推論・異世界からの侵略者
僕と明美も驚きと興奮のあまり声を発することができなかった。僕たちは黙ってさっきまで動画が映し出されていたパソコンのモニターをじっと見つめていた。
「……これが異世界?」
最初に口を開いたのは明美だった。
「……わからない……ただ、その可能性は高いと思う」
和司さんは正確な言葉を選びながら話すようにゆっくりとした口調で答えた。
「……でも、もし、さっきの都市が、異世界の都市だとしたら、あまり愉快なところは言えなさそうね。……なんというか、すごく荒廃した世界のように見えた……戦争か何かで、破壊された、無人の街みたいな……」
「……そうだな、あまり活気があるようには見えなかったな」
和司さんは明美の指摘に思案しているような顔つきで答えた。
「……一方で、テクノロジー的に部分は、俺たちの世界よりも、進歩しているように見えないか?たとえばビルの形とか」
橘さんが和司さんのあとに、遠慮がちな声で言った。
「そうね……まるで近未来の都市を見ているような感じもしたかも」
明美は軽く目を細めるようにして小さな声で言った。
「……ちょっと気になったんだけど」
僕は躊躇ってから口を開いた。現在、みんなが議論としている部分と、自分が疑問に感じている部分に、かなりの相違があるような気がしたので、口を開くのに少し勇気がいった。僕の発言に、和司さんも明美も橘さんも何?というような眼差しを僕に向けてきた。
「……いや、べつに大したことじゃないんだけど」
僕はいくらかしどろもどろになって続けた。
「さっき、和司さんは、この実験装置は異世界を映し出す窓のようなものを目指して作られていると言っていたと思うんだけど」
僕の言葉に、和司さんは首肯すると、それがどうかしたのか?というような眼差しで僕の顔を見た。
「ということは、もし、さっき動画に映っていたのが異世界だとすると、異世界のこの場所には、つまり、異世界の、茨城県のこの場所には、僕たちが今いる世界とは違って、かなり大きな都市が存在していると考えて間違いないのかな?」
「……」
僕が口に出したことは、想定外だったようで、和司さんは何か考え込むように黙り込んでしまった。そしてしばらくしてから、
「……そうか、そのことは考えてみたことがなかったな」
と、和司さんは右手で自分の顎のあたりをさわりながら困惑した様子で言った。
「……でも、単純に考えて、その可能性が高いんじゃないか?」
と、橘さんはなんでもなさそうな口調で言った。
「恐らく、俺たちが今居る場所、異世界の、茨城県のこの場所は、俺たちの世界と違って、何らかの理由で、発展している、発展していたと考えていいんじゃないか?」
「……いや」
と、橘さんの発言を、和司さんが難しい顔つきをして否定した。
「そうとも限らないと思う。俺たちはこの装置を異世界を映し出す窓として作っているつもりだったが、予期せずして、そうではないものを作り出した可能性もあると思う。さっきの映像は、俺たちが今居る地域とはまるで関係のない、どこかの異世界の場所がたまたま映し出された可能性も否定できないと思う」
橘さんは和司さんの発言に、腕組みるすと、首を捻るようにして黙って何か考えていたけれど、
「でも、まあ、いずれにしても、現時点では、あの映像がほんとうに異世界を映し出したものなのかどうかもわからんしな」
と、橘さんは自分を納得させるように言った。
「極端な話、あの映像は、誰かがインターネットを使って見ていたSF映画の一場面が、たまたま何かの加減で、俺たちの実験装置に映り込んでしまっただけなのかもしれんしな」
と、橘さんはいくらか冗談めかした口調で言うと、軽く笑った。
「……まあ、確かに、その可能性も否定はできないな」
と、和司さんも橘さんの発言に、苦笑するようにわずかに口元を笑みの形に変えた。僕もなんとなくつられるようにして口元に笑みを浮かべた。でも、一方で、明美はそんなことはないはずというような思い詰めた表情で、さっきまで動画が映し出されていたパソコンのモニターじっと見つめていた。
