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地球を飛び立ってから三十秒後には地球の大気圏を離脱し、見る見る地球が遠くなっていった。開発によりシャトルの速度は速くなったが、プログラムミスやこんな非常事態の時には、それが裏目に出る。プログラムの変更をしている間にも、シャトルは遠慮なく進んでいくのである。
機長であるシゲは、シャトルの飛行が安定したのを確認すると、椅子から立ち上がり、ウサの元へ行った。
「ウサ、まだコントロールセンターから、変更プログラムは届かないのか?」
「うん。まだ届かない。あと、約五分でデータが届かないと、その後、一分間通信不可能の地帯に入るよ」
「それは、向こうでもわかってるはずだから、それまでには届くだろう」
「万が一、それまでに届かなかったら──その後、コントロールセンターの通信はできなくなっちゃう」
「どういうことだ?」
それまで黙って会話を聞いていた、副機長のタカが口をはさんで近づいてきた。
「まだ訓練中だったから、近距離通信用の機材しか積んでないの」
「発射前にはわからなかったのか」
「わかんなかった。発射後、通信速度が遅くなったから、ひょっとしたらと思って確認したら──近距離用だった」
シゲとタカは顔を見合わせた。ウサも緊張した面持ちで二人を見上げている。シゲは、座席に戻るとイヤフォンを装着した。
「ウサ、まだ通信は可能なんだな?」
「大丈夫。あと十四分二十秒可能だよ」
「こちらシャトル。応答願います」
『こちらコントロールセンター。どうぞ』
「シャトルに積んでいる通信が、近距離用のものと判明。十四分十秒後には通信が途切れる。それまでにプログラムを大至急送ってくれ」
『了解。もう少し待ってくれ。それまでには送る』
「この任務の指揮者のマツはいますか?」
『──マツだ』
「僕たち──帰れますよね?」
『最善を尽くしている。お前たちは優秀なメンバーだ。自信をもって行動しろ』
「わかりました」
通信を一旦切ると、視線を右に動かした。
「クボ。もう、自動操縦に入ったか?」
「ああ──、ガニメデへの自動操縦に入ってる」
「万が一のために、こっちでも変更用の軌道を探しておいてくれ。完成したら、マサトとガニメデのプログラムを停止して、クボが作ったプログラムで帰還できるようにしといてくれ」
「わかった。じゃ、ここを離れて実験室にいるから。ここをよろしく──」
クボは立ち上がると、ぼんやりと窓の外の星を見ながらコントロールルームを出て行った。
「なんで、こんなことになったんだろう?」
今まで誰も口にしなかった疑問をウサが口にした。今までになかった事故。機械のミスとは考えられなかった。
「今は、帰ることだけを考えよう。初飛行とはいえ、ここの六人は優秀な人材が揃ってる。絶対不可能ではないからな」
マツの言葉が蘇る。きっと、大丈夫。このメンバーなら不可能はないはずだ。
シゲの言葉に少しは元気づけられたのか、ウサは立ち上がってコントロールルームを出て行こうとした。
「ちょっとクボの様子見てくるねー」
扉が自動で開き、ウサを飲み込んで再び閉まった。
「プログラムは間に合うかな?」
タカが、ウサの座っていたところのモニタを見つめる。地上のコントロールセンターからの受信は何もないようだった。
「待たずに、早く軌道修正したほうが良くないか?」
「クボの修正がセンターより早く届いたら、そうするよ」
ウサはすぐに戻ってきて、「クボがんばってた」とだけいい、自分の席に着いてセンターからの受信を待っていた。シゲは、イヤフォンをはずさずに、センターからのアクセスを待っていた。
それから、十分ほど経過して、クボが戻ってきた。片手にプログラムのディスクとプリントアウトした用紙。それに、口にタバコを咥えて、疲れ切ったような表情をしていた。
「クボ、出来たのか?」
「ああ──。センターからプログラムは──?」
「まだなんだ。あと約三分で通信が途切れるから、センターからのプログラムを待たずにクボのプログラムを使おうか」
シゲがそう提案すると、クボは複雑な表情で頷いた。
「こちらシャトル。コントロールセンター応答願います」
『こちらコントロールセンター。プログラムを送ろうとしているのだが、そちらに接続できない。通信士はいるか?』
「はい。ウサです。こちらからは異常が確認できません。送信は可能です。再度送信願います」
