A Peeking Amber Lens
環境意識の高まりからか経済不安による節約志向者の増加からか、あるいはその両方かそれ以外の理由があるのかはわからないが、ここ数年で人々の中古品に対する抵抗感の希薄化はすさまじいものとなっている。中古品の需要と供給は加速度的に増加し、市場規模は拡大する一方。一度使用した物を売り買いするのなんて、今ではごく普通のことだ。
しかし一つ、気をつけなければいけないことがある。中古品というのは、一度は他人の手に渡っていたものだ。物には必ず、人の記憶や感情が残る。中古品を買うということは、その物に残っている記憶や感情ごと引き取るということ。中古品を売るということは、自身の記憶や感情ごと誰かに渡すということ。それを忘れてはいけないのだ。特にこの男、土岐琥珀の前では。
「こちらがお持ちいただいたローテーブルの査定結果になります」
「わっ、思ったよりも高い」
「だいぶ状態が良かったので。大切に使われていたんですね。こちらのお値段でよろしければ、このまま買取りをさせていただくことになるのですが、いかがいたしますか」
「はい、お願いします」
「かしこまりました。それでは、こちらにフルネームでサインをお願いします」
嬉しそうに頷く客に爽やかな笑みを浮かべる土岐は、慣れた手つきで一枚の用紙を取り出すと、ペンと共にそっと差し出した。
住宅街の中に溶け込むように建つ、とある中古品販売店。個人経営ながら規模も設備もしっかりとしていて、家具や家電、衣料品に本やホビー用品など多岐にわたるジャンルを取り扱うこの店は、土岐のアルバイト先である。
「ありがとうございました」
店を出る客の後ろ姿に一礼して、土岐はざっと店内を見渡す。ちらほらと客の姿が視界に映るが、皆それぞれに店内の中古品を眺めているだけで、商品の買取を求めているような人はいないらしい。買取の客が来ないのなら、ここにいる必要はない。土岐はにやりと怪しい笑顔を浮かべると、そそくさとカウンターを後にした。
店の裏にある倉庫へと足を向かわせる。中古品販売店は、文字通り中古品を販売する店。当然、商品を買い取っただけで終わりではない。買い取った商品は値段をつけて店に並べる必要がある。そしてその作業を行うためにあるのが、今土岐が嬉々として向かう倉庫だ。買取完了後のまだ値札がつけられていない物品を一時的に保存するための場所で、主にカウンターですぐに査定をすることが難しい大きめの家具や家電などが多く置かれる。
軽い足取りで倉庫の前にやってきた土岐は、ウエストポーチから取り出した鍵で扉を開けて中へ入ると、すぐに電気をつけた。薄暗かった倉庫内に明かりがついて、まだ値段のつけられていない状態の種々雑多な物品たちに色が戻る。
「…」
土岐は視線を少し下に落とす。探すまでもなく、目的の物はすぐ目の前に置かれていた。
(大切に使われてた、ねぇ…)
先ほどの自分の発言を嘲るように笑う土岐は、片方の手袋を乱雑に外すと、その手をそっとローテーブルに伸ばした。
つい先ほど、自分が買い取ったばかりのローテーブル。淡い茶色が上品な、和洋どちらの内装にも遜色ないデザインをしているこの品物は、特に目立った傷もなく綺麗な状態で、確かに見た限り大切に使われてきたのだと思える。そう、ただ目で見るだけならば。
静かに、指先が机上に触れる。
瞬間、まるでフラッシュバックするかのように、土岐の頭の中に短い映像が流れ込んだ。
怒鳴りつける中年男性の姿、怯える女性と幼い子ども二人。男の子と女の子だ。そして勢いよくひっくり返されているこのローテーブル。食事の途中だったのだろう、料理がカーペットに荒々しく散らばっている。
「…っ」
素早くテーブルから指を離した土岐は、その場に力なくしゃがみ込むと、顔を顰め…ることはなく、むしろ愉悦に満ちた笑みを浮かべた。
(テレビの中でちゃぶ台をひっくり返すのは見たことがあったけど、まさか本当にやる人がいるとは思わなかった。おもしろいな)
土岐琥珀は、サイコメトラーだった。
それも、相当な気狂いの。
サイコメトリー。
物体に秘められた残留思念を読み取ることができる超能力。発動条件は素手で触れること。触れただけで簡単に記憶や感情を透視することができるため、過去を追跡するという用途においてめっぽう強いが、使い過ぎると脳が疲弊したり、辛い記憶を追体験することで精神的に強い負荷がかかったりするというデメリットも大きい。また、制御しようにも触れただけで自動的に発動する能力は自らの意思でコントロールすることはできないため、能力を抑えるためには常に手袋などで覆っておかなければならない。
大抵のサイコメトラーは、自身が能力を持っていることを疎ましく思う場合がほとんどである。能力の利点よりも弱点の大きさが勝るからだ。しかし、土岐は違った。利点の方が勝っていた。いや、弱点があまりにも小さかった、と言った方が正しいのかもしれない。なんせ土岐は相当な気狂いなのだ。普段は気さくで人当たりの良さそうな顔をしているが、その実人として必要な多くのものが抜け落ちている人間である。誰もが少なからず持っている良心や倫理観といったものは大きく欠落しており、他者への配慮や共感の念といったものがまるでないのだ。そんな人間がサイコメトリーの能力を手にしたところで、勝手に流れ込む情報に対して差す嫌気も無ければ、辛い記憶に共感して苦しくなるような感受性も持ち合わせていないのだから、能力のデメリットなんてあってないようなものなのだ。実際、土岐はこの能力を嫌がるどころか、わざわざこの中古品販売店でアルバイトをしているくらいには、他人の過去の記憶や思考を覗き見するのを楽しんでいる。
土岐がこの中古品販売店でアルバイトを始めたのは大学へ入学してすぐの頃、かれこれ三年ほど前になる。悠々自適な一人暮らしを楽しむ上での資金を稼ごうと考えていた最中、偶然アパートのポストにこの中古品販売店でのアルバイト募集の紙が入れられたのだ。
募集用紙を見た土岐は目を輝かせた。中古品販売店。かつて誰かの手に渡っていた品物たちが集まる場所。いわば過去の記憶たちの宝庫。そこで働けば、多くの人たちの記憶や感情を覗くことができる。迷うことはなかった。すぐさま記載されていた電話番号に電話をかけ、面接をし、五日後にはスタッフとして色んな品物の過去を覗いていた。
中古品販売店にある物に残っている記憶のほとんどは、良くないものばかりだった。もちろん幸せそうな記憶も無いわけではないが、大抵はマイナスなものばかりだ。当然である。特に事情でも無い限り、物を心から大切にしているのならそもそも売ろうなどとは思わない。使わないから、もう要らないから、飽きたから、人は物を売る。そういった理由がプラスな感情でない以上、やはり物に残る記憶もマイナスなのだ。とはいえ、見える感情がマイナスなものばかりなのは土岐にとって悪いことではなく、むしろ嬉しいことこの上ないものだ。他人の過去の記憶や感情を一つのエンタメとして楽しんでいる土岐にとっては、何でもないただ幸せな情景を見ている方が苦痛である。ほのぼのとした起承転結のない日常の物語がつまらないように、戦国時代があるからこそ歴史が少しは面白いと思えるように、覗く過去にも波乱がなければ楽しくないのだ。
「…はぁ、」
遊びもほどほどに行いつつ、倉庫内の品物に値札をつけていく。倉庫といってもあくまで一時的な保管のための場所で、土岐を含めスタッフたちは皆できるだけ早く商品として並べるように努めている。その努力はきちんと功を奏しているようで、土岐がちょくちょく残った念を覗き見しながら作業をしてもそんなに時間がかからないくらいには、倉庫内に置かれている物品の数はいつも少なかった。
倉庫内の品物すべてに値札をつけ終えると、今度は商品として並べる作業に移る。入り口近くに揃えられていた荷台から一つを引っ張り出して、いくつかの品物を乗せていく。一つ一つがそれなりに大きいため、一度に全てを持って行くのは不可能。少なくとも三回は倉庫と店を往復しなければならないだろう。過去を覗いた商品にはもう用はないため、ただの業務としての作業は面倒極まりないが、仕方が無い。土岐はある程度乗せたところで一度倉庫を出た。
重さのある荷台を慎重に押しながら、店の中に戻る。規模自体はそれほど小さくないとはいったものの、やはり中古品販売店と言うべきか、通路自体は決して広いとは言えない。特に家具を置いているコーナーに関しては一つ一つが幅を取る物がほとんどで、ただ人一人が通るのにも若干体の向きを考えなければならない場所もあるため、商品を並べるとなればやはりそれなりに苦労をするところがあった。
「…?」
ふと、家具コーナーまであと少しというところで、土岐の視界に一人の女性スタッフの姿が映った。土岐が大学入学と同時に働き始めたばかりの頃、よく仕事を教えてくれた先輩である。何があったのか、入り口近くで一人俯いて固まったまま、ピクリとも動かない。
声をかける義務なんてものはないのだが、家具コーナーへ向かう上で必ず視界に入るところにいる以上、何も言わずに横を通るのもおかしいと思われる上に、入り口付近で立ち尽くされてはいささか邪魔である。土岐は一瞬考えた末、通りざまに声をかけることにした。
「どうしましたか山中さん」
土岐が名前を呼ぶと同時に、びくりと肩を揺らした山中が勢いよく顔を上げる。
「あ、土岐くん…ううん、なにも。土岐くんこそどうしたの?何かあった?」
焦っているのか、言葉を紡ぐのがやけに早い。
「いえ、何も。ただ山中さんがここで立ち止まっているのが見えたので。どこか体調でも悪いんですか?」
「あ、ううん大丈夫。平気。ちょっとぼうっとしてただけ。あ、土岐くんもしかして、それ並べるやつだよね?私がやっておくよ」
「え、でも結構大きいですし、重さがあるものばかりなので、」
「大丈夫っ。私、土岐くんがここに来る前からここで働いてるんだよ?これくらい余裕。それより土岐くんは買取の方お願い。今一人お客さんがカウンターに向かってるはずだから」
そう言うが早いか、山中は土岐の持っていた荷台の主導権を奪うと、そそくさと家具コーナーへと向かっていった。
「…」
自分が行けば良いだろ、とは内心思わなくもないが、正直悪い話ではなかった。すでに過去を覗いた商品たちを並べるだけのつまらない作業よりも、新しく入る商品を手にした方が、土岐にはよっぽど面白い。言われた通り、買取カウンターへと急ぐことにする。
どんな商品が持ってこられるのかと楽しみにしながらカウンターに戻れば、まもなくして言われた通りに一人の女性客がやってきた。女性、というよりも少女と言った方が正しいだろうか。腰まである長い黒髪が毛先にかけてふわりと巻かれていて、幼さのある柔らかい顔立ちがまさに可憐さをそのまま体現させたような人だった。背はそんなに小さい方ではないと思うが、細身の体はまさに華奢そのもので、両腕に抱えている段ボールが本来のサイズよりも二割増しで大きく見える。
「いらっしゃいませ」
明るく放った声とは裏腹に、土岐は内心期待外れだったと落胆していた。目の前にいるのはいかにも丁寧に物を扱っていそうな見た目の人間。長らく色んなものに触れてきた土岐の経験から、こういった客が持ってくる物には大して面白い過去の記憶や感情は見られないことがわかっている。
「すみません。これ買取をお願いしたいんですけど」
少女は段ボールを目の前に置こうと下げていた腕を持ち上げた。が、重さがあったのだろう、抱え直した瞬間にぐらりとよろめいた。土岐が反射的に段ボールを掴んで支える。ゴト、と中で音が鳴った。おそらく割れ物が入っているのだろう。
(壊れてないよな…?)
