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悪魔とオレの三つの願い攻防戦

作者: たべり
掲載日:2026/02/02

昔に書いて放置していたものを手直しして仕上げました。

― 0 ―


 あんた、悪魔って知ってるか? 何かの本で見たことがある? なら話は早い。なあ、悪魔は本当にいると思うか? いや、無理に答えなくてもいいよ。あんたの答えがどうだろうと、悪魔は実在するんだから。


 どうしてそんなことを言いきれるのかって? 実はオレ、会った事があるんだよ、悪魔に。もし興味があるなら、オレの話を最後まで聞いてくれないか。オレがどうやって悪魔に出会ったかを……。






 頬に当たる風が生温い。オレは目を開ける事が出来なかった。もう何度も足元を見ようとするのだが、どうしてもできない。


 顔を上げ、正面を向くと、目を開いても怖くないから不思議だ。オレはさらに顔を上げ空を見上げた。雲一つない青空が広がっている。


 オレはあるデパートの屋上にいた。正確には屋上の柵の外になるわけだが……。


 会社が倒産し、収入がなくなった。なんの取り柄もなく、技術も資格も持っていないオレには、再就職先も見つかりそうになかった。


 あれから三ヶ月、借金をしてなんとか食いつないできた。しかしもう、金を貸してくれる心あたりは、無い。大家からは、滞納している家賃を催促されたが、払えるわけもなく、追い出されて住むところもない。


 もう、これ以上生きていても、仕方がない。死んでしまえば楽になると思った。


 しかし、いざとなると死ぬのが怖い。高いところがこんなに怖いとは思わなかった。人目につかないように屋上の柵を越え、下を見たとたんに足がすくんで、それ以上動けなくなってしまったのだ。


 そのまま、どれぐらいの時間がたったのか……。まだ数分しか過ぎていない気もするし、数時間が過ぎたような気もする。


 誰かがオレを見つけて、説得してくれたら思いとどまる言い訳になるんだが……。しかし、屋上に人はおらず、誰かに見つかる気配もない。


「駄目だ」


 恐怖心が、死にたいと思う心に勝ってしまった。このまま何時間ここに立っていても、飛び降りることなど、できはしないだろう。オレは、柵を登り内側に戻ることにした。


 この柵を戻れば、命の危険はないかわりに、どん底に落ちた人生が再開される。それでも、死ぬ怖さに比べれば、ましにちがいない。そんなことを考えながら、柵に足をかけ、よじ登ろうとしたとき、突然、強い風が吹いてきた。


 風とともに、飛んできたビニール袋が顔に張り付いて前が見えなくなってしまった。払いのけようと手を離したとき、バランスを崩したオレは、頭からまっさかさまに落ちていった。


 迷っていたときには、どうしても開かなかった目が、今は近づいてくる地面を見つめている。さっきまで、爪の先くらいに小さく見えた人や車が、だんだんと大きくなって今は手のひらほどの大きさになっていた。そしてさらに大きくなっていくのだ。


 このまま、だんだん大きくなって、オレの視界に入りきらなくなったとき、オレは死んでいるだろう。嫌だ、死にたくない。そう思ったとき、オレは叫んでいた。


「死にたくない。誰か助けてくれ!」


 オレの願いも空しく、手のひらサイズの人びとはさらに大きくなっていく。


「もうだめだ……!」


 その時、どこからか声が聞こえてきた。


「ごきげんよう。いい天気ですね」


 声が聞こえたと同時に、オレは夢の中のような、現実味のない、浮遊している感覚に襲われた。


 オレは空中に静止していた。



― 1 ―


 その声の主は、静止しているオレの目の前にいた。黒い髪に、黒いスーツ、黒い靴を履いた男だった。


「死なないですみますが、どうします?」


 男は笑顔を浮かべつつ、オレに話しかけてきた。


「あんた、いったい誰だ?」


「申し遅れました。(わたくし)、困っている方に、救いの手を差し伸べさせていただいております」


 男は名刺を取り出すと、オレの前に差し出す。受け取った名刺には大きく、「悪魔」と書かれていた。


 オレは男の言うことを素直に信じることにした。なぜなら、男をよく見なおしてみると、背中からコウモリのような羽が生えていて、先がとがった黒い尻尾が生えている。見た目だけではない。飛び降り自殺中の人間に話し掛けることができるなんて、とても人間が出来ることではない。そんな奴が悪魔と名乗っていれば、信じるしかほかはない。


