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 宇宙開発を始めたばかりのアンダーグラウンドエイジアは、木星の衛星である氷の星エウロパの開発に着手し始めたところだった。地球と同じようにエウロパにも大気圏を作り、氷上で暮らせるようにならないかと研究を重ねていた。アンダーグラウンドエイジアに来て、三年が過ぎたマサトにエウロパ行きの指令が出た。地球でシャトルの開発に携っていたマサトにとって、それは願ってもないチャンスだったのである。

「俺、シャトルの技術士なのに──。向こうで役立てることがあるんですか?」

「君の技術力と思考能力は、この施設でずば抜けたものだからね。あちらでも活躍してもらいたい」

 普段入ることのない東棟の一室に呼ばれ、そう言われた。

「現在共にチームを組んでもらっている、ユウジ、シュウと一緒に飛び立ってくれ」

 出発は二ヵ月後。それまでに、シャトルに乗るための訓練を繰り返すこととなった。


「俺たちはマサトのおまけなのか?」

 東棟に呼ばれずにエウロパ行きが決まったユウジは、鼻息を荒くしてマサトに近づいた。

「そりゃ、マサトの方が技術力あるしな。アングラの知的財産って噂されてるくらいだし。仕方ねぇけど」

 <アングラ>とは、アンダーグラウンドエイジアの省略した呼び名である。マサトの存在はものの三年で、アンダーグラウンドエイジアの知的財産と言われるまでになった。

「俺、そんな自覚ないんすけど」

「いいの。いいの。お前はそれでいいの。頭良く見えて、本当に頭が良い奴なんて、憎らしいだけだからな」

 マサトは、深く意味も考えずに「そうっすか!」と素直に喜んだ。隣で見ていたシュウがくすくす笑いながら言った。

「マサトはいいよな。このプロジェクトが成功すれば、幹部候補か? 俺たちはあくまで付属だもんなー。お前が東棟に移ったら、俺たちも呼び寄せてくれよな。できることなら、技術職じゃなくて研究職に就きたいよ」

「そうか?俺は技術職でもいいなぁ。十分楽しいじゃん。俺たちが作ったり整備したシャトルが、宇宙へ飛んでるんだぜ。すげぇよ」

 ユウジはニコニコしながら答えた。マサトが首を傾げてシュウとユウジを交互に見た。

「そんな。俺は東棟に行く気はないよ。とにかく、エウロパでしっかり任務をこなそうぜ」

 マサトがそう言うと、シュウはマサトとユウジの肩を抱いて「じゃ、訓練に行きますか」と促した。


 それから約二ヵ月後───。

 マサトは、ユウジと地上に出ていた。太陽は焼けるように暑く、地上で草木が成長しなくなっていた。数十年先には地上で人間が暮らせなくなるだろうと予測されていた。

 そんな、灼熱の地球でマサトはコンクリートの上に寝転がっていた。ユウジはマサトの足元に座っている。

「あっついなー」

 ユウジは、太陽光を避けるためにシーツを頭から被り、汗を流していた。

「──太陽の暑さを感じておきたいんだ」

「もう、部屋に戻ろうぜー。熱中症になっちまう」

 ユウジは振り返って転がっているマサトを見た。瞬きもせずに、空に流れる雲を見ている。マサトはユウジの視線が自分にあるのを感じて、にっこりとユウジに向かって微笑んだ。そして、ゆっくりと空に視線を戻した。


──儚げだな──


どこかへ消えてしまいそうなマサトに、ユウジは声を掛けずにいられなかった。

「絶対、地球に帰って来よう」

 マサトがぼんやりと頷いた。ユウジは隣に寝転んでマサトの手首を掴んだ。コンクリートの熱さが、あっというまに背中に浸透する。熱さを一時我慢して、マサトが見ている空を、一緒に見上げていた。

 いつまでもこうしていたい。二人は強くそう思った。しかし、そんなささやかな願いも叶うことはなかった。


 地球を出発して、二日後にはエウロパへ到着した。小さなトラブルも無く地上を離れ、二日後にはエウロパに到着した。まだ大気圏の完成していないエウロパでは、コロニーと呼ばれる大きなドームをいくつも作っていた。コロニー内では宇宙服も酸素ボンベも必要なく、気候も安定していた。その中でも一番大きなコロニーでマサト達は研究を続けていた。


 そして、エウロパに上陸して半月が過ぎた頃。突然、研究者たちが原因不明の病気で倒れ、死亡した。研究よりも先に、原因不明の病気の解明が急がれた。その結果、蔓延し始めたウイルスは空気感染するものだと判明。感染者は別のコロニーに移され、治す術もなく発症から約一週間で命を失っていった。上陸から一ヶ月が過ぎた頃には、エウロパに滞在するものの二十五パーセントが感染し、命を落としていった。その後、地球から細菌学者を連れてきて原因追及に力を注いだ。


 エウロパ上陸から二ヶ月半過ぎた頃、エウロパの氷の下から発生するガスが人体に悪影響があると分かった。現状では打開策は無く、感染していない研究者、技術者すべてが地球に帰還することになった。感染してから一週間ほどで死に至るウイルスは帰還の準備をする者たちにも、容赦なく襲っていった。


 ───そして、マサトがウイルスに感染した。


 アンダーグラウンドエイジアの幹部達に衝撃が走った。知的財産と言われるマサトが残り一週間の命となったのである。マサトを失うわけにはいかぬと、エウロパと地球で話し合いが何度もなされた。その間にもマサトの病状は悪くなる一方だった。