土岐はひやりとした。品物が壊れてしまってはまずい。
「すみません。ありがとうございます」
少女が恥ずかしそうに眉を下げる。
「お持ちいただきありがとうございます。一度簡単に中身を確認させていただいてもよろしいでしょうか」
「はい、ありがとうございます」
段ボールを掴んだままそう聞けば、少女はふわりとはにかんだ顔でお礼を言って、素直に手を引いた。
丁重に段ボールを置く。まずは業務だ。土岐は手袋を嵌めた手で段ボールを開けて、簡単に中身を確認する。服に食器、アクセサリーにゲーム機などが無秩序に入れられていた。どれも壊れているものはないようで、土岐は一人安心する。と同時に、なんだか違和感のようなものを抱いた。
「…?」
ごちゃごちゃとしているが、なぜか変に綺麗だと思える。それに、中身の一つ一つもどこかおかしく感じるような。いやしかし、一目見た感じではどれも問題があるわけではない。買取が出来ないものもなさそうである。
「…」
土岐は内心首をかしげる。一方で、少々胸が躍った。興味が湧いたのだ。前言撤回、問題が無ければ買取を断る理由もないのだから、手早く買取の手続きを始めることにして、あとでじっくり見ながら違和感の正体を突き止めるとでもしよう。土岐は一度段ボールに品物を戻し、少女に向き直った。
お決まりの説明と買取の確認事項を淡々と述べていく。
「本日は大事なお品物をお持ちいただきありがとうございます。これから査定を行って、商品の金額が決まり次第お客様に提示いたします。その後お客様が希望されれば、そのまま買取の手続きを行わせていただきます。買取の契約をした後は商品のお返しすることは出来ませんのでご注意ください」
「わかりました」
「もし仮にお値段のつけられない商品があった場合は、こちらで引き取るかお客様ご自身で持ち帰っていただくことになりますが、どちらにされますか?」
「それなら、そちらで引き取っていただけますか」
「かしこまりました。当店の会員アプリはお持ちですか?買取後にポイントをおつけできますが」
「いえ。初めて来たので」
「よろしければこちらのQRコードから無料で会員登録が出来るのですが、いかがですか」
「大丈夫です」
「かしこまりました。最後に、商品の買取をさせていただく上でお客様の身分証を確認させていただいてるのですが、免許証や保険証などはお持ちですか?」
「あ、身分証…えっと、」
少女がはっとした様子で、ショルダーバックを開ける。入れ物としての機能を果たせるのか怪しいほどに小さいそのバッグは漁るどころかそもそも物が入っているようには思えなかったが、どうやら本当に何も入っていなかったらしい。バックの中身を覗いた少女ががっかりした表情でこちらに向き直る。ああ、まさか。土岐は嫌な予感がした。
「すみません。急いで来たから何も持って来てなくて…財布も家に忘れてきたみたいなので、保険証とかも…すみません」
予感はバッチリと的中した。全くもって嬉しくはない。せっかく興味が湧いたというのに、土岐は再度落胆する羽目になった。
「そうですか…申し訳ありませんが、買取の際の身分証の確認は法律で義務づけられていまして。何か確認できる物がない場合、買取はお断りさせていただいております」
惜しい気持ちはあるが、こればかりは仕方が無い。法律で義務付けられている以上、確認が取れないのなら買取はできないのだ。申し訳なさそうに頭を下げる少女に、土岐も眉を下げながら買取を断った。が、このまま拒否して終わらせるつもりは毛頭無い。客に売る気があるのなら、また持ってきてもらえば良いだけの話。せっかく面白そうなものがあるのだから、簡単に諦めたりはしない。
「ですので、もしも買取をお望みでしたら、また改めて身分証をお持ちの上こちらに来ていただくか、当店宅配買取や出張買取も行っておりますので、インターネットから予約をしていただければ、ご自宅からでも買取がー」
「…あのっ、」
土岐の言葉を遮るように、少女が声を上げた。
「あの、私すぐそこのアパートに住んでいるんです。ここから行って五分もかかりません。ですからその、いまから取りに戻るので、このまま少し待っててもらえませんか?先に査定を始めていただいても構いませんので」
意外にも、少女は引き下がらなかった。
「な、るほど」
予想外の返答に、土岐は一瞬驚いた。思いのほか、少女としても売りたい気持ちが強いらしい。どこか焦ったような表情と口ぶりからするに、早く売ってしまいたい理由があるのかもしれない。それはそれで土岐としても気になってくるもので、つい「はいわかりました」なんて言ってしまいそうになるが、すんでのところでぐっと堪えた。
「大変申し訳ありませんが、一度お帰りになられる場合は、お品物もご一緒にお持ちの上でお願いいたします」
土岐としても預かりたい気持ちは山々なのだが、なんとか頭を下げる。ここで頷くわけにはいけないのだ。以前、同じように身分証を取ってくると言って品物を置いて店を出た客がそのまま戻らず、スタッフたちが慌てたことがあったのを土岐は忘れていない。まだ土岐がアルバイトとして働き始めてから間もなかった頃のことで、当時の土岐は事の重大さをよくわかっていなかったが、今となってはそれなりに面倒な事案だったと理解している。あの後なんとか客に戻ってきてもらうことが出来たから良かったものの、今回も同じように戻ってきてもらえるとは限らない。同じ失敗を繰り返すわけにはいかないのだ。
「そうですか…」
そう言って、少女は少し俯いた。かと思えば、すぐに顔を上げてこう言った。
「それなら、何か書くものを貸していただけませんか?」
「…はい?」
突然の要望に土岐は軽く目を見開くも、少女は気にせず言葉を続ける。
「私の住所と電話番号をお伝えするので、もし私が戻らなければ着払いでもなんでも良いので送り返していただいてかまいません」
…ああ、なるほど。
土岐は少女が自分と同じように問題を理解したことを悟った。なかなか話がわかるじゃないか、と思う一方で、土岐は若干呆れた。これは少々面倒だ。いくら頼まれても、土岐自身も預かりたいと思っていても、駄目なものは駄目なのだ。頷くことができないのは変わらない。ここまで食い下がってこられても、出来ることは何もないのだ。
「申し訳ありませんが、規則ですので…」
少女の表情が曇る。だが整ったその顔が一体どれだけ曇ろうが、土岐の知ったことではない。ここでもし頷いて問題が起これば、そのしわ寄せは土岐の方に来るのだ。極めて面倒である。勘弁願いたい。
土岐はもう一度断りの言葉を言おうと口を開く。
「良いでしょう。お預かりします」
突然、後ろから穏やかな声が聞こえた。
驚いて振り返れば、声と同じように穏やかな笑顔を浮かべる老齢の男―この店の店長の姿があった。
「店長、ですが」
「大丈夫ですよ。お客様もこう言っていることですし。今日は平日で人も少ないですから。それに、なかなか荷物も重たそうだ。わざわざ寒い中もう一度持って戻るのも大変でしょう」
店長は穏やかに土岐を諭した。
「本当ですかっ」
曇った表情から一転、少女は花が咲いたように顔を明るくした。その様子にいささか不満を感じたが、店長が良いと言うのならそれを否定する気も権利もない。もしも問題が起きたら店長の責任にすることにして、土岐は素直に頷いた。
「わかりました。では、住所と電話番号をこちらにお願いいたします」
「わかりました」
適当なメモ用紙とペンを渡すと、少女はニコニコと笑顔を浮かべながら手早く記して「お願いします」と渡してきた。
「はい、確かに」
受け取って簡単に目を通す。確かに、ここからすぐ近くの場所らしい。なんて、確認したところでこれが嘘であれば全くもって意味は無いのだが。
「大丈夫です。ちゃんと本当の住所と電話番号ですよ」
少女が言う。
「っ」
