15話
轟音と粉塵が収まってしばらく、打って変わって静寂が闘技場を支配する。耳を澄ませば呼吸の音すら聴こえてきそうな静けさだった。
その原因を作り出した俺は、数分前と比べてやけに見晴らしのよくなった眼前の光景に思わず頭を抱えたくなる衝動を必死こいて堪えていた。
絶対に壊れないはずのアルセナ結晶は粉々に砕け散り、その奥にあったはずの観客席すら消し飛んでいる。先ほどまで存在していた石造りの建造物に代わり、青空と闘技場を取り囲んでいる雑木林の緑が目に痛い。
背中に視線が集まっているのを感じながら、俺は意を決して振り返った。
視界に入った全員が呆然と、口を開けたまま硬直している。
さもありなん。同じ立場なら俺も同じようなリアクションをしたことだろう。
「この結果を踏まえて僕の合否は如何なさいます?」
「いや、結果というか……」
真っ先に一番の心配事を尋ねてみたが試験官からの返答は芳しいものではなかった。
そりゃ当然である。いくら合格基準を満たそうが公共物の破壊が許されるわけもない。
もし不合格にでもされたらどうしよう。リカバリーで修理すれば許してくれるかな?
心の中では滝のような汗を流しつつ、それでも表情だけは事も無げに繕って都合の良い事実だけを突きつけて強引に突破を図ってみる。
「二千点、越えていますよね?」
この惨状だ。たぶん桁数すら違っているだろう。
千点の三千倍なら三百万だ。
「それは間違いないが……そういうことではなくてだな」
「言いたいことがあるのは承知していますが、一先ず合否をお教えいただけませんか?それが分かれば僕としても安心して修理に取り組めるのですけど」
「な、直せるのか!?」
「はい、問題なく」
闘技場は『リカバリー』で再生可能だろう。特殊な鉱物であるアルセナ結晶は難しいかもしれないが、それなら『マテリアライズ』で新しいものを作り出せば良いだけだ。大した手間じゃない。
試験官からすれば言外に“合格なら直す”と脅されているようなもんだが、どうせ不合格でも直すつもりだ。ただその意向を伝えていないだけで。
「……カイト・スタビノア。合格だ」
「ありがとうございます」
どこか諦めた感のある口調で試験官にそう告げられ、俺は恭しく頭を下げた。
わざとらしいかもしれないが、脅迫に対するせめてもの謝罪である。
「では手早く直してしまいましょう。この有り様はあまり多くの目に晒さない方がいい」
「しかし直すといってもどうやって……」
「『リカバリー』を使います」
「『リカバリー』だと?この規模の損害では……いやしかし、先程の魔力量ならばいけるのか?」
「見ていればお分かりになりますよ」
疑問が尽きない様子の試験官に色々聞かれても困るのでさっさとやってしまおう。
いざ魔法を発動しようとしたその時
「これは何事ですかっ!?」
腰まで届く鮮やかなハニーブロンドの髪をなびかせた少女が闘技場に乱入を果たした。
side イングリット・ランカスター
その日、私の優雅なティータイムを遮ったのはギガントオーガの群集が迫り来るような地鳴りとドラゴンの咆哮のような轟音だった。
開け放たれていた窓から飛び込んできたそれらの衝撃で反射的に身が竦み上がり、思わず腰かけていた椅子からずり落ちてしまいそうになる。
「な、何なのよ今のは……」
カップから紅茶が溢れていないのを確認してからその目を窓の外へ向けた。
すると敷地内の一角から煙が上がっているのを発見する。恐らくあそこが地鳴りと轟音の原因でしょうけど……。
「イングリット様!」
お付きのエミリアが珍しく慌てふためきながら私の部屋に転がり込んでくる。
「エミリア、今の衝撃は一体何かしら?」
「わ、分かりません。しかしただ事ではないようですが……」
「そうでしょうね。あれが見える?」
窓の外、煙が上がっている箇所を指差す。
その高さはすでに数十メートルにまで達している。攻撃性の高い炎属性の魔法だとしてもあの衝撃から推測するに上級魔法の『フレイムバースト』か『ブラストノヴァ』か……。
しかしなぜそれほどの魔法を学院内で?
