ラボへ・異世界についての考察 2
なるほど、和司さんの言っていた通り、和司さんに紹介された橘幸宏という男性はちょっとやそっとのことでは死ななそうな頑丈そうな身体つきをしていた。和司さんと同じ大学に勤めていて、やはり和司さんと同じ研究員をしているということだったけれど、でも、その見た感じは大学の研究員というよりも、むしろプロレス選手や、柔道選手をしているといった方がしっくりくるように思えた。
和司さんと同じくらい背が高く、その屈強そうな体つきと相まって、何もしていないのに立っているだけで近づきがたいような迫力があった。髪の毛を短く刈り込んでいて、ほとんど坊主頭に近かった。顔立ちはお世辞にも整っているとは言い難いのだけれど、その表情は豊かで、愛嬌があり、好感が持てた。
彼は僕たちよりもさきに喫茶店に到着していて、僕たちが喫茶店に入っていくと、すぐに気がついて立ち上がり、笑顔で僕たちを向かえてくれた。僕たちはたった今、簡単に自己紹介を終えて席に腰を下ろしたばかりだった。
僕と明美と和司さんは注文を取りに来た店員に、それぞれ朝食のセットを注文した。トーストとコーヒーとサラダとゆで卵のセット。橘さんは先に注文を済ませていたらしく、テーブルの前には既に料理が置かれていた。
すぐに注文した料理は運ばれてきて、その運ばれてきた料理を各々口に運びながら僕たちは雑談を交わした。橘さんは和司さんとかなり親交が深いようで、驚いたことに、和司さんが異世界から来た人間であるということも承知しているようだった。そして実は僕と明美も異世界から来た人間であると和司さんが告げても、橘さんは別段驚いたり、あるいはそんなことがあるわけがないだろと馬鹿にしてかかるようなこともなかった。
「……その、橘さんは、妙に思ったりしないんですか?」
と、僕は橘さんのどちらかというと四角く角張ったような感じのする顔を見ると、遠慮がちな口調で訊ねてみた。
「普通のひとは異世界から来たなんて言われたりしたら、眉をひそめるか、あるいは馬鹿するかのどちらかだと思うんですけど」
橘さんは僕の発言に、愉快そうに口を開けて笑った。
「俺はそんなことはべつに思わないさ。世の中にはまだまだ科学では解き明かせない不思議なことがあるんだ。そういうことがあっても可笑しくないと俺は思うね」
僕は感心して橘さんの顔を見つめた。橘さんの飾り気のない気さくな笑顔が好ましく感じられた。このひとになら、自分の考えていることや思っていることをありのままに話しても、真剣に耳を傾けてくれそうな安心感があった。
「それに実際問題、俺はもともとそういうオカルト的な話が大好きなんだ」
と、橘さんは苦笑するように笑って打ち明けた。
「古代核戦争とか、ムー大陸だとか、アトランティス大陸だとか、そういった荒唐無稽、超科学的な話、俺はその手の話が大好きなんだよ。俺が科学の世界に興味を持ったのも、実を言うと、そういった話が好きだったからなんだ」
「僕もそういう話は好きですね」
僕は微笑して言った。僕は橘さんに対してますます親近感を覚えた。
「なんかそういうことが、もしかしたらほんとうにあったのかもしれないと思うと、わくわくしますよね」
僕は橘さんの顔を見つめると、声を弾ませて言った。橘さんは僕の科白に、そう思うといようににこにこしながら頷いてみせた。
「なんかふたりは馬が合いそうね」
と、僕のとなりで明美がからかように微笑して言った。
「そういう明美ちゃんはどう思う?そういうオカルト的な話は?好きかい?」
明美は橘さんの問いかけに、どうだろうというように軽く首を傾げた。
「……好きとか嫌いとか特にそういうのはないけど、でも、そういうオカルト的な話のいくつかは真実だと思う。実際にあったことなんだと思う」
と、明美は慎重に言葉を選ぶように答えた。
僕の向かい側の席に腰掛けていた和司さんも明美の発言に軽く頷いた。
「オカルト系の話の類いのほとんどはインチキだろうが、でも、なかには実際にあったこともあるんだろうなと俺も思ってる」
「たとえば、和司はどんなことがほんとうにあったことだと思う?」