土岐は一瞬面食らった。無意識にも怪しんでいることが顔に出ていたのか、少女に訝しんでいることが悟られていたようだ。
「…申し訳ありません。失礼いたしました」
正直に謝る土岐に少女はくすくすと笑いながら、控えめに首を振る。
「いいえ、疑われても仕方がありません。無理を言っている自覚はありますから。こちらこそすみません。よろしくお願いします」
そう言うや否や丁寧に一礼して、少女は店を出て行った。
「…はぁ」
土岐は軽く息を吐くと、少女が置いていった段ボールに目を向ける。
一見なんてことない、普通の中古品。だが、先ほどなんとなく違和感を抱いた気になる品物たち。
「…」
土岐は先ほどの少女とのやりとりを反芻する。買取確認の事項は済ませた。少女からも査定の許可が出ている。もう、触れても大丈夫だろう。
「…始めるか」
土岐は片方、手袋を外した。
脳裏に映像を浮かばせつつ査定を始めれば、先ほど感じた二つの違和感の正体はすんなりと明らかになった。
まず一つ、段ボールの中の変な無秩序さについて。ぐちゃぐちゃであると言えばその通りだが、どんな商品も一つの買取カウンターでまとめて対応するこの中古品販売店ではよくある、色々な物を一つの入れ物にぐちゃぐちゃに詰めて持ってくるような汚い入れ方かと言われれば、決してそうではない。むしろ丁寧に物を扱う人だとわかる入れ方で、いろんな物がジャンルを区別せず無作為に入れられてはいるものの、個々そのものの扱いはとても綺麗なのだ。服はきちんと畳まれているし、アクセサリーやゲーム機はそれぞれきちんと容器に入れられている。食器に至っては、割れないように包まれた上で伏せて入っていたのだ。乱雑さの中にある隠しきれない丁寧さに、土岐はまるで普段優しい物の扱いをしている人が慌てて物をまとめようとしたようであると感じていたが、実際その想像は当たっていて、品物を入れていた段ボールに土岐が指を滑らせると、引っ越しでもするつもりなのか、段ボールの多い殺風景な部屋の中で一人、先ほどの少女が焦った様子でこの段ボールを手に取り、手早く中身を詰めている様子が見えた。
それから、段ボールに入っていた中身、その一つ一つの違和感について。これもすぐに理由はわかった。どれも男物だったのだ。食器に関しては例外もあったが、その他服やアクセサリー、ゲーム機においてはすべて男物だった。これは能力関係なく、一つ一つを見ていけば誰だって大方見当がついただろう。荒々しい英語がプリントされた服たちに、人知れたブランドの厳つめのアクセサリー。どれも先ほどの少女には似合いそうにないものだ。事実、土岐が触れて確かめてみれば、服もアクセサリーも身につけていたのはどこにでもいる無駄にチャラついた一人の男だった。ゲーム機に関しては見た目では断定することは出来ないものの、一緒に持ち込まれていることから推測すれば男のものだと考えることは容易い上、能力で見てみればやはり服やアクセサリーと同じ男であったことから簡単に確信できた。
そして最後にもう一つ、過去を見ていく中でわかったことがある。少女とこの男の関係性についてだ。土岐がいくつかあるゲーム機に残った記憶を覗いていると、時々二人が仲良さそうに遊んでいる様子が見えたのだ。ゲーム機だけじゃない。特に食器に至っては誰が見ても明らかで、茶碗や皿は同じものが二つずつ。マグカップに至っては色違いのペアになっていて、二つをくっつけると一つの絵が完成した。能力を使わずとも、すんなりと理解できる。おそらく二人は恋愛関係にあるのだと。いや、ここに売りに来ていることから考えると、「あった」と言った方が正しいのかもしれない。
土岐が査定を始めてから十分ほど経った頃、自動ドアが開くのと同時に来客を知らせる音が鳴った。反射的に視線を向けて「いらっしゃいませ」と声を上げれば、ちゃんと戻ってきたらしい、少女の姿があった。
土岐は査定の手を止めて、カウンター前へ戻る。
「すみません、身分証持ってきましたっ」
おそらく走ってきたのだろう。軽く息を切らしながら、少女は財布から取り出した健康保険証を土岐に渡した。
「ありがとうございます。確認いたしますね」
土岐はタブレットを取り出して、受け取った保険証に記載されている個人情報を確認しながら買取の登録画面に打ち込むと、保険証を返し、タブレットを少女に見せた。
「確認いたしました。ありがとうございます。ただいまこちらのタブレットにお客様の情報を入力させていただきました。問題無ければこのまま登録させていただきますので、一度間違いが無いかご確認をお願いします」
「…はい、大丈夫です」
「ありがとうございます。では、こちらのOKボタンを押していただいて、登録完了となります」
「はい」
控えめな人差し指がそっとタブレットに触れる。
「ありがとうございます。登録完了いたしました。ただいま査定を行っております。完了まであと三十分ほどかかりますので、十一時五十分以降になりましたら、こちらの受付番号札を持ってまたこのカウンターまでお越しください。査定金額を確認していただいて、納得していただきましたら買取金額をお支払いいたします。支払いの際は本人確認書類を再度確認させていただきますので、先ほどの保険証をもう一度ご提示お願いします」
「わかりました。お願いします」
律儀にも頭を下げてから、少女はカウンターを去って行く。その後ろ姿を見ながら先ほどの男の姿を思い出していた土岐は、ふとある事に気がついた。
「…!」
早足でカウンター奥に戻り、もう一度、少女の持ってきた品物たちに触れる。
「…やっぱ、ないな」
改めて確認しても、やはりそうだ。ないのだ。普通ならあるはずの嫌な記憶が。
最初に言ったとおり、中古品販売店にあるもののほとんどは、苦い記憶や暗い感情ばかりが残っている。だが中でも特に、恋人や夫婦が一緒に使っていた物や、お互いにプレゼントされたものには苦い記憶が残りやすい。例えば結婚指輪であれば、プレゼントされた瞬間の幸せそうな記憶と、その何倍もの苦々しい感情がよく残っている。生存本能から嫌な記憶ほど残りやすくなっている人間の脳の仕組みと、表裏一体の愛憎の強さのせいだろう。愛しい相手との幸せな記憶は、ひとたび別れれば、相手を嫌ってしまえば、たちまち手を伸ばしても取り戻せない切ない過去へ、あるいは吐き気がするほど忌々しい黒い過去へと塗り替わる。そして別れたあとに当時の愛しい記憶を思い出せば思い出すほど、戻らない過去に焦がれて悲しく苦しくなり、あるいは腹立たしく憎らしくなっていく。その結果、嫌な記憶ばかりが脳に強く刻まれ、物体に残るのだ。だから触れたときに垣間見える記憶も負の場合が多い。
なのに。それなのに。少女が持ってきたこの品物たちの記憶の中には、マイナスなものが無いのだ。別れた時の情景はもちろん、別れた後の映像も、些細な喧嘩の様子もない。あるのは男一人、または少女と二人でのなんてこと無い日常の一コマのような穏やかそうな記憶ばかり。少女と男が不穏な空気になっている様子は欠片も見当たらない。
(どんなカップルや夫婦にも別れた際の記憶や小さな諍いは必ずと言って良いほどあるのに。嫌な記憶が一個もないなんてありえるのか?)
土岐は一枚の皿の縁をそっとなぞる。店で購入したときの映像だろう、色んな食器が並ぶ中で満足そうにこの皿を手に取る少女と、その横で笑う男の姿が見えた。やはり、険悪そうな様子は見えない。
(もしかして別れたわけじゃないのか?でも段ボールに触れた時に見えた部屋の様子からして、あの男とは終わってそうだったけど。てか、だからここに売りに来たんじゃないのか?)
「…の、あの!」
突然、カウンター前から張り上げた声が聞こえて、土岐は思わず肩を揺らした。
「っ、…ん?」
首だけを後ろに向けて視線を送る。カウンターに先ほどの少女が立っていた。なぜか、ひどく土岐を睨み付けながら。
(…なんだ?)
