遠藤くんは真顔に戻ると、
「武田くん、きみと、それから、きみの恋人とそのお兄さんも、僕たちと一緒に来てもらおう」
と、武田くんは有無を言わさない口調で言った。
「きみたちは僕たちに協力するんだ」
「協力って?」
と、僕は怯えつつも気になったので訊ねた。
「窓さ」
と、遠藤くん得意そうな笑みを口元に浮かべて言った。
「きみたちにはそのたぐいまれな身体の資質を利用して、我々の世界とこの世界とを繋ぐ通路となってもらう」
遠藤くんはそこで言葉を区切ると、
「非常に名誉なことだよ」
軽やかな口調で付け足して言った。
「……もし、協力しない、と言ったら?」
和司さんがひとつひとつの言葉を区切るように言った。遠藤くんは和司さんの問いかけに対して、笑顔で首を振った。
「断れない」
遠藤くんは言った。
「きみたちは僕たちに従うしかないんだよ」
遠藤くんがそう告げるのと同時に、それまで黙って遠藤くんの側で控えていたスーツ姿の男女が無表情に前に進み出た。
「彼等を連行するんだ」
遠藤くんはふたりの男女に命じた。ふたりの男女は遠藤くんの命令に首肯すると、無言で僕たちの方に向かって近づいてきた。僕は後ずさりしたけれど、背後は壁だった。逃げ場がない、と、僕は焦りと恐怖を覚えた。と、そのとき、それまで無言で腕組みして黙っていた橘さんが近づいてきたスーツの男女を遮るように前に進み出た。
「状況はよくわからんが、何かを強制することはよくないぞ」
と、橘さんは腕組みしたまま、威嚇するように言った。身長百九十センチ近くある、体格のがっしりした橘さんがそう言うと、迫力があった。しかし、ふたりの男女はまるで橘さんのことなど意に介した様子はなかった。ふたりの男女は橘さんのことなど見えていないかのように、橘さんの背後にいる僕たちの方へ向かってこようとした。橘さんは自分の横を通り抜けようとしたふたりの男女の肩を両手で掴んだ。それから、
「ひとの話をちゃんと聞けよ」
と、軽く怒声をあげて、ふたりの身体を元の位置に押し戻した。
すると、スーツの男が遠藤くんの指示を仰ぐように振り向いて遠藤くんの顔を見た。遠藤くんは煩わしそう手を振った。スーツの男は遠藤くんの動きに頷くと、前に向き直って、今度は橘さんの服の襟口を掴んだ。そして掴んだと思った瞬間、スーツの男はまるでひどく軽い物体、たとえば空き缶などを投げ捨てるような動作で、橘さんの身体を放り投げた。
橘さんの身体は宙を舞ったかと思うと、横の水槽に激しく激突した。水槽には軽くヒビが入り、地面に投げ出された橘さんは衝撃のあまり気を失ってしまったのか、うつ伏せに倒れたまま立ち上がってこなかった。
「橘さん!」
明美が僕の側で悲鳴に近い声で橘さんの名前を叫んだ。
「橘……」
和司さんも呻くように言った。
「大丈夫。彼はまだ死んでないよ」
遠藤くんが言うのが聞こえた。
「でも、無駄な抵抗はやめた方がいい。三人とも大人しく僕についてくるんだ。そうすればもうこれ以上怪我人を出さなくてすむ」
遠藤くんは冷やかな声で言った。遠藤くんがそう言い終わるのと同時に、それまで動きを停止していたふたりの男女が再び僕たちのもとへ向かって近づいてきた。
……やばい、と、僕は焦った。なんとかしなきゃ、と、僕は思った。もし遠藤くんに捕らえられたらどうなるかわからないと恐ろしかった。ここからなんとか逃げ出す術はないだろうかと僕は必死に考えた。そのあいだにもふたりの男女はもう僕たちのすぐ目の前にまで近づいてきた。僕はここではないどこかへ移動できないかと考えた。スーツの女の手が僕の方へと向かって伸ばされるのが見えた。
と、そのとき、自分の周囲の空間がグニャリと変形するように歪んだように思えた。と、同時に、身体がどこかへ向かって下降していくような感覚を僕は覚えた。そして、気がついたとき、僕と明美と和司さんと橘さんの四人は、違う世界にいた。それはさっき水槽のなかで見ていた、荒廃した未来世界のような場所だった。




