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追放された魔力ゼロの偽聖者、四体の神獣と冷徹な氷の国王に拾われて溺愛され、幸せな王配になりました  作者: 水凪しおん


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第4話「知識の種子と黒狼の来訪」

 エルトリア王宮の文官たちが集う執務室は、常に羊皮紙の乾いた匂いとインクの酸っぱい匂いが充満している。

 分厚い石壁に穿たれた縦長の窓からは、冬の鋭い陽光が斜めに差し込んでいた。

 宙を舞う埃を白く照らし出している。

 室内の空気は澱み、羽ペンが羊皮紙を引っ掻くカリカリという音が何十人分も重なり合い、耳障りな不協和音を奏でている。

 カインは客室のベッドから起き上がれるようになるとすぐ、この執務室の片隅に小さな机を与えられた。

 山積みになった過去数十年分の農地収穫記録と、各地の風土病の報告書に目を通すためである。

 前世で民俗学と魔法史学を専攻し、膨大な古文書を読み解いてきたカイン。

 彼にとって、この程度の資料整理は息をするのと同じくらい自然な作業だった。

 滑らかな手付きで羊皮紙を繰り、独自の記号を用いて内容を素早く別の紙に要約していく。

 その隣では、白銀の神獣シロがカインの足元に丸まり、規則正しい寝息を立てていた。


「カイン殿」


 背後から冷たい声が響き、インクの染みがついた書類から顔を上げる。

 エルトリア王国宰相エリオ・カルナだった。

 神経質そうに眼鏡の位置を直し、カインの手元を覗き込んでいる。

 彼の目元には、連日の激務による濃い隈が張り付いていた。


「先日の農業政策に関する提案書を読みました」


 エリオの声には、疑念と驚愕が複雑に入り混じっていた。


「同じ土地を三つに分け、麦と根菜と牧草を一年ごとに順番に植え替える。休耕地を作らずに地力を回復させ、かつ家畜の飼料も確保できるという理論。三圃式農法ではなく、輪作農法と名付けていましたね」


 カインは静かに頷き、手元の羽ペンを置いた。


「はい。ヴァルハインの農村で実際に試して、収穫量が三割ほど増加した実績があります。エルトリアの土壌なら、さらに効果が高いはずです」


 エリオは小さく息を呑み、手にした書類をきつく握りしめた。

 羊皮紙がくしゃりと悲鳴を上げる。


「それだけではない。産褥熱の発生原因が目に見えない微小な病の元であると仮定し、刃物や布を熱湯で処理する消毒という概念。これも、王宮の医師たちが全く思いつきもしなかった手法です」


 エリオの視線が、カインの顔を貫くように鋭くなる。


「あなたはヴァルハインでは、魔力を持たないただの農民だったはずだ。どこでこのような知識を得たのですか」


 カインは微かに視線を落とし、足元のシロの柔らかな毛並みに指を這わせた。

 指先に伝わる温かな脈動が、カインの心を落ち着かせる。


「……本を読むのが好きだったんです。古い記録や、異国の伝承を集めるのが」


 前世の知識であるとは言えないため、カインは無難な理由を口にした。

 エリオはしばらくカインの顔を凝視していたが、やがて深々とため息をついた。


「あなたの知識は、もはや一国の宝に等しい。ライアス陛下があなたを拾われたのは、エルトリアにとって最大の幸運だったのかもしれません」


 エリオの言葉には、カインへの明確な敬意が込められていた。

 初対面の時の冷ややかな態度は、もはやどこにもない。

 カインは少しだけ頬を緩め、再び書類の山へと向き直った。


◆ ◆ ◆


 その夜。

 自室のベッドで微睡んでいたカインは、微かな気配の変化で目を覚ました。

 暖炉の火は既に落ち、部屋の中は濃密な闇に包まれている。

 窓の外では、吹きすさぶ風が石壁を叩く音が断続的に響いていた。

 カインは身を起こし、暗闇の中に目を凝らした。

 足元で眠っていたシロが、頭を持ち上げて窓の方角をじっと見つめている。

 威嚇する様子はない。

 カチリ、と窓の鍵が外れる音がした。

 冷たい夜風が部屋の中に吹き込み、カインの肌に粟を立たせる。

 開け放たれた窓枠に、巨大な黒い影が音もなく降り立った。

 月光を背に受けて輪郭を際立たせたその姿は、シロと同じくらい巨大な狼だった。

 漆黒の毛並みは夜の闇を溶かしたように深く、金色の双眸が爛々と光を放っている。

 黒狼は部屋の中を見渡し、カインの姿を認めるとゆっくりと歩み寄ってきた。

 分厚い肉球が石の床を踏む音は、全く聞こえない。

 カインは息を潜め、ベッドの上で身を固くした。


『神獣……?』


 黒狼はベッドの横まで来ると、カインの顔の高さまで鼻先を近づけた。

 野獣特有の生臭さは全くなく、雨上がりの森のような清浄な匂いが鼻腔をくすぐる。

 カインが恐る恐る手を伸ばすと、黒狼は自らその手に頭をすり寄せてきた。

 剛毛に見えた黒い毛並みは、驚くほど滑らかで柔らかかった。

 黒狼は喉の奥でグルグルと低い音を鳴らす。

 そのままベッドの上に飛び乗った。

 そしてカインの腹の上にどっしりと腰を下ろし、丸くなって目を閉じる。

 ずしりとした凄まじい重みがカインの肺を圧迫し、思わずくぐもった声が漏れる。


「……重い」


 シロが抗議するように短く鳴いた。

 しかし黒狼は全く気にする様子もなく、すぐに規則正しい寝息を立て始めた。

 カインは腹の上の巨大な黒い毛玉と、足元の白い毛玉を交互に見比べた。

 途方に暮れたようにため息をつくしかなかった。

 翌朝。

 カインの様子を見に来た護衛騎士が、悲鳴を上げてパニックに陥った。

 ベッドの上で二頭の巨大な神獣に挟まれ、身動きが取れなくなっているカインの姿を見たからだ。

 城中に響き渡る悲鳴と、武装した騎士たちが雪崩れ込んでくる騒ぎ。

 カインが黒狼をなだめ、どうにか誤解を解くまでに半日近い時間を費やすことになった。

 カインはこの漆黒の神獣を、クロと名付けた。

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