土岐は一瞬眉をひそめる。表情からして何やら怒っているようだが、何に怒っているのかわからない。何かクレームでも入れに来たのだろうか。見るからにめんどくさそうだが、スタッフとしてここにいる以上、やってきた客を無視するわけにもいかない。
「どうしましたか?」
ため息をつきたくなる気持ちを努めて抑えながら、土岐はカウンター前に出る。
「…」
少女は何も言わず、ただ黙って土岐を睨み上げた。
「…あの、お客様?」
疑問を浮かべつつも、土岐は視線を逸らさずに少女に呼びかける。
数秒ほど静寂の中で視線を合わせた後、少女は低く、冷たい声で土岐に投げかける。
「あなた、何者なんですか」
十一月の始め。季節的にはそろそろ冬のはずだ。そう、冬のはずなのだが。
「暖かい…」
「そうですね。この後も二十度近くまで上がるらしいですよ」
「そうなんですね。なんだかまだ冬じゃないみたい」
「地球温暖化の影響ですかね」
太陽の日差しがストレートに降り注ぐ晴天下、少女がのんびりと前に背伸びをする。
「…それで、お客様。お話というのは?」
土岐は穏やかに、けれど話を急かしていることを隠さずに問いかける。それもそのはず、土岐は今貴重な休憩時間を削ってこの場にいるのだ。
時は約十五分前に遡る。カウンターを間にして視線を交わしていた二人のところに、再度店長が顔を出した。
「土岐くん、どうかしましたか?」
「店長、それが」
自分もよくわからない、と言おうとしたところで、土岐は横から勢いよく腕を引かれた。
「すみませんっ、こちらの方を少しお借りしたいのですが!」
「は、?」
突然のおかしな申し出に、土岐は変な声を漏らした。
「はい?どういうことでしょう?」
店長も、穏やかさこそ崩さなかったが、疑問を隠さずに表わした。
「私、この人に話があって。少しで良いのでお願いできませんか?」
ころころとよく変わる表情だ。数秒前まできつく土岐を睨んでいたはずなのに、今では弱々しく懇願するような上目遣いで首をかしげている。甘えるような仕草で許しを請うつもりなのだろうが、なんせ先ほどまで鋭く睨みつけられていたのだ、土岐には全く効果がない。
(早く腕離してくんねぇかな)
土岐が呆れた様子で考えるのに反して、少女の腕を掴む力は強くなった。
最終的には、土岐が折れた。正確には、折れざるを得なかったと言った方が正しい。仕事中だからと柔らかく断りの言葉を並べていた土岐の隣で、店長が少女の上目遣いに落ちたのだ。
「ま、まぁ今から土岐くんには休憩に入ってもらおうと思っていたところですし…」
「本当ですかっ」
店長の言葉に、少女はまた花が咲いたかのような笑顔を浮かべる。こうなってしまえば、土岐にはもう対抗する術がない。
「ありがとうございますっ!」
お礼を言うや否や、少女は土岐の腕を掴んだまま歩き出した。
「お、お客様」
ずるずると引かれるままに、土岐も足を進める。背中越しに店長の「休憩、一時間ね」という声が聞こえた。
(これだから見た目に騙される奴は…)
土岐は心の中でしっかりと店長を恨んだ。
店の外に出ると、少女は自らパッと掴んでいた手を離した。
「無理矢理引っ張ってごめんなさい」
「…いえ」
土岐は袖を直しながら、建前の笑顔を浮かべる。喉元まで出かかって「わかってんなら最初からやるなよ」という言葉は、店員という立場を考えてなんとか留めた。
「…それで、お客様。お話というのは?」
呑気に伸びをする少女に対し、土岐は話を急かす。敬語こそ崩さなかったが、ここまで乱暴に扱う客に対して完璧な丁寧さを保つ気にはなれなかった。
「…」
少女は伸ばしていた手をふらりと下ろすと、土岐の目をじっと見つめた。その表情は先ほどまでのように怒りの込もったものでも、甘えた上目遣いでもない。何か初めて見るものに向けるような、品定めをするような目だった。
「…」
「…」
またもや視線だけを交わす時間が流れる。二人の間を吹き抜けていく風の音が、異様に土岐の鼓膜に響いた。こうしてみると、やはり冬はやってきているようだ。日差しは暖かいが、通る空気は確かに冷たい。
(さすがに上着なしだと寒いな)
土岐は店内の暖かさが恋しくなりながら、土岐は少女を見つめる。制服として支給された薄手のロングTシャツ一枚のみを着ている自分とは違い、しっかりと上着を羽織った少女は、やはりまじまじとこちらを見つめたままちっとも言葉を発さない。
(無理矢理連れ出しておいてなんなんだ?)
土岐の中で、寒さに比例して苛立ちが募る。
「…さすがにずっと外にいたら冷えますね。中に入りませんか?」
「いえ、私は寒くないので大丈夫です」
少女はふるふると首を振る。その動きに合わせてふわりと黒髪が揺れた。
(俺が寒いんだよ)
土岐は間髪入れずにツッコんだ。声にこそ出さなかったが。
「…あ、そうですよね、すみません」
突然、少女がはっとした顔を見せたかと思えば、急にしおらしく俯いた。
「すみません。あの、私…」
ようやく何かを言うつもりになったのだろうか、少女はようやく口を開き始めたものの、なにやら今度はやけにおどおどとしている。
「はい、なんでしょう」
土岐はようやく声を発した彼女に、急かすように返事をした。
「あの、えっと…」
しかし、少女はなぜか言いよどむばかりで、一向に言葉が続かない。
(ほんとに同じ人間か?さっき店長に申し出た時のあのわがままっぷりはどこ行ったんだよ)
土岐はより寒さと苛立ちを募らせる。すると数秒後、意を決したのか、少女が勢いよく顔を上げた。どこか不安げで焦ったように揺らぎながらも、微々たる動きも見逃すまいと見つめる目が、土岐をきっちりと捉えた。
「…あの、」
「はい?」
ようやくか、と土岐は辟易としながら耳を傾ける。次に聞こえてきたのは、衝撃の言葉だった。
「どうして、私のことをそんなにも知っているんですか?」
「……………は、?」
土岐はついに、敬語を失った。
「ですから、どうしてあなたはそんなにも私のことを知っているんですか?」
少女は畳みかけるように土岐を問い詰める。
「お、お客様」
土岐は一歩、後ろに下がった。しかし同時に、少女が一歩前に足を出して土岐に近づく。
「なんだか変だなって、おかしいなって思ったんです。もちろん、中身を見たら誰だって大方想像がつくとは思います。服もアクセサリーも男物ばかりですし、おそろいのマグカップだってありましたから。どうせ別れた男の物を処分しようとでもしているのだろう、なんて考えるのは当然だと思います。でも、一緒にゲームをしてたこととか、二人でお皿を買いに行ったときの様子とか、私が焦って段ボールにあの中身を詰め込んでここに持ってきたことまで、あなたは鮮明にわかっていました。おかしいです。普通、そういうところまではわからないと思います。でも何より、私が一番おかしいと思ったのは、あなたが最後、私が別れた訳ではないのかもしれない、と考えたことです」
少女はまた、土岐に近づく。険しい顔をしてはいるが見るからにか弱そうで緊張感を抱かせない少女に、土岐はまるで小さな白ウサギが必死に威嚇しているようだと思った。
「お客様、」
もう一度、土岐は丁寧に戻した口調で少女に呼びかける。しかし、少女は止まらない。また一歩、土岐に詰め寄っては、蛇口をひねったように言葉を溢れさせた。
「普通、あの品物を見て別れたのだろうとは思いますが、別れていないのでは、とは考えないと思います。でもあなたはそう考えた。どうしてでしょうか?」
「っ…」
土岐は少々面食らっていた。動揺こそしていないものの、不思議なことに、どうやら自分が査定中に考えていたことが全て目の前のこの少女に筒抜けになっていたらしい。
(声に出してたか?いや、そんなわけはないならなぜこいつに読まれている?)
