異世界の映像?
「和司兄ちゃん、それで、昨日言ってたパソコンって……?」
明美は和司さんの顔を見ると、遠慮がちな口調で切り出した。僕も和司さんが昨日話していた、異世界と繋がったパソコンのことはかなり気になっていた。僕も問うように和司さんの顔を見た。
和司さんは明美の言葉に軽く頷くと、それまで腰掛けていた茶色の革張りのソファーから立ち上がった。それにつられるようにして僕と明美、それから橘さんもソファーから立ち上がった。
和司さんはさっきの水槽を改造した実験装置の方へと歩いて行った。僕たちも和司さんのあとに続いた。
その異世界と繋がったと言われるパソコンは、さっきの巨大な水槽のような実験装置の裏側に置かれていて、ケーブルのようなもので実験装置と接続されていた。和司さんはデスクトップパソコンの前に置かれている椅子に腰掛けると、そのパソコンのスイッチを入れた。僕たちはパソコンの周囲を囲むようにして立つと、パソコンが立ち上がるのを見守った。
やがて、パソコンが起動すると、和司さんはそのパソコンのキーボードを素早く両手で操作した。すると、パソコンの画面が真っ暗になり、その画面に、緑色の文字で、パソコンのプログラムのようなものが表示されたのが確認できた。僕がこれはなんだろうと思って顔をパソコンのモニターに近づけようとすると、
「おい!これって!?」
と、僕の隣で、橘さんが和司さんの顔を見ると、驚いている声で言った。
和司さんは振り向いて橘さんの顔を見ると、またパソコンの画面に顔を戻しながら、
「……ああ、この前、パソコンの設定を色々と弄っていたら、偶然発見したんだ」
と、和司さんは自分でも信じられないというように少し小さな声で答えた。
一体どういうことだろうと思って、僕はパソコンの画面に更に顔を近づけてみた。
パソコンの画面にはアルファベット文字で何か表記されていた。でも、いかんせん、パソコンのブログラムに関する知識も、英語力にも乏しい僕には、一体何が書いてあるのか、皆目検討もつかなかった。
と、そのとき、
「あっ!」
と、僕の隣で、明美が何かに気がついたように声を上げた。僕は問うように振り向いて明美の顔を見つめた。
「どういうこと?」
明美は一体何に気がついたのだろうと僕は気になった。
「これ、よく見てみて」
と、明美はパソコンの画面を指で指し示して言った。
僕はもう一度パソコンの画面を見てみた。それで、僕もようやくすることが理解できた。パソコンの画面に表示されている、英語らしき文章は、実は英語ではなかったのだ。日本語がローマ字表記で入力されているだけのものだった。
……ware ware wa guzen kono sekai to setuzoku suru kotoga dekita……kimitati no sekai wa kiki ni sarasare te iru……sugu ni sekaisen wo toziru beki da……samonakereba……
「……もしかして、これが昨日話していた?」
明美は緊張した面持ちで和司さんの顔を見ると訊ねた。和司さんは明美の顔を見ると、そうだというように首肯してみせた。
「俺も最初は全く気がつかなかったんだが、昨日、もしかしてと思って、色々とパソコンの設定を弄っていたら、あのとき、パソコンが異世界と接続されたと思われるとき、パソコンの画面に表示された文字がそのまま残されていることに気がついたんだ」
僕はパソコンの画面に表示されている、ローマ字で入力された文章をじっと眺めてみた。そして僕が思ったのは、これはひょっとすると、和司さんが自分で入力したものを、あたかも異世界の人間が書いたように見せかけているだけなんじゃないのかということだった。でも、僕は軽く首を振って自分のその考えを否定した。わざわざ和司さんがそんなことをするとは思えなかったし、またする意味もなかった。