こんな状況だと言うのに、いや、こんな状況だからこそ、突拍子もないことを、信じることができたのだろう。


「なるほど、本物の悪魔のようだ。助けてくれるのか?」


 悪魔は落ち着いた、丁寧な口調でそう言った。


「ええ、あなたの願い事を三つ、叶えて差し上げましょう」


 そして、悪魔は願い事を叶える対価として、オレの魂をくれと言った。以前、なにかの本で読んだのと同じ内容だった。オレは承諾した。今すぐ死んでしまうことと比べれば、悪魔との取り引きぐらい、かまわない。


「承知いたしました。これであなたは落下しても死なずにすみますよ」


 悪魔はにっこり笑ってそう言った。……と、思う。実際にはオレにはそのとき、悪魔の顔をみている余裕がなかった。なぜなら、再び落下し出したオレは、地面との再会を果たす直前だったから。



 すごい衝撃だった。カミナリが目の前に落ちたかのような、それとも、巨大なハンマーで殴られたら、こんな衝撃なのかもしれない。


 オレは生きていた。意識もはっきりしている。助かったのだ。オレは起き上がろうとして両手の感覚がないことに気づいた。両手だけではない、体中の感覚がなくなったようだった。あれだけの衝撃を感じたのに、全く痛みがないのだ。


 オレが落ちたことに気づいた通行人たちが、周りを取り囲む。上を見て「これで生きているのは奇跡だ」と言っている人もいる。誰かが呼んだのだろう、救急車のサイレンが聞こえてきた。


 救急車が停止し、サイレンの音が止まる。救急隊員が数人降りてきて、オレを担架に乗せて、運び込んだ。


 再びサイレンが鳴り、救急車が動き出した頃、オレの全身を激痛が襲った。体中の骨を全て、一つ一つハンマーで砕いたのかと思うくらい、激しい苦痛が足の先から、体全体、手の先まで断続的に襲ってくる。痛みで叫びだしそうになるが声を出すこともできない。そのとき、救急隊員の一人がオレに声をかけてきた。


「どうです、助かったでしょう? 神経も無事のようですし、願い事、叶えましたよ」


 話しかけてきたのは、あの悪魔だった。それが分かった瞬間、救急車のサイレンの音が消え、全身の痛みが無くなっていた。



― 2 ―


 空中で静止したときと同じ感覚。時間が静止しているような、動いているのは自分と悪魔だけ。夢を見ているような、浮遊している感覚。


 救急隊員の制服を脱ぎ、黒服姿に戻った悪魔は微笑をたたえてオレを見ている。担架の上で身動きも取れず、声を出すこともできなかったが、不思議と思ったことは全て悪魔に伝わっているようだった。


「……助かったけど、この激痛と動けない体はどういうことだ。これじゃ死んでいるのと変わらないじゃないか」


 オレの不満げな思考を読み取ると、悪魔は肩をすくめる。


「おやおや、心外ですね。私は『死なないように』というあなたの願いを忠実に叶えたまでです。あなたが地面に激突しても死なないように取り計らいました。それに、『怪我をさせないで助けろ』とは聞いておりません。契約とは厳格なものですからね」


 こいつ、完全にオレをバカにしていやがる。そういえば、悪魔というのは魂を手に入れるために、願いを曲解して叶えるものだと本に書いてあった気がする。まさにその通りだ。


「さて、残り二つの願いを事を伝えてください。完璧に、そして厳格に叶えて差し上げますよ」


 悪魔はすました顔でそう言ってくる。こいつ、このままオレが怪我を直してくれと言えば、痛みを残すんだろう。そして、痛みを消してくれと頼んでしまったら、願い事を三つ言ったことになってしまう。かと言って、最初に痛みを取り去ってくれと言えば、神経を機能不全にさせられて、三つ目の願いを言わされるんだろう。


 とにかく、三つ目の願い事をすぐにしなくても良い方法を考えないと……。そうだ!

 

「……二つ目の願いだ。今すぐこの激痛を取り除いてくれ。それから、体も元通りにしてくれ」


 オレは慎重に言葉を選び、悪魔に思考を読ませた。二つの要素を一つにまとめてしまえば、願いは一つだ。悪魔も文句は言えまい。


「お安い御用です。痛みを消し、あなたの体を元に戻して差し上げましょう」


 悪魔の言葉が聞こえるとともに、浮遊感が消え、救急車のサイレンの音と同時に、全身を駆け巡る激痛が戻ってきた。

 

 しかしそれは一瞬のことで、急激に痛みが引いていく。それと同時に、目の前が暗くなっていき、何も見えなった。突然のことにうろたえるが、体を動かすことができない。サイレンの音も聞こえなくなっている。


「痛みが消えたのはいいが、何も見えないし聞こえないぞ。一体何が起きているんだ?」


 何も聞こえなかったのに、オレの疑問に答える悪魔の声だけは聞こえきた。


「大丈夫ですよ。落ち着いて周りをよく見てください」

 

 悪魔の声を聞き周りを伺ったオレは違和感に気づく。立っている悪魔の顔が横にあり、下を見るとオレがベッドに寝ているのだ。そして、救急隊員たちが慌てている。これはいったい……?