理解不能な状況を前に、疑問に満ちた頭で思考を巡らせる土岐に対して、少女はまるで考える隙を与えないかのように言葉を続ける。
「私、最初はあなたが私のストーカーなのかもしれないと思いました。それなら嫌だなと思いました。でも、あなたは最初、私を見た時につまらないと落胆してたようですし、私がここに連れ出す際には店長さんをとても恨んでいました。それに今こうしてあなたをお店の外に連れ出した後も、あなたってば、寒いだとかお店の中に戻りたいとかばっかりで。ぜんぜん私に関して興味がないんだなっていうのがわかりました。むしろ、あんまりにも私が話し出さないからってちょっと怒っていましたし。そんな人がストーカーなわけがないので、やっぱり違うんだろうなと思いました」
次々と話し出す少女の言葉に、土岐はなおさら思考が混沌としだした。
(最初に出会った時から今に至るまで、全てにおいて心を読まれてるのか…?なんなんだこの白ウサギは)
土岐は目の前の奇妙な小さき生命体をまじまじと見下ろす。土岐の視線の下で口をわらわらと動かしている少女は、すぐ目の前で向き合っているはずなのだが、土岐との身長差のせいか顔の距離だけはやけに遠い。
(…まさか)
少女のこれまでの言葉を反芻して、土岐はある一つの可能性を考えた。そしてその可能性にわずかに期待が募った。普通ならそんな馬鹿なと嘲笑されてしまうような話だが、なんせ自分がそうなのだから、相手も同じ場合だって十分にあり得るだろう
(面白いかもしれない)
「でも、それならなおさらおかしいんです。ストーカーでもないのに、ていうか私に興味すらないのに、どうしてあなたはこんなにも私のプライベートを知っているんですか?あなたは何者なんで―」
「お客様」
土岐は少女に対して手袋を嵌めた両の手のひらを見せると、強引に話を制した。話すのに熱中していたのか、突然目の前に手のひらを向けられた少女はびくりと体を固まらせて口をつぐんだ。
「やはりここでは冷えますから。中でお話いたしませんか?」
「え、?」
「では戻りましょうか」
もう一度、完璧な接客スタイルを確立させてそう言うと、土岐は少女を待たずに店内へと戻る。後ろから「え、あの、」と戸惑ったような声と共にぱたぱたと足音がついてきた。その足音に、土岐は満足そうに笑顔を浮かべながら、店の裏側へと向かった。
住宅街にあるこの中古品販売店は、平日の客はいつも数える程度しかやってこない。近くに住んでいる人たちは皆仕事や学校に行く人がほとんどな上に、駅もそう近くないためわざわざやってくるような客もいないからだ。そのため、シフトに入っているスタッフの数も当然少なくなる。もちろん業務には全く支障がない人数であるが、文字通り最低限の人数だ。おかげで休憩時間はいつも誰かと被ることなく、休憩室を独占できる。
「どうぞ」
「え、ここって職員用の場所なのでは…」
「今は誰も来ないので大丈夫です」
「はぁ…」
あからさまな口調と貼り付けた笑顔で丁寧に促す土岐に従い、少女はおずおずと中へ足を踏み入れる。土岐も後ろに続いて中へ入った。冷やされた体がほどよく設定された暖房に包まれて、土岐はほう、と息をついた。
「紅茶かコーヒー、どちらにいたしますか?」
「…紅茶でお願いします」
「かしこまりました」
最初のように警戒と疑念の表情を見せながらも椅子に座る少女を横目に、土岐もやはり最初のように取ってつけた接客スマイルで少女の紅茶と、自分のコーヒーを用意した。
「…ありがとうございます」
とても感謝しているとは思えない表情で発せられた言葉を笑顔だけで受け取りながらコーヒーを口にする土岐は、少し自分の頭の中で事を整理する。
(査定、というか最初に荷物を持ってきた瞬間から、俺の心の中をこの白ウサギはなぜか全てわかってる。相手の感情や思考を察知するのが異様に上手い人間…なんて、性格や気質で終わらせられる範疇でもなさそうだし、おそらく、ていうかもうほぼ確定でそうだとは思うけど、)
チラリと視線を向けると、紅茶を持ったまま眉をひそめている少女と目が合った。猫舌なのか、はたまた毒でも盛られていると思っているのか、少女はカップを手にしたまま一向に口へ運ぶ様子がない。
(…髪の毛ぼさぼさ。さっき風に当たったからか)
「っ、」
土岐はふいに心の中でそう呟いた途端、少女はカップをすぐさま置いて、撫でるように自身の髪の毛を梳いた。
(…やっぱりな)
土岐は確信した。というか、もうほとんどわかっていたのだが。
今、目前にいるこの少女は、『他人の思考を読み取る能力』を持っている。
(てか、隠す気もなさそうだろこいつ)
土岐は若干呆れた。しかし、それ以上に、少女についての確信を得たことで、純粋な驚きと期待通りの結果への嬉しさがあった。
(いるかもしれない…ていうか、いるけど隠してるからわからないだけだとは思ってたけど、実際に見つけるとやっぱびっくりするな)
土岐は今まで、自分と同じように何らかの能力を持った人間に会ったことがない。目の前に座るこの少女が初めて出会った他の能力者である。自分の他にも、同じように何らかの能力を持った人間がいる。この事実に、土岐は驚きと、確かな喜びを感じていた。
土岐はコーヒーをそっとテーブルに置く。
「…今、俺が喜んでいることも、君にはわかっているのかな」
先ほどまでの営業スマイルから一転、土岐は素直な笑顔を浮かべて、単刀直入に切り込んだ。
「…」
土岐からの言葉に、少女はさらに顔を顰めた。つい先ほど、土岐が喜び始めた時からすでにわかっていたが、少女の顔には警戒と疑念の他に、なぜか戸惑いや困惑といった感情が追加されている。
「…」
少女は少し俯いてから、ゆったりとした動きで紅茶を口へ運んだ。その丁寧で品のある所作からは、少女の育ちの良さが垣間見える。
「…ええ。そうね。心底喜んでいるのがわかったわ」
少女は静かにそう言った。
休憩時間は、まだ五十分弱残っている。
土岐はゆっくりとコーヒーを味わいながら、湯気ごしに少女を見つめた。
「でも、どうしてそんなに喜んでいるのかは、私には理解できないわ」
「?」
少女の言葉に土岐は首をかしげた。
「あれ?心を読めるんじゃないのか?」
「読めるわ」
土岐の質問に、少女は目だけを伏せて肯定の意を示す。先ほどまでの臆病ながらも警戒していた子ウサギはどこへやら、土岐が能力についての言及をした瞬間から、少女はどこかすっと大人びた白ウサギになっていた。口調も敬語が外れ、どこかのお嬢様のような浮世離れした話し方へと変化した。
「?ならどうして喜んでいるのかわからないはずがないでしょ?」
「いいえわからないわ」
「自分の他に能力持ちを見つけた。こんなにも面白いことはない。それが理由だ。読めなかった?」
「いいえ読んだわ。そんなことはわかってるの。私はあなたが初めて会った能力持ちの人間なんでしょう?」
「読めてるじゃん」
「だからそう言っているじゃない」
「じゃあ何がわからないの?」
「あなたがどうして喜んでいるのかよ」
「だからそれは今話したじゃないか」
「そういうことを言ってるんじゃないの。あなたが喜んだ理由ならさっき心を読んだし、あなたの口からも直接聞いた。わからないって言ったのは、貴方が喜んだことそのものよ」
「喜んだことそのもの?」
「そう。あのね、普通、人に心を読まれてるって知られたら、誰だってまずは怖くなったり、嫌に思ったりするものなのよ」
「え、そういうものなの?」
「そういうものよ。なのにあなたときたら、自分が心を読まれていることなんてそっちのけで、同じ能力者だって喜ぶんだもの。なんだか私の方が怖くなったわ」
(そんなに怖く思うことがあるかな。むしろ便利で良いじゃないか。わざわざ声に出さなくても会話できるわけだろ?)
「え、」
少女は目を見開いた。
(?どうかした?)
「…驚いた。便利だなんて言われたのは初めてだわ」
(あ、そうなんだ)
「ええ。なかなか悪くない回答ね。…でも、心が読まれてるからって会話を放棄するのは辞めてくれないかしら。私が一人で話しているおかしな人だと思われるじゃない」
(いまここ俺たちしかいないけどね)
「いい加減にして。はぁ…なんだか変に疲れたわ」
少女はあからさまにため息をつくと、紅茶をまた一口味わった。
詳しく話を聞いたところによると、少女の持つ能力はテレパシーとは少々異なるらしい。
「テレパシーとか、サトリ・サトラレっていうのは、自分の感情や思考を相手に送ることも出来るみたいなの。でも私が出来るのはあくまで相手の心の内を読みとることだけ。自分の感情を相手に送ることはできないわ。だからどちらかというと、『読心』とか、『マインドリーディング』って言った方が正しいと思う。でも、ただ感情や思考を読み取るだけじゃないの。私の場合は感情の大きさも受け取るから厄介なのよ。読み取れる感情が大きいほど声も大きく聞こえるから、時々うるさくて適わないわ」
「なるほど」
「あなたはどんな能力なの?」
「あれ?わかってなかった感じ?」
「ええ。人の過去の出来事とかが見える感じの能力なのかな、とは思ったんだけど。私のことをずいぶんと知っているみたいだから。でも、ちゃんとはわからなかった。心を読んでみても、あなた、ずっと私の能力のことばっかり考えているんだもの」
「ああ、確かに」
不満げに口をとがらせる少女に、土岐は悪びれる様子もなく笑った。
