異世界、そして黒鬼族について
「すみません。話が飛躍しきすぎました」
ミカさんは申しわけなさそうな声で言った。
「順番に話しましょう。」
と、ミカさんは続けた。
「まずわたしたちの世界は今から五十年前に、黒鬼族からの攻撃を受けました。黒鬼族というのは多世界の地球に住む、人間とまた別種の生物から進化した知的生命体です。我々はその容姿が鬼に似ていて、色が黒いところから黒鬼族と呼んでいますが……
黒鬼族からの攻撃が唐突だったこともあり、ほとんどまともな反撃すらできずに、わたしたちの世界は壊滅状態に陥りました。科学技術の面でも、身体能力の面に置いても、彼等、黒鬼族の方が秀でていたのです。その突如の黒鬼族の攻撃よって、わたしたちの世界の大半の人々が彼等の世界へ連れ去られてしまうか、あるいは命を落すかしました。
しかし、わたしたちの文明がほとんど滅亡しかけたときに、異世界連合の人々が現れ、窮地を救ってくれたのです。異世界連合というのは、様々な多世界の人間が同盟を結んで作った軍隊のことです。実は黒鬼族からの侵攻を受けたのはわたしたちの世界だけではなかったのです。黒鬼族はわたしたち以外の世界にも侵攻してその世界を支配し、あるいは滅亡させていったようです。
ですが、すべての異世界の人々が黒鬼族の侵略に屈したわけではなく、なかには力を合わせて黒鬼族の撃退に成功した世界もあるようで、わたしたちの世界を救ってくれたのは、そうした異世界の人々からなる連合軍でした。わたしたちは彼等の援助を受けて、黒鬼族をわたしたちの世界からなんとか追い払うことに成功しました。そして黒鬼族が再びわたしたちの世界へ侵攻してくることがないよう、異世界連合の力を借りて、わたしたち側の宇宙にある、世界線を閉じたのです。これによってほぼ黒鬼族の再侵攻の恐れはなくなったはずでした。
が、しかし、最近になって、以前閉じた別方向にも、世界線、窓、があることが判明したのです。異世界というのはほぼ無限大にあると考えられるのですが、しかし、その異世界に自由に移動が可能かというとそうではなく、たとえば一房のぶどうのように似たような周波数帯を持つ世界が集まってできていて、またその隣に、少し周波数帯の違う世界、つまり、異なった歴史や進化を辿った世界の集まりがあるのです。そしてこの異なる世界の房から次の房へ移動するためには、たとえば果実のなる植物の枝を思い浮かべてもらえば良いのですが、通路を移動する必要があるのです。そしてこの通路のことをわたしたちは世界線と呼んでいます。
先程、わたしたちは黒鬼族の侵入を防ぐために、この世界線を閉じたと申しあげましたが、実は最近になって、わたしたちの世界の房の下方向にも、わたしたちの世界線へと接続可能な世界線が存在することが判明したのです。それがあなたがたの世界の集まりでした。しかも、悪いことにあなたがたの世界線は他の世界の房との連結部分のような箇所にあり、もし、あなたがた方面の世界線に穴があいてしまうと、わたしたちの世界が黒鬼族の再侵攻を受けてしまうのはもちろん、その他の世界の房へも黒鬼族は侵攻が可能になってしまうのです。ですから、これはなんとしてでも防がねばなりません。
そのため、わたしの世界を含めた異世界連合は、これまでにも何度も、インターネットを使って、あるいは直接あなたがたの世界へ跳躍して、危機が迫りつつあることを伝えようとしてきたのですが、いかんせん、あなたがたの世界はわたしたちの世界線と繋がりのある世界とはいえ、かなりの距離があり、周波数帯の違いがかなりあり、跳躍はおろか、インターネットを利用した通信すら思うようにならない状態だったのです。ところが、今日はどういうわけか、いとも簡単にあなたがたの世界と接続することが可能になりました。これはほんとうに信じられない、驚異的なことなのですが」
ミカさんはそこまで一息に語った。
僕たちはミカさんの語ったことに対して黙っていた。みんなそれぞれ頭のなかでミカさんが語ってくれた内容を整理している様子だった。
「……だいたいの概要は理解して頂けたでしょうか?」
沈黙が長く続いたせいか、ミカさんが心配そうな口調で言った。
「……ああ。いくつか疑問点や、わからない部分もあるが、おおよその部分は理解できたと思う」