もう既に朝食を食べ終えてしまった橘さんは和司さんの隣で腕組みすると、挑戦するような口調で訊ねた。和司さんは橘さんの問いに、その形の良い眉を寄せて少し考えていたけれど、
「色々あるが、たとえば、恐竜の足跡と人間の足跡が一緒になって見つかっている化石は、ほんとうにあったことなんじゃないかと思う」
と、和司さんは真剣な顔で答えた。
「つまり?」
と、橘さんは和司さんが言ったことに対して何か自分なりの仮説のようなものを持っているようだったけれど、口元にどこか不適な笑みを浮かべると、続きを促した。
「つまり」
と、和司さんは言った。
「タイムマシン的なものなんじゃないかな?未来の人間が過去の、恐竜が生息したしていた時代へタイムトラベルして、そのときにできたものなんじゃないかと思う」
僕は和司さんが口にした言葉を耳にして、かなり興奮してしまった。科学に何のゆかりもない人間がそんなことを口にしても、ただの与太話にしか聞こえなかっただろうけれど、和司さんのような化学に精通しているひとが口にすると、不思議な説得力があった。もしかしたらほんとうにそんなことがあるのかもしれないと僕は面白く感じた。
「俺もそれは思った」
と、橘さんは和司さんの隣で首肯すると言った。
「でも、もしそうだとすると、どうして俺たちは未来からきたっていう人間とまだ遭遇したことがないんだっていう問題に打ち当たってしまうんだよなぁ」
と、橘さんは納得がいかないというよりも、困惑しているような表情で続けた。
「もし、未来においてタイムマシンが発明されているのなら、俺たちは未来からやってきたっていう人間と出会っていてもおかしくないはすだ。でも、そんな例はない……ないこともないが、そういった例は極端に少ないし、公の場所に出できて、わたしは未来からきた人間ですと名乗り出た人物に出会ったことはまだ一度もない」
和司さんは橘さんの話に頷くと、テーブルの上のコーヒーを少し飲んだ。
「確かにそうだが、可能性は色々考えられる。確かにタイムトラベルすることは可能なんだが、過去の時間に干渉すると、自分たちの世界に何らかの不具合が起こる可能性があるから、過去の人間にタイムトラベルすることが可能であることは告げてはならない決まりがあるとか……あるいは常に世界は分岐していくから、俺たちはたまたまタイムトラベラーが訪れていない、あるいは訪れることが不可能な世界にいるとか……」
「……なるほどな」
と、橘さんは和司さんの理論に、難しい顔をして頷くと、テーブルの上の水の入ったグラスを手に取って少し飲んだ。
「……世界は分岐していく……タイムトラベラーがまだ存在していない世界線、パラレルワールド」
と、橘さんは顔を軽く俯けるようにして独り言を言うよう言った。それから、橘さんはふと何かを思い当たることがあったのか、それまで伏せていた顔をあげて和司さんの顔を見ると、
「俺は昔からパラレルワールドというものに興味を持っていて色々と調べていたんだが、実はパラレルワールドとタイムトラベルは密接な関係があるんじゃないかと思うんだが、和司はどう思う?単純にタイムパラドックスを解決するためだけの理論としてではなく、それを利用することで、つまり、パラレワールドを利用することで、過去や未来へ行けたりするんじゃないかと思うんだが、どう思う?」
「……どうだろうな」
と、和司さんは橘さんの問いかけに眉間に皺を寄せて黙った。そして少ししてからまた口を開くと、
「それぞれの世界によって技術の進歩というのはまちまちだろうから、あるいはもしかすると、俺たちの世界から見たら、過去と思える、パラレルワールドが、平行世界のどこかには存在している可能性はあるかもしれないな」
と、考えながら話すようにゆっくりとした口調で和司さんは言った。
「……わたし、ネットで、実は時間というのはわたしたちが持っている概念とは違って、過去も未来も現在も存在しないのかもしれないっていう記事を読んだことがあるわ」
それまで黙って、和司さんと橘さんのやり取りに耳を傾けていた明美がふと思いついたように口を開いて言った。
「イメージで言うと、過去も現在も未来も同時に存在していて、互いに影響を受け合って変化しているんじゃいかっていう考え」