「痛みを取り除く一番確実な方法は、神経を停止させること……つまり、死を完遂させることです。そして、御覧の通りあなたの体は修復され、元通りになりました」


 悪魔の言う通りだとしたら、じゃあ、今のオレの状態は何なんだ?


「おめでとうございます、あなたは魂だけの存在になり、完璧に痛みから解放されました」


 ……つまり、オレは死んだのか? それは話が違うじゃないか!? オレは悪魔に文句を言うが、悪魔はすました顔で答える。


「おや、何か問題でも? 先ほど申し上げた通り、あなたの願いは叶っておりますよ。死なないように、とのご指定もなかったので、クレームをつけられる覚えはございませんが?」


 そして悪魔は、瞳を不気味に輝かせながら続けて言った。


「さあ、最後の一つ……三つ目の願いはどうします? それが叶えば、契約通りにあなたの魂をいただきましょう。と言いますか、すでに魂の状態になっていますし、『あなたの全て』と申し上げたほうが正確ですかね」



― 3 ―


 悪魔が期待しているのは、生き返らせてくれとか、そんな願いだろう。だが、そんなものを願っても、三つ目の願いをしてしまったら魂を取られてしまう。二つ目の願いは失敗してしまったが、今度こそこいつの裏をかかなければ……。


 じっとオレを見つめる悪魔をよそに、オレは考える。どうにかして三つ目の願いを叶えさせて且つオレの魂に手を出させない方法はないものか……。そうか、やつが手出しできない場所にすればいいんだ。


「オレの魂を天国に連れて行ってくれ。それが三つ目の願いだ」


 オレは自信満々で言い放つ。天国に行けば、悪魔は手出しができない。もし悪魔がその願いを聞き入れられずうろたえれば、契約不履行で魂は解放されるはずだ。さあ、今度こそ困れ!


 しかし、意外にも悪魔の表情に動揺はなかった。


「よろしいですよ。それでは行きましょう」


 悪魔はそう答えると、オレを天国へ連れて行った。


 天国の門にたどり着いたオレたちを見つめた天使たちの顔ったら、今思い出しても傑作だよ。「ハトが豆鉄砲を食った」という表現があるけれど、まさにそれだね。目を丸く見開き、口をだらしなく開けて、悪魔に連れられた魂を見つめているんだ。


 悪魔が門番の天使に事情を説明したときの、彼らのうろたえぶりも見せたかったね。かわいそうなくらい滑稽だったよ。詳しく知りたければ、オレと同じ願いをしてみることだ。


 こうしてオレは天国の住人となり、悪魔と別れる時が来た。


「……フン、ざまあみろ。オレの勝ちだな。さあ、とっとと地獄へ帰りな」


 オレは勝ち誇ったが、別れ際に悪魔が残した言葉は、意外なものだった。


「それでは気が済んだらお呼びください。いつでもお待ちしておりますよ」


 そう言って悪魔は丁寧に一礼すると、話を続ける。


「私の寿命は何千年もありますし、あなたとの契約は無期限に有効ですから。天国に飽きたら、いつでも魂を回収させていただきます。ごゆっくり、永遠に続く『天国』を楽しみください……」


 ヤツはそう言い残すと、煙のように消えていった。


 まぁ、とにかく、こうしてオレは三つの願いをしたにもかかわらず、魂を取られずに済んだわけだ。


 それ以来、オレはずっとここにいる。確かに天国はいいところだよ。花は咲き乱れ、穏やかな音楽が流れ、何の苦労もない。でも、あまりに長い間いると、ここは退屈で仕方がないんだよ。何も起こらず変化がない。ただ永遠に続く、凪のような時間だけが過ぎていく。


 ほとんどの魂は、飽きがくる前に転生してここを出ていく。オレもそろそろ、ここを出たいとは思っているんだが……。


 門の外には、例の悪魔が相変わらずの澄ました顔をして、オレが出てくるのをじっと待っているんだ。

読んでいただき、ありがとうございます

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