異世界との接続
それから間もなくして、橘さんが準備ができだぞと言って僕たちを呼びに来た。僕たちはソファーから立ち上がると、さっきの水槽型の実験器具がある場所まで歩いて行った。水槽の両脇にある、棒状の器具の先端に取り付けられた銀色の球体の物体からは、さっきまでは見られなかった放電現象みたいなものが起こっていて、ときおり、バチバチという電流の流れる音のようなものが聞こえていた。それから更に、グオングオンというモーター音のような音も断続的に聞こえた。そのグオングオンという低い音は、僕の身体にまで深く響くように感じられた。
「そろそろはじめるぞ」
和司さんは僕たちの顔を見ると言った。
「水の振動数を変えるのね?」
と、明美は水槽の方に目を向けながら言った。
「そうだ」
と、和司さんは頷いた。
「上手くいけば、この前みたいに、異世界が、この水槽のなかに現れるかもしれない」
と、和司さんも水槽に目を向けながら言った。
僕も誘われるようにして、水槽のなかをじっと見つめてみた。今のところ、水槽のなかの水はさっきまでと特に何か変わった点は見受けられなかった。
「じゃあ、始めるか」
と、和司さんは少し改まった口調で言うと、パソコンのキーボードを操作した。すると、水槽の両脇にある棒から何かエネルギーが充電されていくようなジジジジという音が聞こえてきた。そしてそのあと、スパンコールを彷彿とさせる球体の物質から爆発するような激しい白色の放電が起こった。あまりの眩しさに目を細めなければならないほどだった。
間もなくすると、その輝くような白い光は収まって行き、変わりに、水槽のなかの水が激しく振動しはじめた。水の温度が急激に上がっていっているのか、透明な水のなかを気泡のようなものがいくつも上って行くのも確認できた。
そしてその直後、信じられないことが起こった。それまで透明な水で満たされたていた水槽の中心部分を基点にして、黒い光のようなものが徐々に広がって行ったのだ。そして遂にそれは水槽全体を覆い尽くした。まるで黒い画面のようになった水槽内部は不安定に二三度揺らめいたかと思うと、次の瞬間には、映像を映し出していた。
それは驚いたことに、さきほどパソコンの動画で見た、どこか寒々しい印象を受ける、荒廃した、未来都市のような世界だった。パソコンの動画で見るのと直接見るのとではまるで迫力が違っていた。そのまま前に向かって歩いていけば、その世界へと直接入っていけるかのようにも感じられた。
僕も明美も和司さんも橘さんも、その突然の変化に、呆然と目の前に出現した、異世界と思われる風景を眺めていた。
「……驚いたな」
と、和司さんがしばらくしてから呟くような声で言った。
「信じられん」
橘さんもまさか実験が上手くいくとは思っていなかったのだろう、呻くように言った。
「……これから異世界」
僕は水槽の向こう側に向かって続いていく世界を見つめながら言った。さっきは動画だったので詳細がわかりにくかった部分があったのだけれど、今回は肉眼で直接確認することができたので、異世界をよく観察することができた。
映像の一番手前側に映っているのは恐らく都市へと向かって続いていく高速道路のような場所だと思われた。手前側から奥に向かって視線を向けていくと、巨大な都市が広がっているのが確認できた。それはニューヨークの街がもっと先進的に発展したような街だった。クリスタルでできているような、半透明のドーム型の建物や、曲線の多様された、巨大で美しい建物がいくつもあった。空中には空飛ぶ車用の道路なのか、透明なチューブ状のようなものが張り巡らされているのも見えた。
ただ、それらの都市は全体的にどんよりと陰鬱に陰って見えた。まるで人々の生きて活動している活気のようなものが伝わってこなかった。さきほど美しく見えた壮麗な感じのする建物群には、よく見てみると、焼け焦げたあとや、破壊されたあとのようなものが散見された。それは機能を停止して、完全に見捨てられてしまった街といった印象を僕に与えた。
「……一体、この街で何があったのかしら?」
明美が不安そうな声で言った。
「……戦争とかか?」
橘さんは水槽のなかの映像を目を細めるようにして見つめながら言った。
そしてその直後、また更に信じられない現象が起こった。ケーブルで実験装置と接続されているパソコンから音声が聞こえて来たのだ。僕たち四人は水槽の映像に目を奪われていて、最初まるでその声に気がつかなかったのだけれど、
「……何か、声がしない?」
と、明美が一番最初に気がついて言った。
言われてみると、女性の声のような音が聞こえて来るのがわかった。
「わかった!これだわ」