ウサは、モニタを睨みながらキーボードをすごい速さで叩いていた。
「クボ。そのプログラムを使うことになりそうだな。マサトと準備を始めてくれ」
シゲがそう言うと、マサトが走り寄ってきて、クボの持つディスクを受け取った。
「シゲ。間もなく通信が不可能な地域に入るよ。おそらく、このまま地球との交信は不可能になる」
「じゃ、俺たちの力だけで地球に帰ろう」
皆がシゲの周りに集まって、不安げにシゲを見つめていた。
「コントロールセンター。間もなく通信不可能な地帯に入る。このまま交信は復旧できないと思われる。こちらで用意したプログラムで地球へ帰還してみる」
『こちらコントロールセンター。了解した。こちらからも別のアプローチで援護する』
その言葉を最後に、地球との交信は終了した。シゲはイヤフォンをはずして、自分の席に座った。
一方、クボは新しいプログラムを登録し、マサトはガニメデへのプログラムを停止する作業をしていた。誰も何も話さないまま、キーボードの音だけがコントロールルームに鳴り響いていた。
「よし。停止した」
マサトは、腕を前方に伸ばして「うーん」と唸ると、立ち上がりクボのそばに行った。
「クボ。手伝おうか?」
「いや──」
クボは頭を抑えてじっとしていた。マサトがクボの顔を覗き込むと、青白い顔をしていた。眉間に皺を寄せて、ひどく汗を掻いている。
「クボ! 大丈夫?」
ヒロミもクボが尋常でないことに心配して駆け寄った。その瞬間、マサトが息を呑んで、クボのキーボードの上にあった紙を床に落とした。
「──クボ───これ入力したの?」
「───マサト──あと──たのむ──」
クボは、椅子から滑り落ちるように床に崩れ落ちた。
「クボ! しっかりしろ! ──マサト、どうした? そのプログラムがどうかしたのか?」
一瞬で青ざめたマサトにタカが近づいた。マサトは床に落ちた紙を見つめたまま何も言わなかった。そこへウサが近づいてきて紙を拾う。
四、五秒沈黙が続いた。
──そして紙に目を通していたウサが大声を上げた。
「わぁぁぁぁっ! これ───イオに行くプログラムじゃん?」
「何っ? 本当か?」
「ウサ、プログラムくらい読めるもん。──これ、今クボが作ったの? これ、修正も困難なプログラムになってるよ」
「マサト、修正できるのか? 本当にこのプログラムを入力してしまったのか──」
マサトは正気に返り、クボのいなくなった椅子に腰掛け、キーボードを叩きながらモニタを流れる文字を見ていた。
「イオのプログラムです。修正には時間が掛かります」
シゲとタカが顔を見合わせて絶句した。その横で、ヒロミがクボを仰向けにして、脈を診ていた。
「これからクボの様子を見るわ。タカ、医務室まで運んでくれる?」
タカがクボを抱え上げ、医務室に向かった。ヒロミはマサトとウサが見つめるモニタが気になったが、タカと共にコントロールルームを出た。
「ねぇタカ。イオって、ガニメデと同じく木星の衛星よね? あそこは全く開発されてないでしょ?」
「ああ。あそこに着陸しても何の基地もない。まだ火山活動が活発だから、開発ができない状態なんだ。今、木星の衛星で開発が完了したのはガニメデだけなんだ。エウロパも氷の上に基地を作ることに成功して、開発に着手したんだが、四十年位前にウイルスが発生して、そのまま開発は延期になってるらしい。ウイルスそのものは駆除したらしいけどな。しかし、イオに着陸しても、地球には帰れないぞ。それは、クボも知ってるはずなんだが──」
「クボ──どうしたのかしら。そんな間違いをする人じゃないのに」
医務室に着くと、タカはベッドにクボを寝かせ、手足を固定した。
「みんなに、クボの様子がおかしくなかったか聞いてくるから。何かあったら、内線で連絡する。イヤフォンを装着しておいて」
「わかった」
タカは、軽く手を上げて医務室から出た。ため息をついて天井を見上げる。無機質に天井を這うケーブルを眺めた。信号を発したところから、行動を起こす所までを繋ぐケーブル。赤、黄色、黒、緑、青のケーブルが、血管のようにシャトル内を這っていた。
小さく口を開けたタカは、呼吸を止めて意識を自分の中に戻した。タカの思考をする時の癖である。目を細めて一つ溜息をつくと、医務室に戻った。
「ヒロミ、一通りの検査が終わって、もし異常がなかったら、クボの身体を金属探知機で調べてみてくれ」