「私の能力だけ明かしておいて、隠すのはなしよ」
「そんなことはしないよ。ちゃんと教えるさ。ちょっと聞きたいこともあるしね」
土岐は少女をじっと見つめる。
「聞きたいこと?」
「うん。まぁ…これは俺の能力を話した後に聞いた方がいいかな」
土岐は少女が能力者であったことに舞い上がっていた一方で、あの少女が持ってきた品物についての疑問も決して忘れてはいなかった。そう、宿っていた記憶についてだ。なぜ、品物の全てに負の記憶が一瞬たりとも残っていなかったのか。あの謎については、未だ明らかに出来ていない。
(エンタメ以外じゃ他人のプライベートなんて大して興味は無いんだけど、なんか不気味なんだよな。今まで一回も負の感情が微塵もない商品なんて出会ったことなかったし…ま、幸いちょうど本人が目の前にいるわけだし、それとなく聞いてすっきりさせよう)
「…ふーん。で、なんの能力なの?」
「…気になる?」
「さっさと言って」
「君だって散々黙っていたくせに。店の外に俺を連れ出したときのこともう忘れた?あの寒い中ただ待たされたんだけど。君と違って上着もなしで」
「ああ、確かに寒いって言ってたわね。私があなたのことストーカーかもしれないって思いながら真剣に心の声を覗いていた間ずっと」
「覚えてるじゃないか。ていうか、ストーカーだと思ったんなら外に連れ出すのは悪手だったと思うよ。二人きりの方が危険じゃないか」
「今こうしてここに連れ込んだ人が言う台詞かしら。それに、ストーカーかもしれないって思ったのはほんの短い時間よ。私に興味が無いのはすぐにわかったもの。そんなことはいいから早くあなたの能力を教えてくれない?これじゃあ紅茶が冷めちゃうわ」
「あはは、そうだね。わかったよ」
土岐はコーヒーカップから右手を離すと、その手をひらひらと掲げて見せた。
「俺が持ってるのは、サイコメトリーっていう能力なんだ」
「サイコメトリー…」
土岐の言葉をオウム返しする少女は、ひらひらとさせる土岐の手を興味ありげに眺めながら言葉を続ける。
「って、確かあれよね?素手で触れると、その物の記憶?みたいなのがちょっとだけ見える、みたいな。なんだったかしら。なにか名前があったような」
「残留思念だね」
「それだわ。残留思念」
少女がパチンと手を叩く。
「一番強い感情とか、記憶とか、思考の残りカスみたいなのがチラッと見えるんだ。フラッシュバックするみたいな感じで」
「ああ、そうなの。てっきり私、もっとこう、ちょっとしたワンシーンが見られるものかと思ってたんだけど」
「あくまで一瞬だけなんだよ。ビデオ再生みたいに秒単位では見られないんだ。一瞬だけ、フラッシュ暗算するみたいにパッと写真が見えるようなものだからね」
「そうなのね…じゃああなたはその能力で私の品物に残った記憶を見ていたから、私のことを知っていたのね。よくわかったわ。気持ち悪いわね」
少女は腑に落ちた様子で一息つくと、純粋な軽蔑のまなざしで土岐を睨んだ。
「辛辣だね。まぁ、君がどう思おうが俺は構わないけど。それより、この能力を知ってもらったところで、君に聞きたいことがあるんだけど」
「ああ、どうして私が持ってきた品物に嫌な記憶が一つもないのか、でしょう?」
「ああ、読んでたんだ」
「ええ、さっき能力を明かす前に聞きたいことがあるって言った時に。でも、その話をする前に、私、まだわかっていないことが一つあるんだけど」
「?なに?」
「貴方の発言…じゃないわ。頭の中で考えていたことについてよ。あなた、私の持ってきた物の記憶を見ていた時、私が別れていないんじゃないかって思っていたけれど、どうしてそう思ったのかしら。普通、あの中身を見たら別れた恋人の物を売りに来たんだろうと思うはずよ。でもなぜか、あなたは別れていないんじゃないかって考えたわ。それは能力で何か見たからよね?一体何を見たの?」
「ああ、そのことか。簡単だよ。さっきの俺の質問が答えなんだ」
「?嫌な記憶が一つも無いって話?」
「うんそう。そうだな…それが気になってるなら、なおさら僕の疑問を先に聞いてもらった方が早いと思うんだけど」
「…わかったわ。それなら聞かせて」
少し考える素振りを見せてから、少女は控えめに頷いた。土岐はにやりと口角を上げる。
「ご存じの通り、僕は君の品物を査定しているとき、同時にこの能力を使って宿った残留思念を覗いていたんだけど、そこで見えた記憶や感情は、どれも穏やかな日常のワンシーンを切り取ったようなつまらないものばかりでさ。奇妙だなって思ったんだ」
「人の記憶を勝手に覗いておいてつまらないだなんて…まぁいいわ。それで?嫌な記憶が無いのが奇妙?そんなにおかしいことかしら」
少女は覗かれたことに対する嫌悪感と、どこか不安な様子を滲ませながら首をかしげる。
「うん。おかしいんだ。俺の経験上、中古品には必ずささやかながらも何かしら負の記憶が宿る。多分、人間の生存本能的に嫌な記憶の方が脳に残りやすいからなんだと思ってるんだけど。中でも、別れた恋人や夫婦が手にしていたものは特に強く、嫌な記憶や感情が残りやすい。別れた瞬間そのものの記憶とか、別れる原因となった出来事の映像とか、はたまた別れた後にその物に触れながら付き合っていた頃のことを思い出している時の苦い思考や感情とかね。でも、君の持ってきた物にはそれが一切無い。別れた時の記憶はもちろん、それに関連する記憶も、ましてや些細な言い争いすらも。本当に、微塵もなかったんだ。三年くらいここでバイトしてるけど、こんなの初めてだよ」
「…ああ、そういうこと。逆なのね。能力で何かが見えたんじゃなくて、むしろ能力を使っても何も見えなかった」
「そう。別れたことに関連する記憶が一つも見えなかった。だから俺は別れていないのかもしれないと思ったんだ。別れていないのなら、もちろんそんな記憶も物には宿らないからね」
「…よくわかったわ。ありがとう」
少女はなぜか安心したように微笑むと、最初とは打って変わって柔らかにお礼を告げた。
「納得してもらえたなら良かった」
土岐は満足げに笑顔を見せると、ちらりと壁に掛けられた時計に目をやる。休憩時間は残り二十五分。なんだか時間が過ぎるのが早い。
「納得してもらえたみたいだし、今度は僕の質問に答えてくれないかな」
「…もちろんいいけれど。どうして嫌な記憶が残っていないのか、なんて聞かれたところで、そんなの答えられないわよ」
「…はっ?」
先手を打って放たれた少女の思わぬ回答に、土岐は目を見開く。手にしていたカップの中で、コーヒーが荒波を立てて揺れた。
「なんで?自分だけ色々聞いておいてそれはずるくないか?」
「別にずるくないわよ。それに、答えたくないんじゃなくて答えられないのよ。どうして記憶が残ってないの?なんて言われても、感情や思考なんて自分で意識して強く抱くものじゃないんだから。聞かれたところでわからないわ。ましてや物に残るかどうかなんて考えもしないし。答えることは出来ないのは当然じゃない。少し考えれば誰だってわかることよ?馬鹿じゃないの?」
「はぁー?…まぁ、それもそうか…」
ぐうの音も出ない正論に、土岐は悔しげに拳を握る。
「最悪だ…これ聞くためだけに休憩時間を潰すことを承知で君をここに連れてきたのに…時間を無駄にしたじゃないか」
「知らないわよ。どうせ業務中だって色んな物の過去を覗いて遊んでるんでしょ、仕事なんてしてないようなものじゃない。休憩時間程度でうだうだいうのは辞めなさいよ」
「あ、待って、結局なんだけど」
「変に切り替え早いわね。気持ち悪いんだけど…なに?」
「男とは別れてるの?」
「…」
土岐の言葉に、少女は少しだけ黙る。
「?どうかした?」
「いいえ、何でもない。そうね、別れ話はしていないわ。でも、昨晩さよならしたのは確かよ」
別れた男の話をするのは嫌なのだろう、また顔を顰めた少女はどこか気まずそうに紅茶を口に運んだ。
「え、別れたばっかりじゃん」
「まぁ、」
「なんで別れたの?浮気でもされた?」
「あなた、人が気まずそうにしてるんだから少しは察しなさいよ」
「あいにく俺は『読心』の能力は持っていないんだ」
「持っていなくても今のは誰だって察するわよ普通」
「ごめんごめん」
「…別に、浮気されたわけじゃないわ。あの人、お酒を飲むとちょっと大変だったの」
「あ、答えてくれるんだ」
「愚痴をぶつけて八つ当たりしてるだけよ。この際だからストレス解消に付き合わせてやろうと思ったの。今まで彼氏の愚痴なんて誰にも話したことなかったから。ていうか、付き合っていることすらほとんど誰にも言ってなかったし」
「あ、そうなんだ?」
「そうよ。だからあなたが別れていないのかもしれないって考えたとき、すごく驚いたんだから。話してもいないのにどうして知ってるの?って」
「ああ、なるほど」
「恋愛に関することはあんまり口には出さないようにしていたの。すぐに色々広まって厄介だから。結局、赤の他人のあなたに知られてしまったのは誤算だったけれど…でもまぁ、あなたは他人に興味がなさそうだし、ここまで来たらはけ口にさせてもらうわ」
「他人に興味がないのは否定しないけど、無駄な会話で俺の休憩時間が減ることにはすごく関心があるよ」
「あの人はね、よく家で一緒にお酒を飲みたがるの」
「聞いてる?」