「マサト──。きっと、みんながお前のことを守ってくれるから──」

 ガラス張りの個室に眠るマサトを、ユウジとシュウはガラス越しに見つめていた。たまに目を開けては、ユウジたちに視線を送り弱弱しく微笑んだ。華奢な身体が尚一層痛々しく映る。

 そして、マサトが倒れてから三日後。決断が下された。

「──え?冷凍保存──?」

 マサトと共にチームを組んでいたユウジとシュウにその報告が届いた。

「ここで冷凍するんですか?」

「あんな辛い状態のまま眠らせるんですか?」

 二人の質問に沈黙で答えた中年の男は、「明日保存器に移す」とだけ言って、ユウジたちから離れようとした。

「待ってください!冷凍保存の実験は完成していないと聞いています。まだ、テスト段階だと──」

「マサトが第一被験者となる」


 ユウジたちは、報告を受けたその足でマサトの部屋に向かった。ユウジは室内のスピーカーに通じているマイクを借りて、マサトに話しかけた。

「マサト。お前、明日──冷凍保存されることになった──」

 マサトは目を見開いて起き上がった。ベッドから降りて、ガラスの向こうに立つユウジに近づいた。マサトがガラスに手を当てると、ユウジもガラス越しに手と手を合わせた。

「俺たちもそんなことはしたくない。一緒に地球に帰りたいんだ」

 マサトは、ユウジを見つめて首を振った。ガラス越しに「イヤだ」と何度も声が聞こえた。

「でも、このままじゃお前、他の奴らと同じように死ぬだけだから──」

『構わない。冷凍になんかされたくない!このまま死なせてくれ!』

「マサト──わかってくれ」

『イヤだ!』

「生きられる可能性があるのに、マサトが目の前で死んでしまうのは嫌なんだ!」

『俺は、いつ目覚めるか解らない眠りになんてつきたくない!』

 マサトはガラスを拳で叩いて、座り込んだ。体力をかなり消耗しているにもかかわらず、力強く首を振った。

『俺を一人にしないでくれ!どうして生き延びることは選択できるのに、死ぬことを選択させてはくれないんだ!』

 ユウジはため息をついて、頭をガラスに凭せ掛けた。マサトの言葉が深く心に入る。

──どうして死ぬことは選択できないのか」

 マサトを生き延びさせるだけが、優しさではないのだろう。だが、生きてゆける可能性があるにも関わらず、死を選択することは自分にはできなかった。

「マサト。きっと迎えに来るから。俺たちが生きてる間にきっと解凍するから。だから──」

『このまま死なせてくれないのなら──いっそ──今、殺してくれ───』

 その場に泣き崩れるマサトを抱きしめてやることもできず、ユウジとシュウはガラス越しにマサトを見つめていた。言葉を掛けられないユウジの肩にシュウはそっと手を置いた。

「ユウジ。マサトに選択の余地はないんだ。このままお前が何を言っても、マサトを苦しめるだけだぞ」

 そう言って、シュウは部屋から出て行った。しかし、ユウジは動かなかった。確かに、マサトに選択の余地はない。だからこそ一人で眠りに就くマサトのそばに居てやりたかった。これから寂しい思いをするであろうマサトの、自然の流れの中で生きたマサトの最後の姿を、目に焼き付けておきたかった。そして、マサトの記憶に、自分を残しておきたかった。マサトは一人ではない。そう、伝えたかった。

「約束する。必ず迎えに来るから──」

 泣きじゃくるマサトを抱きしめてやることもできず、二人はガラスを隔てて、そのまま朝を迎えた。



 マサトが麻酔で眠らされ、冷凍保存器の中に移された。部屋の中には三台の保存器があり、真ん中の保存器に入れられた。

「冷凍を維持するためのエネルギーは足りるんですか?」

 ユウジは、透明の円柱の中で眠るマサトを見つめたまま、技術士に声を掛けた。

「三台同時に使っても、百年は維持できるよ」

「解凍の予定は何年ですか? 五年? 十年? それくらいにはウイルスの治療方法が見つかりますよね」

「いや、地球からの指令では約四十年と聞いている」

「よ──四十年?」

 思わずユウジは、技術士の肩を掴んでしまった。

「そんなに眠らせたら、マサトは誰も知らない世界に目覚めることになるじゃないですか!」

「しかし、エウロパが危険な以上、ここの開発はストップする。これからは、ガニメデの開発に力が入るだろうから、エウロパに手が回るのは四十年後くらいと予測したのだろう」

「約束したんだ──俺たちが迎えに来るって──約束したんだ!」

「何とも言えない。ここのウイルスが落ち着くまでは、このエウロパに着陸することはないだろう。四十年というのはあくまで予測であって、ウイルスが落ち着かなかった場合には、もっと長くなることも──」

 ユウジは保存器に近づき、透明の容器に爪を立てた。

「──せめて、スイッチは俺に押させてください」

 技術士は頷くと、他のスタッフに準備を急ぐよう急かした。



「四十年後、また会おう」


 スイッチにゆっくり指が伸びた。


 スイッチを触れても、なかなか力が込められなく、指先が小さく震える。後ろから「ユウジ──」とシュウに呼びかけれ、目を閉じて指に神経を集中した。


 カチッという軽い音の後に、低いモーター音が部屋中に響き渡った。

 

 マサトの姿は見えなくなり、そこには白い円柱があるだけになった。




 ユウジとシュウが保存器のある部屋から出ると、扉の外でユウジたちにマサトの冷凍保存の報告に来た中年の男性が一人立っていた。通り過ぎようとすると呼び止められた。

「マサトが冷凍保存されていることは、地球に帰っても誰にも言わないように」

「───」

「この技術は、まだ公表できる段階ではない。他言しないように」

 静かな威圧感を残して、中年の男性は廊下の奥に消えて言った。

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