「え? 金属?」
「頼んだぞ」
それだけ言うと、医務室から飛び出して、コントロールルームに戻った。
マサトがクボの席で、キーボードを叩いていた。横でウサが一言二言しゃべると、マサトは頷きキーボードを叩く音が早くなる。シゲは、後ろから二人を見つめていた。
後方で扉の開く音がして、タカがコントロールルームに戻ってきた。
「クボは?」
ウサがマサトから離れてタカの目の前でジャンプした。四十センチの身長の差を気にして、タカの視界に入ろうとしているようだった。
「ウサ、鬱陶しい」
タカはウサの頭を押さえつけた。
「クボはまだ意識を失ってるよ。最近、クボの様子はおかしくなかったか?」
「ウサ知っているー。クボね、首が痒かった」
「ああ。昨日、ロビーで寝てしまって、その後しきりに首を掻いてたな」
シゲが頷いて腕を組んで、俯いた。
「虫刺されってことはないだろうし、酸欠ってこともないよな。感染病の可能性も──。だいたい病気になったからって、地球へ帰るプログラムとイオのプログラムを間違えるはずがないし」
「そうなんだよな。まず有り得ないミスだよな。何か別の要因が──」
その時、全員のイヤフォンからヒロミの声が聞こえた。
『みんな聞こえる?わかったよ。クボが混乱した訳』
「どうした?」
『遠隔操作されてたの。首にチップが埋め込まれてた。これは多分受信機。機内のどこかに発信機があるはずよ。脳を操作されていたのかしら?』
ヒロミの声が途切れると、タカとウサは示し合わせたようにコントロールルームを飛び出した。各寝室、実験室、動力室、格納庫、食糧庫。各ブースを隈なく探した。そして、十数分後、二人はコントロールルームに戻ってきた。ヒロミはすでにコントロールルームに戻っていた。
「見つかったよ。ご飯といっしょにあった」
「食糧庫の隅に貼られてた。意図的だな」
タカは三センチ四方の銀色の立方体をウサに渡し、ヒロミもシャーペンの芯を三分の一の長さにしたような受信機をウサに渡した。
「これ、うちの施設で作った物かも。似たような機械を見たことあるよ。地球に帰ったら、ヒルさんに聞いてみる」
腰にぶら下げてる小物入れに無造作に二つの機械を無造作に入れた。
「あ。発信機の電池はずさなきゃ」
ウサは小物入れを腰から外して床に座り込み、袋の中の物を全部ひっくり返した。今入れたばかりの発信機と受信機を床に散らばったガラクタの中から探し始めた。それを見た他のクルーたちに一瞬だけ優しい微笑が戻った。
「さあ。これからどうするか、話し合おう」
シゲが席に戻るとウサを除く他の者も席に戻った。椅子を百八十度回転させ、キーボードやモニタに背中を向ける。全員の顔が見渡せる形になった。中央の床にはウサが座り込んでいた。
「まず、ヒロミはクボの状態を報告して」
「クボの首筋に、チップが埋め込まれてたの。傷ひとつ残ってなかったわ。短時間で入れたのなら、すごい技ね。食糧庫にあった発信機からある信号が出て、クボの受信機に受信をすると──どうなるのかしら? ウサわかる?」
「うん。あれね、たぶん──脊髄と脳に作用する信号が出るの。前頭葉と海馬の能力を低下させるの。そうすると、判断が鈍くなるから、行動が変になるよ。
例えば、事前に「ラーメンを食べなさい」っていう指令を無意識のレベルで受けてたとするでしょ。で、焼肉を食べようと思ってる時にその信号を受けると、焼肉じゃなくてラーメンを食べちゃうの」
「後遺症は?」
「うーん。後遺症はあんまりないと思う。昨日埋め込まれたでしょ?時間短いもん」
「そうか──じゃぁ、マサト、クボが目覚めるまで、プログラムの変更はお前に任せる」
「わかった。──でも、この船の酸素と燃料が残り少ないんだ」
「あとどれくらい?」
「地球に帰るには足りない──」
シゲが険しい顔をした。
「ガニメデに行くなら足りるのか?」
「───一つ提案があるんだ」
マサトは、神妙な顔でそう言った。全員が固唾を呑んでマサトを見つめている時に、コントロールルームの扉が開いた。
「クボ!」
「大丈夫なの?」
「──申し訳ない───本当に──取り返しのつかないことを──」
クボは、部屋に入るなり座り込んで、顔を伏せた。シゲが立ち上がり、クボに近づいた。
「聞いたよ。操作されてたんだろ? 仕方ないとは言えないが、今は地球に帰ることに全力を尽くそう。クボの協力も必要なんだ」
シゲがクボの肩を触ると小さく震えて、一層床に近づいた。