「でも、私は苦い物が苦手だからいつも飲まなかったの。でも、弱くはないのよ?前に度数が高いものを飲んだことがあったけれど全然酔わなかったし、記憶もなくならなかった。でもあの人は正反対。弱いお酒でもすぐに酔うし、記憶もなくなっちゃう。おまけにあの人ったら、酔うとなぜかふらふらと外に出て行っちゃうの」
「あー、それはめんどくさいね」
土岐は適当に聞き流すことにした。
「最初は不安だから追いかけてたけど、いつの間にか慣れちゃって。しばらく前からはもう追いかけなくなったわ」
「へぇ、そうなんだ」
「ちゃんと聞きなさいよ」
「聞いてる聞いてる。それで?その酒癖の悪さにうんざりしてさよならしたんだろ?良いじゃないか、そんな面倒なやつ、捨てて正解でしょ」
土岐はカップの中で揺れる冷め始めたコーヒーを眺めながら、ぶっきらぼうに言う。
「…貴方にしては、なかなか悪くない答えじゃない」
「全然褒められてる感じがしないけど、どうもありがとう。にしても、別れてすぐ次の日に急いで男の物を売りくるなんて、君も案外情ってものがないよね。もう少し過去の思い出を引きずったりしないの?」
「え、しないわよ?もう私にこの人は要らないって思ったからさよならしたのよ。情なんて抱かないわ」
「淡泊だね」
「他人に興味がないとはっきり言ったあなたにだけは言われたくないわね。じゃあ聞くけれど、あなたはこのティーバッグを捨てるとき、このティーバッグに何か思いを馳せたりするのかしら?」
少女はカップの中からティーバッグを引き上げる。
「?しないね。ゴミを捨てるときにそのゴミのことを考える人なんて、そういないでしょ」
滴がポタポタとカップの中へ落ちていくのを見ながら、土岐は首を振った。
「そうでしょう?捨てるゴミにいちいち感情なんて抱かないし、捨てた後にそのゴミのことを思い出して物思いにふけったりもしない。人との関係だってそう変わらないと思うわ。好きで情があるからそばにいるし、それらの感情がなくなったから終わりにする。あとから思い出して恋しくなるくらいなら、最初からさよならなんてしないもの。それだけよ」
「とか言ってるけど、ずいぶんと焦って段ボールに詰めて持ってきたみたいだけどね。本当は別れた相手のものを見るのが辛くて持ってきてたんじゃないの?可愛いね」
土岐のからかいの言葉に、少女は律儀にも反応して睨みつける。
「馬鹿にしないで。そんなんじゃないわ。ていうか、あなた、わたしが急いで段ボールに詰めてここに売りに来ていたのも見えていたんだし、大体わかっているんでしょう?もうすぐ引っ越すのよ。さよならした男のものなんて持って行くわけがないし、邪魔だからさっさと処分したかったの」
「そんなに早く手放したかったなら、さっさと捨てちゃえば良かったのに、なんでわざわざここに売りに来たの?」
「ただの思いつきよ。まだ十一月の初めで、大掃除するには少し早いけれど、引っ越しもあるし、もうこの際心機一転しようって思って大掃除を始めたの。普段から掃除はこまめにしていた方だけれど、大きな家具の隙間とか、高い戸棚の上とか、普段動かさないところはやっぱりだめね。どうしても埃が溜まっちゃう。寒いけど換気のために窓を開けたわ。そうしたらこのリサイクルショップが見えて、ちょうど良い、売ってみようって思ったの。すぐに行動したわ。部屋にいくつかあった段ボールの中から一番大きいものを一つ選んで、服やらマグカップやらアクセサリーやら、とにかく片っ端から手早く詰め込んだ。別に急ぐ必要なんてなかったのだけれど、一刻も早く手放したいという気持ちが大きかったのね。無駄に焦っていたわ。ある程度入れたところで段ボールがいっぱいになったから、ひとまず片付けも途中で家を飛び出してここへ向かったの。この距離だし、普通なら五分もかからないはずだけれど、いろいろと詰め込んだ段ボールは結構重たくって。少し時間がかかってしまったわ。あ、そういえば。最初、あなたのいた買取カウンターに行く前に、酷い店員さんに遭ったのよ」
「酷い店員?そんな人いたかな。うち、スタッフの評判はわりと良いはずなんだけど」
「いたわよ。茶髪の、ショートカットの女性店員さんが」
「茶髪のショートカット…山中さんか。え、あの人なにかしたの?」
少女の話に飽きていた土岐が一転、目の色を変えて少女の言葉に前のめりになる。
「山中さんっていうのね。あの人、とっても裏表の激しい人なのね。お店に入ってすぐ、近くにいた彼女が気のよさそうに声をかけてくれたの。売りたいものがあると話したら、穏やかな笑顔で手のひらを向けて、買い取りカウンターの場所を教えてくれたわ。とても丁寧に接客していただいたから、私もきちんとお礼を言わなきゃと思って、頭を下げようとしたわ。でもそのとき、その店員さんが言ったの。「あー、めんどくさ!せっかく今日は誰も来ないと思ったのに。さっさと帰ってくんないかなー」…って」
「…それって」
少女は頷く。
「ええ、実際に言ったわけではないわ。私が彼女の心を読んだだけ。でも、あまりにも大きい声だったものだからびっくりしたわ、そしてとても残念だった。丁寧な人だと思ったのに。あんまりにも悲しくて、思わずお礼を言いかけていた口を閉じてしまったもの。
途中で固まった私に彼女は不思議そうに首をかしげたけれど、私がお礼を言い直したらまた優しい笑顔を浮かべて「何かあればお声がけくださいね」って言ってくれたわ。まぁその後すぐ大きな声で「なんてなっ!」とも付け加えられてしまったけれど。そんなに私が来たことが気に食わないのかって、後ろ姿を眺めながらちょっと悲しくなったわ。でも、あの人にも理由があるんだと思って。だから気を取り直して、提案してあげたの。「誰にも来てほしくないのなら、いっそ閉店の張り紙でも張ってみてはいかがでしょう?」って。そうしたら、今度は彼女が固まっていたわ」
「…ははっ、」
少女の話を聞いて、土岐は思わず笑った。
「なによ」
「いやごめん、ちょっとなるほどなと思って。あはは」
土岐は少女と出会う前の山中とのやりとりを思い出す。入り口前で固まっていた彼女が、土岐をみるなり仕事を奪ってまで買取カウンターに向かうよう言ったあの時の理由が、まさかのこの少女によって明かされたのだ。
「まさか君のせいだったなんて」
「私のせい?」
「俺、あの人が入り口で固まってるところに声をかけたら、買取カウンターに行くように言われたんだよ。他にやってた作業があったんだけど、あの人に強引に奪われてさ。まさか、君のせいだったとは思わなかったよ。あはは」
「私のせいって。あの人があんまりにも酷いことを言うからよ。あの人の自業自得でしょう」
「まぁ、あの人確かに気性が激しいところあるからね。実際あの人の記憶をちらっと覗いたことがあったけど、結構人違いレベルで暴言を吐いてたし。それに、あの人今結構荒んでるからさ、君にとっては余計に厄介だったかもね」
「スタッフの記憶まで覗いてるのね。荒んでるっていうのは?」
「あの人結婚してるんだけど、つい先週、旦那さんが共同の口座に入ってたお金を勝手に下ろしてたことがわかったんだって。五百万」
「大金じゃない。何にそんなに使ったのかしら」
「競馬にパチンコ、オートレースとか、できる賭け事には全部手を出してたらしいよ」
「相当なギャンブラーね」
「ま、そんなこんなで大げんかして、今離婚協議中らしいんだ。だからもともとの性格に加えて、今は余計に荒ぶってるんだよ」
「そうなのね。確かに荒ぶりたくなる気持ちはわかったわ。なんだかちょっと悪いことしたかも。そんなに怒ってたのに、表面上ではとても優しくしていたなんて。なかなかできないことよね」
少女は少し眉を下げた。
休憩時間は、もう残り十分を切っていた。
時計を見た少女が品良く立ち上がる。
「そろそろ私は失礼しようかしら。ずいぶんと時間を無駄にしてしまったみたいだわ」
「そうだね、俺の休憩時間を無駄にしてくれてありがとう。おかげで昼も食べないまま仕事に戻ることになるよ」
「あら、そうなの。どういたしまして。なんなら残りの十分もここにいてあげましょうか」
「帰って良いよ。査定もとっくに終わってるはずだから」
わざとらしく座り直そうとする少女を制して、土岐は裏口のドアを開ける。暖かい室内に一瞬にして冷気が入り込んだ。
「そういえば、」
一歩外に出た彼女はふと振り返る。
「あなた、お名前は?」
「すごい今更だね」
土岐は呆れたような言葉を吐きつつにやりと笑うと、最初の接客モードにもどり、わざとらしくネームプレートを見せた。
「土岐と申します。土岐琥珀です」
瞬間、少女の顔が今日一番に歪む。土岐はその表情を見て、満足げに少女の名前を呼んだ。
土岐はすでに、少女の名前を知っている。
「下の名前が同じだなんて、奇遇ですね。白雪こはくさん」
「最悪。聞かなければよかったわ」
少女は吐き捨てるように言うと、土岐を睨みつける。
「ていうか、どうして名前を知って…ああ、そうね。身分証を渡したんだったわ。はぁ…」
もう話すのもめんどくさいと言わんばかりにため息をついた少女は、「帰るわ」と冷たく言い放つと足早に歩きだした。
「またのご来店をお待ちしております、こはくさん」
「ウザいわね。もう二度と来ないわ」
土岐の挑発の言葉にしっかりと乗せられて言い返した少女は、最後にどこか迷ったような顔で土岐に問いかけた。