「こんなふうに日本語の文章がローマ字で表記さていれるのは、異世界の人間が、こちら側のパソコンとの連動性を考慮して、あえてそうしたのか、それともこの文字が世界を移動する際に、たまたまこういう表記になってしまったのか、今のところそれはわかっていないんだが……」
和司さんは難しい表情を浮かべてパソコンのモニターを見つめながら言った。
「おい、おい、こんな大発見があったんなら、俺にも早く教えてくれよな」
と、橘さんは振り向いて和司さんの顔をみると、おどけた口調で言った。
「俺はあのときの文章はてっきり消えてしまったものだと思っていたんだが……これがあるんだったら、異世界がある証拠として、学会とかに発表することもできるんじゃないか?」
和司さんはそう言った橘さんの顔を一瞥すると、
「いや、それは無理だろうな」
と、憫笑するように微笑んで言った。
どうしてだ?というような顔を浮かべている橘さんに対して、
「まず第一に、これが異世界の人間が書いたものであるということを証明することが難しいし、そもそもまともに取り合ってもらえないさ」
と、和司さんは口元に薄い笑みを浮かべたまま続けた。
「……うーん。まあ、それはそうかもしれんな」
橘さんは和司さんの指摘に、いくらか悔しそうな表情で頷いた。
「……ねえ、このパソコンを使って、また前回みたいに異世界とコンタクトを取ることはできないのかしら?」
明美はパソコンの画面を覗き込むようにして言った。
「この、わたしたちの世界が危険に曝されているっていう文章の意味が気になるの。彼等は世界線を閉じるべきだって言っているけど、それがどういったことなのか、どうすればそれができるのか、確認できたらなって思うんだけど……」
和司さんはそう言った明美の顔を、どこか疲れた表情で見た。
「……ああ。それは俺たちも考えて色々試してみたんだ。……この文章が意図するところが気になったのはもちろん、彼等となんとかコンタクトを取り合うことはできないものだろうかと思ったんだ……だが、今のところ、異世界と接続できたのは、あのとき、一度きりなんだ……」
和司さんはそこまで話すと、困り果てたような表情で腕組みし、パソコンの画面を見つめて、唇を固く一文字に結んだ。
「状況を可能な限り、あの停電の夜のときと同じような状態にしてみたりとか、色々やってみてはいるんだが……あんなふう異世界と繋がるようなことは起こらないんだ」
橘さんも困惑したような声で言った。明美はふたりの発言に、なんとかできないものだろうかと思い悩んでいる顔つきで、じっとパソコンの画面を見据えていた。
「……そういえば、昨日、和司さんが言っていた、僕たちに見せたいものって?」
僕はふと眠る前に和司さんが話していたことを思い出して言った。和司さんは確かあのとき、ラボのなかにもうひとつ僕たちに見せたいものがあると話していたはずだった。
「……ああ、そういえばそうだったな」
と、和司さんは僕の発言に苦笑するように口元を綻ばせた。
「これはまだ俺と橘のふたりだけしか知らない企業秘密なんだが、ふたりには特別にお見せすることにしよう」
と、和司さんはそう少し戯けたような口調で言うと、口元にどこか不適な感じのする笑みを浮かべて、僕の顔を見た。橘さんは和司さんがこれから僕たちに何を見せようとしているのか感づいたらしく、
「ふたりともびっくするぞ」
と、言って、僕と明美の顔を見ると口元で悪戯っぽくにやりと笑った。
僕は橘さんの科白を耳にして、怖いような、わくわくするような衝動を覚えた。
和司さんは机の上のパソコンのキーボを操作した。すると、パソコンの画面上に、動画が開始される前の最初の画面のようなものが表示された。
「これはスマホで撮影した動画をこのパソコンのなかに取り込んだものなんだ」
と、和司さんは僕と明美の方をちらりと見ると、またパソコンの画面に視線を戻しながら言った。
「さっきは俺たちの実験はまだ一度も成功したことがないと言ったと思うが……実を言うと、一度だけ、偶然、この水槽の装置を使って異世界との接続に成功したことがあるんだ……接続できたというか、まだ、できのかもしれないといったような、曖昧なところではあるんだが……」