「しっかりしてくれ。急いでプログラムを変更して地球に戻らないと、酸素も燃料も足りなくなるんだ」
ヒロミも傍に座り込んで、クボの肩を抱いた。ヒロミにクボをまかせ、シゲは席に戻った。
「マサト。そのもう一つの提案を聞かせてくれ」
「このまま──エウロパへ向かう」
俯いていたクボは顔を上げて、マサトを見つめた。全員が言葉を発さずにマサトの続きの言葉を待っているようだった。
いつもよりも、少し大人びた表情をしたマサトが、小さく息を吸って口を開いた。
「エウロパへ向かうのが、一番いいと思う」
マサトの言葉に、誰もがどう答えていいのかわからなかった。暫くの沈黙の後、口を開いたのは機長のシゲだった。
「ガニメデは? ここからガニメデには向かえないのか?」
「ガニメデまでは燃料が持たない」
「しかし、燃料が持つ可能性があるなら、ガニメデに向かった方が──。だいたい、エウロパに行っても何もないだろう?開発がストップして、基地はもう動いていないし、ウイルスが発生したから誰もあそこには残っていないはずだ」
「ああ。でも、ウイルスの駆除は完了したし、酸素や燃料はそのまま大量に残されてるはずだ」
「知ってるように、言うな」
タカが、怪訝そうにマサトを見た。
「───知ってるんだ。五年前まであそこにいたから」
「───!」
「聞いたことあるでしょ? 東棟で秘密裏に行っていると言われている実験、「人間の冷凍保存」。あれは噂じゃなくて、エウロパで本当に行われていたんだ。それで、最初の被験者は、俺──なんすよ」
聞く者全員の表情が凍ったまま、マサトの顔を見つめていた。
───マサトが冷凍保存の被験者?
「今は俺の話をしてる時間はないっす。早く、エウロパに軌道を修正しないと」
シゲは立ち上がって、全員を見渡した。
「マサトの指示に従おう。悩んでいる間にも、燃料も酸素も消費しながらイオに向かってるんだ」
「いいのか? そんなに簡単に信じて?」
タカは眉間に皺を寄せて、首を横に振った。
「今は信じるしかないだろう。──これからエウロパに向かうことにする」
ウサは首を傾げて「うん。マサト嘘つかないもんね」とエウロパ行きに賛同した。
「私は、シゲの指示に従うよ」
ヒロミがそう言うと、隣でクボが頷いた。そして、全員がタカを見た。
「───ああ。俺も、シゲの命令に従うよ」
シゲは安堵した表情でタカを見た。マサトもほっとしてような表情を浮かべている。
「では早速だが、クボとマサト。エウロパに軌道修正してくれ」
「わかった」
「了解っす」
クボが立ち上がり、マサトの傍に近づいた。
「マサト。迷惑をかけた」
マサトは、「いいえ」と言ってキーボードに向かった。
「ウサ。エウロパまでの時間を弾き出して、酸素、燃料が足りるかを調べておいてくれ」
「はぁい。タカにも手伝ってもらっていい?」
タカはシゲを軽く見た後、シゲが頷くのを確認すると「手伝うよ」と言って、ウサと実験室に消えていった。
地球から離陸して一時間十五分経とうとしていた。クボ、マサトは、エウロパへの軌道修正を完了し、燃料、酸素も、エウロパ到着まで間に合うと判断された。
「燃料は通常通りに使って、なるべく急いで到着する。酸素は、通常の八十パーセントの使用量で使う。少し息苦しいかもしれないが、我慢してくれ」
全員揃ったところで、シゲがそう伝えた。
「あと一時間ほどでエウロパに到着するはずだ。それまでの間に一つ───」
シゲはそう言って、マサトの方を見た。
「───冷凍保存の──話っすね?」
シゲが頷くのを見ると、マサトは少し俯いて口を開いた。
「俺が生まれたのは二〇五九年なんだ」
「え?今、二一二五年だから──そのまま生きてたら六十六歳?」
ウサが瞬時に計算して、瞬きもせずに驚いた。
「そう。ちょうど、ウサたちの親の世代──になるかな?俺は十八歳でアンダーグラウンドエイジアに入って、それから三年後にエウロパの探査チームに入ったんだ。その頃はガニメデよりも先にエウロパを開発する予定だったんだ」
マサトは、一旦深く息を吸うと、目を閉じた。
「その時のメンバーは、俺と、ユウジと、シュウだった。シゲ──ユウジって知ってるよね?」
「──え?──お、おやじ?」
「そう。シゲのお父さんと組んでたんだ」
少し癖のある髪を掻きあげ、シゲを見つめた。
「俺たちは向こうに行ってから、思いもよらない事故に遭ったんだ──」