「本当に、私の持ってきた物たちに嫌な記憶は見えなかった?」
「?うん、全く。ほんとに奇妙だよ」
「そう…それなら、よかったわ」
そう言うと、少女は心底安心したように笑って土岐に向き直った。
「土岐くん、私ね、最初にあなたが私の過去を見れる能力だって知ったときも、別れていないんじゃないかって考えたときも、すごくぞっとしたのよ。どうしようって思った。でも、心配は要らなかったみたいね」
「?」
「さようなら。できるなら、もう会いたくないわね」
少女は最後に心底楽しそうに笑うと、もう振り返らなかった。
休憩時間は、まもなく終わる。
結局、最後まで少女の持ってきた品物の謎が明らかになることはなかった。
(最後はどういう意味だったんだか)
一人、休憩室に佇む土岐は、少女との最後のやりとりを思い出しながら、テーブルに置かれた二人分のカップを眺める。
(ほとんど飲んでなかったのか)
飲み干されて底が見えた自分のカップに対して、少女のものはティーバッグの中の茶葉が全て出し切られて色の濃くなった紅茶が残っていた。
人が戻る前に片付けねば、と手を伸ばしたところで、土岐はふと少女とのとあるやりとりを思い出した。
『じゃあ聞くけれど、あなたはこのティーバッグを捨てるとき、このティーバッグに何か思いを馳せたりするのかしら?』
『?しないね。ゴミを捨てるときにそのゴミのことを考える人なんて、そういないでしょ』
『そうでしょう?捨てるゴミにいちいち感情なんて抱かないし、捨てた後にそのゴミのことを思い出して物思いにふけったりもしない。人との関係だってそう変わらないと思うわ。好きで情があるからそばにいるし、それらの感情がなくなったから終わりにする』
(捨てるときに、そのゴミのことなんて考えない、そしてそれは人間関係でもそう変わらない…)
「…ああ、なるほど。そういうことか」
土岐は力なく椅子に座り込むと、そのまま机に倒れ伏せた。
(男との関係も、ただゴミを捨てるのと一緒だったってわけか。そりゃあ、感情を抱かないんじゃ、物にも残んないよなぁ…)
ようやく明らかになった品物の謎に、土岐は肩の力が抜けるような感覚に陥る。…が、まだこの違和感が終わっていないことに気がついて、ガバリと顔を上げた。
(いや、待てよ。それにしたっておかしいだろ。あいつの持ってきた物はほとんどが男物。あいつ自身の感情がないのはいいとして、男側の感情が微塵もないのにはやっぱり説明がつかない)
土岐は目をキラキラとさせながら思考を巡らせる。気になる。なぜ男の記憶は微塵もないのか。知りたい。知りたい。
好奇心に駆られた土岐はスマホを取り出すと、自分の能力と少女とのやりとりの間で明らかになった男の情報を打ち込んで整理していく。
・あいつの彼氏
・昨晩別れた
・チャラめ
・酒癖が悪い
・弱い酒でもすぐに酔う
・飲むと記憶をなくす
・ふらふらと外に出て行く
「飲むと、記憶をなくす…これかっ…」
土岐は勢いよく立ち上がった。
(飲むと記憶をなくす。記憶にないなら物にも残らない…なるほどな)
土岐は難しい問題を解いたときのような解放感に心が躍った。
「そりゃあ、別れ話しても、覚えてないなら物にも残んないよなぁ…」
土岐は感嘆の声を漏らすように呟くと、目の前のコップに視線を送る。つい先程まで、あの少女が触れていた物だ。
(…そういえば、これには何か残ってっかな)
そっと手袋を脱いだ土岐は、何の気なしに少女のカップを撫でる。
「…はっ?」
見えたのは、これまでの二人とのやりとりの間の少女の思考だった。
『何で別れたわけじゃないってわかったのかしら?この人は何者?』
『サイコメトリー…物に宿った記憶を見る能力…なら、私が持ってきたあの品物を見たのね。それならもしかして、私があの人を…』
『いや、ばれてないみたい』
『嫌な記憶が一個も無い…どうしてかわからないけど、良かった。これなら、見抜かれずに終われるかもしれない』
「別れたわけじゃない…?あいつが男を…まさか」
土岐は目を見開いた。頭の中で、一つの可能性が過ったのだ。
(これは、面白いかもしれない)
土岐は途端に目を輝かせると、カップも片付けないままに、急いで休憩室を後にした。
「あれ、土岐くん。おかえりなさい」
休憩室を出てすぐに、山中が土岐に声をかけた。
「すみません山中さん。あの買取の女性は?」
「ああ、あのお嬢さんね。さっき店を出て行ったよ。そうそう、あの子と言えば土岐くー」
「すみません、ちょっと失礼します」
店長を押しのけて、急いで店の外へと向かう。土岐は先ほど導き出した自分の回答が間違いかもしれないことに気がついた。
先ほどの土岐の推理はざっとこんな感じであった。
一つ。少女は男と関係を切った。少女は要らない物に対して感情を抱かない。感情を抱かないのなら、物にも残らない。
二つ。少女と関係を切ったとき、男は酔っていた。男は酔うと記憶をなくす。記憶にないものは、物にも残らない。
つまり、あの品物たちに嫌な記憶が一切残っていないというおかしな現象は、酒に酔って記憶がない男と、まるでゴミを捨てるように感情なく男と関係を切った少女、この二人によって偶然生まれた負の記憶の空白である、土岐はそう考えていたのだ。
しかし、先ほど少女のカップに触れたときに見えた少女の思考を踏まえるならば、話は変わってくる。
(あいつ自身については多分間違っていない。違うのは多分、男の方だ。ただ記憶をなくしたんじゃない。注目するのはそっちじゃなかった。大事なのはむしろその後だ。カップに残っていたあいつの思考、『私が、あの人を…』。あの後、あいつが素早くカップから手を離すのが見えた。あれはわざとだ。俺が過去を読めると知ったから、カップに記憶が残るだろうと思ったから。だから急いで手を離した。もし、もしあの後に何か続いているのなら、それは多分、『止めなかった』って言葉だ)
土岐は好奇心に駆られるままに走りながら、嬉々としてこれまでの少女の言葉を思い出す。
『でも、私は苦い物が苦手だからいつも飲まなかったの。でも、弱くはないのよ?前に度数が高いものを飲んだことがあったけれど全然酔わなかったし、記憶もなくならなかった。でもあの人は正反対。弱いお酒でもすぐに酔うし、記憶もなくなっちゃう。おまけにあの人ったら、【酔うとなぜかふらふらと外に出て行っちゃう】のよ』
(そうだ。男は酔うとふらふらと外へ出て行く。あいつはちゃんとした別れ話はしていないが昨晩「さよなら」はしたと言った。もしもその昨晩の「さよなら」が、ただ人を見送るのと同じように、ただ酔って出て行く男の後ろ姿に手を振るだけだったとしたら?冬の夜に意識も朧気な男が出て行くのをただ見届けたのだとしたら、それは…)
「はぁっ…」
土岐は店の外へ出ると、少女の姿を探した。
(確かめたい。確かめなければ。俺の予想が当たっているのかどうか。あいつに触れれば、真相がわかるかもしれない。面白いものが、見えるかもしれない。見たい。絶対に)
土岐は好奇心を膨らませながら少女を探す。ふと、視界の先、離れた交差点に立つ少女の後ろ姿が目に入った。
「まってっ、」
土岐が声を張り上げると、少女がこちらへ振り返った。
「…」
土岐と目が合った少女は、今までで一番楽しそうな笑顔を浮かべると、控えめに手を振りながら小さな口を動かした。
(さ、よ、う、な、ら…)
「いや、ちょっとまっー」
「と、土岐くんっ」
去りゆく少女を追いかけようと手を伸ばした土岐の肩が、突然ぽんっと抑えられた。
「っ…山中さん」
振り返れば、山中が息を切らした様子で立っていた。
「土岐くんてば、ちょうど休憩も終わって戻ってきたから声をかけようと思えば、急に走り出すんだもん…はぁ、疲れた…」
「…すみません」
土岐は内心舌打ちをしたが、業務時間中にしては行きすぎた行動をとったことは確かだったため、おとなしく謝罪をする。
「あの子になにかあったの?」
「いえ…何でもないです。びっくりさせてしまってすみません。そうだ、山中さんこそ、俺に声かけようと思ったんですよね。何かあったんですか?」
「ああ、用事ってほどじゃないんだけど…これ。さっきの女の子から。買取の契約が済んでもう帰るってときに、これを土岐くんに渡してくれって言われたの」
そう言って、苦い顔をした山中が、土岐に一枚の紙切れを渡した。
「俺に?ありがとうございます」
(なんだ?…もしかして、ここに真相がっ?)
土岐は心が期待で満ちていくのを感じながら、二つ折りにされたその紙を受け取り、その場ですぐに開いた。
「…っ、はぁ…」
中に書かれていた女子らしい丸みを帯びた文字に、土岐は思わず一瞬だけ息が止まったあと、その場にしゃがみ込んでため息を漏らした。
「…くそ…」
【覗きたがりなあなたへ。あのカップからは何か見えたかしら?真相は見せません】
最後の最後で膨れ上がった好奇心を置き去りにされ、土岐は真相を解き明かしたい衝動に殺されそうになりながら家に帰った。次の日、朝のニュース番組でとある報道が土岐の目に入った。
「一昨日未明、〇〇市の河川敷で男性の遺体が発見されました。死因は低体温症とみられています。体内から高いアルコール濃度が検出されており、警察では、男が酒に酔って転倒し、そのまま凍死したとみて調べています。……なお、現場の状況から、事件性はないものとみられます」