と、和司さんがいくらか考え込んでいる顔つきで答えた。
「……もし、ミカさん?あんたが話してくれたことが全部ほんとうのことだとしたら、それはとんでもないことだな。俺たちの常識からは何もかもがかけ離れ過ぎていて、さすがの俺もまだ飲み込めない、というか、信じられない面もあるが」
橘さんはパソコンのなかのミカさんの顔を見つめながらいくか難しい顔つきで言った。
「……あなたがたの世界の常識から考えると、そう思うのは無理のないことだとは思いますが」
ミカさんは軽く目を細めると、気遣わしそうな口調で言った。
「ですが、さきほど、わたしが話したことは真実なのです。これはもう信じてもらうしかありません」
「ところで、ミカさん」
と、明美が改まった口調で呼びかけた。
「さっきミカさんの言っていた世界線を閉じるにはどうすればいいんですか?」
と、明美は真剣な表情で言った。僕も明美の隣で頷くと、
「……その、黒鬼族の侵攻開始まであとどれくらいの猶予があるんですか?」
と、気になったので訊ねてみた。僕が問いかけながら思い出していたのは、明美の話していた、僕たちのことを調べようとしている一団のことだった。
「……恐らく、もうそれほど時間は残されていないでしょう」
と、ミカさんは苦しそうな表情で告げた。
「わたしたちの調査によると、黒鬼族はあなたがたの世界線の存在に気がつき、わたしたちの知らない未知の技術によって、頻繁にあなたがたの世界へ接続に成功しているようです。今のところ、世界線に穴をあけて、直接侵攻することまではできていないようですが……ですが、もう、かなり、その一歩手前の段階まで来ていると考えて間違いないでしょう」
「……そんなに事態は切迫しているのか……」
和司さんが絶句するように言った。
「ですが、ご安心ください」
と、ミカさんは僕たちを鼓舞するように声を弾ませて言った。
「朗報もあります。当初は、あなたがたの世界に接続が可能になれば、インターネット経由で、世界線を閉じるための機械の設計図を作り、それをもとにあなたがたの世界の人々に世界線を閉じてもらうつもりでいましたが、これだけ安定してあなたがたの世界と接続が可能であれば、周波数帯を調整して、直接、わたしたちがあなたがたの世界へ跳躍することも可能かもしれません」
「跳躍って?」
僕は不思議に思って訊ねてみた。
「跳躍というのは……」
パソコンのモニターのなかでミカさんは適当な言葉を探し求めるように黙った。
「つまり、わたしたちが物理的にあなたがたの世界を訪れることのことです。振動数の調整さえ可能になれば、あなたがたの世界はわたしたちの世界と繋がっているので、直接訪問することが可能なのです」
「すごいな。そんなことが可能なのか……」
和司さんは顎に右手を当てて嘆息するように言った。
「ぜひそうしてもらえると助かります」
明美は言った。
明美の科白に、ミカさんは真顔で首肯した。
「もちろん。そうするつもりでいます。大至急、この接続で得た情報を、解析チームに回し、なるべく早く、あなたがたの世界へ跳躍できるように動き……」
と、そこで突然、ミカさんとの通信は途絶えてしまった。パソコンの画面は急に真っ暗になり、動かなくなった。そしてそのあとすぐバチバチという放電音が聞こえたかと思うと、水槽のなかにそれまで映し出されていた異世界らしき映像も消えて、もとのただの液体の水が満たされた水槽に戻ってしまった。あまりの立て続けの現象に僕たちが呆気に取られていると、
「ずいぶん、探したよ。武田くん」
と、ふいに、聞き覚えのある声が聞こえてきた。声の聞こえた方向に目を向けてみると、驚いたことに、いつの間にこのラボのなかに入ってきたのか、僕たちから少し離れた場所に遠藤くんが立っていた。そしてその遠藤くんの両脇には遠藤くんに従うようにダークスーツを着た男女のふたり組が立っていた。どちらも二十代後半くらいと思われる痩身の、背の高い人間で、彼等には凡そ表情というものがなかった。まるでマネキン人形のようにスーツのふたりは無表情だった。
「やっぱり、武田くんは、僕の思った通り、ほんものの武田くんじゃなかったみたいだね?」
遠藤くんは口角をあげると、嬉しそうな声で言った。