「あの辺りは第六闘技場……本日は学院の外部受験の魔法実技試験が行われているはずです」
「外部受験?」
学院内での出来事をほぼ把握しているエミリアの言葉に引っ掛かりを覚える。
ウィンザストン魔法学院の入学には二通りの道がある。付属の魔法学校からの内部進学か、他の魔法学校に三年以上在学していた者による外部進学だ。
その力量には当然個人差があるが、学院入学前に上級魔法を習得している者は数えるほどしかいない。そしてそれほどの才能があれば大抵はウィンザストン魔法学校へ入学するだろう。
何故ならウィンザストン魔法学院は王都で……いえ、この国で最も高名で誉れ高い魔法学校なのだから。
仮に他の魔法学校に上級魔法を使える生徒がいたとしたらその名を聞かないはずがない。それほどの才能があるならば王立騎士団や七帝の有力候補として早くから注目されるだろう。
だが近い世代に私を除いてそんな生徒の名は聞いたことがない。
「エミリア、闘技場へ向かいます。付いてきなさい」
「はい!」
部屋着から学院の制服に着替えエミリアを従えて部屋を出る。一階のエントランスには何が起きたのかとすでに寮生達が集まり出していた。
その中の一人が私の姿に気付いて声をかけてくる。
「あ、イングリット様。先程の大きな揺れと音は一体……」
「それを今から確かめに行きます。事態が判明するまで貴女達は極力外出を控えて下さい」
「わ、分かりました。お気を付けて」
私やエミリアと同じ、来月からウィンザストン魔法学院の一年生になる少女に深々と頭を下げられる。他の寮生達も不安の籠った目を私へと向けるが、それら全てを悠然と受け止めた。
ウィンザストン魔法学院理事の孫娘として、不測の事態に取り乱すほど柔な教育を受けてきた覚えはない。
私達はエントランスを突っ切り正面玄関から外へ出るとそのまま闘技場へと向かう。
初級魔法の『フィジカルアップ』で身体能力を飛躍的に上昇させて石畳を駆ける。私だけなら中級魔法の『フライ』でもう少し早く辿り着けるけど、現在の状況下で戦闘能力が高くないエミリアを一人にはしたくないというのが本音だった。
そうまでしてエミリアを連れてきたのは彼女が優秀な治癒師だからに他ならない。あれだけの大爆発ならば大怪我を負った生徒がいる可能性が高いと踏んだためだ。
やけに長く感じる二分ほどの道程の終着地点がようやく見えてくる。
そしてその全貌を捉え、私とエミリアは思わず足を止めた。
「どうなっているのよ……」
そこにあったのは見るも無惨に半壊した第六闘技場の姿。辺りには粉塵が立ち込め、間断的に崩壊が続いている。
だというのに周囲は気味が悪いほど静まり返り、風にざわめく木々と崩れ落ちた瓦礫が砕ける音しか存在していない。それはとても異様な空間だった。
てっきりパニックに陥っていると思っていたのに、そこにあったのは真逆の光景。
まさか誰一人助けを呼べないほどの重症を?
直感的にそう考えた私は最悪の予感を払拭するように闘技場へと駆け込んだ。
観客席下の通路。そこを全速力でリングの元へと躍り出る。
暗がりの通路から光が差す場所へ抜け出たため瞬間的に視界が白く染まった。
二度三度瞼をしばたたかせ、ようやく現状をその目で確認するに至る。
向かって右手の観客席には私と同じ年の頃の少年少女。茫然と一方を見つめている彼等が外部の受験生だろう。
リングの中央付近から左手にかけては深さにして二メートル近く地面が抉り取られ、その痕跡は進行方向の観客席を全損させて奥の雑木林まで薙ぎ倒していた。
そしてその痕跡のちょうど始点付近に佇む金髪の少年と、少年を注視しているローブの男性。彼は学院の教師だったと記憶している。名前はミュラー先生といったか。
大まかに状況を把握した私は怪我人がいなそうなことに安堵しつつ、それでも看過できない事態の原因を探るために高らかな声を上げた。
「これは何事ですかっ!?」
私の言葉にまるで呪縛から解き放たれたようにハッとする受験生逹。
ミュラー先生もその例に漏れず、ただその中で唯一の例外、金髪の少年は漫然とした態度でこちらへと振り返り、その青い双瞳で私の顔を居抜いた。
しばし視線を交わしたあと、それを横にずらして先生へと向ける。
「ミュラー先生、この状況を説明していただけますか?」
「そ、それは……いや待て、ランカスター。どうしてお前がここにいる?」
「院生騎士として此度の件は見過ごせません」
ビッと崩壊した闘技場の一部を指差して毅然と告げる。
学院に在籍する成績優秀者で構成された学院内の自治・秩序維持に務める学生団体。その名を院生騎士。
原則学院生から選出されるメンバーに魔法学校時代から名を連ねているのがこの私、イングリット・ランカスター。学園理事の孫だからではなく純粋に実力で勝ち取った栄誉だと胸を張れる。
