2話
何はともあれ朝食である。
今にもスキップしだしそうな足取りで突き進む兄の後ろに大人しく付いて歩く。
それにしてもデカイ屋敷だ。既にいくつ部屋の前を通りすぎたか定かじゃないね。
カイトの記憶によるとスタビノアは王都でもそれなりに名の通った貴族であるらしく、カイトの父にあたるウラジミール・スタビノアは国王陛下からの信頼も厚いとか。
そして兄のカイルは幼少の頃から魔法に長け学院でも首席と勉学も申し分なく次期当主との呼び声が高い。
現在は学院に通いながら実家でも一族当主足るための英才教育を受けている最中なのだ。
ふむ、父親も兄も立派なもんだ。そりゃ比較対称がこんな傑物達じゃカイトが凹んで引きこもりにもなるわ。
食堂に到着するまで記憶の共有を利用してスタビノア家やカイルの情報を引き出していく。
まあ引きこもりだけあって情報の量はお察しだが、この世界の礼儀作法やら家族構成くらいはしっかり把握していたので日常生活に困りはしないだろう。
「カイル様!」
やせいのしつじが とびだしてきた!
脳内でそんな実況をしつつ、息を切らせて現れた黒服のナイスミドルを見守る。
こいつを含めて何やら周囲が騒がしくてかなわんのだが。お祭りの準備でもしてんの?
「この一大事にどこへ行かれるのですか?」
「お、弟と朝食を……」
バツが悪そうに呟くカイル。
その言葉で初めて俺の存在に気づいたらしい黒服の目が細まる。ネガティブな感情に染まった瞳だ。
ムカついたので変顔を披露してやった。
ぶはっと吹き出して噎せる黒服。息切れと笑いによる呼吸困難は苦しかろう。
このひょっとこ顔には自信ありだ。特にひょっとこのお面を外してからのひょっと顔は破壊力がある。鏡の前でやって死にそうになった。
その後我に返って死にたくなったが。
数多の黒歴史の内のひとつを記憶の片隅に押しやりつつ、黒服の反応にも満足したのでカイルにバレる前に真顔に戻す。
真面目腐った顔を保ったままカイルに問いかけた。
「何かあったんですか?」
「それがね、ここから南西にあるクラード山が先ほど突如として浮かび上がり、不可解な動きを繰り返したかと思えば元の位置に戻ったんだ。いや、にわかには信じられないだろうけど……」
まあそーだろうな。分かってたよ、見てみぬふりをしてただけで。
「やだなぁ、そんなことある訳ないですよー」
俺、絶賛棒読みタイム突入のお知らせ。
「気持ちは分かるが僕もこの目で見てしまったんだ。僕が部屋に行く前に大きな揺れがあっただろう?あれはクラード山が元に戻った時の衝撃でね」
やっぱ大事になってんじゃねーか。
当たり前だけど山が飛んだり跳ねたりしちゃ近隣住民は顔面ブルーレイよな。
いやマジですまん。
「旦那様がご不在の今、調査隊の陣頭指揮を取れるのはカイル様しかおらぬのですぞ!」
調査しても何も出ないと思うけどね。悪意で引き起こされた事態じゃねーし。
「兄さんが現場まで赴くんですか?」
「……そう、なるかな。残念だけど非常時だし。できればカイトと一緒に朝食を摂りたかったんだけど」
久方ぶりに対面を果たした弟との食事に未だ未練たらたらのご様子。非常時だと分かっていながら家族愛を優先しようとする心意気は嫌いじゃないぜ!
つかそもそもとしてカイルが現場に出るのは危なくね?