「もしかして、そのスマホで撮影した動画に、異世界が映っているの?」
と、明美が興奮と驚きが入り交じったような声で言った。
「……異世界、というか、異世界らしきものだ……まだこれが異世界の映像だと確認できたけわけじゃない」
和司さんは明美の発言を、正当な表現に置き換えて言った。明美は和司さんの発言にわかったというように頷くと、
「とにかく、見てみたいわ」
と、明美は真剣な表情で言った。僕も明美と同意見だった。
和司さんは振り向いて僕たちの顔を見ると、了解したというように頷き、マウスをクリックした。
その動画は、和司さんの慌てた声から始まっていた。
「橘、こっちだ!早く!急いでくれ」
不安定に揺れなからラボ内を映し出している映像のなかで和司さんが叫ぶように言う声が響いていた。
「ああ。わかっている。十分急いでる。今、スマホの調整を起こなっているところなんだ。あー。えー。これで撮れているのか?」
和司さんの声に続いて、動画を撮影しているらしい橘さんの声が聞こえてきた。まだ事態を把握していないせいなのか、橘さんの声はのんびりとしている。眠っていたらたたき起これて、なんだなんだと戸惑っているような感じの声だ。
やがて画面のなかに和司さんの顔が映し出された。その和司さんの顔つきから、和司さんがかなり緊張しているのが伝わってくるようだった。
「どうしたんだ?一体何を撮れっていうんだよ?」
和司さんとは対象的なゆっくりとくつろいでいるような橘さんの声が続いた。
「驚くなよ。異世界だよ。今、異世界が映ったんだ。例の水槽に」
「……嘘だろ!?」
和司さんの発言を聞いて、橘さんの声が急に緊張感を帯びたのがわかった。その後、映像が激しくブレた。(恐らく、実験装置がある場所まで走ったのだろう)
「おい、マジかよ!これ!」
と、続いて、橘さんのほとんど絶叫するような声が聞こえてきた。その後、画面に映した出された映像を見て、僕は自分の目を疑った。
動画のなかの、今、僕たちの目の前にあるのと同じ水槽のなかに、街のような景色が映し出されているのだ。街といっても、それは僕たちが知っている日本の都市とはずいぶん雰囲気が違ったものだった。よくSF映画等で目にする近未来の都市のような。といっても、水槽のなかに映し出されているのは都市のほんの一部なので、その詳細はわからないのだけれど。
でも、曲線を多様した流麗な感じのする高層の建物群は、僕たちの世界よりも技術が進歩している世界なのだと感じさせた。また他に気になったのは、全体的に映像が暗いというか、映し出されている映像が、沈んだ、暗い色調に染まっているところだった。それは実験装置が不完全なせいもあるのかもしなかったけれど、見ていると、今映っている世界はその世界自身から光が漏れ出していて、そのためにその世界が暗くなっているような印象を受けた。
更によく見てみると、最初壮麗で美しく見えた高層ビル群には、戦争で破壊されたあとのようなものがいくつもあるのがわかった。一番近くに見えるビルには爆撃で破壊されたあとのような黒く焼けこげたあとのようなものがあり、更に、画面の奥に向かって続いて行く銀色の道のようなものの先には、何か車のような形をした乗り物が横転しているのも見えた。
「何をどうやったらこんなことができたんだ?」
と、動画のなかで、橘さんが興奮している口調で訊ねていた。
「わからない」
と、和司さんは呻くような声で答えていた。
「実験装置を適当に弄っていたら……」
「あっ」
動画のなかで、ふいに橘さんが叫ぶように言ったのが聞こえ、それと同時に、それまで水槽のなかに映し出されていた都市の映像は波打つように二三度揺らいだかと思うと、もとのただの液体の水が満たされた水槽に戻ってしまった。
映像はしばらくのあいだそのただの液体の水を満たした水槽を映し続けていたけれど、やがて録画は終了されたらしく、画面が真っ暗になって動画は終わった。