その後、明美の提案で、もう一度実験装置を稼働させることなった。和司さんが異世界と接続できたのはたまたまあのとき一回限りで、恐らく同じことをやってもあのときと同じことを再現することは難しいと思うと話しても、それでもいいからとやって欲しいと明美が強く依頼したのだ。そういうことであればと和司さんも承諾してくれた。ただし、実験を再開するにはちょっとした準備が必要とのことで、そのあいだ僕と明美のふたりは休憩(僕たちも何か手伝えることがあれば手伝いますと申し出たのだけれど、和司さんは笑って、専門的な作業になるから、僕たちふたりは準備をしているあいだ適当に休憩でもしておいてくれと言われてしまった)を取る事になった。
さっき僕たちが座っていたソファーのある応接室のような場所の奥には小さなキッチンがあり、そこにある飲み物であれば好きに飲んでくれて構わないと和司さんは僕たちに声をかけてくれた。ちょうど喉が乾いていた僕は有り難く和司さんの好意に甘えさせてもらうことにした。
僕と明美のふたりは並んでラボの奥にある小さなキッチンに向かって歩いていった。明美はキッチンに入って行くと、そこにあった、白い、古い形の冷蔵庫を開けた。そしてそれから、背後に立っている僕の方を振り返ると、
「オレンジジュースとお茶があるけど、どっちがいい?」
と、明美は訊ねてきた。
「じゃあ、オレンジジュースで」
と、僕は言った。明美は僕の返答に無言で頷くと、冷蔵庫のなかから紙パックに入りのオレンジジュースを取り出した。そして流しにあったグラスにそれを注ぐと、「はい」と、言って、僕に手渡してくれた。明美もグラスに自分の分のオレンジジュースを注いだ。
それから、僕と明美のふたりはソファーのある場所まで歩いて戻ると、ソファーに向かい合わせに腰掛けた。口に含んだオレンジジュースは果汁百パセーントのものらしく、濃厚で美味しかった。僕の正面に腰掛けている明美の顔を見てみると、明美は僕と同じようにオレンジジュースの入ったグラスを口につけながら、どこか浮かない表情でいた。
「どうかしたの?」
と、僕は明美の顔を見ると、なんとなく声をかけてみた。すると、明美は僕の顔を一瞥すると、
「ううん」
と、言って首を振り、それから、どこか少し疲れたような感じのする笑みを口元の端に浮かべた。
「……なんか色々考え込んじゃって」
と、明美は少し小さな声で答えた。
「確かに色々と気になることがあるよね」
と、僕は頷いた。橘さんの奇妙な形の記憶喪失の人間が増えているという話。それから、異世界の人間からの警告と思われる文章。そしてさっきの動画に映し出されていた、テクノロジーの進んだ、でも、荒廃した世界。
「……勇気はどう思った?」
僕がこの数時間のあいだに見たり聞いたりしたことを思い返していると、明美が話しかけてきた。僕は軽く伏せていた眼差しをあげて明美の顔を見た。
「どう思うって?」
と、僕は明美の質問の意図が上手く把握できずに訊ね返した。
「
どうって、色々……さっき和司兄ちゃんが見せてたくれた動画のこととか、他にも橘さんの話していたこととか」
僕が自分の意見を述べようとすると、
「わたしは、さっきの動画のなかに映っていた異世界は、ほんとうなんじゃないかと思うの」
と、明美は僕に訊ねておきながら、僕の返答を遮るように、いくらか早口に述べた。
「つまり、さっき動画のなかに映っていた異世界は、橘さんが言っていたような、SF映画の一場面がたまたま映り込んだだけとか、そんな単純な話じゃないと思うんだけど……」
「……確かに」
僕は小さな声で認めた。特に何か根拠となるようなことがあるわけではなかったけれど、僕もさきほど動画で見た、異世界らしきものは、本物なんじゃないかという気がしていた。
「そしてもしかしたら……こんなこと言うと、あまりにも空想が膨らみ過ぎとか思われるかもしれないけど……さっきの異世界が荒廃していたことと、パソコンに表示された警告の文章は何か関係があるんじゃないかって思うんだけど……」
僕が黙っていると、明美は続けて言った。
「……つまり?」
と、僕は明美の顔を見た。
「つまり」
と、明美は迷うにように口を開いた。
「さっきの動画に映っていた異世界の人々が、わたしたちの世界に、警告を促してくれているんじゃないかしら?……というのは、多分、彼等の世界があんなふうに荒廃してしまったのは、何者かに攻撃、あるいは侵略を受けたからで……だから、彼等はわたしたちの世界もそうならないように警告を促してくれているんじゃないかって思うんだけど」
僕は明美の言ったことに圧倒されて何も感想を述べることができなかった。僕が何もリアクションできずにいると、
「って、まあ、こんなこと言うと、あまりにもSFチックに話が飛躍し過ぎだって思われそうだけどね」