今回は俺の出来心に端を発した騒動だけど、マジもんの天変地異とか正体不明の敵だったら大将は事態の全容がある程度把握できるまで安全地帯に引っ込んでるべきだと思うのだが。
せいぜい数十キロ先での出来事なんだから早馬でも走らせれば大した時差もなく現地の様子は知れるだろう。
そうしなけりゃ討伐すべき敵がいるのか、はたまた住民の避難や援助を優先すべきなのかも分からない。
緊急事態では迅速な対応が求められるけども、だからといってまともな人員とそれを賄う物資が準備できない内はカイルはここに留まった方が賢明じゃないんかね。
道中だって何があるか分からんのだし、最悪の事態を想定するならこの屋敷からケツまいて撤退戦を強いられる可能性だってある。山を引っこ抜くような怪物が相手だったらどうすんだ。
ということで俺としては少数精鋭の先遣隊を送ることをお勧めしたい。その中に有名所でも入れとけば住民の不安も少しくらい軽減できそうなもんだが。
的なことを慣れない敬語を駆使して伝えてみた。
すると2人は何やら信じられない物を見たような顔をする。
「どうかしたんですか?」
「……すまない、カイトのことを僕は過小評価していたみたいだ」
いきなり頭を下げられても困る。
俺としてはそこそこやり込んだ戦略系オンラインゲーの知識を生かして一番リスクの低そうな方法を提案しただけなんですぅ。
リアルだけじゃなくゲームでも逃げの一手を打つのが北山海斗という男なのだ。ごめんさいね、ビビりで。
「兄さんは山が浮くなんて非常識な光景を目にしたんでしょう?なら気が動転しても仕方ありませんよ。僕はその光景を見ていないから冷静なだけで、平時の兄さんなら僕が思い付く程度のことはすぐ行動に移していたはずですよ」
もしくは弟との食事に心踊らせていたせいで視野狭窄に陥った説もある。
だとしたら引くほどの弟愛だ。
「……僕はいい弟を持ったよ」
「それはお互い様ですよ兄さん」
記憶の共有で知り得ているが、カイルは実に良くできた兄である。ダメ兄日本代表の俺からすれば理想と言ってもいい。
どこの馬の骨とも分からん女じゃ嫁入り認めないからな!?
「ブラウン、先遣隊を組め。人数は7、隊主はバリオスだ。法剣の帯刀を許可すると伝えてくれ」
「御意。十分で準備を整えさせます」
あ、俺の思い付きが実行されるのか。カイルと一緒に朝飯食べるための口八丁だったんだけどな……。
無茶振りされたバリオスさんと先遣隊の皆さん乙!
side カイル・スタビノア
二年近くまともに顔を見せてくれなかった弟が、僕の呼び掛けに応じて部屋から出てきてくれた。
山が浮かび上がるなんて非常事態だったけど、嬉しくなってつい朝食に誘ってしまった。
次がいつあるか分からないし見逃してくれないだろうか?
そんな淡い期待は僕を探し回っていたブラウンに見つかって霧散し、カイトとの朝食はあえなくご破算……と思ったのだけど、そこでカイトが口を開いた。
この時の心境を一言で表すなら“驚愕”。
僕の記憶によればカイトは決して戦や政に明るい少年ではなかった。
魔法も使えず、いつも誰かに怯えて過ごしていたはずの弟は、ほんのわずか目を離している間に成長していたのだ!
あらゆる危険と可能性を想定した中で最も効率的な手段。
僕もブラウンもやはり浮き足だっていたのだろう。カイトのいうとおり落ち着いていれば調査隊の先陣に立つなんて愚策は犯さなかったと思う。
でも一方で、先遣隊に部隊長を組み込むことで住民の不安を軽減させるという発想は、自分ではできなかっただろう。
確かにバリオスのように信頼の置ける人間が真っ先に向かえば住民は安心するし、戦闘になった場合でも対応できる。
まさに情報が欠ける現時点で最善の采配と言えた。
これが魔法を使えず『落ちこぼれ』と蔑まれた少年の姿か?
いや、違う。
カイトは落ちこぼれなんかじゃない。
きっとカイトは爪を研いでいたんだ。来るべき日のために。
そしてその時がやってきた。今日を境にカイトはこの世界に羽ばたいて行くに違いない。
僕の胸が歓喜に震える。
カイトの成長が嬉しい。
彼を見放した人々を見返すその時が待ち遠しい。
僕を良い兄だと言ってくれる言葉に涙が出そうだ。
でも今は
「じゃあ何か情報が入るまでゆっくり朝食にしましょうか、兄さん」
二年振りになる弟との団欒を素直に喜ぶことにしよう。