明美は続けてそう述べた。僕は明美が今口にした、過去と現在と未来が並列して存在しているところを思い浮かべようとしたけれど、上手く行かなくて、頭が痛みだした。
「たとえば、生まれ変わりみたいなものがほんとうにあったとするでしょ?」
と、明美は僕たちが黙っていると話続けた。
「で、当然、普通に考えれば、次にわたしが生まれ変わる場所は、未来の世界ということになるはずなんだけど、でも、そうはならずに、ときと場合によっては、過去の世界に生まれたりすることもあるんじゃないかって考え方なの」
「……でも、待ってよ」
と、僕は混乱して言った。
「過去っていうのはもう過ぎ去った時間でもうないはずでしょ?」
「……普通に考えるとそういうことになるんだけど」
と、明美は僕の顔を一瞥すると、どう説明したいいのかわからないというように困った表情を浮かべた。
「でも、たとえばタイムマシンが発明されて、勇気が過去の世界へ……それはどこでもいいんだけど……仮にそこが江戸時代だったとして……そこで勇気が出会ったり、話したりするひとは確かに過去の時代のひとではあるんだけど、でも、勇気が出会った時点では、普通に生きて活動しているわけでしょ?少なくとも勇気の目には過去の、死んでもういないひとだというふうには映らないわけで……そう考えていくと、過去とは何かということなると思うの」
僕は自分が江戸時代へタイムトラベルして、そこで出会ったひとたちとともに生きているところを想像してみた。そこは現代からみれば、確かにもう過ぎ去ってしまった時間なのだけれど、でも、その世界に滞在している僕にとっては過去ではなく、現在ということになる。そしてそこで僕とともに生活しているひとたちも、僕にとっては死者ではなく、今という時間を生きている人々ということになって……さらに僕の混乱は深まった。
「……つまり、明美の考えた方だと、時間が空間のような認識の仕方になるのか。時間は一直線に前に向かって進んでいくものではなくて……面白い考え方だな」
さすがに和司さんは明美の言ったことが理解できているのか、感心している口調で言った。
「……なんたが話が壮大に成ってきたな」
橘さんは可笑しがっている口調で言った。
「ちょっと話は逸れちまうが、俺が今個人的に興味を持っているのは、実際の公式の記録としても残っている、サクリア大陸からきたっていう人間の話だな」
と、橘さんは水を少し飲んでから微笑して続けた。
「……それはどんな話なんですか?」
僕は初耳だったので、訊ねてみた。
橘さんは軽く頷くと、話はじめた。
「確か1851年頃の話だったと思うんだが……ドイツで、フォーリンという身元不明の男が警察に保護されたんだ。で、警察がその男にきみはどこから来たのかと訊ねると、その男は、自分はサクリア大陸にあるサクリアっていう国から来たって答えたらしいんだ。でも、みんなご存知の通り、そんな国なんて存在していない。というか、そもそもサクリア大陸なんて聞いたこともない」
「でも、そのひとが適当な嘘をついていた可能性もある」
僕は言ってみた。すると、橘さんは僕の話に首肯すると、
「もちろん、その可能性はあるだろうな」
と、認めた。
「でも、その男はとてもそんないい加減なことを言ってるようには見えなかったらしいんだ」
と、橘さんは説明を続けた。
「サクリアという国のことを話しても、誰にも理解してもらえないことに、その男はほんとうに混乱してショックを受けている様子だったらしいんだ」
「……で、そのひとは結局どうなったんですか?」
僕はフォーリンという男性のその後のことが気になったので訊ねてみた。
橘さんは僕の問いに、頭を振った。
「どうにも」
と、橘さんは答えた。
「警察から解放されとあと、その男は行方不明になったらしい。あるいはその男はもともと自分いた異世界へ戻れたのかもしれないな」
と、橘さんはそこで言葉を区切ると、僕たちの顔を見回すようにして、
「でも、そんなことよりも、今、実際に、目の前に、こうして異世界から来た人間がいるってことが、一番すごいことだよな」
と、言って、橘さんは大きく口を開けると、豪快に笑った。