と、明美は自分が発言したことを冗談に紛らわせるように軽く微笑して言った。僕は明美の言葉に首を振ると、
「……いや、明美の言ったことは、案外、それ程的外れというわけでもなそうに思えるけど」
と、僕は言った。
明美はそう言った僕の顔を少し意外そうに見た。
「確かに、さっき映像で見た異世界は荒廃していたし……荒廃していたというか、何かに破壊されたあとのように見えたし……だから、ひょっとすると、明美の言う通りなのかもしれないって思う。彼等は何者かに攻撃を受けて、そして彼等は僕たちに警告するように呼びかけてくれているのかも」
明美は僕の発言を認めるように真顔で頷くと、
「……もしそうだしたら、勇気はどう思う?」
と、明美は僕の顔を真っすぐに見つめると訊ねて来た。
「もし、彼等の世界が、わたしたちの想像通りに、何者かに攻撃を受けていたとして……その世界のひとたちは誰から攻撃を受けているんだと思う?」
そう述べた明美の表情を見ている限り、彼女は自分なりの見解を既に持っているように見えた。
僕が答えに屈していると、
「……わたしはそれはもしかすると、異世界の人々なんじゃないかと思うの」
と、明美は続けて言った。
僕は明美の顔を注視した。
「つまり、わたしたちのことを探っている一団。彼等が、さっきの動画で見た異世界の人々の世界を破壊……もしくは侵略したんじゃないかって気がするんだけど」
僕は軽く混乱して明美の顔を見つめた。異世界の人々を攻撃したのがまた異世界の人々?
「整理すると、こういうことになると思うの」
と、明美は僕が自分の話についてきていないのを察したのか、説明するように言った。
「異世界というのはべつにひとつだけ存在しているわけじゃないの。もう何回も話にでてきていると思うけど、それは無数にあるの。そしてわたしが暮らしている世界がAだとすると、さっきの動画のなかに映っていた世界はBで、わたしたことを探っている一団がいる世界はCというわけ……そしてBの世界はCの世界から攻撃を受けたのよ……あるいは完全に征服されてしまったのかもしれない……そして今度標的となろうとしているのがAの世界……つまり、わたしたちがいる世界……」
僕は明美の科白を耳にして、背筋が寒くなった。また脳裏に、遠藤くんの笑顔が浮かんだ。
「そんなことになったら大変だ」
僕は狼狽えて、当たり前過ぎることを口にした。
「……といっても、今話したことはわたしのただの憶測でしかないんだけどね」
と、明美は言って、苦笑するような笑みを口元に覗かせた。でも、それから、またすぐに彼女は真顔に戻ると、
「……だけど、さっき言ったわたしの考えが正しければ、あの、パソコンのなかにあった警告文の意味もわかってくるような気がするの」
と、明美は言葉を継いだ。
僕は黙って明美の言葉の続きを待っていた。
「彼等はあの文章のなかで、世界線を閉じろって書いていたと思うけど」
と、明美は言った。
「……それはつまり、異世界からの侵略を防ぐために……たとえば何か出入り口のようものを塞ぐべきだって言っているじゃないかしら?」
「出入り口?」
僕は明美が口にした言葉の意味がわからなくて反芻した。明美は首肯すると続けた。
「つまり通路よ。Cという異世界からこちら側のAという世界へ侵入してくるための」
「……通路」
僕は明美が口にした言葉を耳にしながら、空間に開いた丸い穴のようなものを想像した。
「……でも、どうやって、その穴を閉じればいいんだろう?」
僕は独り言を言うように言った。
明美は眉根を寄せると、わからないというように頭を振った。
「……でも、たぶん」
と、明美は付け加えるように言った。
「まだ今のところその通路はできていないんじゃないかしら?もしあったとしても、それはごく限定的なものでしかなくて、だから、今のところ、わたしたちの世界は彼等の世界から攻撃を受けていないのよ。でも、あの警告文を見ていると、それが今危うくなりつつあるのかもしれないけど……」
僕は明美の言葉を耳にしてほんとうに恐ろしくなった。今にも空に穴が開き、そこからSF映画に出で来るような巨大な宇宙船が攻め込んでくるんじゃないかという気がした。
「……といっても、まあ、これはいくらなんでも漫画チックに考え過ぎかなと自分でも思わないでもないけどね。わたし、漫画の読み過ぎかしら」
明美は少し間をあけてから、冗談めかした口調で言うと少し笑った。




