対話3
「あらあらあら」
母親ののんきな声も、今は美香子の緊張をやわらげはしない。心臓をバクバクさせながら、美香子はなるべく平静を装った顔を母親に見せた。
「お、お帰り」
母親の視線は美香子を通り越し、後ろの狼男のあたりを見ている。
「大きなワンちゃんねぇ〜」
その言葉に美香子が振り返ると、そこには狼の姿に戻った狼男がいた。
美香子はほっと胸を撫で下ろす。
どうやら間に合ったようだ。
「どうしたのこの子」
母親が狼に近付き、狼の頭をよしよしと撫でた。狼はされるがままで、目を閉じて気持ちよさそうにしている。
「あら、可愛い」
にっこり笑った母親は、今度は両手で首のあたりを撫で擦る。
「えっと、実はお腹が空いていたみたいだから連れて来ちゃったんだけど……」
嘘ではない。
「首輪がないわ」
あるわけがない。
「なんか捨て犬みたいで……」
貼り付けた笑顔で、美香子はなんとか説明をする。
「飼うの?」
「え?」
「捨て犬なのでしょう? 大きいけど大人しいしい、実は母さん、ワンちゃんを飼うの憧れだったのよねぇ」
母親がしみじみと言う。それは考えていなかったことで、美香子は良さそうなアイデアではないかと思った。この狼に家で暮らしてもらえば、これからもリヒトのことを聞くことが出来る。食べ物に苦労していたようなので、この狼にとっても美香子の家で暮らすのは助けとなるはずだ。
「飼う。うん、飼いたい」
「じゃあ、決まりね」
母親がさらに狼の身体全体をわしわしと撫でて可愛がる。
「今日からうちの子よ〜」
母親に撫でられながら、狼の目が問いた気に美香子を見た。美香子はそれに頷いて、安心させてあげる。
「あら、リヒトちゃん寝ちゃっているじゃない」
リヒトはリビングのソファーの上で横になって寝ていた。どうりで美香子達が話している間、ずっと静かだったわけだと美香子は思い返す。
「もうすぐ八時だし、無理に起こさず、リヒトちゃんは起きたらご飯にしましょうか」
リヒトを抱き上げ、母親はリビングを出て行った。たぶん美香子の部屋に寝かせに行くのだろう。
母親が出て行って、美香子はやっと緊張を解いた。
思わぬ方向に転んだが、ベストなところに落ち着いたと思う。
「私はここに住んでいいのか?」
狼男の姿に戻った狼が、申し訳なさそうな顔をしていた。
「いいよ。それで帰る方法を一緒に探そう」
美香子が笑顔で返すと、狼男がまた頭を下げようとしたので、美香子は下げる前に手のひらで狼男の額を押さえ、下がらないようにした。
「もういいって」
額を押さえられたまま情けない顔をする狼男に、美香子は思わず吹き出す。この狼男となら、なかなか楽しい生活になるかもしれないと美香子は感じた。
「そういえば、名前聞いてなかったね。何ていうの?」
額の手をどけながら、美香子は狼男の名前を知らないのに気が付いた。これから一緒に暮らすのだから、名前は知っておくべきだろう。
「ボルフという。これからよろしく頼む」
「うん、よろしく」
美香子は狼男、ボルフに手を差し出す。ボルフも美香子の手を握り返し、二人は握手を交わした。と、そこへ母親が戻って来た。
「リヒトちゃん寝せて来たし、ご飯にしましょうか」
ビクッと肩を揺らし、美香子は慌てて母親の方を見る。母親は驚かずに美香子達を見ていた。
「もうワンちゃんにお手を教えているの?」
母親の思っていなかった言葉に美香子はすぐボルフを見る。ボルフは狼の姿に戻っていた。傍から見れば、美香子がボルフの前足を掴み、ボルフにお手をさせているようにしか見えない。
「さあ、ご飯の用意をしましょうか」
母親はボルフの正体に気付くこともなく、キッチンに入って行った。
美香子はほうっと安堵の息を吐く。
「ワフッ」
ボルフの声に、美香子はボルフの前足を掴んだままなのを思い出した。せっかくなので、この姿のボルフと改めて握手をする。狼男の姿の時と違って、肉球が柔らかい。
「改めて、よろしくねボルフ」
「ワフワフッ」
ボルフの前足を上下に振って、二人して笑顔で握手をした。これで、ボルフも仲間の一員となったのだった。