その一員として学院内のの安全を揺るがしかねない闘技場の破壊は許容できない。
「あー、ちょっといいかな?」
私がミュラー先生へ詰め寄ろうとするとそこへ割って入る、張り詰めた空気など全く意に介していないような柔らかな声。
「……貴方は?」
「僕はカイト・スタビノア。外部受験組の一人です」
「スタビノアといえばあの……」
「僕の家名はさて置いて下さい。今はアレについてですよね?」
「……ええ、それは間違っていないわ」
「単刀直入にいうと犯人は僕です。実技試験中にちょっとした手違いがあってこのような事態に」
「手違いですって?」
「そうです。こちらの試験官、ミュラー先生というらしい彼が僕の合格基準を二千点に設定したものですからつい張り切ってしまいまして」
「二千点……今年の外部受験は全員攻撃系の中級魔法を修得でもしているのかしら。そうでなければ厳しいというよりも合格させる気がないような基準に思えますが」
「うぐ……」
ミュラー先生が言葉に詰まる。
まさか本当にそんな基準で?とても正気とは思えない。
「一つ勘違いしているようですが一律二千点が基準になっていたわけではありませんよ。
他の受験生は五五0点を越えれば合格。二千点基準は僕に対してのみの条件です」
「どういうこと?」
「ミュラー先生が大言壮語を吐く僕に見せ場を設けてくれた、という話です。そうですよね?」
水を向けられたミュラー先生は私と彼に見つめられ力無く項垂れた。
「全ては私の責任だ。スタビノアは私の無茶に応えようとしただけでな」
「……分かりました。後ほど改めて調書をとり、その上で処罰が下ることになる思います」
「ああ、覚悟しておくよ」
どんな原因であれ教師の裁量の元で行われた試験ならばその責任は教師に帰結する。たとえ実際に闘技場を破壊したのがスタビノア君だとしても。
「エミリア、先生方と院生騎士の先輩逹へ報告をお願い」
「畏まりました」
「貴女にとって無駄足だったようね。悪いことをしたわ」
「お気になさらずに。では行ってまいります」
エミリアが『フィジカルアップ』を発動させて学院本校棟へ向かう。その背を見送ってこれからの対策を練ろうとした矢先、再びスタビノア君が割って入る。
「少し待ってほしい」
「何かしら」
「ミュラー先生の処罰に関してだよ。先生には情状酌量の余地がある」
「その根拠は?」
「今回の事件は事前に予測することが困難だった。前例がなく、かつ突発的な事態であれば先生だけの責任ではないだろう?」
「程度にもよりますが中級魔法や上級魔法の使用を許可したのであれば……」
私がそう口にした途端、スタビノア君が笑みを深める。
柔和な笑みからイタズラを成功させた少年のような影のある笑みへと。
「そこだよ。そこに予測不能の要因がある」
「もう少し分かりやすく話して下さい」
「君は今、中級魔法や上級魔法と言ったね?それは間違いだ」
一息の間をとって、彼はこう続けた。
「僕が使ったのは初級魔法ですらない。ただの基礎魔法さ」
「……貴方はふざけているの?」
勿体つけられた彼の言葉を理解してまず私が発したのは否定だった。
どう考えても私をおちょくっているとしか思えない。
基礎魔法で闘技場を半壊させる?そんな戯言、魔法学校に入学前の子どもだって使わない。
どれほど優れた魔法使いだってできやしないわ。
「やっぱり信じてもらえないか」
「当たり前でしょう。あまり軽薄な言動をすると貴方にとっても不利な……」
「ならこれで信じてくれないかな?」
「――っ!!?」
そんな言葉と同時に発せられたとてつもない魔力を感知して、その発生源であるスタビノア君から距離を取る。
何よ、今の魔力量は!?
「……貴方、今何をしたの?」
ほんの一瞬だけ未知の、そして規格外の魔力の高まりを感じたわ。全てを押し潰すような畏怖を覚えるほど膨大な魔力を……。
でもそれは刹那のことで、現に今は圧倒的な魔力は霧散してしまっている。目の前で起こったはずの事態に理解がまるで追いつかない。
「論より証拠、約束の履行、良心の呵責。そのどれでもいいけど答えは一つ、それは君の背後にあるよ」
終始変化しない、スタビノア君の余裕に満ちた口調に圧されるように私は後ろを振り向く。
そして今度こそ、本当に言葉を失ってしまう。
私の視線を釘付けにしたのは抉り取られていたはずの地面と、瓦礫の山と化していたはずの闘技場。
そうだったはずなのに。
なぜか今そこにあるのは先程までの光景が幻覚だったのかと疑いたくなってしまいそうな、完璧に元通りになった闘技場の姿だった。
BASARAが楽しくて更新ペース落ちそう。