と、明美が続いていくらか大きな声を出した。見てみると、パソコンのモニターのなかに、眼鏡をかけた、二十代半ばから後半くらいと思われる、黒髪の女性が映し出されていた。彼女は光沢のある、黒を貴重とした、身体にぴったりとフィットする服を身に纏っていた。肩や胸、それから腕の袖口の部分には、銀色の線で美しい模様のようなものが描かれていた。見たところそれは制服か何かのように見えた。僕がこの映像はなんだろうと思って和司さんの顔を見てみると、和司さんは自分にも検討がつかないとうように無言で頭を振った。
「……も、……し…も……き……ますか?」
パソコンのモニターのなかで眼鏡をかけた女性は何かを訴えかけていた。聞いたところそれは日本語を話しているように聞こえた。
「……もしもし?聞こえますか?」
最初、途切れ途切れにしか聞こえてこなかったパソコンからの音声が急に明瞭に聞こえるようになった。僕は彼女の呼びかけに応えなければと思ったけれど、咄嗟に何をどう言えば良いのかわからなかった。それは和司さんも橘さんも同じようで、どうすべきか判断に困っているようにただパソコンのモニターを眺めていた。
「聞こえる!聞こえるわ!」
と、今度も一番最初に反応したのは明美だった。明美はパソコンの画面に向かって叫ぶように言った。僕としては正直、こちらの声が向こう側に伝わっているのか疑問だったのだけれど、
「良かった!聞こえているのですね!」
と、パソコンの画面のなかの女性は、明美の反応に、嬉しそうな笑みを浮かべて言った。
「わたしの名前のミカ。ル・ブ・ミカ。エストラル国の異世界接続技師です。ずっと以前からあなたがたの世界と接続を試みてきたのですが、あなたがたの世界の振動数は特殊で、なかなか接続が上手くいかなかったのです。ですが、それが今日は何故か上手くいきました。あなたがたの居る場所だけ、どういうわけか、今、振動数の調整が容易になっています。もしかすると一時的な跳躍も可能かもしれません」
「……ちょっ、ちょっと待ってくれて」
和司さんがすっかり混乱している口調で言った。
「……確か、ミカさん?だったか?俺たちにはあなたが言っていることの意味が全くわからないんだ」
「……失礼しました。今、順番に説明します」
ミカと名乗った女性は言った。
「わたしたちが調べたところによると、あなたがたの世界は、わたしたちの世界と比べて約百年程技術の進歩が遅れているようです。あなたがたはまだほとんど異世界というものの存在を知らないようですが……驚かないでください。というか、どうか信じてください。我が国、エストラルは、あなたがたから見て異世界に存在しています。そしてわたしは異世界から、あなたがたの世界で言うところの、コンピューター、多世界通信を通じてあなたがたにこうして連絡を取っています。これは、あなたがたの世界で言うところのインターネットというものが、通常のものに比べて振動数を変えるのが比較的容易であるという性質を利用しているのですが……いえ、この説明はまたにしましょう。とにかく、わたしたちは異世界からあなたがたにこうして通信しています。これは何かの悪戯ではありません。念のために申し添えておきますが」
「……わ、わかった。何がなんだかまだ状況が上手く飲み込めていないが、とにかく、あなたは、ミカさんは、異世界の人間というわけだ」
和司さんはパソコンのモニターに映っている女性の顔を見つめながらいくらか狼狽えた口調で言った。和司さんの科白に、ミカという名前の異世界の女性はそうだというように首肯した。
「わたしたちはあなたがたの世界に脅威が近づいていることをお伝えしなければなりません」
と、続けてミカさんは深刻な表情で言った。
「脅威?」
と、橘さんが驚いたように言った。
「……もしかして、ミカさんが、この前、このパソコンに、メッセージ、つまり警告文を残してくれたんですか?」
明美が訊ねた。
「良かった。わたしたちの伝言はちゃんとそちらに届いていたのですね」
と、ミカさんはパソコンのモニターのなかで安堵したような表情を覗かせた。
「あのときは接続がすごく不安定だったので、ちゃんと警告が残させたのか、非常に心配だったのです」
「あれはどういうことなんですか?世界線を閉じろとか書いてあったと思うんですけど」
明美は軽く眉をひそめるようにして訊ねた。
「世界線というのは……」
ミカさんは説明しようと口を開いたものの、すぐには適当な言葉が思いつかなかったのか、軽く言い淀んだ。
「世界線というのは大雑把に言ってしまえば、異世界と異世界を繋ぐ、窓のようなものです。そして可能であればその窓を塞いで頂きたいのです。もしその窓を塞ぐことができなければ、黒鬼族の侵攻を許してしまうことになるでしょう。さらにいえばあなたがたの世界線から再び我々の世界へ黒鬼族が再侵入してくることになり、わたしたちとしても、なんとしてもそれは阻止しなければならないのです」
「ちょ、ちょっと待ってください。ミカさん。黒鬼族って?侵攻って?わからないことばかりだわ」
明美が慌てた口調で言った。




